トーマス・ハーンズ
1987年 | |
基本情報 | |
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通称 |
Tommy Machine Gun The Hitman The Motor City Cobra |
階級 |
ウェルター級 スーパーウェルター級 ミドル級 スーパーミドル級 ライトヘビー級 クルーザー級 |
身長 | 185cm |
リーチ | 203cm |
国籍 | アメリカ合衆国 |
誕生日 | 1958年10月18日(66歳) |
出身地 | テネシー州メンフィス |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 67 |
勝ち | 61 |
KO勝ち | 48 |
敗け | 5 |
引き分け | 1 |
トーマス・ハーンズ(Thomas Hearns、1958年10月18日 - )は、アメリカ合衆国のプロボクサー。テネシー州メンフィス出身。元WBA世界ウェルター級王者。元WBC世界スーパーウェルター級王者。元WBC世界ミドル級王者。元WBO世界スーパーミドル級王者。元WBA・WBC世界ライトヘビー級王者。史上初の世界5階級制覇王者。
人物
[編集]身長185cm、リーチ203cmという中量級選手としては非常に恵まれた体格を生かし、左腕をだらりと下げたデトロイトスタイル(ヒットマンスタイルとも呼ばれる)から放つフリッカージャブ[1]と正確な強打、マシンガンのように繰り出すラッシュで1980年代のボクシング・シーンを席巻した。マービン・ハグラー、シュガー・レイ・レナード、ロベルト・デュランらと共に「黄金の中量級」と称された時代を盛り上げた選手の一人。
息子のロナルド・ハーンズ(Ronald Hearns、1978年12月27日 - )もプロボクサーになっており、2005年と2006年には親子で同じ興行に出場した。
来歴
[編集]子供の頃はいわゆる「もやしっ子」。アメリカのテネシー州メンフィスで生まれ、5歳の時にデトロイトに移住。母親ロイスとの母子家庭で育つ。8人兄弟の長男。母親はハーンズがボクシングをすることに反対していた。
アマチュア時代は155勝8敗の好成績だがKOはわずかに12。ワンツー主体の非力なアウトボクサーだった。しかし、1974年にキング・ソロモンジムを離れ、クロンク・レクリエーション・センターでトレーナーを開始したばかりのエマニュエル・スチュワートと出会い、才能を開花させる。1977年11月のプロデビュー後は強打者に変身。いきなり17連続KO勝ちを収めた。その後もセンサク・ムアンスリン、エディ・ガソといった元世界王者・世界ランカーを倒し続けた。
近年ハーンズのスタッフの撮影による7戦目のレイフィールズ戦の発掘がされている。
1980年3月2日、アンヘル・エスパダを4RKOで下しUSBA全米ウェルター級王座を獲得した。
同年8月2日、プロ3年目でWBA世界ウェルター級王者、ホセ・クエバス(メキシコ)への挑戦が実現。既に11度(10KO)の防衛を果たし、最強とまで言われた王者に2R右クロスでKO勝ちし、王座を獲得した。その後3度防衛、3度目の防衛戦はアストロドームで開催されパブロ・バエスに序盤KO勝ち。
1981年9月16日、WBC世界ウェルター級王者、シュガー・レイ・レナードとの統一戦を迎える。拮抗した実力を持った両者の、互いの持ち味を出し尽くした熱戦となったが、14Rにレナードの集中打を浴びTKO負け。王座から陥落した。
1982年12月3日、ルイジアナ・スーパードームでウィルフレド・ベニテスを判定で下し、WBC世界スーパーウェルター級王座を獲得。2階級制覇を達成した。1984年6月15日にはラスベガス恐怖の一撃と呼ばれる破壊力抜群の右ストレートでロベルト・デュランを2RKOで下すなど、4度の防衛に成功した。
1985年4月15日には3階級制覇を賭け、統一ミドル級王者マービン・ハグラーに挑戦。初回から激しい打ち合いとなり、第1ラウンドで右手を骨折した。このため、ハーンズは横方向の動きと優れたジャブを使ってハグラーを可能な限り寄せ付けなくした。この戦術はかなりうまくいき、ハグラーの額に深い切り傷を開けることに成功した。リングドクターは中断を検討したが試合続行が許可された。その直後、ハーンズはリングサイドでハグラーに捕らえられて3RTKOで敗れた。
1986年3月10日の再起戦で、(WBC世界ミドル級1位にランクされハグラーへの指名挑戦権を有していた22戦全勝)ジェームス・シュラーを1RKOと健在をアピール。NABF北米ミドル級王座を獲得。6月23日、WBC世界スーパーウェルター級王座4度目の防衛戦で同級IBF初代世界王者(前王者)マーク・メダルに8RTKO勝ちで防衛成功後に同王座を返上した。
1987年3月7日にはデニス・アンドリュースを破ってWBC世界ライトヘビー級王座を獲得。3階級制覇を達成した。
