利用者:Kanohara
この利用者は現実世界で忙しいので、すぐにはお返事できません。 |
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Kanohara(かのはら)は、1970年代半ば生まれのウィキペディア利用者。この言い方はあまり好きではないのですが、いわゆるところのウィキペディアン。特に管理者権限などは持っていない一般の登録利用者です。
来歴
2007年11月からログインユーザーとして活動しています。それ以前もROM専、あるいは細々と細部の編集に関わるIPユーザーとして細々と活動していたのですが、「初音ミク」の記事における全文削除とその前後に起こった事件を巡って紛糾した頃に議論の仲裁に入った際、IPユーザーとしての発言力の弱さや、長期間の議論において発言を追う際の不自由さなどを感じるようになり、ログインユーザーとして活動するためIDを取得しました。
ログインネームは本名に由来するものではなく、なんとなく付けた名前なのですが、詳細な由来を明記すると、実名での交友があった知人などに素性を特定されてしまうような個人情報を含んいるので、一応は詳細を秘密としておきます。
方針
記事は可能な限りわかりやすくあるべき、と思っています。間違ったことは何一つ書いていないけれど、前提となる知識が抜けていて枝葉のようなことばかり書いてあったりして、その項目に関する知識がない読者には何も伝わらないような記事は、百科事典としては問題があると考えます。ただ、それを独自研究にならないという縛りで修正するとなると難しいものがあり、また自分で書いた文章を客観的に推敲することは苦手でもあるので、日々悩むところではあります。以前、自分が関わっている記事に関連した事柄がテレビの報道で頓珍漢な紹介のされ方をしていたのですが、記事を読み返しましたところ、嘘は書いていないけれどそう誤解されてもおかしくない書き方になっていたりして、これは相当ヘコみました。
誤解を恐れずに言うと、ウィキペディアの存在を知ったばかりの頃のごく個人的な情としては、当時の混沌としたエネルギーに溢れているウィキペディアのことを好ましく思っていましたし、今でもその心境はあまり変わっていません。価値ある知識に潜んでいる眉唾ものの情報や、的を射ていたり射ていなかったりする独自研究、尤もらしい嘘八百と嘘のような真実が、個人のわかりやすい主観を基にした記述で複雑に入り混じる現状は、百科事典としてはともかく読み物としての刺激に満ちていると感じます。言うまでもなく、それらは百科事典を目指すウィキペディアから排除されるべきものであることは理解しているので、ウィキペディアのログインユーザーとして記事を執筆する際には、個人的な情に流されるべきではないと考えていました。
ですが、最近はこうも思うのです。書いてあることは100%百科事典として有益な記述ばかりで、百科事典としては完璧であるだけでなく、それでいて読みやすく読み物としての刺激に満ち溢れている、そういったウィキペディアの未来の姿も可能だろうと。眉唾物の情報や尤もらしい嘘八百にはきちんとした出典が添えられ、一部で支持を得ながらも否定された言説であるとして丁寧に紹介される。まだ学界で多数派の支持を得られていない新進気鋭の言説には参考文献を添えて紹介され、然るべき中立性を持って通説と併記される。子供の頃に百科事典を読んだ時の、知識が満たされていくワクワク感を提供できる、そんな百科事典が「集合知が導き出した、進化した百科事典の姿」として完成するのを見てみたい気もします。
履歴継承について
前述のように、そもそもログインユーザーとして活動を始めたきっかけが、GFDLの履歴継承に関するトラブルに関するものだったので、履歴継承問題に関してはそれなりに関心を持っています。
ユーザーボックスに{{User Publicdomain}}を貼っているように、私はウィキペディアの履歴に自分の名前を残すことにはあまりこだわりがありません。私がウィキペディアに寄稿した文章を何らかの形で転記する際、執筆者Kanoharaが著作権を持つ部分を転記する場合に限っては、CCライセンスにおける表示-継承の権利を放棄、ならびにGFDLの第4条1項2文B号に基づき改変者名の記載を免除し、執筆者名Kanoharaを履歴に残さなくてもよいという同意を得ているものとして扱っても構いません。
それ以外の転記を行う場合はWikipedia:ページの分割と統合などを参考にして指定の手続きを踏むようにしてください。なお、この主張は他の執筆者が私の主義主張に同調することを求めるものではありません。
2ちゃんねる掲示板と私
