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川北裕介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川北 裕介
名前
カタカナ カワキタ ユウスケ
ラテン文字 KAWAKITA Yusuke
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1978-05-13) 1978年5月13日(46歳)
出身地 大阪府[1]
身長 184cm[1]
体重 80kg[1]
選手情報
ポジション GK[1]
利き足 右足
ユース
1994-1996 日本の旗 清風高校
1997-2000 日本の旗 関西大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2002 日本の旗 ヴァンフォーレ甲府 22 (0)
2003-2005 日本の旗 大塚/徳島ヴォルティス 39 (0)
2006-2012 日本の旗 愛媛FC 109 (0)
通算 170 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

川北 裕介(かわきた ゆうすけ、1978年5月13日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。

来歴

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2001年ヴァンフォーレ甲府に入団するものの、吾妻弘将鶴田達也の前に出場機会には恵まれず、2003年よりJFL大塚製薬(現徳島ヴォルティス)に移籍。大塚製薬では正GKとして活躍し、J2昇格に貢献した。一見派手なスーパーセーブこそ少ないが、的確な判断とミスの少ない安定したプレーが特徴の堅実な選手で、素早く正確なスローによるフィードも特徴のひとつであった。

2004年11月5日に行われたJFL後期第12節(対ザスパ草津群馬陸)の前半7分において、草津のFW佐藤正美と左のこめかみあたりから衝突した。継続出場が困難だったため、選手交代後すぐに川北は救急車で病院に運ばれた。選手生命を絶たれる寸前だったが、驚異の回復力と血のにじむような努力で復活した。またこの時、当時大塚製薬の田中真二監督に「怪我してるときくらい家族サービスしないでどうする」と言われたという。

J2昇格後は大塚製薬が母体となって出来た徳島ヴォルティスの初代背番号1を背負うも、高橋範夫が主に起用されたためリーグの出場はなかった(リザーブ入りは数回ある)。

2006年よりこちらもJ2に昇格した四国のライバル・愛媛FCに移籍。移籍後は正GKに定着していたが、2007年以降は佐藤昭大多田大介といったレンタル加入組とのポジション争いにさらされた。2009年は故障でシーズンを棒に振り、同年加入した山本浩正にポジションを奪われたが、怪我から戻った2010年の終盤戦にポジションを奪取した。2011年は自己最多となる32試合に出場し、正GKに定着したかと思われたが、2012年は移籍加入した秋元陽太にポジションを奪われ出場ゼロに終わった。同年限りで現役を引退[1]

2013年から愛媛FCのアカデミーでゴールキーパーコーチを務め[1]、2015年からはトップチームのコーチに就任[2]。2021年12月7日、退任が発表された[3]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2001 甲府 21 J2 13 0 0 0 3 0 16 0
2002 9 0 - 0 0 9 0
2003 大塚 21 JFL 29 0 - 3 0 32 0
2004 1 10 0 - 0 0 0 0
2005 徳島 J2 0 0 - 0 0 0 0
2006 愛媛 35 J2 24 0 - 2 0 26 0
2007 19 0 - 4 0 23 0
2008 1 21 0 - 2 0 23 0
2009 0 0 - 0 0 0 0
2010 13 0 - 0 0 13 0
2011 32 0 - 2 0 34 0
2012 0 0 - 0 0 0 0
通算 日本 J2 131 0 0 0 13 0 144 0
日本 JFL 39 0 - 3 0 42 0
総通算 170 0 0 0 16 0 186 0

指導歴

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  • 2013年 - 2021年 愛媛FC
    • 2013年 - 2014年 アカデミー GKコーチ
    • 2015年 - 2021年 トップチーム GKコーチ
  • 2022年 - 清水エスパルスユース GKコーチ

タイトル

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個人

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脚注

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参考文献

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関連項目

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外部リンク

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