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藤井恒久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ふじい つねひさ
藤井 恒久
プロフィール
本名 同じ
愛称 恒さん、恒ちゃん
出身地 日本の旗 日本 宮城県仙台市
生年月日 (1969-07-22) 1969年7月22日(55歳)
血液型 O型
最終学歴 慶應義塾大学経済学部
勤務局 日本テレビ放送網
部署 コンテンツ戦略局宣伝部
職歴 編成局アナウンスセンターアナウンス部
活動期間 1993年 - 2020年
(アナウンサーとして)
ジャンル 情報・バラエティ
配偶者 あり
出演番組・活動
出演経歴新ニッポン探検隊
TVおじゃマンボウ
ズームイン!!サタデー
ヒルナンデス!』『世界まる見え!DX特別版
笑点
スポーツ中継
ボウリング革命 P★League』(BS日テレ
など

藤井 恒久(ふじい つねひさ、1969年7月22日 - [注 1])は、日本テレビの社員(コンテンツ戦略局宣伝部)、元アナウンサー

同姓のアナウンサーである藤井貴彦との血縁関係はない。

来歴・人物

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宮城県仙台市生まれ。家族の仕事の都合で、福岡県北九州市石川県金沢市大阪府堺市香川県高松市神奈川県横浜市などに転居していたという[注 2]

大阪府立三国丘高等学校慶應義塾大学経済学部卒業[注 3]。中学・高校時代は、ソフトテニスの国体強化選手。東京大学の受験に失敗している。高校の4年後輩には、日本テレビアナウンサーの森富美がいる。

1993年4月に日本テレビ入社(同期は山王丸和恵角田久美子[注 4]

入社三か月後には『TVおじゃマンボウ』へ出演するなど、バラエティ番組や情報番組を担当。おじゃマンボウ出演時は司会の中山秀征から頻繁に弄られ、自身もおバカアナを自称していた。

2020年9月末でアナウンス部を離れ、編成局宣伝部へ異動[注 5]。『ヒルナンデス!』の「格安コーデバトル」の進行は同年10月20日放送分をもって卒業[注 6]。自身の最終回は、番組の途中から植松晃士がコーディネートした衣装を着用している。

エピソード

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  • アナウンサー時代は、相撲班のチーフを務めた。自称『孤高のチーフ』。石川県に在住していたころ地元の相撲少年スポーツ団に所属し、アマチュア4級を取得。当時の後輩に出島がいた。
  • 既婚、娘が2人いる。
  • 両親とそれぞれの祖父母が愛媛県出身。元プロ野球選手の藤井秀悟は、はとこの関係(父方の祖父同士が兄弟)。
  • みやぎ絆大使[注 7]

アンパンマン関連

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アニメ『それいけ!アンパンマン』(日本テレビ製作)の劇場版勇気の花がひらくとき』(1999年)にて「こてつちゃん」役で出演。そのときの演技が原作者・やなせたかしの目に留まり、劇場版本編や同時上映作品へ毎年ゲスト声優として出演している。また試写会・公開初日舞台挨拶の司会進行役も務める。

笑点関連

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笑点』にて不定期放送する「アナウンサー大喜利」への出演をきっかけに、同コーナーで座布団運びを担っていた林家こん平と懇意になる。藤井はこん平を「心の師」と仰ぎ、こん平も弟子ではない子分として扱った。笑点40周年記念本[12]では、「アナウンサーにしておくには惜しい人材」というこん平の発言がある。ほぼ毎回こん平をおだてるネタを披露し、こん平は司会者の指示がなくとも座布団を藤井の足元へ丁寧に敷いたあとお互いに握手するのが恒例となった。藤井が挨拶する際は、必ずこん平の持ちネタである「チャラ~ン」を披露することから、名前の一部を取って「チャラン久」(シャ乱Qの駄洒落)と呼ばれた[注 8]その後も、多発性硬化症治療のためリハビリ生活を送るこん平の寛解祈願と、こん平のことを忘れないでほしいという思いで「チャラーン」を続けていた(みのもんた休暇時の代役として『午後は○○おもいッきりテレビ』へ出演した際も、客席に「チャラ~ン」を披露した)。

