「一人は孤独でかわいそう?」50代のおひとりさま女性が考える「寂しさ」の正体【経験談】

 「一人は孤独でかわいそう?」50代のおひとりさま女性が考える「寂しさ」の正体【経験談】
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現在50代の門賀美央子さんが「老い」に向き合った作品、『老い方がわからない』(双葉社)。体力テストやADHDの診断、住宅問題の取材など、「老い」への備えが綴られています。門賀さんは一人で暮らしています。世間的には「一人=寂しい」と扱われることが多いですが、門賀さんは「一人でいることが寂しくない」とおっしゃいます。一人が寂しくない方の生活の様子や、考え方、「老い」の備えとしての人との関わりについて伺いました。

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一人で生活を楽しめるエリート

——本書では「孤独が自分にとっての自然体」という言葉が、ご自身の心にしっくり馴染むと書かれています。世間では「一人=孤独=かわいそう」とネガティブに取り扱われることが多いですが、門賀さんご自身は「孤独」についてどうお考えでしょうか?

そもそも「孤独はかわいそう」という価値観が、どういう感覚から生まれたのか、いまいちしっくりきていないんです。たとえば1人でご飯食べられない方は少なくないと思うのですが、そういう感覚も私にはわからなくて。

少し変わった喩えかもしれませんが、甘いものが好きな人が「なぜそんなに甘すぎるものを食べるの?」と言われたって、その人にしてみたら「おいしいから」という話ですよね。ある人にとっては甘すぎるものが、別の人にとってはちょうどいい。それと同じで、私は一人でいることがちょうどいいので、「かわいそう」と言われても、その感覚がピンとこないんですよね。

——特に女性に対して「結婚できない女は恥ずかしい(したくなくても勝手にできないことにされる)」という価値観は昔から向けられてきましたし、賃金格差などもあって、女性の方が一人で暮らし続けることが難しいという社会的な状況があると感じます。門賀さんはどういった経緯で一人での暮らしを選ばれてきたのでしょうか。

結婚に関しては「しなければいけない」とは思ったことがなくて。それは両親がそれほどうるさくなかったことが大きいと思います。本心としては結婚してほしかったのかなと思ったことはありましたし、「どうして結婚しないの?」くらいに聞かれたことはあったのですが、プレッシャーをかけてくるような親ではありませんでした。

二つ目は、私としては「結婚とは自然に出会って好意を持った者同士が最終的に一緒になるもの」というイメージが強くて、今の婚活みたいにとにかく条件に合う人を探し出して、マッチングしたら結婚!というのは、ちょっとないなあって思うんです。だからそういう人がいないのならば、無理に結婚する必要もないという感じでした。

私は独身主義というわけでもないので、お付き合いしていた人もいたのですが、だからといって「絶対に結婚しなきゃ」とは思わなかったですし、周りに結婚するよう言ってくる人も、マウントを取ってくる人もいなかったんです。加えて、一人でいることが寂しくないので、何が何でも結婚という発想にならないんですよね。機会があればすればいいけれども、しなくてもいいくらいの感覚でした。

——一人で暮らす中で、ご友人とはどのくらいの頻度で会ったり連絡したりするのでしょうか。

友人に会うのは年に数回程度ですね。普段はLINEで月に1回か2回連絡するくらいです。仕事関連で人に会うことはあっても、「今月はプライベートで誰にも会わなかった」なんてことは普通にあります。逆にプライベートで人に会うことが続くと消耗してしまうので……。

(2月後半の時点で)今年、プライベートで会った人は、母親のご機嫌伺いで大阪に帰省したときに会った友人と、挨拶程度で親戚関係と、大学からずっと仲良くしている友人と一度会ったくらいです。知人と食事にも行ったのですが、それは取材がてら仕事半分だったので、プライベートとしてはカウントしていません。

今、本書の続きとして「繋がり方がわからない」というWeb連載をしているのですが、書いている中でわかったことは、おそらく私はあまり他人を必要としない人間ということ。自分の精神的なケアをするにしても、一人で自分自身に向き合う方が私には合っているんです。

友人と話すことで発散できるなど、人との関わりの中でメンタルのケアをしていく方もいらっしゃいますが、私にはそういう部分があまりないんですよね。

——「一人でいることが好き」というのも一つの特性ということですね。

勉強やスポーツが特別に得意な人がいるのと同じで、一人が平気な人は、一人生活を楽しむエリートなのではないかと思います。反対にみんなで集まって盛り上がっている中で楽しめる人は、そっち方面のエリートであって。得意なことの違いだと思います。

——20代のように若い頃からも、あまり寂しさを感じてこなかったのでしょうか。

私も石ではないので、全く寂しくなかったわけではないですし、若い頃の方が「寂しい」と感じることは多かったと思います。ただ、なんとなくですが、振り返ると「単独行動は寂しい」と世間に思わされていたような気もするんです。

