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大阪梅田駅 (阪急)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
梅田地区の鉄道駅 > 大阪梅田駅 (阪急)
大阪梅田駅*
駅外観
おおさか うめだ
Osaka-umeda
地図
所在地 大阪市北区芝田一丁目1番2号[1]
北緯34度42分19.85秒 東経135度29分53.92秒 / 北緯34.7055139度 東経135.4983111度 / 34.7055139; 135.4983111 (阪急梅田駅)座標: 北緯34度42分19.85秒 東経135度29分53.92秒 / 北緯34.7055139度 東経135.4983111度 / 34.7055139; 135.4983111 (阪急梅田駅)
所属事業者 阪急電鉄
駅構造 高架駅
ホーム 10面9線
乗降人員
-統計年度-
(特定日)542,824人/日
-2019年-
乗降人員
-統計年次-
(通年平均)444,572人/日
-2023年-
開業年月日 1910年明治43年)3月10日
乗入路線 3 路線
所属路線 神戸本線
駅番号 HK01
キロ程 0.0 km(大阪梅田起点)
(0.9 km) 中津 HK-02
所属路線 宝塚本線
駅番号 HK01
キロ程 0.0 km(大阪梅田起点)
(0.9 km) 中津 HK-02
所属路線 京都本線**
(線路名称上は宝塚本線)
駅番号 HK01
(2.4 km) 十三 HK-03
乗換 大阪梅田駅阪神本線
梅田駅Osaka Metro御堂筋線
東梅田駅Osaka Metro谷町線
西梅田駅Osaka Metro四つ橋線
大阪駅JR京都線JR神戸線JR宝塚線おおさか東線大阪環状線
北新地駅JR東西線
* 2019年10月に「梅田」から改称。
** 京都本線の起点は十三
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地図
梅田地区の鉄道駅の位置関係。駅名は右上の四角マークで地図を拡大しアイコンをクリックして表示される。

大阪梅田駅(おおさかうめだえき)は、大阪府大阪市北区芝田一丁目(梅田地区)にある、阪急電鉄駅番号HK-01

概要

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大阪の2大繁華街の一角である「キタ」の中心地である梅田に位置しており、駅周辺は大阪屈指の繁華街オフィス街である。

阪急電鉄(阪急電車)の基幹路線である京都本線宝塚本線神戸本線の列車の始発終着駅であり、同社最大のターミナル駅である。2019年以前は1日約50万人の乗降者数を誇り、西日本大手私鉄の中では最も利用者数が多い。地下鉄等の相互乗り入れが行われていないため、この50万人がそのまま改札を出入りする実数となる。10面9線のホーム・線路数は頭端式ホームの鉄道駅としてはJRの駅も含めて日本最大の規模を誇る[注 1]。なお、京都本線は国交省への届け出上は十三駅が起点で、十三駅 - 大阪梅田駅間は京都本線の線路は宝塚本線の急行線(途中の中津駅にはホームが設置されていない)という扱いである。当駅から十三駅間は日本の私鉄唯一の三複線(複々々線)を形成している。

関西最大の鉄道交通の拠点である梅田地区の鉄道駅の1つであり、JR西日本のターミナル駅である大阪駅とも隣接している。2019年10月1日に、国内外の観光客にとって当駅が大阪市の拠点駅であることを分かりやすくするため[2]に「梅田駅」から「大阪梅田駅」に改称された(同様の理由で京都本線の終点である「河原町駅」も「京都河原町駅」に同日名称変更を行った)。駅自動放送車内放送では開業当初から一貫して「大阪梅田」と案内されており、改称後も変更はない[3]。また、阪神電鉄(阪神電車)の大阪梅田駅と区別して、阪急・阪神の両路線が乗り入れる神戸高速線高速神戸駅新開地駅などや、日生エクスプレスが乗り入れる能勢電鉄線内では「阪急大阪梅田」と呼ばれる場合もある。

世界初の駅ビル百貨店ターミナルデパート)とされる阪急百貨店うめだ本店大阪梅田ツインタワーズ・ノース)と直結しており、小林一三が考案した鉄道会社がターミナル駅に百貨店を併設するビジネスモデルは、その後の大手私鉄の経営手法に大きな影響を与えた。駅周辺には阪急の各種重要施設が集積しているため、俗に「阪急村」と呼ばれることがある。

第1回近畿の駅百選選定駅。

当駅からの接続路線

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太字は駅名

下記の駅はいずれも当駅から徒歩連絡が可能である。

歴史

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阪急大阪梅田駅は、1910年に阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道によって梅田駅(うめだえき)として開業した。このときは東海道本線南側、現在の阪急百貨店うめだ本店の場所にある地上駅であった。その後、十三駅までの高架化の際に当駅も高架駅となったが、この際に鉄道省大阪駅の高架化計画が既に立てられていたため、高架駅は鉄骨の仮建築として造られた。そして、大阪駅の高架化工事が部分完成するとともに、予定通り1934年に再び地上駅化された。3 - 5号線および6 - 8号線に1つずつ、ドーム状の屋根で覆われているのが特徴であった。

以上の経緯については阪神急行電鉄#梅田駅付近の変遷も参照。

1920年、駅1階のスペースを白木屋に貸し出す。僅か55坪のスペースであったが、その後、全国の駅に造られるターミナルデパートの先駆けとなった[4]

1944年からは、京都本線(元京阪電気鉄道の新京阪線)[5]の当駅乗り入れが宝塚本線の線路を用いて開始されるが、京阪では戦前に独自で新京阪線と京阪本線の当駅乗り入れも計画していた(京阪梅田線を参照)。京阪による梅田の駅設置予定地は、阪急・京阪の戦時合併を経て戦後京阪を分離する際に阪急側に残し、のちに阪急ファイブ(現:HEP FIVE)と称する商業施設が建設された[6]