2009年10月より同番組で開始した視覚障害者向けの副音声解説の第1回目を担当。BS日テレの兄弟番組『笑点デラックス』では番宣ナレーションを務めた。

出演

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宣伝部時代

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(2022年3月現在)

アナウンサー時代

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テレビドラマ

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テレビアニメ

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出演映画

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劇場アニメ

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※声の出演

脚注

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注釈

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  1. ^ 参考:
    • 読み仮名…[1]
      • カタカナ表記…[2]
    • 生年月日…[2]
      • 和暦で記載(昭和44年7月22日)…[3]
      • 生年月のみ
        • 日本テレビ公式サイトのプロフィールでは、2009年初頭まで生年月日を明記していたが、以後は生年月のみとなった。[4][5]
        • 『TVスター名鑑』では、2008年発行分まで生年月日を明記していたが、2009年発行分以降は生年月のみとなった。
      • 生年のみ…[1]
  2. ^ 参考(出身地について):
    • 宮城県と明記…[3][1][2]
    • 後年のプロフィールより、出身地を問われた回答として“宮城県仙台市で生まれ→福岡県北九州市→石川県金沢市→大阪府堺市→香川県高松市→神奈川県横浜市に居住し、現在東京都内。”と明記[4][5]
  3. ^ 参考:
  4. ^ 参考:
    • 入社年月…[1]
      • 入社年…[4][5]
        • 和暦で記載(平成5年)…[3]
        • 入社年度として明記…[2]
    • 同期入社したアナウンサー
      • 年のみ明記…[3]
      • 年月が明記…山王丸[6]、角田[7]
  5. ^ 参考(アナウンス部からの異動について):
    • 2020年9月30日投稿のマイナビニューステレビ関係取材者のツイートより、異動した旨が記載(異動先などの詳細不明)[8]
    • 翌1日にも、河野虎太郎(放送作家)のツイートにて、異動の旨記載あり[9]
    • 2021年3月10日に配信されたマイナビニューステレビ関係取材者によるツイートより、日本テレビ4月改編説明会の司会者として、アナウンス部から宣伝部へ異動の旨を含めて記載あり[10]
  6. ^ 収録は異動前のものであり、「日本テレビアナウンサー」の肩書きが表記されていた
  7. ^ 参考:
  8. ^ 笑点40周年記念本[12]では「ちゃらーんキュウ」の表記
  9. ^ 参考(スポーツ中継担当について):
    • ボクシング中継
      • 1994年当時のプロフィールより、担当番組として“ボクシング見習い”と記載[3]
      • 2000年当時のプロフィールより、過去の担当番組として明記[1]
    • K-1
      • 2000年当時のプロフィールより、現在の担当番組として「K-1」と明記[2]
    • 相撲
      • 2000年当時のプロフィールより、現在の担当番組として「相撲中継」と明記[2]
    • 箱根駅伝
      • 第70回(1994年)1号車サブアナ…『実況!』より[13]。別ページにて、一番思い出に残った放送として「93年の箱根駅伝」と記載の上で1号車の手伝いをしたことが述べられている[3]が、年は誤り。
  10. ^ 参考:
    • 2000年当時のプロフィールより、1996年4月から現在の担当番組として明記[1]
  11. ^ 参考:
    • 2000年当時のプロフィールより、1993年7月から現在の担当番組として明記[1]
    • 「TVおじゃまんぼう」と表記…[2]
  12. ^ 参考:
    • 2000年当時のプロフィールより、過去の担当番組として明記[1]
  13. ^ 参考:
    • 2000年当時のプロフィールより、過去の担当番組として「新装開店SHOWbyショーバイ2」と表記[1]