「2ちゃんねらーは皆右翼思想を持っていて、韓国人と朝日新聞が嫌い。厳罰主義で死刑制度に賛成している」のようなレッテル張りを見かけると、やるせない気分になります。私個人はよく2ちゃんねるを利用していますが、自分は前述のようなレッテルにはあまり当てはまらないような気がしています。確かに2ちゃんねるには匿名掲示板独特の表出しやすい勇ましい主張、耳障りが良く支持を集めやすい意見といったものがあり、それらを日本人の総意と受け取るのは危ういとも感じています。一方で2ちゃんねるに来ている人の大半はごく普通の、様々な意見のある人の集まりだと感じています。個人的には、2ちゃんねる掲示板のような、シンプルな感情が行き交う場に身を浸し、のめり込み過ぎて毒にならない程度に空気を感じ取ってくることは、刺激的であると同時に、自分の中の中立性を磨くことにも繋がり、人生を豊かにすると信じています。
ただ、2ちゃんねるのウィキペディア関連スレには滅多に近寄らないのと、あまり流れの速いスレには付いて行けないことが多いので、(多分ないとは思いますが)私個人への連絡を送りたい場合は、2ちゃんねるのスレではなく会話ページの方へお願いします。
この利用者は大韓民国をこよなく愛しています
以前「この利用者は大韓民国をこよなく愛しています」のユーザーボックスに対してツッコミを受けたことがあるのですが、これはまあ、個人的に韓国料理のような唐辛子を使った料理が好きなのと、あと喧嘩しているのを見ると思わず仲裁したくなる性分と言いますか、東アジアの平和を祈願するささやかな気持ちを表したものであって、あんまり深い意味はないのです。それと、自分も日本で日本人として生まれて日本に国籍を置いている以上、人並みには自分の生まれ育った国に対する愛着や連帯感、国の将来を憂う気持ちなどは持っていますので、(韓国の方に限らず)外国人から日本に対する悪感情や誤解に基づく無理解な言動を向けられているのを見ると、大きなショックを受けたり、動揺したり、時にはやっぱり反発したりもします。もっとも、それに対する反応を自制できず、更に汚い言葉でやり返してしまう日本人も、気持ちは分かるけれど正直どうなんだ、とも思ったりしますけども。
フィクションのあらすじと登場人物について
フィクションの記事では、あらすじの説明を行っているセクションで場面でネタバレを避け、物語の導入部にしか言及しないということが多くありますが、個人的にはあまり好ましく思っていません。例えば主人公の大冒険を描いた長編ファンタジー作品なのに、主人公の村が襲撃者に襲われる場面までしか書かれていないあらすじとか、ごく平凡な現代生活を無為に過ごしていた主人公が物語の第1話で怪異に巻き込まれて妖怪退治に乗り出す伝奇モノの作品なのに、それを伏せて学園モノの作品のように見せかけようとしているあらすじとか、物語の中盤からの善悪の定義を問う重い展開が主軸になっている作品で、勧善懲悪ものの明るい作品のように見せかけようとしているあらすじといったものです。ウィキペディアにおけるネタバレについては色々と議論もありますが、ネタバレに配慮しすぎて記事の読者を騙すような体裁になっている記事については、百科事典が誤情報を流すのは如何なものかと感じずにはいられません。作品の概要について知りたい人はネタバレなんて知りたくないんだ、という主張もありますが、そういう人はウィキペディアではなくて公式サイトを見ればいいのに、と思います。個人的には、あらすじの説明には、その物語が全体を通してどのような出来事や対立を描いていて、どのようなテーマを描いているのかを読み取れるような内容が理想的だと考えています。
同様にウィキペディアでは議論になることの多い、フィクションの登場人物についての記載ですが、個人的にはその登場人物が作中でどのような役割を果たし、物語全体から見てどのような文脈で必要とされている人物なのかが、作品についての予備知識のない読者に伝わるような内容が望ましいと考えています。Wikipedia article traffic statisticsを使って、親記事と登場人物一覧が分かれている記事のアクセス数を比較すればを読めば分かりますが、往々にしてフィクションの記事でよく読まれているのは、概要や番組情報などを記した本記事よりも登場人物一覧の記事というのが現状です。私が記事を書く場合には、例えばあるアニメに登場する人物の××が大人気だ、という評判を聞いて調べものに来た読者が、その人物が作中においてどのような立ち位置を占める人物で、なぜ人気なのかという内容を大雑把に掴めるような内容であることを、個人的な内容の目安として課しています。その内容に触れることで、まだ作品に触れていない読者の楽しみをほとんど全部奪ってしまうようなネタバレが含まれている場合、さすがに躊躇もしますが、その事実を抜きにしてその登場人物や、作中の他の事柄を語ることが不可能で、作品名や人物名を検索して出てくる他のWebサイトのどこでも触れられているような内容なら、記載を躊躇すべきではないと思います。核心の具体的な内容に触れずに説明することが可能なら、「周囲にはある秘密を隠しており、その事実が物語後半での争点になる」のような形で、核心の存在に触れつつも曖昧な形で説明することを試みる場合もあります。