1987年10月29日、王座決定戦でファン・ドミンゴ・ロルダンを4RKOに下し、WBC世界ミドル級王座を獲得した。史上初の4階級制覇を達成した。
1988年6月6日、アイラン・バークレーに3RTKOで敗れWBC世界ミドル級王座から陥落した。
1988年11月4日、ジェームス・キンチェンを下しWBO世界スーパーミドル級王座を獲得。史上初の5階級制覇を達成した。
1989年6月12日、WBC・WBO世界スーパーミドル級タイトルマッチで、宿敵シュガー・レイ・レナードと王座統一戦で再戦、二度のダウンを奪うも、最終回にレナードの猛反撃を許したのが響いて引き分ける。しかし全体的にハーンズ優勢と見る意見が多く、シーザース・パレス屋外特設会場を埋めた観衆はレナードにブーイングを浴びせ、ハーンズの勝利を支持した。
1991年6月3日、ヴァージル・ヒルを12R判定で下しWBA世界ライトヘビー級王座を獲得。
1992年3月20日、アイラン・バークレーに12R判定で敗れWBA世界ライトヘビー級王座から陥落した。それ以降はマイナー王座に矛先を移し、1994年1月29日にNABF北米クルーザー級王座、1995年3月31日にWBU世界クルーザー級王座を獲得。1999年4月10日、ネート・ミラーを12R判定で下しIBO世界クルーザー級王座を獲得した。
2000年4月8日、ユーライア・グラントに2RKOを喫し、IBO世界クルーザー級王座から陥落し、同時に現役引退を表明した。
2005年7月30日、ジョン・ロングを8RTKOで下し5年ぶりの復帰を果たした。
2006年1月1日、家庭内暴力(13歳の息子を殴打した)の容疑で逮捕されるも罪に問われず、2月4日には復帰2戦目で10RTKO勝ち。
2010年4月3日、約50万ドル滞納した税金を返済するためにオークションを開催、数々の記念品や1957年製のシボレーやボートなどを売却した。その他に現在居住しているミシガン州サウスフィールドの自宅にも50万ドルの負債が残っている[2]。
戦績
[編集]- プロボクシング:67戦 61勝 (48KO) 5敗 1分
戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
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1 | 1977年11月25日 | ☆ | 2R 1:59 | KO | ジェローム・ヒル | アメリカ合衆国 | プロデビュー戦 |
2 | 1977年12月7日 | ☆ | 3R 1:27 | KO | ジェリー・ストリックランド | アメリカ合衆国 | |
3 | 1977年12月16日 | ☆ | 3R 2:41 | KO | ウィリー・レン | アメリカ合衆国 | |
4 | 1978年1月29日 | ☆ | 2R 1:15 | KO | アンソニー・ハウス | アメリカ合衆国 | |
5 | 1978年2月10日 | ☆ | 3R 2:45 | KO | ロバート・アダムス | アメリカ合衆国 | |
6 | 1978年2月17日 | ☆ | 2R 1:18 | TKO | ビリー・グットウィン | アメリカ合衆国 | |
7 | 1978年3月17日 | ☆ | 2R 2:15 | TKO | レイ・フィールド | アメリカ合衆国 | |
8 | 1978年3月31日 | ☆ | 3R 2:08 | KO | タイロン・フェルプス | アメリカ合衆国 | |
9 | 1978年6月8日 | ☆ | 1R 1:49 | KO | ジミー・ロスウェル | アメリカ合衆国 | |
10 | 1978年7月20日 | ☆ | 2R 2:08 | KO | ラウル・アギーレ | メキシコ | |
11 | 1978年8月3日 | ☆ | 2R 2:59 | KO | エディ・マルセル | トリニダード・トバゴ | |
12 | 1978年9月7日 | ☆ | 3R 2:01 | KO | ブルース・フィンチ | アメリカ合衆国 | |
13 | 1978年10月26日 | ☆ | 1R 1:09 | TKO | ペドロ・ロハス | ベネズエラ | |
14 | 1978年12月9日 | ☆ | 4R 0:51 | KO | ルディ・バロ | フィリピン | |
15 | 1979年1月11日 | ☆ | 10R 2:03 | TKO | クライド・グレイ | カナダ | |
16 | 1979年1月31日 | ☆ | 8R 終了 | TKO | サミー・ルーカード | アメリカ合衆国 | |
17 | 1979年3月3日 | ☆ | 8R 2:25 | TKO | セグンド・ムリーリョ | エクアドル | |
18 | 1979年4月3日 | ☆ | 10R | 判定3-0 | アルフォンソ・ヘイマン | アメリカ合衆国 | |
19 | 1979年5月20日 | ☆ | 6R 終了 | TKO | ハロルド・ウェストン | アメリカ合衆国 | |
