大橋昭好
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名前 | ||||||
カタカナ | オオハシ アキヨシ | |||||
ラテン文字 | OHASHI Akiyoshi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1962年12月11日(62歳) | |||||
出身地 | 静岡県 | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 77kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
ユース | ||||||
1978-1980 | 藤枝東高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1981-1989 | ヤマハ発動機 | |||||
1990-1992 | トヨタ/名古屋グランパスエイト | 41 | (0) | |||
1993-1994 | 柏レイソル | |||||
1995-1997 | 本田技研 | |||||
通算 | 41 | (0) | ||||
監督歴 | ||||||
2000-2001 | 本田技研 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
大橋 昭好(おおはし あきよし、旧姓:菅藤[1]、1962年12月11日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。
来歴
[編集]藤枝東高校2年時に高校選手権に出場し、初戦敗退[2][3]。
卒業後の1981年に日本サッカーリーグのヤマハ発動機(後のジュビロ磐田)に加入[1]。2年目の1982年シーズンに出場機会を得ると、JSL2部優勝に貢献[4]。天皇杯では決勝のフジタ工業戦を無失点に抑えてチームの初優勝に貢献した[5]。
翌1983年、大学NO.1キーパーと称され、後に日本代表となる森下申一が加入すると、出場機会を失うようになった[4][5]。「シュートに対する反応の早さ」が持ち味の森下に対して、1対1の強さに定評があったが[5]、ヤマハではJSL1部通算12試合出場に留まった[1]。
1990年、トヨタ自動車(後の名古屋グランパスエイト)に移籍[1]。正キーパーとなるとJSL1部通算41試合に出場[1]、1991年に行われた第2回コニカカップでは全7試合に出場しチームの優勝に貢献した[1]。プロ化により名古屋グランパスエイトへと移行後もチームに在籍したが、出場機会はなかった[6]。
1993年にジャパンフットボールリーグの柏レイソルへ移籍し、準会員チームとしての参加となったJリーグカップでは6試合に出場した[6]。1995年に本田技研へ移籍し、1997年限りで現役引退した[7]。
1998年からは本田技研でGKコーチや監督を務め、2002年にジュビロ磐田に戻り、2008年までユースチームやトップチームでGKコーチを務めた[7]。2009年からはU-17サッカー日本代表を皮切りに育成年代のGKコーチを務め、2016年にはJFA 公認S級コーチを取得した[7]。同年、高倉麻子の監督就任に伴いサッカー日本女子代表のGKコーチを務めている[4][8]。
選手歴
[編集]- 1978年-1981年 静岡県立藤枝東高等学校[7]
- 1981年-1989年 ヤマハ発動機[7]
- 1990年-1991年 トヨタ自動車[7]
- 1992年 名古屋グランパスエイト[7]
- 1993年-1994年 柏レイソル[7]
- 1995年-1997年 本田技研[7]
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1981 | ヤマハ | 26 | JSL1部 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1982 | JSL2部 | 3 | 0 | 5 | 0 | ||||||
1983 | 26 | JSL1部 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | |
1984 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |||
1985 | 21 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | ||
1986-87 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
1987-88 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | |||
1988-89 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | |||
1989-90 | 1 | 0 | 0 | 0 | |||||||
1990-91 | トヨタ | 1 | 19 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | |||
1991-92 | 22 | 0 | 2 | 0 | |||||||
1992 | 名古屋 | - | J | - | 0 | 0 | |||||
1993 | 柏 | 旧JFL1部 | 6 | 0 | |||||||
1994 | 旧JFL | 0 | 0 | ||||||||
1995 | 本田 | - | |||||||||
1996 | - | ||||||||||
1997 | - | ||||||||||
通算 | 日本 | J | 0 | 0 | 0 | 0 | |||||
日本 | JSL1部 | 53 | 0 | ||||||||
日本 | JSL2部 | ||||||||||
日本 | 旧JFL | ||||||||||
総通算 |
指導歴
[編集]- 1998年-1999年 本田技研 GKコーチ[7]
- 2000年-2001年 本田技研 監督[7]
- 2002年 ジュビロ磐田下部組織 GKコーチ[7]
- 2003年-2007年 ジュビロ磐田ユース GKコーチ[7]
- 2007年-2008年 ジュビロ磐田 GKコーチ[7]
- 2009年 U-15日本代表 GKコーチ[7]
- 2010年 U-16日本代表 GKコーチ[7]
- 2011年 U-17日本代表 GKコーチ/U-15日本代表 GKコーチ[7]
- 2012年 U-16日本代表 GKコーチ[7]
- 2013年 U-17日本代表 GKコーチ[7]
- 2014年 U-16日本代表 GKコーチ[7]
- 2015年- JFAユース育成サブダイレクター[7]
- 2016年- 日本女子代表 GKコーチ[8][9]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 「日本サッカーリーグ全史」編集委員会編『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993年、252・254頁頁。
- ^ 全国高等学校体育連盟サッカー専門部 編『高校サッカー60年』講談社、1983年、170頁。ISBN 4-06-200059-8。
- ^ 『王国が紡ぐ「黄金の歴史」静岡の高校サッカー』ベースボール・マガジン社、2008年、74頁。ISBN 978-4-583-61581-3。
- ^ a b c “「一体感」でW杯頂点へ なでしこ・大橋コーチ(藤枝東高出)”. 静岡新聞 (2019年6月6日). 2020年1月23日閲覧。
- ^ a b c 「DIGEST SCRAMBLE EYES パート2 菅藤昭好」『サッカーダイジェスト』 1985年12月号、日本スポーツ企画出版社、45-46頁。
- ^ a b “大橋 昭好”. J.League Data Site. 2020年1月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u “ナショナルコーチングスタッフ”. 日本サッカー協会 (2015年10月15日). 2020年1月23日閲覧。
- ^ a b “なでしこジャパン(日本女子代表)メンバー・スケジュール 国際親善試合 対 アメリカ女子代表(6/2,6/5@アメリカ)”. 日本サッカー協会 (2016年5月20日). 2020年1月23日閲覧。
- ^ “選手(2019年招集)・スタッフ”. 日本サッカー協会. 2020年1月23日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 大橋昭好 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 大橋昭好 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 大橋昭好 - J.League Data Siteによる選手データ
- ナショナルコーチングスタッフ|日本代表|JFA |日本サッカー協会