ヒロ松下
松下 弘幸 | |
---|---|
無人航空機スウィフト020デモフライト時の松下弘幸,7月21日、神戸メリケンパークにて撮影 | |
住居 | 日本兵庫県西宮市 |
国籍 | 日本 |
出身校 |
甲南幼稚園 甲南小学校 甲南中学校・高等学校 甲南大学 |
職業 | 実業家[1]、元レーシングドライバー |
著名な実績 |
1989年にフォーミュラ・アトランティックで日本人としてはじめてチャンピオン インディ500に日本人としてはじめて参戦 |
身長 | 5' 9" (1.75 m) |
肩書き |
松下インターナショナル株式会社 (代表取締役会長) スウィフト・エンジニアリング (代表取締役会長CEO) スウィフト・エックスアイ株式会社 (代表取締役会長CEO) |
親 | 松下正治(父)[2] |
親戚 |
松下幸之助(祖父) 松下むめの(祖母) 松下正幸(兄) 平田松堂(祖父) 平田東助 (曾祖父) 井植歳男(大叔父) 平田昇(大叔父) 関根大介(甥) 山縣伊三郎(曽祖叔父) |
署名 | |
ヒロ 松下(ヒロ まつした、英語:Hiro Matsushita、1961年3月14日 - )は、日本の実業家、元レーシングドライバー。本名は松下 弘幸(まつした ひろゆき)。パナソニックの創業者である松下幸之助の孫[3]として兵庫県西宮市に生まれる。1989年にフォーミュラ・アトランティックではじめて日本人としてチャンピオンを獲得し、日本人としてインディ500に初参戦。トップドライバーとして活動を続け、その後日本人ドライバーがアメリカで活躍する道を切り開く。
生い立ち
[編集]1961年から16年間にわたりパナソニックの2代目社長を務めた松下正治の次男である。甲南幼稚園、甲南小学校、甲南中学校・高等学校、甲南大学経営学部を卒業[4]。小学生まで地元のボーイスカウトに所属。
初期の経歴
[編集]日本初のCARTインディカー・ドライバー。「CART」(現Indycar)[5]はヨーロッパの「F1」と並ぶ世界2大レースシリーズ。1986年に本格的なプロのレースカードライバーを目指して渡米。フォーミュラ・フォード等の下位クラスで力をつけた後、1989年のアトランティック・チャンピオンシップのチャンピオンに。これは日本人初の海外メジャーシリーズでの快挙で、その実績で翌1990年から「CART」ドライバー入りし、当時の日本人最高の6位の記録を持っていた。1998年にCARTシリーズを引退するまで、アメリカを中心に北米、南米、オーストラリア、日本で年間20戦近くのレースに出場していた。インディカー[6]からの引退後も、面白いと思えるレースには出場する考えで、1999年にはルマン24時間耐久レース、その後もオフロードレースに出場したり、レース中継の解説者としての活躍もある。また、CARTドライバー時代から始めた自動車及び航空宇宙関係のエンジニアリング会社や不動産投資会社、広告・マーケテイング会社も経営している。[7]
レース戦績
[編集]モトクロスやシビック・ワンメイクレースなどを経て、1986年にアメリカに渡り、フォーミュラ・フォード、IMSA GTP、フォーミュラ・アトランティック(後のアトランティック・チャンピオンシップ)、ARSなどに参戦する。1989年にフォーミュラ・アトランティックでチャンピオンを獲得し、1990年よりトップカテゴリーのCART(後のチャンプカー・ワールド・シリーズ)に参戦した。インディ500に参戦した初の日本人ドライバーで、過去最高位は6位入賞(1994年)。
アメリカのオープンホイールレースの結果
[編集]インディ・ライツ
[編集]Year | Team | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | Rank | Points |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1989 | Panasonic Racing | PHX | LBH | MIL | DET | POR 13 |
MEA 12 |
TOR 6 |
POC | MDO | ROA | NAZ 8 |
LAG | 18th | 14 |
トヨタアトランティック・チャンピオンシップ(パシフィック)
[編集]年 | チーム | ポイント | 車両 | レース | 勝 | 演壇 | ポールポジション | Pos. |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1989年 | パナソニック レーシング | 141 | スウィフト DB4 | 9 | 4 | 8 | 3 | 1 |
レディウィグラムトロフィー