その後、宝塚本線への京都本線電車の乗り入れ本数が増加し、ラッシュ時約2分間隔となり線路を共用していては捌けなくなったため、宝塚本線の複々線化名目(急行線扱いのため、中津駅のホームを設置しない形)で新たに複線を増設した。この増設にあたっては、十三駅 - 梅田駅間高架・複々線化(ここで述べている宝塚本線の複々線化以前に、宝塚本線の複線に加えて神戸本線の複線を新設した工事)の際に残った地上線の一部を用いて営業していた北野線の用地(1949年に休止)を利用している。1959年に十三駅 - 当駅間が3複線化され、それまで当駅発着であった京都線の特急・急行列車に加え、千里山線(現:千里線)直通普通列車の梅田駅乗り入れが開始された(行楽期にはこれとは別に梅嵐急行も当駅に発着)。なお、京都線普通列車の当駅への本格的な乗り入れは当駅が3線化された1973年11月23日からである(それ以前には京都線淡路駅以東からの普通列車の梅田駅乗り入れは早朝・深夜の車庫への入出庫関連の列車程度しか設定がなかった。京都線の普通列車が全面的に梅田駅発着となったのはそれからさらに3年後の1976年9月23日からである)。1960年代の当駅改良以前は梅田駅構内で宝塚線ホームから新設された京都線の複線へ、また十三駅構内で京都線から宝塚線へ入線できる構造だったため、宝塚線の急行も京都線用の複線を走行することがあった。

ちょうどこの時期より乗客増加が顕著となり、電車の連結両数の増加に対応するため、ホームを北側に延長して対応していたが、国鉄の高架線が障害となって拡張が限界に達した。そこで1966年から1973年にかけて、現在地である日本国有鉄道(国鉄)東海道本線北側への移転高架化・拡張工事が行われた。阪急創始者の小林一三は欧州のターミナル駅を理想としており、阪急梅田駅は「ターミナル」の意味通り全ての路線の基点として位置づけられている。なお、この時に十三方に約400m移転し、営業キロもこれに合わせて変更されたが、運賃計算上のキロ数は事後処理が煩雑になることを防ぐため移転前の営業キロ数をそのまま適用している。

かつては京都本線・宝塚本線・神戸本線間の線路は当駅ではつながっておらず、各線間を直通する列車は十三駅で転線していたが、神戸線 - 宝塚線間の転線に使用される十三駅の9号線が十三駅南側の道路工事で一時期使用停止となった(現在は使用再開)ため、代わりに両線間の渡り線が中津駅寄りに設置された。神戸線車両の正雀工場への入出庫車両や嵐山駅への臨時直通列車(2008年秋と2009年春のみ)などが使用した。なお、京都線 - 宝塚線間は十三駅の南側で転線する。

年表

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  • 1910年明治43年)3月10日箕面有馬電気軌道が梅田駅 - 宝塚駅間で営業開始した際に設置開業[1][7]
  • 1918年大正7年)2月4日:社名変更により阪神急行電鉄の駅となる[7]
  • 1920年(大正9年)7月16日:この日開業した神戸本線の列車が乗り入れるようになる。
  • 1926年(大正15年)7月5日:梅田駅 - 十三駅間複々線高架完成により、高架駅に移転。この時、梅田駅 - 北野駅間の地上線は北野線として残存[7]
  • 1934年昭和9年)6月1日:国鉄大阪駅高架化により、地上駅に移転[7]
  • 1943年(昭和18年)10月1日:阪神急行電鉄と(旧)京阪電気鉄道の合併により京阪神急行電鉄の駅となる[7]
  • 1949年(昭和24年)1月1日:北野線の営業を休止[7]
  • 1959年(昭和34年)
    • ホーム北側に地下通路および改札口を設置。
    • 2月18日:梅田駅 - 十三駅間に京都本線用の線路が増設される(正式には宝塚本線の線増)[7]
      • これ以前は、2 - 4号線が宝塚本線ホーム、5号線が京都本線ホーム、6 - 9号線が神戸本線ホームであった(1号線にはホームなし、9号線はラッシュ時のみ使用)[8]
      • この時点では、1 - 2号線を京都本線ホーム、3 - 5号線を宝塚本線ホーム、6 - 8号線を神戸本線ホームとした(9号線の使用状況は不明)。
  • 1966年(昭和41年)2月1日:現在地への移転高架化拡張工事起工[7]
  • 1967年(昭和42年)8月27日:神戸本線ホームを高架に移転[9](7 - 9号線)。
    • この時使用開始した神戸線ホームは、現在の宝塚本線ホームである。またホーム先端部については、工事の関係で一部露天のままであった。
    • 地上ホームはしばらくして、旧5 - 7号線の位置に宝塚本線を移して4 - 6号線とした。京都本線は旧1号線を廃止し、旧2 - 3号線の位置に移して1 - 2号線とした。
  • 1969年(昭和44年)
    • 現在の位置に神戸本線ホームが完成し、発着ホームを変更。それまで仮に使用していたホームは、宝塚本線用に改装工事を開始。
    • 11月30日:改装工事が終了し、宝塚本線ホームを高架に移転(4 - 6号線)[10]
      • この後日本万国博覧会(大阪万博)までに旧4号線(神戸線旧駅時代は5号線)を改修し、京都線用3号線とした。
  • 1970年(昭和45年):大阪万博の終了により、3号線を閉鎖。
  • 1971年(昭和46年)11月28日:京都本線ホームを高架に移転(2 - 3号線)。これにより地上ホームは全て閉鎖された。
    • この時点で、2 - 3号線を京都線ホーム、4 - 6号線を宝塚本線ホーム、7 - 9号線を神戸本線ホームとした(1号線欠)。
  • 1973年(昭和48年)
    • 4月1日:社名変更により阪急電鉄の駅となる[7]
    • 11月23日:京都本線ホームが1線(1号線)増設され、移転高架化拡張工事が完成。
  • 1986年(昭和61年)4月1日:日本国内で初めての自動定期券発売機を設置[11]
  • 1993年平成5年)2月1日:終日禁煙となる[12]
  • 1995年(平成7年)1月17日阪神淡路大震災が発生し、駅構内の水道管が破裂して一部が水浸しになる被害を受けた。また、路線においても全面運休となった。
  • 1996年(平成8年)2月27日発車メロディが導入される。
  • 2013年(平成25年)12月21日:駅ナンバリング (HK-01) が導入される。
  • 2019年令和元年)10月1日:駅名を「大阪梅田」に改称[2][13][14]
  • 2024年令和6年):インターネット上に流出させるなど社会問題化した盗撮などの性犯罪撲滅のために、広範囲を映す特殊な加工がされた鏡(「コミー」(埼玉県川口市)が開発)をエスカレーターに設置した。

