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アール・パーマー

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アール・パーマー
Earl Palmer
アール・パーマー
(2000年)
基本情報
出生名 Earl Cyril Palmer
生誕 1924年10月25日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ
死没 (2008-09-19) 2008年9月19日(83歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州バニング
ジャンル R&Bロックジャズ
職業 スタジオ・ミュージシャン
担当楽器 ドラムス
活動期間 1936年 - 2008年
共同作業者 ファッツ・ドミノリトル・リチャード、レッキング・クルー他

アール・パーマー (Earl Cyril Palmer, 1924年10月25日2008年9月19日)は米国ドラマーであり、ロックンロールを生み出したプレイヤーの一人と言われる[1]。2000年にロックの殿堂入りを果たしている[2]

パーマーは、歴史上最も活躍したスタジオ・ミュージシャンの一人と言われており、リトル・リチャードファッツ・ドミノのほぼ全てのヒット曲を始め、ライチャス・ブラザーズの”You've Lost That Lovin' Feelin'”や無数のテレビや映画のサウンドトラックなど、数千に及ぶレコーディングでプレイしている。ある訃報記事は「彼のプレイした曲のリストは、過去60年間のアメリカのポピュラー音楽の紳士録のようである」と評している[3]

来歴

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ニューオーリンズのビジネスの家系に生まれトレメ地区で育ったパーマーは、5歳のときタップ・ダンサーとしてキャリアをスタートさせ、母親と叔母とともに衰退期の黒人ヴォードヴィル・シーンに出演、またアイダ・コックスのダークタウン・スキャンダルズ・レヴューで 遠くまでツアーに出かけるようになった。彼の父親は、地元のピアニストでバンドリーダーだったウォルター・"ファッツ"・ピションだったと言われている[3]

パーマーは12歳になると、アルヴィン・ハウウィーとともにニューオーリンズのリズム・クラブのフロア・ショーのヘッドライナーを務めている[4]

パーマーは第二次世界大戦中、米軍で欧州の劇場に駐留している。彼の伝記には以下の記述がある:[5]

殆ど黒人の新兵は、非戦闘軍に配属された。制服を着て作業をしたのだった。「軍は黒人に銃を持たせるのを嫌っていたんです」そうアールは言う。そのため、彼らはシャベルやごみ箱を運ばされていた。アールの仕事は弾薬を積載し取り扱うことで、比較的技術的な内容だったが、その任務は明確だった。それは白人の歩兵に仕えることだったのだ。
Tony Scherman、Backbeat: Earl Palmer's Story (1999), p. 47[6]

戦争が終わると、パーマーはニューオーリンズのグルーンウォルド音楽学校でピアノとパーカッションを学び、ここで譜面を読むことを覚えた。彼は、1940年代後半頃、ドラマーとしてデイヴ・バーソロミューのバンドに加入[3]。パーマーはファッツ・ドミノの"The Fat Man"、"I'm Walkin'"を始めとするヒット曲の数々、プロフェッサー・ロングヘアの"Tipitina"、"Tutti Frutti"などリトル・リチャードの殆どのヒット曲、ロイド・プライスの"Lawdy Miss Clawdy"、スマイリー・ルイスの"I Hear You Knockin'"など、ニューオーリンズで行われたレコーディング・セッションに多く参加したことが知られている。

"The Fat Man"における彼のプレイでは、その後ロックンロールの最も重要な要素となるバックビートが聴かれる。パーマーは語る「あの曲は全体を通して強力な後拍のビートが必要だったのです。ディキシーランド・ジャズでは、強力な後拍のビートが出てくるのは、最後のコーラスでシャウトした後だけでした...ある意味でリズム音楽に対する新しいアプローチだったのです」。音楽にシンコペーションを効かせてダンスしやすくすることを他のミュージシャンに伝えるにあたり「ファンキー」という言葉を使ったのは彼が初めてだったと言われている[3]

パーマーはニューオーリンズを離れ、1957年にハリウッドに移住した。そこでは、当初アラディン・レコードで仕事をしている。彼は間もなく、1962年から1968年頃の間多くのレコーディングを残したセッション・ミュージシャンたちの集団、レッキング・クルーに加わり働くようになった。

