池田右二
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池田 右二(いけだ ゆうじ、1938年2月19日 - )は、日本の外交官。駐ヨルダン特命全権大使、北海道担当特命全権大使、在ウィーン国際機関日本政府代表部特命全権大使、外務省参与等を歴任した。
人物・経歴
[編集]長野県出身。長野県松本深志高等学校を経て、1962年東京大学法学部卒業、外務省入省[1]。在カナダ日本国大使館外交官補[2]、 在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部一等書記官等を経て[3]、1978年外務大臣官房領事移住部領事第一課長[4]。1980年外務省経済局国際機関第一課長[5]。1982年在ホノルル日本国総領事館領事[6]。
1983年在アメリカ合衆国日本国大使館参事官[7]。1985年在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部参事官[8]。1989年在ジュネーヴ日本国総領事館総領事[9]、在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部特命全権公使[10]。1990年外務大臣官房審議官兼国際連合局外務事務官[11]。
同年外務大臣官房審議官兼内閣調査官、内閣官房内閣情報調査室次長[12]。1992年駐ジョルダン特命全権大使[13]。1995年特命全権大使(北海道担当[14]、中東和平プロセス担当)[15]。1996年在ウィーン国際機関日本政府代表部特命全権大使[16]。2000年には外務省参与として核兵器の不拡散に関する条約運用検討会議日本政府代表を務めた[17]。
親族
[編集]池田祐久は子で、その妻池田礼子は小和田恆の子であり、同じく小和田の子である皇后雅子も親族にあたる[18]。
出典
[編集]- ^ 週刊読売 = The Yomiuri weekly 44(25)(1911);1985・6・16 雑(読売新聞社, 1985-06)
- ^ 官報昭和39年本紙第11350号 18頁
- ^ 官報昭和49年本紙第14211号 14頁
- ^ 官報昭和53年本紙第15300号 16頁
- ^ 官報昭和55年本紙第16021号 9頁
- ^ 官報昭和57年本紙第16639号 9頁
- ^ 官報昭和58年本紙第16884号 13頁
- ^ 官報昭和60年本紙第17530号 7頁
- ^ 官報平成1年本紙第148号 8頁
- ^ 官報平成1年本紙第205号 8頁
- ^ 官報平成2年本紙第399号 10頁
- ^ 官報平成2年本紙第538号 11頁
- ^ 官報平成4年本紙第1026号 8頁
- ^ 前田亮介 / 自治体外交の時代(2)―横路道政期の訪韓・訪ソ(1983-1991)北海道史への扉 第3号(2022.3)
- ^ 時評 37(11)(392) (時評社, 1995-11)
- ^ 官報平成8年本紙第1927号 4頁
- ^ 官報平成12年本紙第2858号 10頁
- ^ 週刊文春 42(39)(2099);2000・10・19 文芸春秋 [編] (文芸春秋, 2000-10)
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