駅構造

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阪急ターミナルビル駅ビル)の2階にコンコース、3階にホームとコンコースがある、頭端式ホーム10面9線を有する高架駅。9線全ての両側にホームがあり、乗車用ホームと降車専用ホームが交互に並ぶ構造となっている(東から1号線[注 2]乗車ホーム、1・2号線降車専用ホーム、2・3号線乗車用ホームの順で、一番西が9号線降車専用ホーム)。大阪梅田駅 - 十三駅間は京都線・宝塚線・神戸線のそれぞれ複線が並ぶ三複線となっており、京都本線(京都河原町・北千里方面)は1 - 3号線、宝塚本線(宝塚方面)は4 - 6号線、神戸本線(神戸三宮方面)は7 - 9号線をそれぞれ使用する。概ね種別ごとにホームが使い分けられ、日中は10分おきに3線同時発車が見られる(後述)。車止め上空にはホーム番号を示す電照灯が下がっており、出発直前にはこれが点滅して発車間際であることを知らせる。

改札口は頭端式ホームの先端(車止め側)にある3階改札口のほか、2階南側の2階中央改札口、2階北側の茶屋町口改札口がある。3階改札口には、柱を挟んで43台の自動改札機が並ぶ。このため3階改札口は、一か所の自動改札機設置台数としては日本一である[15]自動改札機は、東芝製が設置されている。エレベーターは、コンコース外に1階と3階を直通するものが、コンコース内に2階コンコースと1号線乗車用を結ぶものが設けられている。また、エスカレーターは、コンコース内では降車用も含め全てのホームに1基ずつ設置されている。

1973年に終了した駅大改良工事(歴史節参照)の際にホームが大阪環状線・東海道本線の北側に移転し大阪駅との距離が離れたため、日本で初めて(1967年設置)の動く歩道が一階コンコースに設けられている。[16]

駅長配置駅であり、中津駅と十三駅を管轄する。

のりば
号線 路線 方向 方面 発車種別
1 京都本線 上り 淡路茨木市高槻市京都河原町北千里嵐山方面 特急、普通(平日朝夕、休日朝のみ)[17][18]
2 通勤特急、準特急、普通[17][18]
3 快速特急、急行、準急、普通(朝夕のみ)[17][18]
4 宝塚本線 下り 豊中石橋阪大前川西能勢口宝塚箕面方面 特急「日生エクスプレス」、急行、普通(休日24時10分発のみ)[19][20]
5 普通、急行(平日夕ラッシュのみ)[19][20]
6 普通(平日朝夕のみ)[19][20]
7 神戸本線 下り 西宮北口神戸三宮神戸高速線方面 普通(早朝・夜間を除く)[21][22]
8 特急、通勤特急(平日朝ラッシュのみ)、通勤急行(平日夕ラッシュのみ)、普通(朝夕のみ)[21][22]
9 特急、通勤特急(平日朝ラッシュのみ)、準特急(深夜のみ)、急行(深夜のみ)、普通(早朝のみ)[21][22]

公式サイトでは、乗車ホームが異なる列車(京都本線の1号線、宝塚本線の6号線、神戸本線の7号線)のみ、その旨の案内を表記していた。

阪急大阪梅田駅発車シーン

利用状況

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2023年度の1日平均乗降人員444,572人である[23]。阪急の駅では第1位であり、西日本大手私鉄の駅としても第1位、JRと地下鉄を含めると大阪駅に次いで多い。

1980年代の最盛期には1日あたりの乗降人員が65万人を超え、私鉄のターミナルとして乗降客数が日本最大であった時期もあった[1]1990年代に入るとバブル崩壊による安定成長期終焉とそれに続く平成不況1995年に発生した阪神・淡路大震災による乗客の逸失、さらには並行するJRとの激しい競争により、2010年度までは乗降客数が年々減少していた。2011年度からは一転して乗降人員は漸増している。

大規模駅としては珍しく他路線との直通運転を行っておらず、同駅で乗降する利用者の殆どが改札機を通過する。

また、2019年度のある特定日における1日の乗降人員は542,824人であり、路線別1日乗降人員は以下のとおりである。京都本線の乗降人員は淡路駅以南でバイパス路線のOsaka metro堺筋線を持つため、宝塚本線や神戸本線の7割程度になっている。

