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千葉勝五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

千葉 勝五郎(ちば かつごろう、1833年天保4年) - 1903年明治36年)4月13日)は、日本の実業家東京金貸し[1][2]。信濃の古着行商より起こって東都屈指の金満家となった[3]。また歌舞伎座開設に関わったことで知られる。通称千葉勝。

人物

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信濃国伊那郡中沢村(現・長野県駒ヶ根市)生まれ。古着の行商を行う[3]。15歳の頃に江戸へ出て浅草の金貸し[4]千葉常五郎のもとで働き、後に養子になった[5]。新富座、市村座などの経営にも関わり、1889年明治22年)の歌舞伎座開場に際してはその金主となり、福地源一郎と共に経営者(相座主)となった[6]。翌年、福地の借金により興行収入が差し押さえられるというトラブルが起こり、千葉が単独で座主となった。興行の相談役を田村成義が務めた。

興行には不入りもあったため、千葉は経営から手を引くことになり、1896年(明治29年)、歌舞伎座株式会社が設立された(同郷の皆川四郎が社長に就任)。住所は東京市京橋区五郎兵衛町[1][2](現・東京都中央区八重洲)。

家族・親族

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千葉家

脚注

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  1. ^ a b 『日本現今人名辞典』ち1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月10日閲覧。
  2. ^ a b 『日本紳士録 第2版』ち122頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月9日閲覧。
  3. ^ a b 『名士奇聞録』248頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月10日閲覧。
  4. ^ 京橋秋田藩士とも
  5. ^ 『大增補大日本人名辭書』(東京経済雜誌社, 1921)によると千葉常五郎は佐竹藩士
  6. ^ 歌舞伎座の創立と居士の地位『桜痴居士と市川団十郎』榎本虎彦 著 (国光社, 1903)
  7. ^ 『人事興信録 第2版』し1330頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月10日閲覧。
  8. ^ 『大正人名辞典』2060頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月9日閲覧。

参考文献

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  • 『日本紳士録 第2版』交詢社、1892年。
  • 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1900年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第2版』人事興信所、1903 - 1911年。
  • 嬌溢生『名士奇聞録』実業之日本社、1911年。
  • 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
  • 『大人名事典』平凡社 1953年。