エミリオ・アルサモラ
エミリオ・アルサモラ | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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国籍 | スペイン | ||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 |
1973年5月22日(51歳) リェイダ | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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エミリオ・アルサモラ・エスカルディブル(Emilio Alzamora Escardibull, 1973年5月22日 - )は、スペイン、リェイダ出身の元オートバイレーサー。1999年のロードレース世界選手権125ccクラスチャンピオン。同クラス史上初の、「シーズン1勝も挙げなかったチャンピオン」として記録を残す[1]。
経歴
[編集]キャリア初期
[編集]24時間耐久レースへの出場経験を持つ父の影響を受けたアルサモラは、初めてのバイクとしてイタルジェットの50ccマシンに乗る。14歳の時にはホンダ・MBXでレースデビューを果たす。
1989年と1990年、スペイン国内の育成カテゴリである80ccレースでアルサモラは2年連続チャンピオンとなる。その後はスペイン国内選手権のオープン・ドゥカドス125ccクラスにステップアップし、1992年にはホルヘ・マルチネス率いるアスパー・チームに所属していたこともある。
世界選手権デビュー
[編集]1994年、スペイン国内選手権への参戦を継続しつつ、ロードレース世界選手権125ccクラスにデビューを果たす。翌1995年にチーム・スコットに移籍すると、アルゼンチンで初優勝を果たし、シリーズ3位に入る活躍を見せる。またこの年にはスペイン国内選手権のチャンピオンも獲得した。1996年にはワールドチャンピオン獲得を目指すものの、シリーズ4位に終わる。
250ccクラスへ
[編集]1997年は250ccクラスにステップアップし、ホンダ・NSR250を駆ることになった。しかし第2戦鈴鹿での転倒により左手の舟状骨を骨折。回復に時間がかかり、また大排気量マシンへの順応にも手間取ったため、31ポイントの獲得、シリーズ18位に終わる。
再び125ccクラスへ
[編集]1998年には125ccクラスに戻り、アンヘル・ニエトのチームでアプリリアを駆ることになったが、僅か18ポイントの獲得、シリーズ21位と、これまでで最悪のシーズンとなってしまった。
ワールドチャンピオン獲得
[編集]2年間失意のシーズンを過ごした後、アルサモラは1999年にタイトルを獲得することになる。シーズン5勝を挙げたマルコ・メランドリの追撃を1ポイント差で抑え、最終戦アルゼンチンGPでワールドチャンピオンに輝いた。他にこの年のライバルには、メランドリと同じく5勝を挙げた東雅雄、2勝のロベルト・ロカテリ、ジャンルイジ・スカルビーニ、1勝の上田昇、アルノー・ヴァンサンらがいたが、驚くべきことにアルサモラは10回表彰台に立ちながらも、1勝も挙げずにタイトルを獲得することになった。
タイトル防衛の年
[編集]翌2000年にはワークス仕様のホンダ・RS125を与えられ、タイトル防衛を目指した。ヘレス、エストリルと2勝を挙げたものの、マヌエル・ポジャーリと宇井陽一に敗れてシリーズ3位に終わった。
250ccクラス復帰
[編集]2001年は250ccクラスに復帰を果たし、ファウスト・グレシーニ率いるグレシーニ・レーシングでワークス仕様のホンダ・NSR250を駆ることになった。この年グレシーニチームはアルサモラが持ち込んだテレフォニカ・モビスターのスポンサードを受けることになった。チームメイトはこの年のチャンピオンとなる加藤大治郎だった。大治郎の活躍には及ばないものの、アルサモラは2度表彰台を獲得、シリーズ7位に入った。
翌2002年もアルサモラはチームに残留、スポンサーがテレフォニカ・モビスターからフォルトゥナに代わりロベルト・ロルフォをチームメイトに迎えた。この年も2度表彰台を獲得し、前年限りで開発が終了したNSR250で2年連続でシリーズ7位になった。
三度125ccクラスへ そして引退
[編集]2003年、アルサモラはデルビ・チームのオファーを受け125ccクラスに戻り、GP2年目のホルヘ・ロレンソのチームメイトを務めることになった。この年はポイント圏内で完走することすら困難となり、僅か2ポイントの獲得、シリーズ31位に沈んだ。アルサモラはこの年限りで二輪レースを引退する。
引退後の活動
[編集]現在はモータースポーツの選手・メカニックを育成する モンラウ・コンペティチオン[2]の代表を務め、後進の指導にあたっている。2010年125ccクラス世界チャンピオンのマルク・マルケスも国内選手権時代からアルサモラの指導を受けている[3]。2011年にはモンラウ・コンペティチオンがチームとしてMoto2クラスに参戦、アルサモラはチームマネージャーとしてマルケスのMoto2デビューに立ち会うこととなった[4]。
世界選手権 戦績
[編集]シーズン | クラス | バイク | 出走 | 優勝 | 表彰台 | PP | ポイント | 順位 |
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1994年 | 125cc | ホンダ | 13 | 0 | 0 | 0 | 16 | 22位 |
1995年 | 125cc | ホンダ | 13 | 1 | 4 | 1 | 129 | 3位 |
1996年 | 125cc | ホンダ | 15 | 1 | 5 | 0 | 158 | 4位 |
1997年 | 250cc | ホンダ | 11 | 0 | 0 | 0 | 31 | 17位 |