ミュージシャンの組合によると、1967年だけで、パーマーは450回ものセッションでプレイしている。

30年以上に渡り、彼は多くの映画やテレビ番組のサウンドトラックでドラムスをプレイした。彼が仕事を共にしたアーティストにはグレン・ヤーブロー、フランク・シナトラフィル・スペクターリッキー・ネルソンボビー・ヴィーレイ・チャールズサム・クックエディ・コクラン、ボビー・デイ、ドン・アンド・デューイ、ジャン&ディーンザ・ビーチ・ボーイズラリー・ウィリアムズ、ジーン・マクダニエルズ、ボビー・ダーリンニール・ヤング、ザ・ペッツ、ザ・バーズ(前身のビーフィーターズ時代)、B・バンブル・アンド・ザ・スティンガーズなどが含まれる。彼はまた、デイヴィッド・アクセルロッド、ディジー・ガレスピー、アール・ボスティック、オンジー・マシューズ、カウント・ベイシーといった人たちとジャズ・セッションでプレイもしており、B.B.キングのブルース・レコーディングにも参加した。

彼は1970年代から1980年代を通じて引く手あまたのドラマーとして活躍を続け、ランディ・ニューマントム・ウェイツボニー・レイットティム・バックリィリトル・フィートエルヴィス・コステロといったアーティストたちのレコーディングでプレイしている[3]

1982年には、パーマーは米国音楽家連盟の労働組合の会計係に選出され、1984年に選挙で敗退するまで務めた。彼は1990年に再び選出されている[5]

1999年には、トニー・シャーマンの執筆した彼の伝記本「Backbeat: Earl Palmer's Story」が出版された[6]

後年、パーマーはロサンゼルスでジャズ・トリオでプレイしている[3]

ニューオーリンズの音楽とそのリズム・アンド・ブルース、ロックンロール、ファンク、ジャズへの影響の歴史に焦点を当てた2005年のドキュメンタリー映画「Make It Funky!」において、パーマーはインタビューに登場し、演奏シーンも見ることができる[7]。この中で彼はゲスト・ヴォーカリストのアイヴァン・ネヴィルとハウス・バンドとともに"Rip It Up"を演奏している[8]

パーマーは、長い病気療養を経て2008年9月、カリフォルニア州バニングにて、死去した[9]。彼はリバーサイドのリバーサイド国立墓地に埋葬されている。

私生活

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パーマーは4回結婚をし、7人の子供をもうけている[2]。彼の子息は、キャサリン・パーマーとの子供のアール・シリル・パーマー・ジュニア、ドナルド・アルフレッド・パーマー、ロナルド・レイモンド・パーマー、スーザン・ジョイ・ウィーデンペッシュとの子供のシェリー・マーガレット・パーマー、パメラ・テレサ・パーマー、そしてユミコ・マキノとの子供のペニー・ヤスコ・パーマーの7名。彼は4人目の妻、ジェリーンとは2004年に結婚している[9]

語録

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  • 「ニューオーリンズのドラマーはそのプレイを聴けば、その瞬間にわかるよ。パレードのビートを持っているからね」。
  • キャリアの後期、パーマーはバンド、クラッカーの曲"I Hate My Generation"のミュージック・ビデオに参加している。オンライン音楽雑誌「Addicted to Noise」は以下のように触れている。「クラッカーのリーダー、デイヴィッド・ロウリーによると、パーマーには曲にあわせてプレイできないかと問われたパーマーは、ロウリーをにらみつけ、『こいつを発明したのは私だぜ』と言ったという」。
  • 「音が気に入っているので、お前のドラムスを貸してくれと言われたことがある。一体どういうことだ?ドラムスは自分で勝手にプレイするとでも言うのか?私は言ったよ『本当にこのドラムスがほしいのか?本当か?いいよ。費用は3倍、運送料もいただくぜ』とね」
  • 他にどんなレコーディング・セッションでプレイしたのかマックス・ワインバーグに聞かれ、パーマーは「どの曲でプレイしたかなんて聞かないでくれ。私は、ハル(・ブレイン)のようにやるべきだったんだよ。ハルは自分がプレイしたものの全てについてゴールド・レコードを獲得していたんだ。私は、そういうことはできなかった。そういうものを収めた部屋がほしいね。私の孫たちが大きくなったときにいい見せ物になるからね。『老いぼれは黙って座ってろ』なんて言わせない。私はそれを見せて『何も言わないから見ろよ』って言えば済むからね」[10]

受賞

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2000年、パーマーはセッション・ミュージシャンとしては最初の一人として、ロックの殿堂入りをしている[3]

ディスコグラフィ

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リーダー作

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  • 『Drumsville』 (Liberty Records, 1961年)
  • 『Percolator Twist』(Liberty Records, 1962年)

