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寺田周平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
寺田 周平
名前
愛称 シュウヘイ、テラコフ
カタカナ テラダ シュウヘイ
ラテン文字 TERADA Shuhei
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1975-06-23) 1975年6月23日(49歳)
出身地 神奈川県横須賀市
身長 189cm
体重 80kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
ユース
1991-1993 日本の旗 横須賀高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2010 日本の旗 川崎フロンターレ 191 (8)
通算 191 (8)
代表歴2
2008-2009[1] 日本の旗 日本 6 (0)
監督歴
2024- 日本の旗 福島ユナイテッドFC
1. 国内リーグ戦に限る。2010年12月31日現在。
2. 2009年1月28日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
寺田周平

寺田 周平(てらだ しゅうへい、1975年6月23日 - )は、日本の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー神奈川県横須賀市出身。

来歴

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日産自動車サッカー部の下部組織で本格的にサッカーを始める。その後、神奈川県立横須賀高等学校から東海大学へ進学。在学中はサッカー部自体は関東2部や神奈川県リーグに所属していたが、1995年に開催されたユニバーシアード福岡大会でサッカー競技代表の中心選手として日本の大会初優勝に貢献し、プロからも注目を浴びる。卒業後は日産サッカー部の後身、Jリーグの横浜マリノス(現在の横浜F・マリノス)への入団が内定していたが、メディカルチェックで頸椎に問題が発見されて不合格となり、1年間の浪人生活を過ごした[2]

1999年、Jリーグ2部(J2)の川崎フロンターレに入団。日本には珍しい長身のボランチで、背番号「6」を与えられて開幕戦から先発メンバーとして出場した。シーズン途中は負傷により離脱したが、終盤戦に復帰してチームの優勝に貢献した。

チームがJ1に昇格した2000年にもレギュラーとなったが、5月の練習中に膝の靱帯を損傷し離脱。5月3日磐田戦でJリーグ初ゴールと初退場を記録した直後の負傷で、さらに他の負傷なども重なって、公式戦復帰には約2年半を要した。以降、運動量が比較的少なくて済み、屈強な身体を活かせるディフェンダー(センターバック)に転向したが、度重なる怪我に悩まされ、ほとんど公式戦に出場できない日々が続いた。しかし2004年に復活を遂げ、寺田と同じく長身の伊藤宏樹(183 cm)、箕輪義信(187 cm)と組んだ3バック(通称・川崎山脈)は守備の安定に貢献した。

Jリーグ選手協会では2004年に川崎支部の会長、2005-06年には副会長を務めた。

2008年5月27日キリンカップパラグアイ戦で、32歳339日で日本代表初出場(歴代4番目の年長記録、Jリーグ発足後では最年長)。

2010年は両ひざを手術した影響もあり公式戦13試合の出場に止まる。シーズン終了後、現役引退を発表した。

エピソード

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  • 2009年6月に横須賀市長となった吉田雄人とは県立横須賀高校での同級生である。吉田は横須賀市議時代の2008年4月に寺田が日本代表候補に選ばれた際に自分のブログで祝辞を送り[3]、寺田は吉田が市長選挙で当選した際に共通の知人を通じてメールを送っている[4]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1999 川崎 6 J2 12 0 2 0 4 0 18 0
2000 J1 8 1 2 0 0 0 10 1
2001 J2 0 0 0 0 0 0 0 0
2002 4 1 - 0 0 4 1
2003 13 3 0 - 4 0 7 0
2004 33 2 - 3 1 36 3
2005 J1 26 2 6 3 2 0 35 5
2006 22 0 7 0 2 0 31 0
2007 29 1 4 0 4 0 37 1
2008 21 1 3 1 1 0 25 2
2009 23 0 4 0 3 0 30 0
2010 10 0 0 0 1 1 11 1
通算 日本 J1 139 5 26 4 13 1 178 10
日本 J2 52 3 2 0 11 1 65 4
総通算 191 8 28 4 24 2 243 14
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2007 川崎 13 7 0
2009 6 1
2010 2 0
通算 AFC 15 1

代表歴

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  • 国際Aマッチ 6試合 0得点 (2008年 - 2009年)[1]


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2008 4 0
2009 2 0
通算 6 0

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会
1. 2008年5月27日 日本の旗さいたま 埼玉スタジアム2002 パラグアイの旗 パラグアイ △0-0 岡田武史 キリンカップサッカー2008
2. 2008年10月9日 日本の旗新潟 東北電力ビッグスワンスタジアム アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 △1-1 キリンチャレンジカップ2008
3. 2008年11月13日 日本の旗神戸 ホームズスタジアム神戸 シリアの旗 シリア ○3-1
4. 2008年11月19日 カタールの旗ドーハ ハリファインターナショナルスタジアム カタールの旗 カタール ○3-0 2010FIFAワールドカップ最終予選
5. 2009年1月20日 日本の旗熊本 熊本県民総合運動公園陸上競技場 イエメンの旗 イエメン ○2-1 AFCアジアカップカタール予選
6. 2009年1月28日 バーレーンの旗マナマ バーレーン・ナショナル・スタジアム バーレーンの旗 バーレーン ●0-1

指導歴

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  • 2011年 - 2023年 川崎フロンターレ
    • 2011年 トップチーム アシスタントコーチ
    • 2012年 トップチーム コーチ
    • 2013年 育成・普及コーチ 兼 U-15・U-13アシスタントコーチ
    • 2014年 - 2019年 U-15・U-13 監督
    • 2020年 - 2023年 トップチーム コーチ
  • 2024年 - 福島ユナイテッドFC 監督

監督成績

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年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 勝点 試合 ルヴァンカップ 天皇杯
2024 J3 福島

脚注

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  1. ^ a b “寺田 周平” (日本語). サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_ta/shuhei_terada.html 
  2. ^ 七転び八起きのサッカー人生 川崎・寺田 引退模様(4)”. 日本経済新聞 (2010年12月30日). 2012年6月30日閲覧。
  3. ^ 横須賀市長吉田雄人のユーティング・ブログ!2008年4月18日付記事「寺田周平という英雄」
  4. ^ サンケイスポーツ2009年7月4日付記事

関連項目

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外部リンク

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