白川 (札幌市)
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白川 | |
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北緯42度58分10.72秒 東経141度17分55.11秒 / 北緯42.9696444度 東経141.2986417度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 北海道 |
市町村 | 札幌市 |
行政区 | 南区 |
人口 | |
• 合計 | 65人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
061-2276 |
市外局番 | 011[2] |
ナンバープレート | 札幌 |
白川(しらかわ、しらいかわ)は北海道札幌市南区の地名。郵便番号は061-2276。
地理
[編集]北側を硬石山、観音岩山に、南側を豊平川に挟まれており、かつては他地区と孤立した状態であった。
現在でも市街化はほとんど進んでおらず、住居表示も未実施で、表記はすべて「白川1814番地」となっている。そのため枝番号まで指定しないと家屋店舗を識別できない。
歴史
[編集]沿革
[編集]- 1892年(明治25年)- 小村亀十郎が白川から木材の伐出を請負う。
- 1898年(明治31年)- 小村亀十郎が入植。当時は札幌郡山鼻村字白川。
- 1906年(明治31年)2月 - 北海道一・二級町村制の施行により藻岩村となる。
- 1938年(昭和13年)4月15日 - 一級町村制の施行により、円山町となる。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 札幌市へ編入。
施設
[編集]- 白川浄水場(札幌市水道局)
- 札幌市北方自然教育園(旧・白川小学校跡地)
- 白川小学校 白川に小作者として移住したものが二十数戸あり、学齢児童の数も十数人に達したが、当時は八垂別小学校(現藻岩小学校)まで一里余りあり、途中、難路のため通学は不可能であった。明治の世にあって、教育を受けないことは、児童にとって不幸であり、父兄としても義務教育を受けさせるべきことを痛感した。明治36年の春、部落の中央に校舎を建て、岡栄氏が教師になり3月より授業をはじめた。教師の給料は勿論一切の経費は小村亀十郎の自費であった。翌、37年7月公立簡易教育所となり、この日を学校の誕生日とした。
- 白川神社 1919年(大正8年)9月に入植者が稲荷神を祭祀した白川神社を建立した。1986年(昭和61年)に現在の社殿に改築
- 記念碑 開拓十周年を記念して、明治41年4月3日に部落民が小村亀十郎の業績を伝えておくために建設した。道路拡幅工事の為白川神社用地に移設する。碑文のあとに、札幌神社宮司、額賀大直氏が歌っているのに、美那もとの きよきを見ればしら川は 千代も濁らぬ名にこそありけれ とあるが、小村亀十郎の清い心と努力が、後世までも変わらぬ美しい白川であるだろうととどめている。
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白川会館
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白川浄水場
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札幌市北方自然教育園
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白川神社
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白川神社 記念碑
参考文献
[編集]- 『ふるさとふじの』(藤野地区町内会連合会‐2005年刊行)
- 『さっぽろ藻岩郷土史』 - 1982年・藻岩開基110年記念事業協賛会
- 『統合記念誌』(札幌市立白川小学校1976・3・31)
- 『善行美挙小村亀十郎氏事蹟』(藻岩村-大正4年10月14日)
- 『南区のあゆみ-区政十周年記念』(札幌市南区役所-昭和57年4月)