  • 神戸本線 - 196,872人(乗車人員:98,250人、降車人員:98,622人)
  • 宝塚本線 - 206,544人(乗車人員:103,887人、降車人員:102,657人)
  • 京都本線 - 139,408人(乗車人員:70,861人、降車人員:68,547人)

年度別一日乗降・乗車人員

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各年度の1日乗降・乗車人員数は下表の通りである。

  • 1963年度までのデータは、1日平均乗降・乗車人員である。
  • 1964年度、1965年度のデータは、各年10月中の1日平均乗車人員である。
  • 1966年度からのデータは、交通量調査に基づく特定の1日の乗降・乗車人員である。
年度別1日乗降・乗車人員[統計 1][統計 2]
年度 特定日 1日平均 出典
乗降人員 乗車人員 乗降人員 乗車人員
1960年(昭和35年) - - 470,521 234,919 [大阪府統計 1]
1961年(昭和36年) 518,172 257,062 [大阪府統計 2]
1962年(昭和37年) 578,913 285,174 [大阪府統計 3]
1963年(昭和38年) 629,834 309,964 [大阪府統計 4]
1964年(昭和39年) 674,262 333,048 [大阪府統計 5]
1965年(昭和40年) 695,471 344,678 [大阪府統計 6]
1966年(昭和41年) 307,244 705,788 348,701 [大阪府統計 7]
1967年(昭和42年) 312,882 721,162 356,198 [大阪府統計 8]
1968年(昭和43年) 323,162 - 376,981 [大阪府統計 9]
1969年(昭和44年) 328,347 394,330 [大阪府統計 10]
1970年(昭和45年) 315,904 401,166 [大阪府統計 11]
1971年(昭和46年) 307,384 356,925 [大阪府統計 12]
1972年(昭和47年) 305,535 358,850 [大阪府統計 13]
1973年(昭和48年) 301,561 360,666 [大阪府統計 14]
1974年(昭和49年) 304,362 362,250 [大阪府統計 15]
1975年(昭和50年) 313,065 362,500 [大阪府統計 16]
1976年(昭和51年) 313,550 356,667 [大阪府統計 17]
1977年(昭和52年) 316,494 359,084 [大阪府統計 18]
1978年(昭和53年) 312,131 357,000 [大阪府統計 19]
1979年(昭和54年) 310,242 350,000 [大阪府統計 20]
1980年(昭和55年) 322,949 358,833 [大阪府統計 21]
1981年(昭和56年) 320,001 364,999 [大阪府統計 22]
1982年(昭和57年) 642,762 323,220 369,267 [大阪府統計 23]
1983年(昭和58年) 640,885 322,563 372,559 [大阪府統計 24]
1984年(昭和59年) 644,801 327,188 369,555 [大阪府統計 25]
1985年(昭和60年) 639,885 322,237 379,594 [大阪府統計 26]
1986年(昭和61年) 652,762 331,266 383,319 [大阪府統計 27]
1987年(昭和62年) 661,434 337,061 387,307 [大阪府統計 28]
1988年(昭和63年) 655,860 329,571 394,771 [大阪府統計 29]
1989年(平成元年) - 387,805 [大阪府統計 30]
1990年(平成02年) 653,613 331,422 391,526 [大阪府統計 31]
1991年(平成03年) - 429,982 [大阪府統計 32]
1992年(平成04年) 613,788 304,227 391,020 [大阪府統計 33]
1993年(平成05年) - 373,373 [大阪府統計 34]
1994年(平成06年) 378,826 [大阪府統計 35]
1995年(平成07年) 604,142 308,416 365,662 [大阪府統計 36]
1996年(平成08年) 641,898 329,037 352,233 [大阪府統計 37]
1997年(平成09年) 652,194 330,208 345,568 [大阪府統計 38]
1998年(平成10年) 609,170 308,340 346,680 [大阪府統計 39]
1999年(平成11年) - 339,322 [大阪府統計 40]
2000年(平成12年) 586,965 294,580 332,981 [大阪府統計 41]
2001年(平成13年) 592,232 297,621 326,428 [大阪府統計 42]
2002年(平成14年) 584,359 293,445 318,886 [大阪府統計 43]
2003年(平成15年) 554,707 277,218 315,219 [大阪府統計 44]
2004年(平成16年) 567,646 284,384 309,203 [大阪府統計 45]
2005年(平成17年) 563,779 282,029 314,872 [大阪府統計 46]
2006年(平成18年) 553,101 278,148 304,213 [大阪府統計 47]
2007年(平成19年) 555,659 280,613 294,778 [大阪府統計 48]
2008年(平成20年) 543,168 273,334 290,981 [大阪府統計 49]
2009年(平成21年) 516,280 259,962 294,144 [大阪府統計 50]
2010年(平成22年) 507,202 255,149 282,063 [大阪府統計 51]
2011年(平成23年) 514,005 258,957 280,276 [大阪府統計 52]
2012年(平成24年) 516,359 259,928 285,416 [大阪府統計 53]
2013年(平成25年) 523,189 262,916 291,718 [大阪府統計 54]
2014年(平成26年) 533,483 268,652 295,623 [大阪府統計 55]
2015年(平成27年) 535,945 270,144 305,327 [大阪府統計 56]
2016年(平成28年) 536,909 270,040 301,484 [大阪府統計 57]
2017年(平成29年) 540,287 271,915 304,066 [大阪府統計 58]
2018年(平成30年) 543,518 273,634 305,237 [大阪府統計 59]
2019年(令和元年) 542,824 272,998 305,558 [大阪府統計 60]
2020年(令和02年) 444,862 224,183 225,556 [大阪府統計 61]
2021年(令和03年) 447,194 225,297 [大阪府統計 62]
2022年(令和04年) 457,781 230,309 [大阪府統計 63]