    • 「SHOWbyショーバイ」と明記[2]
  14. ^ 参考:
    • 安室、今田とともに司会を担当の旨が明記[14]
    • 2000年当時のプロフィールより、過去の担当番組として「アムロ今田きっとNO1」と表記[1]
  15. ^ 参考:
    • 2000年当時のプロフィールより、現在の担当番組として月曜担当の旨を含めて明記、また、別個に1998年4月からの担当番組として「ホンの昼メシ前」が月曜のみの担当である旨を含めて明記[1]
  16. ^ 参考:
    • 2000年当時のプロフィールより、1999年4月から現在の担当番組として「独占SPORTS」と表記[1]
    • 「独占スポーツ」と表記…[2]
  17. ^ 参考:
    • ゴールデンタイム第1回(1997年4月11日放送)の出演者として明記[15]
    • 2000年当時のプロフィールより、過去の担当番組として「ぐるぐる99」と表記[1][2]
  18. ^ 参考:
    • 2000年当時のプロフィールより、過去の担当番組として明記[1]
  19. ^ 参考:
    • 2000年当時のプロフィールより、1999年4月から現在の担当番組として毎月最終週担当である旨を含めて明記[1]
    • 「噂の特ダネファイル」月・火曜担当として明記…[2]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 2000年3月当時の日本テレビ公式サイト内プロフィール(インターネットアーカイブ同8日付保存キャッシュ)
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 2000年6月当時の日本テレビ公式サイト内プロフィール(インターネットアーカイブ同9日付保存キャッシュ)
  3. ^ a b c d e f g h 実況!』P240-241に掲載された、平成5年入社のアナウンサープロフィール。 ※P240に藤井恒久と山王丸和恵、P241に角田久美子がそれぞれ掲載。
  4. ^ a b c d e f 2014年5月当時の日本テレビ公式サイト内プロフィール(インターネットアーカイブ同29日付保存キャッシュ)
  5. ^ a b c d e f 2020年5月当時の日本テレビ公式サイト内プロフィール(インターネットアーカイブ同5日付保存キャッシュ)
  6. ^ 2000年3月当時日本テレビ公式サイト内で配信された、山王丸和恵のプロフィール(インターネットアーカイブ同6日付保存キャッシュ)
  7. ^ 2000年3月当時日本テレビ公式サイト内で配信された、角田久美子のプロフィール(インターネットアーカイブ同6日付保存キャッシュ)
  8. ^ テレビを取材する人@マイナビニュース【公式】さんはTwitterを使っています 「日テレ藤井恒久アナが異動。」 / Twitter 2020年9月30日配信
  9. ^ 河野 虎太郎(こうの こたろう)さんはTwitterを使っています 「藤井恒久アナ、異動との報。昨今はなかなかお会いする機会がなかったのですが、その昔は番組で日々一緒だった。AEDの機械が世に出始めた時、ロケで東京都の防災体験施設に行ったら、お客さんに囲まれ握手を求められる人気。本当にお世話になりました。」 / Twitter 2020年10月1日配信
  10. ^ テレビを取材する人@マイナビニュース【公式】さんはTwitterを使っています 「ちなみに改編説明会の司会は、アナウンス部から宣伝部に異動した藤井恒久さん。第一声「どうもー!藤井でーす!!」でツカミ。」 / Twitter 2021年3月10日配信
  11. ^ 特集2/宮城の魅力を世界に発信 「みやぎ絆大使」 新大使の皆さんを紹介します(みやぎ県政だより平成31年3月4月号) - 宮城県公式ウェブサイト 掲載日:2019年3月1日更新
  12. ^ a b 日本テレビ放送網著『笑点』(2006年、日本テレビ放送網発行。コード:ISBN 978-4820399551
  13. ^ 実況!』P136-137掲載「第70回東京箱根間往復大学駅伝競走担当表」より、1号車(担当:芦沢俊美)のサブアナとして明記。
  14. ^ 日本テレビ公式サイト内で配信された『アムロ今田きっとNo.1』番組開始告知ページ(インターネットアーカイブ1997年4月19日付保存キャッシュ)
  15. ^ 検索結果 ぐるぐるナインティナイン〔1〕 - 放送ライブラリ公式ページ

参考資料

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  • 『実況! 熱きことばの伴走者たち』(1994年3月発売・4月1日発行、日本テレビ放送網アナウンス部編著・創拓社発行)ISBN 9784871381772

関連項目

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