サイドマンとして

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アルバム
  • 『Here's Little Richard』 – Little Richard (1957年)
  • 『Swinging Flute in Hi-Fi』 – The Strollers (1958年)
  • 『The Fabulous Little Richard』 – Little Richard (1959年)
  • 『At the Cinema!』 – Buddy Collette's Swinging Shepherds (Mercury, 1959年)
  • 『This Must Be the Plas』 – Plas Johnson (Capitol, 1959年)
  • 『Julie...At Home』 – Julie London (1960年)
  • 『Sinatra and Swingin' Brass』 – Frank Sinatra (1962年)
  • 『Twistin' the Night Away』 – Sam Cooke (1962年)
  • 『Twistin' And Twangin'』 – Duane Eddy (1962年)
  • 『Blues Cross Country』 – Peggy Lee (1962年)
  • 『Color Him Funky』 – Howard Roberts (1963年)
  • 『Mr. Soul』 – Sam Cooke (1963年)
  • 『Greazee Soul』 – Billy Preston (1963年)
  • 『H.R. is a Dirty Guitar Player』 – Howard Roberts (1963年)
  • 『Ain't That Good News』 – Sam Cooke (1964年)
  • 『Sweets for the Sweet Taste of Love』 – Harry Edison (Vee-Jay, 1964年)
  • 『The Astounding 12-String Guitar of Glen Campbell』 – Glen Campbell (1964年)
  • 『Mr. Eliminator』 – Dick Dale (1964年)
  • 『The Beach Boys Today!』 – The Beach Boys (1965年)
  • 『Gil Fuller & the Monterey Jazz Festival Orchestra featuring Dizzy Gillespie』 – Gil Fuller (Pacific Jazz, 1965年)
  • 『Look at Us』 – Sonny & Cher (1965年)
  • 『Venice Blue』 – Bobby Darin (1965年)
  • 『Lightnin' Strikes』 – Lightnin' Hopkins (Verve Folkways, 1966年)
  • 『Latin in the Horn』 – Al Hirt & Lalo Schifrin (1966年)
  • 『Music from Mission: Impossible』 – Lalo Schifrin (Dot, 1967年)
  • 『Song Cycle』 – Van Dyke Parks (1967年)
  • 『Something Blue』 – Lightnin' Hopkins (Verve Forecast, 1967年)
  • 『There's a Whole Lalo Schifrin Goin' On』 – Lalo Schifrin (Dot, 1968年)
  • 『Accent on Africa』 – Cannonball Adderley (1968年)
  • 『The Wichita Train Whistle Sings』 – Michael Nesmith (1968年)
  • 『Hey Little One』 – Glen Campbell (1968年)
  • 『The Natch'l Blues』 – Taj Mahal (1968年)
  • 『The Birds, The Bees & The Monkees』 – The Monkees (1968年)
  • 『Head』 – The Monkees (1968年)
  • 『Song of Innocence』 – David Axelrod (1968年)
  • 『Songs of Experience』 – David Axelrod (1969年)
  • 『10 to 23』 – José Feliciano (1969年)
  • 『Neil Young』 – Neil Young (1969年)
  • 『U.F.O.』 – Jim Sullivan (1969年)
  • 『Memphis Jackson』 – Milt Jackson (Impulse!, 1969年)
  • 『The Original Cleanhead』 – Eddie "Cleanhead" Vinson (1970年)
  • 『Tap Root Manuscript』 – Neil Diamond (1970年)
  • 『The Glen Campbell Goodtime Album』 – Glen Campbell (1970年)
  • 『Easy Does It』 – Al Kooper (1970年)
  • 『The Point』 – Harry Nilsson (1971年)
  • 『Stoney End』 – Barbra Streisand (1971年)
  • 『That The Spirit Needs (Of Muse And Man) 』 – José Feliciano (1971年)
  • 『People Like Us』 – The Mamas & the Papas (1971年)
  • 『A Time in My Life』 – Sarah Vaughan (1971年)
  • 『L.A. Midnight』 – B.B. King (1972年)
  • 『Norma Deloris Egstrom from Jamestown, North Dakota』 – Peggy Lee (1972年)
  • 『David Clayton-Thomas』 – David Clayton-Thomas (1972年)
  • 『Sail Away』 – Randy Newman (1972年)
  • 『The Second Coming』 – Little Richard (1972年)
  • 『Share My Love (album)|Share My Love』 – Gloria Jones (1973年)
  • 『Takin' My Time』 – Bonnie Raitt (1973年)
  • 『Looking Back』 – Leon Russell (1973年)
  • 『Look at the Fool』 – Tim Buckley (1974年)
  • Waitress in a Donut Shop』 – Maria Muldaur (1974年)
  • 『7-Tease』 – Donovan (1974年)
  • 『Survivor』 – Barry Mann (1975年)
  • 『Home Brew』 – Arthur Adams (1975年)
  • 『Swans Against the Sun』 – Michael Martin Murphey (1975年)
  • 『The Hit Man』 – Eddie Kendricks (1975年)
  • 『Lisa Hartman』 – Lisa Hartman Black (1976年)
  • 『Sweet Harmony』 – Maria Muldaur (1976年)
  • 『Strange Ladies』 – David Axelrod (1977年)
  • Blue Valentine』 – Tom Waits (1978年)
  • 『Wild and Peaceful』 – Teena Marie (1979年)
  • 『Irons in the Fire』 – Teena Marie (1980年)
  • 『Ins and Outs』 – Lalo Schifrin (Palo Alto, 1982年)
  • King of America 』 – Elvis Costello (1986年)
  • 『The Ultimate School of Rock & Roll』 – Gene Summers (1997年)
  • 『Let the Good Times Roll』 – B.B. King (1999年)
  • 『In 3-Dimensions』 – Deke Dickerson (2003年)
シングル

