アレッサンドロ・グラミーニ
アレッサンドロ・グラミーニ | |
---|---|
グランプリでの経歴 | |
国籍 | イタリア |
活動期間 | 1990年 - 1995年, 1997年 |
チーム | アプリリア, ジレラほか |
レース数 | 66 |
チャンピオン | 125cc - 1992年 |
優勝回数 | 3 |
表彰台回数 | 12 |
通算獲得ポイント | 331 |
ポールポジション回数 | 3 |
ファステストラップ回数 | 0 |
初グランプリ | 1990年 125cc スペインGP |
初勝利 | 1991年 125cc チェコスロバキアGP |
最終勝利 | 1992年 125cc ハンガリーGP |
最終グランプリ | 1997年 500cc マレーシアGP |
アレッサンドロ・グラミーニ ( Alessandro Gramigni, 1968年12月29日 - ) は、イタリア・フィレンツェ出身のモーターサイクル・ロードレースライダー。1992年のロードレース世界選手権125ccクラスチャンピオン。
経歴
[編集]1989年のヨーロッパ選手権でシリーズランキング2位に入る活躍を見せ、翌1990年、ロードレース世界選手権125ccクラスにデビューを果たした。1988年に同クラス参戦を始めた[1]ばかりで、当時は少数派だったアプリリアのマシンを駆り、デビューイヤーはシリーズ9位の成績を残す。そして1991年、ブルノでおこなわれた第13戦チェコスロバキアGPにおいて自身初、アプリリアにとっても125ccクラス初[2]となる優勝を飾った。この年は90ポイントを獲得し年間ランキングは7位に入った。
そして翌1992年、グラミーニは第3戦シャー・アラム、第9戦ハンガロリンクと年間2勝、ホンダのファウスト・グレシーニとのタイトル争いを制し、ワールドチャンピオンに輝いた。これはアプリリアにとっても初のグランプリタイトルだった。
1993年、250ccクラスにステップアップしたグラミーニはジレラのマシンを駆ったが、年間わずか2ポイントの獲得、シリーズランキング30位に沈んでしまった。1994年はアプリリア、1995年にはホンダのマシンを駆ったが、満足な成績は残せないまま終わった。
1996年はグランプリから離れ、AMAスーパーバイクにスポット参戦し、ブレイナードとロードアメリカの2勝を収める活躍を見せた。1997年には1戦だけGPに復帰し、開幕戦シャー・アラム、500ccクラスのレースでアプリリアのマシンを駆った。結果はリタイヤに終わり、これが最後のGPレースとなった。
1998年からはスーパーバイク世界選手権に戦いの場を移し、1998年-2001年、2003年、2005年と参戦したが、表彰台の獲得も叶わなかった[3]。2004年にはイタリア国内のスーパーバイク選手権でチャンピオンを獲得している。
ロードレース世界選手権 戦績
[編集]シーズン | クラス | バイク | 出走 | 優勝 | 表彰台 | PP | FL | ポイント | シリーズ順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1990年 | 125cc | アプリリア | 13 | 0 | 2 | 0 | 0 | 84 | 9位 |
1991年 | 125cc | アプリリア | 12 | 1 | 3 | 0 | 0 | 90 | 7位 |
1992年 | 125cc | アプリリア | 12 | 2 | 7 | 3 | 0 | 134 | 1位 |
1993年 | 250cc | ジレラ | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 30位 |
1994年 | 250cc | アプリリア | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 23位 |
1995年 | 250cc | ホンダ | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11 | 23位 |
1997年 | 500cc | アプリリア | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - |
合計 | 66 | 3 | 12 | 3 | 0 | 331 |
脚注
[編集]外部リンク
[編集]