[編集]年 | チーム | 車両 | レース | ラップ | Pos. |
---|---|---|---|---|---|
1989年 | Team Panasonic | スウィフト コスワース | 1 | 8 | 1 |
CART
[編集]Year | Team | Chassis | Engine | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | Rank | Points |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1990 | Dick Simon Racing | Lola T89/00 | Cosworth DFS V8t | PHX | LBH 19 |
INDY DNQ |
MIL | DET Ret |
POR 12 |
CLE | MEA Ret |
TOR | MIS | DEN 15 |
VAN Ret |
MDO 17 |
ROA Ret |
NZR Ret |
LS Ret |
31st | 1 | |||
1991 | Dick Simon Racing | Lola T90/00 | Cosworth DFS V8t | SRF Ret |
PHX 14 |
MIL 10 |
DET 14 |
POR 14 |
23rd | 6 | ||||||||||||||
Lola T91/00 | LBH 13 |
CLE 14 |
MEA 12 |
TOR Ret |
MIS Ret |
DEN 14 |
VAN 16 |
MDO 14 |
ROA 12 |
NZR 12 | ||||||||||||||
Buick 3300 V6t | INDY 16 | |||||||||||||||||||||||
Chevrolet 265A V8t | LS 20 | |||||||||||||||||||||||
1992 | Dick Simon Racing | Lola T92/00 | Chevrolet 265A V8t | SRF DNS |
PHX 16 |
LBH 10 |
INDY DNS |
DET | POR | MIL | NHM | TOR | MIS | CLE Ret |
ROA 14 |
VAN 13 |
MDO Ret |
NZR 14 |
LS 15 |
27th | 3 | |||
1993 | Walker Racing | Lola T93/00 | Ford XB V8t | SRF 11 |
PHX 10 |
LBH 14 |
INDY 18 |
MIL 13 |
DET 13 |
POR Ret |
CLE 12 |
TOR 16 |
MIS 14 |
NHM 13 |
ROA 13 |
VAN 12 |
MDO 13 |
NZR 21 |
LS 19 |
26th | 7 | |||
1994 | Dick Simon Racing | Lola T94/00 | Ford XB V8t | SRF 15 |
PHX Ret |
LBH DNQ |
INDY 14 |
MIL 23 |
DET DNQ |
POR 21 |
CLE 15 |
TOR 18 |
MIS 6 |
MDO 18 |
NHM Ret |
VAN DNQ |
ROA 14 |
NZR 16 |
LS Ret |
26th | 8 | |||
1995 | Arciero-Wells Racing | Reynard 94i | Ford XB V8t | MIA Ret |
SRF 11 |
PHX Ret |
LBH 19 |
NZR DNS |
28th | 5 | ||||||||||||||
レイナード 95i | INDY 10 |
MIL 19 |
DET 14 |
POR 17 |
ROA 13 |
TOR Ret |
CLE 13 |
MIS Ret |
MDO 15 |
NHM 22 |
VAN 17 |
LS 22 |
||||||||||||
1996 | デイル・コイン・レーシング | ローラ・カーズ T96/00 | Ford XB V8t | MIA 18 |
RIO Ret |
SRF 10 |
LBH Ret |
NZR Ret |
500 14 |
MIL Ret |
DET 19 |
POR Ret |
CLE 17 |
TOR Ret |
MIS 15 |
MDO Ret |
ROA Ret |
VAN 15 |
LS Ret |
28th | 3 | |||
1997 | Arciero-Wells Racing | レイナード 97i | Toyota RV8A V8t Toyota RV8B V8t |
MIA Ret |