20 | 1979年6月28日 | ☆ | 3R 2:59 | KO | ブルース・カリー | アメリカ合衆国 | |
21 | 1979年8月23日 | ☆ | 2R 終了 | TKO | イノセンシオ・デ・ラ・ロサ | ドミニカ共和国 | |
22 | 1979年9月22日 | ☆ | 3R 1:17 | KO | ホセ・フィゲロア | メキシコ | |
23 | 1979年10月18日 | ☆ | 3R 2:31 | TKO | センサク・ムアンスリン | タイ | |
24 | 1979年11月30日 | ☆ | 10R | 判定3-0 | マイク・コルバート | アメリカ合衆国 | |
25 | 1980年2月3日 | ☆ | 3R 2:27 | KO | ファイティング・ジム | アメリカ合衆国 | |
26 | 1980年3月2日 | ☆ | 4R 0:47 | TKO | アンヘル・エスパダ | プエルトリコ | USBA全米ウェルター級王座決定戦 |
27 | 1980年3月31日 | ☆ | 1R 2:56 | TKO | サンティアゴ・バルデス | メキシコ | |
28 | 1980年5月3日 | ☆ | 1R 2:41 | KO | エディ・ガソ | ニカラグア | |
29 | 1980年8月2日 | ☆ | 2R 2:39 | TKO | ホセ・クエバス | メキシコ | WBA世界ウェルター級タイトルマッチ |
30 | 1980年12月6日 | ☆ | 6R 2:00 | KO | ルイス・プリメラ | ベネズエラ | WBA防衛1 |
31 | 1981年4月25日 | ☆ | 12R 3:00 | TKO | ランディ・シールズ | アメリカ合衆国 | WBA防衛2 |
32 | 1981年6月25日 | ☆ | 4R 2:10 | TKO | パブロ・バエス | ドミニカ共和国 | WBA防衛3 |
33 | 1981年9月16日 | ★ | 14R 1:45 | TKO | シュガー・レイ・レナード | アメリカ合衆国 | WBA・WBC世界ウェルター級王座統一戦 WBA陥落 |
34 | 1981年12月11日 | ☆ | 10R | 判定3-0 | アーニー・シングルタリー | アメリカ合衆国 | |
35 | 1982年2月27日 | ☆ | 1R 1:48 | KO | マルコス・ジェラルド | アメリカ合衆国 | |
36 | 1982年7月25日 | ☆ | 8R 1:29 | TKO | ジェフ・マクラッケン | アメリカ合衆国 | |
37 | 1982年12月3日 | ☆ | 15R | 判定2-0 | ウィルフレド・ベニテス | プエルトリコ | WBC世界スーパーウェルター級タイトルマッチ |
38 | 1983年7月10日 | ☆ | 10R | 判定3-0 | マレイ・サザーランド | イギリス | |
39 | 1984年2月11日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | ルイジ・ミンチロ | イタリア | WBC防衛1 |
40 | 1984年6月15日 | ☆ | 2R 1:07 | TKO | ロベルト・デュラン | パナマ | WBC防衛2 |
41 | 1984年9月15日 | ☆ | 3R 2:56 | TKO | フレッド・ハッチング | アメリカ合衆国 | WBC防衛3 |
42 | 1985年4月15日 | ★ | 3R 1:52 | TKO | マービン・ハグラー | アメリカ合衆国 | WBA・WBC・IBF世界ミドル級タイトルマッチ |
43 | 1986年3月10日 | ☆ | 1R 1:13 | KO | ジェームズ・シュラー | アメリカ合衆国 | NABF北米ミドル級タイトルマッチ |
44 | 1986年6月23日 | ☆ | 8R 2:20 | TKO | マーク・メダル | アメリカ合衆国 | WBC防衛4 |
45 | 1986年10月17日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | ダグ・デビット | アメリカ合衆国 | NABF防衛1 |
46 | 1987年3月7日 | ☆ | 10R 1:26 | TKO | デニス・アンドリュース | イギリス | WBC世界ライトヘビー級タイトルマッチ |
47 | 1987年10月29日 | ☆ | 4R 2:01 | KO | フアン・ロルダン | アルゼンチン | WBC世界ミドル級王座決定戦 |
48 | 1988年6月6日 | ★ | 3R 2:39 | TKO | アイラン・バークレー | アメリカ合衆国 | WBC陥落 |
49 | 1988年11月4日 | ☆ | 12R | 判定2-0 | ジェームズ・キンチェン | アメリカ合衆国 | WBO世界スーパーミドル級王座決定戦 NABF北米スーパーミドル級タイトルマッチ |
