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勝俣進

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
勝俣 進
名前
カタカナ カツマタ ススム
ラテン文字 KATSUMATA Susumu
基本情報
生年月日 (1956-02-17) 1956年2月17日(68歳)
出身地 山梨県富士吉田市[1]
身長 168cm
体重 54kg
選手情報
ポジション FW
ユース
1971-1973 日本の旗 甲府工業高校
1974-1977 日本の旗 法政大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1978-1984 日本の旗 甲府クラブ
監督歴
1994 日本の旗 甲府クラブ
1999 日本の旗 ヴァンフォーレ甲府
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

勝俣 進(かつまた すすむ、1956年2月17日 - )は、山梨県富士吉田市出身の元サッカー選手、サッカー指導者、元地方公務員政治家。元山梨県富士吉田市議会議員(4期)。現役時代のポジションはFW

経歴

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小学校よりサッカーを始め、山梨県立甲府工業高校を経て、法政大学に入学。在学中はサッカー部に所属した[1]1978年に大学を卒業して富士吉田市役所に勤務。また、甲府サッカークラブ(現在のヴァンフォーレ甲府)に加入した。1984年に現役を引退した。

1993年に富士吉田市役所を退職し、ドイツのサッカークラブ、ヴェルダー・ブレーメンにアシスタントコーチとして就任後、1994年に甲府クラブの監督に就任したが、同年で退任した。

1998年JFA 公認S級コーチのライセンスを取得後、1999年にJリーグに加盟したばかりのヴァンフォーレ甲府の監督に5年ぶりに就任したが、再び1年限りで退任した。

2001年より富士吉田市サッカー協会顧問に就任し、同市のクラブチーム・ヴォルケーノ富士吉田のゼネラルマネージャーも兼任している。

政治家として

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1995年に富士吉田市議会議員に当選し、2011年まで4期16年に渡り富士吉田市議を務めた[1][2]2007年の4期目には富士吉田市議会議長に就任した[2]

2011年4月の山梨県議会議員選挙に立候補し、富士吉田市選挙区から出馬して6,092票を獲得するも3位で落選した[2][3]

2015年4月には富士吉田市長選挙に立候補して11,516票を獲得したが、18,413票を獲得した現職の堀内茂に敗れた[4]

2019年4月にも再度富士吉田市長選挙に立候補し、前回と同様に堀内との一騎打ちとなった。結果的に13,279票と前回よりも得票数を伸ばすも、堀内が16,146票を獲得したため雪辱を果たすには至らなかった[4]

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1978 甲府ク JSL2部
1979 1 0
1980
1981
1982
1983 13 3 2 0 0 0 15 3
1984 14 0
通算 日本 JSL2部
総通算

監督成績

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年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 試合 勝点 勝利 引分 敗戦 Jリーグカップ 天皇杯
1994 旧JFL 甲府ク 14位 30 - 9 - 21 - 2回戦
1999 J2 甲府 10位 36 18 5 4 27 1回戦 2回戦

参考文献

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出典

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  1. ^ a b c 「富士吉田市長選候補者の横顔」朝日新聞山梨県版 (2015年4月22日), 2016年9月21日閲覧
  2. ^ a b c “【統一地方選】富士吉田市長選は一騎打ちの公算 - 産経ニュース”. 産経新聞. (2015年4月18日). https://www.sankei.com/article/20150418-VTDYARISJVN7XIIIM3AAP5EARI/ 2022年8月8日閲覧。 
  3. ^ 山梨県議会議員選挙 富士吉田市選挙結果”. 富士吉田市役所. 2022年8月8日閲覧。
  4. ^ a b 富士吉田市長選挙結果”. 富士吉田市役所. 2022年8月8日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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