脚注と私
書籍1冊分程度の内容であっても、その中からある記述を探し出すのは結構骨が折れることで、出典が多岐に渡る場合はなおさらです。ある日突然、概ね間違ったことは書いていないが出典が明記されていない記事全体に{{要出典}}を幾つも張り付けられて、「一週間以内に出典を提示できなければ記述を全部除去します」と言われたとき、慌てて書棚をひっくり返して図書館を駆けずり回ってもたいてい手遅れになります。こうしたことはウィキペディアでは日常茶飯事で、たいていの場合相手の方は大真面目にウィキペディアの品質向上に努めている心構えの方々であり、私としても全ての記述に出典は用意されているべきだという考えには賛同しているので、荒らし扱いして無視する訳にはいきません。
こういうとき、全て自分が書いた記事であれば何とかなる可能性はありますが、自分よりも物知りの編集者さんが加筆した内容の正当性を、何の手がかりもなく証明するのは困難なことです。常識だと思っていた記述すらも、いざ探してみると出典を見つけられないこともあります。例えば例を挙げますが、個人的に悔しかったのは「主人公」の記事に30か所以上の{{要出典}}が張り付けられているのを見て、必至で有象無象の出典を探して回ったものの、記事中にあった「日本の映画やドラマ、アニメでは、たいてい主人公がクレジットタイトルに列挙されるキャスト一覧で一番最初に掲載されている」という常識的な記述に言及している文献を探し出せなかったことです。結局、この{{要出典}}は誰かが除去してしまいましたが、私はこの記述の正確さを保証する出典をいまだ探し当てることができていません。
引用の要件を満たすためにも、出典の明記は重要です。私が最初にウィキペディアに関わるきっかけになった「Wikipedia:削除依頼/初音ミク」の件も、もし初版作成者の方が脚注の形で公式サイトなどを情報の出所として明示していれば、引用の要件を満たすことができたのではないかと悔やまれます。
私の場合、サブカル系の記事で加筆する際、誰かから「そんな描写あったっけ?」とか「それって独自研究じゃないですか?」といった指摘が入りそうな部分や、作中の表現に近い文章を用いている個所には、気が付いたらなるべく記述の根拠となる参照場所を入れるようにしています。例えば、以下のようなやり取りを未然に阻止するためです(なお、この会話内容はあくまで例示でありフィクションです)。
質問 このRPGの記事であなたが加筆した、登場人物の××ちゃんが天然ボケだと言う記述は貴方の主観ではないですか? 確かに××ちゃんはノンビリして間延びした言動が特徴ですが、作中では幾度も素晴らしい機転でパーティメンバーを救っているという一面もあります。彼女は十分聡明に見えますし、終盤の展開からは、ある意味××ちゃんの天然ボケは周囲を欺くための演技ではないかという解釈も可能であると考えます。天然ボケというのは××ちゃんの性格を言い表すには不適当な、侮蔑的な表現であり、これは加筆者であるあなたの中立的ではない、検証可能性のない独自研究でしかなく、先のあなたの差し戻しには正直なところ怒りを覚えています。私は、この記述はウィキペディアの三大方針に即していない内容であるとして、きっぱりと除去すべきだと考えていますが、この件についてあなたはどう思われますか?--質問者 20xx年xx月xx日 (x) xx:xx (UTC)
情報 どう思うも何も、ステータス画面で△ボタンを押すと読める解説の2行目に「真正の天然ボケ」と書いてありますよ。--回答者 20xx年xx月xx日 (x) xx:xx (UTC)
「Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)#結論」も、一次情報か二次情報かを問わず、全ての情報には出典を明記することを求めています。特に原作つきアニメの記事では、原作かアニメかどちらかしか見ていなかったり、うろ覚えで書いたりしている人は多くて、よくよく調べると誤っている記述が紛れ込んでいるのをよく見かけますし、私自身が紛れ込ませてしまった経験もあります。具体的には原作とアニメ版で描写や設定が異なる個所や、原作では明記されているのにアニメ版では解釈の分かれる描写になっていたり、アニメ化で追加されたり省略されたりしているエピソードなどは、間違いになりやすいと感じます。逆に、こんな描写は作中のどこにも書かれていないし悪戯だろうと思った内容が、読み落としていた部分や未読だった外伝的作品、ドラマCDから見つかったりして、密かにヘコむこともあります。こうした記述の正確性を検証する上で、その内容が原作に基づいているのかアニメ版に基づいているのか、それともドラマCDの情報なのかを明記した方が、共同編集作業はやりやすいと思いますし、誤りがあった場合の検証も容易だと思いますので、加筆の際にひと手間加えて注釈を付けるようにしています。