路線別一日乗降・乗車人員

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特定日の路線別乗降・乗車人員数は下表のとおりである。

年度別1日乗降・乗車人員[統計 1]
年度 神戸本線 宝塚本線 京都本線 出典
乗降人員 乗車人員 乗降人員 乗車人員 乗降人員 乗車人員
1985年(昭和60年) 232,205 115,343 228,066 113,251 179,614 93,643 [大阪府統計 26]
1986年(昭和61年) 238,204 119,344 232,198 116,238 182,360 95,684 [大阪府統計 27]
1987年(昭和62年) 240,784 121,465 236,582 118,814 184,068 96,782 [大阪府統計 28]
1988年(昭和63年) 238,980 119,075 236,144 116,733 180,736 93,763 [大阪府統計 29]
1989年(平成元年) - [大阪府統計 30]
1990年(平成02年) 242,309 121,712 239,518 120,237 171,786 89,473 [大阪府統計 31]
1991年(平成03年) - [大阪府統計 32]
1992年(平成04年) 226,304 111,600 228,365 111,245 158,819 81,382 [大阪府統計 33]
1993年(平成05年) - [大阪府統計 34]
1994年(平成06年) [大阪府統計 35]
1995年(平成07年) 215,677 108,870 230,417 114,764 158,048 84,782 [大阪府統計 36]
1996年(平成08年) 226,440 114,054 239,230 119,683 176,228 95,300 [大阪府統計 37]
1997年(平成09年) 228,571 113,671 240,683 119,297 182,760 97,240 [大阪府統計 38]
1998年(平成10年) 215,185 106,593 224,675 111,459 169,310 90,288 [大阪府統計 39]
1999年(平成11年) - [大阪府統計 40]
2000年(平成12年) 212,856 105,942 217,857 108,133 156,252 80,505 [大阪府統計 41]
2001年(平成13年) 213,665 106,983 219,652 108,997 158,915 81,641 [大阪府統計 42]
2002年(平成14年) 210,679 105,420 214,742 106,427 158,938 81,598 [大阪府統計 43]
2003年(平成15年) 199,196 98,417 205,263 101,487 150,278 77,314 [大阪府統計 44]
2004年(平成16年) 201,218 99,593 212,049 105,401 154,379 79,390 [大阪府統計 45]
2005年(平成17年) 199,897 98,954 210,774 104,843 153,138 78,232 [大阪府統計 46]
2006年(平成18年) 198,853 98,555 207,779 104,034 146,469 75,559 [大阪府統計 47]
2007年(平成19年) 200,181 99,974 209,436 105,417 146,042 75,222 [大阪府統計 48]
2008年(平成20年) 197,803 98,407 205,108 102,557 140,257 72,370 [大阪府統計 49]
2009年(平成21年) 187,960 93,490 196,422 98,253 131,898 68,219 [大阪府統計 50]
2010年(平成22年) 183,941 91,438 192,299 96,184 130,962 67,527 [大阪府統計 51]
2011年(平成23年) 186,623 92,833 193,772 97,079 133,610 69,045 [大阪府統計 52]
2012年(平成24年) 187,765 93,566 192,171 96,270 136,423 70,092 [大阪府統計 53]
2013年(平成25年) 187,386 93,126 198,307 99,084 137,496 70,706 [大阪府統計 54]
2014年(平成26年) 191,104 95,195 200,551 100,552 141,828 72,905 [大阪府統計 55]
2015年(平成27年) 190,936 94,901 201,397 101,433 143,612 73,810 [大阪府統計 56]
2016年(平成28年) 191,839 95,539 201,475 101,045 143,595 73,456 [大阪府統計 57]
2017年(平成29年) 192,595 96,039 204,576 102,601 143,116 73,275 [大阪府統計 58]
2018年(平成30年) 194,672 97,190 206,140 103,527 142,706 72,917 [大阪府統計 59]
2019年(令和元年) 196,872 98,250 206,544 103,887 139,408 70,861 [大阪府統計 60]
2020年(令和02年) 159,221 79,590 173,957 87,571 111,684 57,022 [大阪府統計 61]
2021年(令和03年) 162,302 81,267 142,473 86,704 112,419 57,326 [大阪府統計 62]
2022年(令和04年) 165,756 82,687 176,916 88,737 115,109 58,885 [大阪府統計 63]

年次別一日平均乗降・乗車人員

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一日平均乗降・乗車人員は下表のとおりである。

  • 2007年次から2015年次までのデータは、平日の1日平均乗降・乗車人員である。
  • 2016年次以降のデータは、通年の1日平均乗降・乗車人員である。
1日平均乗降・乗車人員推移
年次 平日限定 通年平均
乗降人員 乗車人員 乗降人員 乗車人員
2007年(平成19年) 559,654 281,347 -
2008年(平成20年) 556,971 280,148
2009年(平成21年) 535,366 269,552
2010年(平成22年) 523,744 263,677
2011年(平成23年) 522,790 263,437
2012年(平成24年) 524,578 264,347
2013年(平成25年) 535,905 270,082
2014年(平成26年) 540,568 272,337
2015年(平成27年) 545,067 274,591
2016年(平成28年) - 505,359 255,011
2017年(平成29年) 510,643 -
2018年(平成30年) 508,862
2019年(令和元年) 512,887
2020年(令和02年) 356,742
2021年(令和03年) 349,521
2022年(令和04年) 402,947
2023年(令和05年) 444,572[23]