たとえば一般的に「一人で出かけるのは寂しい」と言われがちじゃないですか。でも実際に一人で出かけてみるとこんなに楽しいものはないわけでして。

——全てが自分の自由に決められますよね。

そうなんですよ。そうすると「あのとき感じていた『寂しさ』ってなんだったの?」となります。自分の中から「寂しさ」が出てこないのであれば、それは外から思わされていたということ。だから、年をとって、色々な経験を積んでいくうちに、結果的に「あれ?全然寂しくなかったんじゃん」となりました。

困りごとは分けて考える

——「ひとり暮らしが長すぎて、今更だれかと同居したいとは思わない。たぶん、今のこの快適な生活に他人が入ってきたらストレスで死ぬ」と書かれてました。一方で、本書を拝読する中で、「老い」の対策として、人との関わりも欠かせないということも感じました。今後どう構築していこうと考えていますか?

それはまさに今、「繋がり方がわからない」の連載で追っていることで、「緩やかな繋がり」と「選択的な関係性」がキーになってくるのだろうなと、ぼんやり見え出したところです。それをどうやって作っていくかは、まさに私自身が抱えている課題で、これから探っていきます。

困りごとは「情緒的な部分」と「社会的な手続きなど、実務的なこと」に分けた方がいいと思うんです。私が困るのは圧倒的に実務的なことです。それは本書で取材した「身寄りなし問題研究会」が取り組んでいるようなことと重なります。なので、そういった組織と繋がりを持つのか、個人的な繋がりを作っていくのか、考えうるいくつかの方法を模索することで、私にとっての解決策が見えてくると考えています。

——「老い」に関して色々な確認や取材を行ったうえで、今はどう捉えていますか?

元々、「老い」にあまりネガティブなイメージはなかったんです。というのも、年を取るにつれて、精神的にはどんどん楽になる自分がいたので。

一方体調面では、いろいろなところが痛くなったり、体力が戻らなくなったりしているので不安がありますが、人や機械の助けで補完できる部分もあるので、そこまで心配もしていません。高齢者が増えていく社会的背景もあって、老人の生活をサポートする道具の技術はどんどん発達していくと思っています。年を取るにつれて、どういう風景が見えてくるか楽しみでもあります。

一方、心配しているのは社会の変化です。これから先、おそらく老人にとって厳しい社会になっていくでしょう。死に方や老い方の取材をする中でわかってきたのが、高齢者を対象とする福祉制度の中には、現制度の維持が難しくなっているものもあるということでした。つくられた頃と現在とでは社会的な状況が変わってしまったせいです。今後、福祉を削っていく動きは強くなっていくのは間違いないので、そこは不安ですし、どう対応していくかは検討中です。

「ポストが赤いこと」は私のせい?

——本書全体から感じたことですが、理不尽な社会の仕組みに疑問を抱きつつも、社会はすぐに変わらないので、自衛が必要そうな部分は対策を促すような内容で、決して自己責任論ではないことが印象に残っています。

私は就職氷河期の二期生です。社会に出ようというその時期にどんどん景気が悪くなっていく中で、同世代の人たちが就職できないこと自体を「自己責任」「個人の問題」とみなされ、放置される様子を目の当たりにしてきました。

私は就職そのものには比較的苦労せずに済んだのですが、給料は全然上がらなかった。それだって景気が悪いから給料が上がらないのですし、景気は一人の力で変えられるものではないですから、個人の責任ではないんですよね。

それなのに「自己責任だ!」と言ってしまうのは社会の歪みですし、「すべては自分のせいだ」と思い込んでしまうことも、ある意味自分の能力への過信では?と思うんです。

極端な例かもしれませんが、誰もポストが赤いことを「私のせい」とは思わないですよね。でもそれと同じくらい個人の責任の範囲ではないことを、「私のせいです」と考えてしまっている人は少なくないように感じます。

——自己責任論から脱するために、どんな視点が必要でしょうか?

「ポストが赤いのは私のせいか」という視点を持ってみるといいと思います。ほかのことでも、たとえば人間関係がうまくいかないことも、仕事がうまくいかないことも、自分が原因の部分も多少はあるかもしれませんが、100%すべてが自分の責任ということは滅多にないはずです。

「自己責任論」は思考停止のひとつでもあります。「全部自分のせいです」で済ましてしまって、考えるのをやめてしまった方が楽なこともありますからね。でも、それではいつまでも問題は解決されません。時には自己責任論に依存して思考停止をしていないか、自分自身に問い直すことも必要だと思います。

『老い方がわからない』(双葉社)
『老い方がわからない』(双葉社)

【プロフィール】
門賀美央子(もんが・みおこ)

1971年大阪府生まれ。文筆家。『ときめく妖怪図鑑』「ときめく御仏図鑑」『文豪の死に様』『死に方がわからない』などがある。

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