SRF Ret |
LBH 20 |
NZR Ret |
RIO Ret |
STL 15 |
MIL 17 |
DET 19 |
POR 15 |
CLE 20 |
TOR 22 |
MIS 9 |
MDO 19 |
ROA Ret |
VAN 14 |
LS Ret |
FON Ret |
27th | 4 | ||
1998 | Arciero-Wells Racing | レイナード 98i | Toyota RV8C V8t | MIA Ret |
MOT 16 |
LBH 19 |
NZR | RIO 15 |
STL | MIL | DET | POR | CLE | TOR | MIS | MDO | ROA | VAN | LS | HOU | SRF | FON | 30th | 0 |
ル・マン24時間レース
[編集]年 | チーム | コドライバー | 車両 | クラス | 周回数 | 総合順位 | クラス別順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1999年 | チーム郷 デビッド・プライス・レーシング |
加藤寛規 中谷明彦 |
BMW・V12 LM | LMP | 223 | DNF | DNF |
ヒロ松下 | |
---|---|
基本情報 | |
引退 | 2001 |
活動時期 | 1987-2001 |
所属 |
|
出走回数 | 158 |
優勝回数 | 6 |
ポールポジション | 3 |
ファステストラップ | 0 |
過去参加シリーズ | |
チャンプカー・ワールド・シリーズ, インディ・ライツ, チャンプカー・ワールド・シリーズ, IndyCar, フォーミュラ・アトランティック | |
選手権タイトル | |
1980 1989 1989 |
ダートラ近畿地区[8] アトランティック・チャンピオンシップ レディウィグラムトロフィー |
受賞 | |
1998 | Champions Club |
プロフィール
[編集]1998年シーズンをもってCARTから引退し、その後はル・マン24時間や、バハ1000などのオフロードレースにスポット参戦した。
- 1995年 CART(Alciero Wells Racing #25 レイナード95I・フォード)
- 1976年 15歳 モトクロスを始める
- 1979年 18歳 ラリーを始める
- 1980年 19歳 ダートラ近畿地区 チャンピオン
- 1981年 20歳 全日本ラリー選手権参戦
- 1984年 23歳 シビックワンメイクレース参戦
- 1986年 25歳 渡米しフォーミュラ・フォード地方選手権参戦
- 1987年 26歳 フォーミュラ・フoォード全米選手権 7位
- 1988年 27歳 デイトナ24時間、セブリング24時間参戦 フォーミュラ・アトランティック参戦
- 1989年 28歳 フォーミュラ・アトランティック シリーズ チャンピオン
- 1989年 28歳 レディウィグラムトロフィー チャンピオン[9]
- 1990年 29歳 ディックサイモンチームより日本人で初めてインディカーに参戦 シリーズ31位(最高位12位)
- 1991年 30歳 インディカー インディ500 16位 シリーズ23位(最高位10位)
- 1992年 31歳 インディカー インディ500 DNQ(予選中の怪我による) 2度のクラッシュで右大腿骨骨折の重傷を経験 シリーズ27位(最高位10位)
- 1993年 32歳 インディカー インディ500 18位 ウォーカーレーシングに移籍 シリーズ26位(最高位10位)
- 1994年 33歳 インディカー インディ500 14位 ディックサイモンに復帰 シリーズ26位(最高位6位)
- 1995年 34歳 インディカー インディ500 10位 アルシエロウエルズに移籍 シリーズ28位(最高位10位)
- 1996年 35歳 CART ペイトンコインに移籍 シリーズ28位(最高位10位)
- 1997年 36歳 CART アルシエロウエルズに復帰 シリーズ27位(最高位9位)
- 1998年 37歳 CART 第5戦限りの引退を表明
- 1999年 38歳 ル・マン24 チーム郷 加藤寛規 中谷明彦ともに出場 #19 BMW V12 LM98 リタイア
- 2001年 40歳 北米最大級のオフロードレース「Baja 1000」に挑戦
- 2002年 41歳 ネバダ州の砂漠レース「Terrible Town 250」に挑戦
- 2006年 45歳 富士スピードウェイで開催された「タイムマシーン・フェスティバル」に参加
- 2007年 46歳 グァム島オフロードレース「25th Smokin' Wheels Off-Road Race」に招待を受け参戦