駅周辺

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梅田は大阪最大の繁華街オフィス街である。難波心斎橋と並ぶ大阪の商業の中心地であり、淀屋橋とともに大阪の代表的なオフィス街である。百貨店ファッションビル・専門店・ホテル・オフィスビルなどが集積し、関西最大の超高層ビル群を形成している。

阪急大阪梅田駅周辺には阪急百貨店うめだ本店をはじめとする阪急関連の商業施設やオフィスビルなどが多く立ち並んでいるため、この地域を指して阪急村と呼ばれることがある。

バス路線

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その他

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阪急梅田駅発行の乗車券、「囗」に「メ」の字
当駅を同時発車する電車。左から、神戸線・特急、宝塚線・急行、京都線・特急。
特徴的な券面(梅
阪急大阪梅田駅の自動券売機で発売されている乗車券回数券・定期券およびプリペイドカード「ラガールカード」(スルッとKANSAI)の裏面に印字されている大阪梅田の「田」の字は (「囗」に「メ」の字あるいは「囗」に×印の表記)となっている。これは阪急には漢字2文字で「田」で終わる駅が6つ[注 3]あることや、阪神や地下鉄にも同名の駅があることから、自動改札機がなかった頃に最も乗降客数の多い当駅の改札で「阪急梅田」だと素早く判別するための目印とした名残である。これは駅名改称後も引き継がれ、「大阪梅龱」と表記している。
案内設備
発車メロディ
当駅の発車メロディは鎌田浩宮の作曲である。回送列車も含め、全ての列車で発車の30秒ほど前から流れる。各線で異なるメロディが使用されており、神戸本線は「海」、宝塚本線は「高級感」、京都本線は「竹」のイメージをもとに作曲された[24]。音色は、神戸本線はアコースティック・ギター、宝塚本線はトイピアノ、京都本線はアナログシンセサイザーを元にしている[25]。なお、最終列車(終電)の発車時(行先別終電を含む)には、それぞれのメロディの最後の音が長くなり、1分ほど鳴り続ける場合もある。発車メロディを採用した1996年2月27日以前は各線で異なる音階のブザーが使用されていた。
また、終電入線後から終電の発車まで、当該ホームに映画『第三の男』のテーマ曲(作曲・アントーン・カラス)がBGMとして流される。1995年12月31日までは「蛍の光」であった[26]
大型発車案内板
3階(ホーム階)では、改札口を入ってすぐのところに、各線別のLED式大型発車案内板が設置されている。
なお、駅ホームが現在の場所に移転してからは、字幕式による大型発車案内板が設置されていたが、号線別に分かれて表示されていたため乗客から「どのホームの列車が先発か分かりにくい」と指摘を受けていたことや設備の老朽化のため、光ファイバー式カラービジョンを使用した案内板「ラガールビジョン」に更新され、1993年[27]から2006年まで使用されていた。この案内板では、画面右半分(停車駅の表示部)を使って沿線情報を流すこともできた。なお、日本国内で光ファイバー式の発車案内板を使用していたのは当駅と京浜急行電鉄上大岡駅のみであったが、ともに現在では使用されていない。
電球式の乗車位置表示
プラットホーム床面の下には乗車位置案内表示板が取り付けられているが、そこには現在は使われていない多数の電球が並んでいる。1970年代までは、800系920系のような2扉の中型車(全長17m車両の通称)をはじめとした旧型車の本線運用は珍しいものではなかったことから、車種や編成によってドアの配置が違うため乗車位置に相違があった。このため、次の列車の乗車位置の電球が点灯することにより乗車位置を知らせる目的で取り付けられた設備の名残である。
同時発車
1959年(昭和34年)に梅田駅 - 十三駅間の三複線が完成してからは、3路線の列車の同時発車と十三駅までの並走が見られるようになった。特に優等列車の同時発車シーンは古くから阪急電鉄の出版物や広報資料などに使われ、同社の象徴的なシーンの一つとなっている。2000年頃までは各路線のダイヤパターンの相違から同時発車の頻度は多くなかったが、2000年6月以降の昼間には3路線の特急列車が20分毎に、2001年3月以降の昼間には優等列車[注 4]が10分毎[注 5]に、3線同時発車と十三駅までの並走が見られるようになっている。また、その1分後、こちらも10分毎[注 6]に神戸本線と宝塚本線のそれぞれ普通が同時発車する。梅田駅 - 十三駅間が複々線であった時代は、日中毎時0・30分に神戸本線の特急と同時発車していたのは宝塚本線の列車ではなく、京都本線の列車(1956年以降は特急[28]、それ以前は急行[29])であり、10・40分には神戸本線の特急と宝塚本線の急行が同時発車していた[28][29]。3複線完成後、1961年の宝塚本線ダイヤ改正で、日中の発車時刻が変更され、毎時0・30分に3路線が同時発車するようになった[30][31]
「ビッグマン前」
2階改札口への通路となる1階コンコースには比較的大きなスペースが設けられており、2階への階段東側壁面には愛称「ビッグマン」(BIGMAN)という大型映像装置が設置されている。過去には西側にも設置されており、そちらは「コ・ビッグマン」(Co-(=揃いの)BIGMAN)と呼ばれていたがのちに撤去された。
最初に設置されたのは1981年7月で[32]、現在は4代目。カラービジョンでは沿線情報やコマーシャルのほか、東側のビジョンでは正午に『NHKニュース』、19時に『NHKニュース7』を放映しているが、有馬記念など一部の中央競馬GI級競走などの中継放送を放映することもある。2011年には地上波デジタル放送対応のために機器更新を実施し、それまでの4:3比率の200型液晶ディスプレイ(3代目)に代わって16:9比率の208型の東芝製高輝度液晶ディスプレイ(4代目)に換装した。
このスペースは関西では有名な梅田での待ち合わせ場所で、官公庁や企業などのイベントにも利用されている[注 7]
阪急ターミナルビルと阪急三番街
国鉄線(現在のJR線)の北側に移転したのに合わせて作られたのが阪急ターミナルビル阪急三番街である。駅の終端に建設された阪急ターミナルビルにはオフィス・レストランと阪急17番街というショッピング街がある。駅の高架下を利用して作られた阪急三番街には、地下2階まで多数のショップが入るショッピングとレストラン街になっており、1階には開店当時は関西最大規模とされた紀伊國屋書店梅田本店が入居している。また地下2階のレストランフロアには開店当時から人工の川が流れており、名物になっている。阪急バスが共同運行する高速バスが発着する阪急三番街高速バスターミナルは駅の高架下、阪急三番街の北館と南館の間にある。
新聞原稿箱
8号線の車止めの先には「新聞原稿」と書かれた金属製の箱が置かれている。これは新聞原稿託送制度と呼ばれる小荷物制度で、電車で運んだ新聞原稿をこの箱の中に入れておくためのものである。1953年(昭和28年)に産経新聞ほか在阪の報道機関と契約を結んでいるが、一番多く使用している産経新聞でも年数回程度に利用頻度は落ちている[35]
その他
  • 阪急北野線が営業していた時代には、現在の茶屋町口付近に同線の茶屋町駅が存在した。
  • 2013年12月の京都線ダイヤ改正が行われるまでは関西大手5私鉄のターミナル駅では唯一、駅到着時の他社線への乗換案内の放送を行っていなかった(阪神大阪梅田駅ではJR、地下鉄、阪急への乗換案内を放送している)。
  • 阪神との通勤定期券の相互利用については阪神電気鉄道#通勤定期での選択乗車制度を参照。
  • 十三駅発着または同駅経由の乗車券または定期券で大阪梅田駅での折り返し乗車は禁止されている。但し、毎年8月上旬のなにわ淀川花火大会開催日は最寄駅である十三駅の乗降客が増えるため、安全上の関係から特例で大阪梅田駅の折り返し乗車が認められている。
  • 2014年に6000系1編成(6002F)が能勢電鉄に譲渡のうえ、引き続き宝塚線で使用されることによって、開業以来105年目にして初めて、阪急以外の事業者に所属する電車が当駅に乗り入れることとなった。
  • 長年にわたって関西の外から来る人(外国人を含む観光客、出張者など)には「JR大阪駅」と「阪急梅田駅」が乗り換え可能な駅であることが分かりにくいという不便さがあり苦情が絶えなかった。これに対して、折からのインバウンド観光客の増加への対応、令和への年号の交代、等の理由から2019年のタイミングで「梅田駅」を「大阪梅田駅」に名称変更することとなった。
  • 近鉄南大阪線の大阪阿部野橋駅、阪急千里線・大阪メトロの天神橋筋六丁目駅とともに、大阪環状線より外側にある数少ない私鉄のターミナル駅となっている。