映画音楽

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パーマーは下記を含む数々の映画スコアのセッション・ドラマーを務めた:[6]

1961年

Judgment at Nuremberg, スコア:Ernest Gold

1963年

Hud, スコア:Elmer Bernstein
It's a Mad, Mad, Mad, Mad World, スコア:Ernest Gold

1964年

Baby the Rain Must Fall, スコア:Elmer Bernstein
Ride the Wild Surf, スコア:Stu Phillips
Robin and the Seven Hoods, スコア:Nelson Riddle

1965年

Boeing Boeing, スコア:Neal Hefti
Harlow, スコア:Neal Hefti
How to Stuff a Wild Bikini, スコア:Les Baxter
A Patch of Blue, スコア:[Jerry Goldsmith

1967年

Pretty Polly, スコア:Michel Legrand
Cool Hand Luke, スコア:Lalo Schifrin
In the Heat of the Night, スコア:Quincy Jones

1968年

A Dandy in Aspic, スコア:Quincy Jones

テレビ番組の音楽

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パーマーは以下のテレビ番組のテーマ曲、サウンドトラックにおけるセッション・ドラマーだった:[6]

参加作品

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1952年

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アーティスト 曲名 米国チャートにおける最高位 備考
Lloyd Price "Lawdy Miss Clawdy"

1955年

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アーティスト 曲名 米国チャートにおける最高位 備考
Smiley Lewis "I Hear You Knocking"
Fats Domino "Blue Monday"
Shirley and Lee "Feel So Good"
Little Richard "Kansas City/Hey-Hey-Hey-Hey" のちにビートルズによってカバーされた。

1956年

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アーティスト 曲名 米国チャートにおける最高位 備考
Little Richard "Tutti Frutti" #17
Fats Domino "I'm in Love Again" #3
Fats Domino "My Blue Heaven" #19
Fats Domino "When My Dreamboat Comes Home" #14
Little Richard "Long Tall Sally" #6
Little Richard "Slippin' and Slidin'" #33
Little Richard "Rip It Up" #17
Amos Milburn "Chicken Shack Boogie"
Shirley and Lee "Let the Good Times Roll" #20

1957年

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アーティスト 曲名 米国チャートにおける最高位 備考
Fats Domino "I'm Walkin'" #4 1957年3月9日
Roy Brown "Let the Four Winds Blow" #29 1957年7月1日
Sam Cooke "You Send Me" #1 1957年10月28日
Thurston Harris "Little Bitty Pretty One" #6 1957年10月28日
Don and Dewey "I'm Leaving It Up to You" 7月18日, 1957年録音 1963年にデイル&グレイスのバージョンが第1位のヒットとなり、1974年には ダニー・アンド・マリー・オズモンド

のバージョンが第4位まで上昇している[11]