他の編集者さんよりも脚注を多用している自覚はあり、記事を脚注だらけにして2ちゃんねるやtwitterで苦言を呈されたり、他の編集者さんと言い争いになった経験もありました。そもそもちゃんと脚注を付けていくのは労力もかかるので、真面目に深入りする気のない記事や、ほぼ完全に単一の資料に頼っている記事では、あまり脚注を使わないこともあります。あまりに自明であり、わざわざ文献で説明する必要のないような内容については、「独自研究は載せない」の公式方針におけるアップルパイの例を引き合いに出して、要出典を跳ね除けることが可能でしょう。一方、ある分野では常識とされているものの、その分野外の人に対しては「分別のある大人なら誰にでもその場で証明可能」とまでは言い切れない内容については、案外に出典の確保が困難であるという印象も受けています。長大なフィクション作品の作中でさり気なく1度きりしか言及されていない設定などは、いざ探そうとしても他の設定などと混同していたりして、見つからないことが大抵です。後になってから{{要出典}}を貼られたり、記述の正確性が議論になったりした場合に困らないよう、よく編集している記事に関しては、出典をつけることが可能な記述に気が付いた場合、なるべく脚注をつけるようにしています。
なお、多すぎる脚注が嫌がられるのは基本的に可読性の問題だと思うのですが、閲覧側がユーザースタイルシートの設定に、
sup.reference { display: none; }
のような記述を入れれば、ウィキペディアの脚注を非表示状態にすることが可能です。ウィキペディアのログインユーザーの方は「特別:個人設定」でユーザースタイルシートの設定を変更することができますし(詳細は「Help:外装の詳細設定」を参照)、非ログインユーザーの場合でも、ブラウザのユーザースタイルシートに同様の記述を追加することで同じ効果を得られます。
私のIPアドレス
私はネット接続時、有害サイトのフィルタリングのためにISPが提供しているプロキシ(オープンプロキシではないはず)を利用しています。ところが、どうやらこのプロキシを利用していてIPアドレスが被る範囲内の方の中に、何人か熱心なウィキペディアの編集者がいるらしく、熱心に雑草取りをしていたり、政治的な論争のある話題で持論をぶったり、管理者権限を持っている方に喧嘩を吹っかけたりしている方がおられるようです。
これらの編集の多くは身に覚えのないものなのですが、2011年4月26日に「Wikipedia:多重アカウント」の方針が改訂される以前には、パソコンを修理に出していた時期などに、改訂以前の方針で認められていた範囲内で、ログインせずに記事に加筆をした経験もありました。当時の方針は守っていたつもりなのですが、まあCUされたら見に覚えのない罪状まで含めて有罪扱いされてしまうかも知れず、そうならないよう余計なことで疑われたりしないよう注意したいと思います。
- 記事「寄生獣 (映画)」の2015年4月21日 (火) 14:21 (UTC) 版の編集を行ったIP:240f:e2:445:1:d574:1079:ab0d:171(会話 / 投稿記録)は、私です。ウィキペディアモバイルアプリの不具合により、画面上ではログインしていたつもりで編集したものの、実際にはログインユーザーとして編集されていませんでしたので、ここに報告しておきます。
よく使うテンプレート
{{要出典}}を貼られたら出典を貼り返すことで、記述の根拠をきっちり示す、という動きが日本語版ウィキペディアでももっと広まってくれればいいのにと思います。空欄を埋めていくだけできっちりと出典を示せる出典テンプレートは便利なので重宝します。
- {{Cite web}}
- {{Cite news}}
- {{Cite book}}
- {{Cite journal}}
- {{Cite comic}}
- {{Citation}}
- Category:出典テンプレート
- Category:検証可能性関連のテンプレート
新規作成した記事
- 俺の妹がこんなに可愛いわけがない ポータブル
- 木ノ俣用水 - 2009年10月6日の新着記事に選んで頂きました。
- 光真寺
- 作画崩壊 - 出典なしとして削除された記事を再作成したものですが、2011年8月10日の新着記事に選ばれてしまいました。
- スープ入り焼きそば
- ねこシス
- ネコのおと リレーノベル・ラブバージョン
- ねこ耳少女シリーズ - 2010年8月25日の新着記事に選んで頂きました。
- 初音ミク -Project DIVA- - 初版の著作権侵害により削除された記事を再作成
- 蟇沼用水
- 湯川 (日光市) - 2010年6月10日の新着記事に選んで頂きました。
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