ギャラリー

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隣の駅

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阪急電鉄
神戸本線
特急・通勤特急・準特急・急行・通勤急行・準急(準急は上り到着列車のみ)
大阪梅田駅 (HK-01) - 十三駅 (HK-03)
普通
大阪梅田駅 (HK-01) - 中津駅 (HK-02)
宝塚本線
特急「日生エクスプレス」・通勤特急(上り到着列車のみ)・急行
大阪梅田駅 (HK-01) - 十三駅 (HK-03)
準急(上り到着列車のみ)・普通
大阪梅田駅 (HK-01) - 中津駅 (HK-02)
京都本線
大阪梅田駅 (HK-01) - 十三駅 (HK-03)

かつて存在した路線

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京阪神急行電鉄(阪急)
北野線
梅田駅 - 茶屋町駅

脚注

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記事本文

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注釈

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  1. ^ 次点はミナミのターミナル駅である南海電気鉄道難波駅の9面8線、第3位が近畿日本鉄道大阪上本町駅の7面6線(ただしこれとは別に地下に2面2線を有する)。
  2. ^ 阪急電鉄では、ホームを◯番線ではなく、◯号線と称する。
  3. ^ 他の駅は、園田駅池田駅富田駅吹田駅山田駅。直通運転先の能勢電鉄を含めると多田駅も存在する。
  4. ^ 京都本線特急/宝塚本線特急・急行→快速急行→急行(時期により異なる)/神戸本線特急。
  5. ^ 毎時0分、10分、20分、30分、40分、50分。
  6. ^ 毎時1分、11分、21分、31分、41分、51分。
  7. ^ ビッグマン前広場でのイベント使用例として、2008年10月10日・11日の裁判員制度広報イベント[33]パナソニックの「エコアイディアワールド」[34]などがある。