The Hollywood Flames "Buzz-Buzz-Buzz" #11 1957年12月2日 Bobby Day (リード・シンガー)
Little Richard "Lucille" #21 1957年4月6日
Little Richard "Jenny Jenny" #10 1957年6月24日
Bob Luman "Red Hot"
Ricky Nelson "I'm Walkin'" #4 1957年5月6日 パーマーはこの曲のファッツ・ドミノのオリジナル・バージョンにも参加しており、そちらもヒットとなっている。
Ricky Nelson "Be-Bop Baby" #3 1957年10月7日
Larry Williams "Slow Down" 1957年9月11日録音 のちにビートルズもレコーディングした
Larry Williams "Short Fat Fanny" #5 1957年7月8日
Larry Williams "Bony Moronie" #14 1957年11月11日 のちにJohn Lennonによってカバーされた
Percy Mayfield "Please Believe Me"

1958年

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アーティスト 曲名 米国チャートにおける最高位 備考
Eddie Cochran "Summertime Blues" #8 1958年8月25日
Bobby Day "The Bluebird, the Buzzard and the Oriole"
Bobby Day "Rockin' Robin" #2 1958年8月4日
Bobby Day "Over and Over" #41 デイヴ・クラーク・ファイヴによってカバーされ、第1位のヒットとなった
Doris Day "Everybody Loves a Lover" #6 1958年8月8日
Eddie Cochran "Jeannie Jeannie Jeannie" #94
Fats Domino "I Hear You Knocking" Previously (1955年) recorded with Smiley Lewis
Don and Dewey "Koko Joe" Recorded March 27, 1958 ソニー・ボノの書いた曲。1963年ライチャス・ブラザーズのシングルとしてリリース。
Jan and Arnie "Jennie Lee" #8 ジャン・アンド・アーニーはのちに名前をジャン&ディーンに変更している。
Johnny Otis Show "Willie and the Hand Jive" #9
Little Richard "Good Golly, Miss Molly" #10
Art and Dotty Todd "Chanson D'Amour" #6
The Burnette Brothers
Johnny Burnette & Dorsey Burnette
"Warm Love, Boppin' Rosalie" Recorded February 5, 1958
Eugene Church "Pretty Girls Everywhere"
Ritchie Valens "Come On, Let's Go"
Ritchie Valens "Donna" #2, 12/15/58
Ritchie Valens "La Bamba" #22, 1/19/59
Larry Williams "Dizzy Miss Lizzy" のちにThe Beatlesによってカバーされた。
Sheb Wooley "The Purple People Eater" #1 Remained #1 for 14 weeks

1959年

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アーティスト 曲名 米国チャートにおける最高位 備考
Edd Byrnes "Kookie, Kookie (Lend Me Your Comb)" #4 この曲の女性ヴォーカルの部分はコニー・スティーヴンズである。
Eddie Cochran "Teenage Heaven" #99
Anita Bryant "Till There Was You" #30
Ernie Fields "In the Mood" #4
Don and Dewey "Farmer John"
Don and Dewey "Pink Champagne"
Jan and Dean "Baby Talk" #10
Chan Romero "ヒッピー・ヒッピー・シェイク" のちにThe Swinging Blue Jeansなど多くカバーされた。
April Stevens "Teach Me Tiger"
Don Ralke "Bourbon Street Beat"
Connie Stevens "Sixteen Reasons" #3
The Teddy Bears "Oh Why"
Larry Williams Bad Boy" ビートルズによって1964年にレコーディングされた
Ritchie Valens "Stay Beside Me"

1960年

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アーティスト 曲名 米国チャートにおける最高位 備考
Bobby Vee "Devil or Angel" #6
Bobby Vee "Rubber Ball" #6
Bobby Bare "Book of Love"
Dante & the Evergreens "Alley Oop" #15
Dinah Washington "Love Walked In"
Walter Brennan "Dutchman's Gold" #30
Dorsey Burnette Hey Little One" #48

1961年

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アーティスト 曲名 米国チャートにおける最高位 備考
B. Bumble and the Stingers "Bumble Boogie" #21 ニコライ・リムスキー=コルサコフ/熊蜂の飛行の改作
B. Bumble and the Stingers くるみ割り人形" #23 チャイコフスキーの「くるみ割り人形」の中のバレーの一つ「おもちゃの兵隊の行進」のリメイク
Glen Campbell "Turn Around, Look at Me" #62
 Timi Yuro "Hurt" #4
Jimmy Witherspoon "Warm Your Heart"
The Castelles "Sacred"
Bobby Vee "Run to Him" #2
Bobby Vee "Take Good Care of My Baby" #1
Paul Anka "Dance On Little Girl" #10
Sam Cooke "Cupid" #17
Sam Cooke "Twisting the Night Away" #9
Bobby Darin "You Must Have Been a Beautiful Baby" #5
Simms Twins "Soothe Me" 米国R&Bチャートで第5位 サム・クック作詞作曲
Jackie DeShannon "Heaven Is Being with You"
The Fleetwoods "Tragedy" #10
The Fleetwoods "(He's) The Great Imposter" #30
Lou Rawls "Above My Head"
The Lettermen When I Fall in Love" #7
Gene McDaniels "Chip Chip" #10
Gene McDaniels "A Hundred Pounds of Clay" #3
Gene McDaniels "Tower of Strength" #5

