安武亨
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名前 | ||||||
カタカナ | ヤスタケ トオル | |||||
ラテン文字 | YASUTAKE Toru | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1978年12月10日(46歳) | |||||
出身地 | 福岡県 | |||||
身長 | 167cm | |||||
体重 | 61kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
1994-1996 | サンフレッチェ広島 | |||||
1999-2002 | 桐蔭横浜大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1997-1998 | サンフレッチェ広島 | 2 | (0) | |||
通算 | 2 | (0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
安武 亨(やすたけ とおる、1978年12月10日 - )は、福岡県出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。現役時代のポジションはDF。
来歴
[編集]1994年、サンフレッチェ広島ユースに入団。同級生は、荒木亮次、岩村貴久、渡辺大輔、雨野裕介ら。
その後1997年にトップとトレーニー(練習生)契約、同期入団は若井研治、廣池寿、川島眞也、松岡祐弥、岩村、荒木。同年に2試合リーグ戦に出場した。しかし翌年1998年戦力外とみなされた[2]。その後、大学進学を目指し、1999年にサンフレッチェ広島の先輩である風間八宏が初代サッカー部監督に就任することを知った桐蔭横浜大学を希望し進学。「とにかく風間さんの下でサッカーを学びたい一心だった」と志望動機を述べている[3]。雨野らと大学リーグでも活躍した。卒業後一般企業に就職し、サッカー界から離れて5年間営業職を経験[4]。
2009年、母校・桐蔭横浜大でコーチを務める。
2018年3月、桐蔭横浜大学サッカー部の監督に就任。2019全日本大学選手権準優勝、関東大学リーグ1部準優勝、神奈川県代表を勝ち取っての天皇杯連続出場、山根視来、橘田健人をはじめ多数のプロ選手排出[5]、2022年全日本大学サッカー選手権優勝など実績を残す[6]。
所属クラブ
[編集]個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1997 | 広島 | 30 | J | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
1998 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
通算 | 日本 | J | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | |
総通算 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
脚注
[編集]- ^ スタッフ 桐蔭横浜大学サッカー部公式ページ
- ^ 【サンフレッチェ背番号の系譜】レジェンド・青山敏弘がプロ1年目に背負った背番号。サンフレッチェ広島が誇る“天才”の背に今も輝く『30』 広島アスリートマガジン 2023年3月31日
- ^ 桐蔭横浜大学・安武亨監督「選手としての再チャレンジとセカンドキャリアを考え大学に」 高校サッカー.com 2021年2月4日
- ^ 桐蔭横浜大・安武亨監督、サッカー界の外で働いた経験は指導者になった今も生きている 4years. 2022年3月8日
- ^ 桐蔭横浜大から13人のJリーガーが誕生!“自慢の教え子”を安武亨監督が紹介「応援するに値する人間性を持っている」 ゲキサカ 2022年12月26日
- ^ がむしゃらにひたむきに、サッカーと向き合う TUYサッカースクール
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 安武亨 - WorldFootball.net
- 安武亨 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 安武亨 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 安武亨 - J.League Data Siteによる選手データ
- 桐蔭横浜大学サッカー部ホームページ