ニック・ネーム
[編集]CART時代に完走率の高さからマイケル・アンドレッティより「キング・ヒロ」のニックネームを頂戴する。
現在
[編集]現在は南カリフォルニアに本拠を置く、アメリカ合衆国の自動車・航空部品メーカー・航空宇宙工学会社 レースカーやエアロスペース関係の設計・製造を行うスウィフト・エンジニアリング[10](英語名:Swift Engineering Inc.)[11][12]にて会長兼CEOを務める。1983年に創業し、レーシングカーの設計・製造などを手掛けていたが、2000年に航空宇宙工学分野へと業態をシフト[13]。アメリカ航空宇宙局、[14]ノースロップ・グラマン、ボーイング、ロッキード・マーティン、ガルフストリーム・エアロスペース等、数々の大手主要航空宇宙関連企業の認定サプライヤーであり、自社の生産管理体制により、クライアントの品質要件に応じた様々な製品や航空機の設計、製造、及び納品に実績がある[15]。スウィフト社ではプログラム開始から終了に至るまで、既存の構成管理方法を使用している。スウィフト社の広範囲にわたるプログラム実績は近年高い評価を得ており、プログラム管理技術や品質管理技術において2015年にボーイング社のサプライヤー・オブ・ザ・イヤー賞を受賞するなど、数々の賞へのノミネートおよび受賞をした。
2018年には、神戸情報大学院大学[16]と共同出資し、航空宇宙工学サービスを主な事業とするベンチャー企業のスウィフト・エックスアイ(Swift Xi Inc.)を兵庫県神戸市に設立し、代表取締役会長を務める[17]。
系譜
[編集]脚注
[編集]- ^ “航空宇宙産業 マッハで”. 読売新聞. (2021年11月11日) 2021年11月12日閲覧。
- ^ “松下家(松下幸之助・松下正幸・松下幸義・松下正治の家系図)”
- ^ “逆境を乗り越え希代の経営者に[誕生〜終戦]” 2021年2月22日閲覧。
- ^ “ヒロ 松下(松下 弘幸) さん|甲南多士済々|甲南大学同窓会”. 2023年10月12日閲覧。
- ^ “ヒロ松下参戦から27年目の悲願 琢磨は12年に優勝争い経験” 2021年7月19日閲覧。
- ^ “トップに行けるのは センスのある人間です” 2021年2月22日閲覧。
- ^ “会話には何不自由をしなくなっても「困ったことが一つだけあった」とヒロ松下は言う” 2021年7月19日閲覧。
- ^ “誰でもわかるレース講座” 2023年12月19日閲覧。
- ^ Canterbury Car Club (Organiser)
- ^ “The Minister of ICT and Innovation of Rwanda Ms. Paula Ingabire meets the Chairman & CEO Mr. Hiro Matsushita”
- ^ “インディ500のパイオニア、ヒロ松下が手がける最新ドローン”
- ^ ドローン活用、救急車待たず命救えるか
- ^ 「米国における先駆的UAV(無人航空機)」講師:松下弘幸
- ^ Swift Engineering社とNASAの共同プロジェクト”高高度滞空型無人航空機”初フライト成功
- ^ https://drone-journal.impress.co.jp/docs/news/1183130.html/ [リンク切れ] CEO 松下弘幸(ヒロ松下)氏は「我々がここ数年をかけて開発してきたSULEが初フライトを終えることができた。低高度の人工衛星に変わって、我々のUAV(SULE)が未来の一端を担う日がもう直ぐ確実にやってきます」と述べた。
- ^ * 安全性も性能も 一歩先行く兵庫県と神戸市の「ドローン導入」
- ^ VTOL型ドローン「Swift020」が神戸市でデモを披露--強風でも安定飛行
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- DriverDatabase
- MOTORSPORT STATS
- NASCAR
- RacingSportsCars
- Hiro Matsushita - IMDb
- ヒロ松下 (@hiromatsushita) - Instagram
- ヒロ松下 - Facebook page
タイトル | ||
---|---|---|
先代 Dean Hall |
North American Formula Atlantic Pacific Division Champion 1989年 |
次代 Mark Dismore |
先代 Dean Hall |
Winner of the Lady Wigram Trophy 1988年 |
次代 Craig Baird |