1962年

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アーティスト 曲名 米国チャートにおける最高位 備考
Herb Alpert and the Tijuana Brass "The Lonely Bull" #6
Walter Brennan "Mama Sang a Song"
Vicki Carr "He's a Rebel" #115
Ray Charles "I Can't Stop Loving You" #1
Ray Charles "You Don't Know Me" #2
Nat King Cole "Ramblin' Rose" #2
Johnny Crawford "Cindy's Birthday" #8
Bobby Darin "You're the Reason I'm Living" #3
Duane Eddy "Ballad of Paladin" #33 アメリカ西部作家連盟の会員が史上最高のウェスタン・ソング・トップ100の36位に選出している[12]
The Everly Brothers "Don't Ask Me to Be Friends" #48
Ketty Lester "Love Letters" #5
Willie Nelson "Half a Man" 米国カントリー・チャートの第25位
Clifford Scott "The Kangaroo/Skee-dattle to Seattle"
Frank Sinatra "Everybody's Twistin'"
Bobby Vee "The Night Has a Thousand Eyes" #3

1963年

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アーティスト 曲名 米国チャートにおける最高位 備考
Roy Clark "Through the Eyes of a Fool" #128, #31 on Country chart
Bobby Darin "Treat My Baby Good" #43
The Everly Brothers "It's Been Nice (Goodnight)" #101
Jan and Dean "Drag City" #10
Jan and Dean "Surf City" #1

脚注

[編集]
  1. ^ Du Noyer, Paul (2003). The Illustrated Encyclopedia of Music. Fulham, London: Flame Tree Publishing. p. 181. ISBN 978-1904041702 
  2. ^ a b “Earl Palmer, 84 [sic, a Jazz Session Drummer, Dies”]. The New York Times. Associated Press: p. B7. (22 September 2008). https://www.nytimes.com/2008/09/22/arts/music/22palmer.html?emc=tnt&tntemail1=y&_r=0 October 10, 2020閲覧。 
  3. ^ a b c d e f g Perrone, Pierre (22 September 2008). “Earl Palmer [Obituary”]. The Guardian. https://www.theguardian.com/music/2008/sep/23/popandrock.usa October 10, 2020閲覧。 
  4. ^ Barnes, Walter. "Walter Barnes' Band Tremendous Hit at Big Dance Down in Ol' New Orleans." Chicago Defender 13 May 1937: 24.
  5. ^ a b Dahl, Bill. “Earl Palmer Biography”. AllMusic. Rovi. 19 February 2014閲覧。
  6. ^ a b c d Scherman, Tony (1999). Backbeat: Earl Palmer's Story. Washington, D.C.: Smithsonian Institution Press. ISBN 9781560988441. OCLC 39655139. https://archive.org/details/backbeatearlpalm00sche 
  7. ^ “IAJE What's Going On”. Jazz Education Journal (Manhattan, Kansas: International Association of Jazz Educators) 37 (5): 87. (April 2005). ISSN 1540-2886. 
  8. ^ Make It Funky! (DVD) (英語). Culver City, California: Sony Pictures Home Entertainment. 2005. ISBN 9781404991583. OCLC 61207781. 11952。
  9. ^ a b Noland, Claire (September 21, 2008). “Legendary session drummer”. Los Angeles Times. オリジナルのFebruary 6, 2009時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090206130951/http://articles.latimes.com/2008/sep/21/local/me-palmer21 January 22, 2022閲覧。 
  10. ^ Weinberg, Max (2004). The Big Beat: Conversations with Rock's Greatest Drummers. Hudson Music. ISBN 978-0634082757 
  11. ^ Whitburn, Joel The Billboard Book of Top 40 Hits, Billboard Books, New York, 1992
  12. ^ Western Writers of America (2010年). “The Top 100 Western Songs”. American Cowboy. 13 August 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月13日閲覧。

外部リンク

[編集]