出典

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  1. ^ a b c 『阪急ステーション』阪急電鉄株式会社コミュニケーション事業部〈阪急ワールド全集 4〉、2001年、6,16-20頁。ISBN 4-89485-051-6 
  2. ^ a b 「梅田」「河原町」「石橋」の駅名を10月1日に変更します』(PDF)(プレスリリース)阪急電鉄、2019年7月30日。オリジナルの2019年7月30日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20190730033558/https://www.hankyu.co.jp/files/upload/pdf/2019-07-30.pdf2019年7月30日閲覧 
  3. ^ ただし、改称前の到着時の車内放送では「大阪梅田、梅田終点です。」と、現在の近畿日本鉄道に近い案内放送を行っていた。これは改称前の京都河原町駅、神戸三宮駅も同様である。
  4. ^ 下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』p338 河出書房新社 2003年11月30日刊 全国書誌番号:20522067
  5. ^ 京阪が戦時中に京阪神急行電鉄に統合され、戦後分離する際に阪急に残存した。
  6. ^ 森口誠之『鉄道未成線を歩く 〈私鉄編〉』JTB、2001年、p.103-105
  7. ^ a b c d e f g h i 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄』 11号 阪急電鉄 1、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年10月、14-17頁。ISBN 978-4-02-340141-9 
  8. ^ 『大阪・京都・神戸 私鉄駅物語』高山禮蔵 編著、JTBパブリッシング、2005年、84頁頁。ISBN 4-533-06099-4 
  9. ^ 「神戸線ホームの移設完成」『交通新聞』交通協力会、1967年8月25日、2面。
  10. ^ “梅田駅拡張 第2期工事完成”. 交通協力会. (1969年11月27日). p. 1 
  11. ^ “カードで購入OK 自動定期券発売機 梅田駅に来月導入”. 交通新聞 (交通協力会): p. 1. (1986年3月20日) 
  12. ^ “主要4駅を終日禁煙に 阪急電鉄”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1993年2月1日) 
  13. ^ “梅田駅を「大阪梅田駅」に変更 阪急と阪神が10月”. 日本経済新聞. (2019年7月30日). オリジナルの2019年7月30日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190730041141/https://r.nikkei.com/article/DGXMZO47943190Q9A730C1AM1000 2019年7月30日閲覧。 
  14. ^ 「梅田ってどこ?」で「大阪梅田駅」に改称 阪急・阪神”. search.yahoo.co.jp. 2020年6月27日閲覧。
  15. ^ 松宮史佳「日本一ってウワサは本当? 相鉄線横浜駅の多すぎる改札機の謎を徹底調査!」『はまれぽ.com』 アイ・テイ・エー、2014年12月20日
  16. ^ 並木登喜男 (1968). “都市交通施設特集 「2」各論(計画と実例) 阪急梅田駅拡張計画”. 建築と社会 = Architecture and society 49(7): 77-79. 
  17. ^ a b c 京都線発車時刻表(平日) (PDF)
  18. ^ a b c 京都線発車時刻表(休日) (PDF)
  19. ^ a b c 宝塚線発車時刻表(平日) (PDF)
  20. ^ a b c 宝塚線発車時刻表(休日) (PDF)
  21. ^ a b c 神戸線発車時刻表(平日) (PDF)
  22. ^ a b c 神戸線発車時刻表(休日) (PDF)
  23. ^ a b 阪急電鉄 鉄道情報ホームページ 駅別乗降人員
  24. ^ 関西私鉄最大手・阪急電鉄発車チャイムの怖恐(フキョー)! - エプスタインズ
  25. ^ 続・関西私鉄最大手・阪急電鉄発車チャイムの怖恐(フキョー) - エプスタインズ
  26. ^ 阪急電鉄【公式】(@hankyu_ex) 2018年3月4日 20:51のツイート
  27. ^ “最新の行き先案内板 光ファイバー利用 阪急梅田にお目見え”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1993年9月14日) 
  28. ^ a b 『京阪神からの旅行に便利な交通公社の時刻表』、日本交通公社関西支社、1955年4月(春季号)、48 - 49頁
  29. ^ a b 『京阪神からの旅行に便利な交通公社の時刻表』、日本交通公社関西支社、1957年1月、72頁
  30. ^ 『京阪神からの旅行に便利な交通公社の時刻表』、日本交通公社関西支社、1960年7月、92頁
  31. ^ 『京阪神からの旅行に便利な交通公社の時刻表』、日本交通公社関西支社、1961年4月、92頁
  32. ^ 『阪急コレクション』阪急電鉄株式会社コミュニケーション事業部〈阪急ワールド全集 1〉、2000年、133頁。ISBN 4-89485-038-9 
  33. ^ 梅田ビッグマン前にて裁判員制度広報イベントを開催しました! - 裁判所
  34. ^ エコアイディアワールドin大阪 - パナソニック
  35. ^ “巨大ターミナル・阪急梅田駅ホームにあるナゾの「箱」 関西鉄道特有「新聞原稿」託送制度を追う”. 産経新聞. (2015年5月22日). https://www.sankei.com/article/20150522-FJHVYGGJEZMVBOGRVAAH4GMULE/ 2015年5月25日閲覧。 

利用状況

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私鉄の1日平均利用客数
私鉄の統計データ
  1. ^ a b 大阪府統計年鑑 - 大阪府
  2. ^ 大阪市統計書 - 大阪市
大阪府統計年鑑
  1. ^ 大阪府統計年鑑(昭和36年) (PDF)
  2. ^ 大阪府統計年鑑(昭和37年) (PDF)
  3. ^ 大阪府統計年鑑(昭和38年) (PDF)
  4. ^ 大阪府統計年鑑(昭和39年) (PDF)
  5. ^ 大阪府統計年鑑(昭和40年) (PDF)
  6. ^ 大阪府統計年鑑(昭和41年) (PDF)
  7. ^ 大阪府統計年鑑(昭和42年) (PDF)
  8. ^ 大阪府統計年鑑(昭和43年) (PDF)
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  18. ^ 大阪府統計年鑑(昭和53年) (PDF)
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  21. ^ 大阪府統計年鑑(昭和56年) (PDF)
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  23. ^ 大阪府統計年鑑(昭和58年) (PDF)
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関連項目

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外部リンク

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