1998年 | 125cc | アプリリア | 13 | 0 | 0 | 0 | 18 | 21位 |
1999年 | 125cc | ホンダ | 16 | 0 | 10 | 0 | 227 | 1位 |
2000年 | 125cc | ホンダ | 16 | 2 | 7 | 0 | 203 | 3位 |
2001年 | 250cc | ホンダ | 15 | 0 | 2 | 0 | 136 | 7位 |
2002年 | 250cc | ホンダ | 15 | 0 | 2 | 0 | 120 | 7位 |
2003年 | 125cc | デルビ | 16 | 0 | 0 | 0 | 2 | 31位 |
合計 | 144 | 4 | 30 | 1 | 1040 |
(凡例)(太字はポールポジション、斜体はファステストラップ。)
シーズン | クラス | マシン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 順位 | ポイント |
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1994年 | 125cc | ホンダ | AUS |
MAL Ret |
JPN 16 |
SPA Ret |
AUT 22 |
GER 22 |
NED 11 |
ITA 18 |
FRA Ret |
GBR 22 |
CZE Ret |
USA 21 |
ARG 5 |
EUR Ret |
22位 | 16 | ||
1995年 | 125cc | ホンダ | AUS 4 |
MAL 23 |
JPN 7 |
SPA 7 |
GER 3 |
ITA Ret |
NED Ret |
FRA 7 |
GBR 3 |
CZE 10 |
BRA 10 |
ARG 1 |
EUR 2 |
3位 | 129 | |||
1996年 | 125cc | ホンダ | MAL 5 |
INA Ret |
JPN Ret |
SPA 2 |
ITA 7 |
FRA 3 |
NED 1 |
GER 4 |
GBR Ret |
AUT Ret |
CZE 5 |
IMO 2 |
CAT 4 |
BRA 2 |
AUS Ret |
4位 | 158 | |
1997年 | 250cc | ホンダ | MAL 7 |
JPN DNS |
SPA | ITA Ret |
AUT DNS |
FRA | NED Ret |
IMO 10 |
GER 10 |
BRA 14 |
GBR Ret |
CZE 12 |
CAT 12 |
INA Ret |
AUS Ret |
17位 | 31 | |
1998年 | 125cc | アプリリア | JPN 21 |
MAL 16 |
SPA Ret |
ITA 17 |
FRA Ret |
MAD Ret |
NED Ret |
GBR 14 |
GER 5 |
CZE Ret |
IMO 13 |
CAT 14 |
AUS 21 |
ARG DNS |
21位 | 18 | ||
1999年 | 125cc | ホンダ | MAL 2 |
JPN 3 |
SPA 3 |
FRA 3 |
ITA 6 |
CAT 2 |
NED 4 |
GBR 3 |
GER 2 |
CZE 6 |
IMO 4 |
VAL 2 |
AUS 15 |
RSA Ret |
BRA 3 |
ARG 2 |
1位 | 227 |
2000年 | 125cc | ホンダ | RSA 3 |
MAL 4 |
JPN 5 |
SPA 1 |
FRA 3 |
ITA 7 |
CAT Ret |
NED Ret |
GBR 2 |
GER Ret |
CZE 3 |
POR 1 |
VAL 5 |
BRA 8 |
PAC 2 |
AUS 4 |
3位 | 203 |
2001年 | 250cc | ホンダ | JPN Ret |
RSA 19 |
SPA 6 |
FRA 4 |
ITA 6 |
CAT 7 |
NED 2 |
GBR 4 |
GER Ret |
CZE 7 |
POR Ret |
VAL 4 |
PAC 2 |
AUS 6 |
MAL Ret |
BRA 7 |
7位 | 136 |
2002年 | 250cc | ホンダ | JPN 4 |
RSA 7 |
SPA 3 |
FRA 7 |
ITA 11 |
CAT 9 |
NED Ret |
GBR 12 |
GER Ret |
CZE | POR 6 |
BRA 7 |
PAC 5 |
MAL 8 |
AUS 13 |
VAL 3 |
7位 | 120 |
2003年 | 125cc | デルビ | JPN Ret |
RSA 23 |
SPA 18 |
FRA 19 |
ITA Ret |
CAT Ret |
NED 21 |
GBR Ret |
GER Ret |
CZE 21 |
POR 19 |
BRA Ret |
PAC Ret |
MAL 23 |
AUS 14 |
VAL 24 |
31位 | 2 |
脚注
[編集]- ^ 全クラス通してでは、1989年に80ccクラスでマヌエル・ヘレロスが無勝利でチャンプとなっている。
- ^ http://www.monlau-competicion.com/_devfinal/index.html
- ^ https://web.archive.org/web/20081010210515/http://www.motogp.com/ja/riders/profiles/Marc+Marquez
- ^ http://www.motogp.com/ja/news/2010/marquez+moto2+confirmation
外部リンク
[編集]タイトル | ||
---|---|---|
先代 ホルヘ・マルチネス |
125ccスペイン選手権チャンピオン 1995 |
次代 ダビド・アルマンサ |
先代 坂田和人 |
125ccクラス世界チャンピオン 1999 |
次代 ロベルト・ロカテリ |