コンテンツにスキップ

ノート:広島国際会議場

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

要出典タグ(2011年2月貼付け)について

[編集]

2008年6月20日(金)23:54時点における編集で、

>ただ、その外観は丹下案のデザイン構想からほど遠いことから、数年後には一部市民より建て直すよう要望が出たようである。

との編集がなされておりますが、丹下健三・藤森照信著『丹下健三』新建築社、2002年、150-152頁によれば、

「設計者も建設会社も準備は万端なのに、肝心の予算が足らなくて工事がはかどらないのである。あまつさえ、3棟一体の左手の公会堂について、政府は、公会堂などどこの都市でも自力でつくっているもので、かくべつヒロシマとは関係ないから予算はつけないという。仕方なく、市は地元財界からの寄付を仰ぐことにしたのだが、ここに思いもよらない事態が出来する。地元財界は寄付する代わりに、丹下を実施設計者から降ろせと要求する。

大谷:ただこれには不透明な部分がありまして、ずいぶん抵抗したのですが、残念ながら手遅れでした。丹下さんは潔癖な方で、決して裏のことはやらない人でした。

財界は寄付金の一部を自分たちにキックバックするための裏取引に応じない丹下を嫌い、地元の御用建築家に実施設計をやらせる方針を固めてしまった。浅田の親族の国会議員があれこれ動いてくれたが、ある時点で“もう手遅れだ。諦めるしかない”と連絡があり、涙をのんだ。結局、世界平和会議ほかに使う予定だった公会堂は、外見だけ丹下案に似せたホテルとして竣工している(しかし、近年取り壊され、1989年、丹下の手で原案に近い形に復している)。」

との記述があります。元々の丹下健三の競技設計当選案はこれです。どうなんでしょう、これは? --茶々 2011年2月19日 (土) 14:09 (UTC)  一部内部リンク化 --茶々 2011年2月20日 (日) 07:06 (UTC)[返信]