50 | 1989年6月12日 | △ | 12R | 判定1-1 | シュガー・レイ・レナード | アメリカ合衆国 | WBC・WBO世界スーパーミドル級王座統一戦 WBO防衛1 |
51 | 1990年4月28日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | マイケル・オラジデ | カナダ | WBO防衛2 |
52 | 1991年2月11日 | ☆ | 2R 2:02 | KO | ケンパー・モートン | アメリカ合衆国 | |
53 | 1991年4月6日 | ☆ | 3R 2:08 | TKO | ケン・アトキンス | アメリカ合衆国 | |
54 | 1991年6月3日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | バージル・ヒル | アメリカ合衆国 | WBA世界ライトヘビー級タイトルマッチ |
55 | 1992年3月20日 | ★ | 12R | 判定1-2 | アイラン・バークレー | アメリカ合衆国 | WBA陥落 |
56 | 1993年11月6日 | ☆ | 1R 2:34 | TKO | アンドリュー・メイナード | アメリカ合衆国 | |
57 | 1994年1月29日 | ☆ | 1R 2:09 | TKO | ダン・ウォード | アメリカ合衆国 | NABF北米クルーザー級王座決定戦 |
58 | 1994年2月19日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | フレディ・デルガド | プエルトリコ | NABF防衛1 |
59 | 1995年3月31日 | ☆ | 1R 2:55 | TKO | レニー・ラパグリア | アメリカ合衆国 | WBU世界クルーザー級王座決定戦 |
60 | 1995年9月26日 | ☆ | 10R | 判定3-0 | アール・バトラー | アメリカ合衆国 | |
61 | 1996年11月29日 | ☆ | 5R 2:45 | KO | カール・ウィリス | アメリカ合衆国 | |
62 | 1997年1月31日 | ☆ | 5R 2:47 | KO | エド・ダルトン | アメリカ合衆国 | |
63 | 1998年11月6日 | ☆ | 1R 1:28 | KO | ジェイ・スナイダー | アメリカ合衆国 | |
64 | 1999年4月10日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | ネート・ミラー | アメリカ合衆国 | IBO世界クルーザー級王座決定戦 |
65 | 2000年4月8日 | ★ | 2R 終了 | TKO | ユーライア・グラント | ジャマイカ | IBO陥落 |
66 | 2005年7月30日 | ☆ | 8R 3:00 | TKO | ジョン・ロング | アメリカ合衆国 | |
67 | 2006年2月4日 | ☆ | 10R 1:35 | TKO | シャノン・ランドベリ | アメリカ合衆国 | |
テンプレート |
獲得タイトル
[編集]- プロ
- USBA全米ウェルター級王座(防衛0)
- NABF北米ミドル級王座(防衛1)
- NABF北米スーパーミドル級王座(防衛0)
- NABF北米クルーザー級王座(防衛0)
- WBU世界クルーザー級王座(防衛0)
- WBA世界ウェルター級王座(防衛3)
- WBC世界スーパーウェルター級王座(防衛4)
- WBC世界ミドル級王座(防衛0)
- WBO世界スーパーミドル級王座(防衛2)
- WBC世界ライトヘビー級王座(防衛0)
- WBA世界ライトヘビー級王座(防衛0)
- IBO世界クルーザー級王座(防衛0)
脚注
[編集]- ^ 通常のジャブとは異なり、腕全体をしならせることでスナップを効かせて放ち、ジャブとは違う距離感で相手ボクサーを翻弄する。ハーンズの場合は特に上手く、高速のフリッカージャブを変幻自在に操り、更に時折オーソドックスなジャブも織り交ぜることで間合いを支配する技に長けていた。
- ^ “Thomas Hearns plans auction to pay $448K IRS debt”. USA TODAY.com (2010年4月1日). 2013年6月5日閲覧。
関連項目
[編集]- 男子ボクサー一覧
- 世界ボクシング協会(WBA)世界王者一覧
- 世界ボクシング評議会(WBC)世界王者一覧
- 世界ボクシング機構(WBO)世界王者一覧
- 国際ボクシング機構(IBO)世界王者一覧
- 複数階級制覇 (ボクシング)
外部リンク
[編集]前王者 ホセ・クエバス |
WBA世界ウェルター級王者 1980年8月2日 - 1981年9月16日 |
次王者 シュガー・レイ・レナード |
前王者 ウィルフレド・ベニテス |
WBC世界スーパーウェルター級王者 1982年12月3日 - 1986年(返上) |
空位 次タイトル獲得者 デュアン・トーマス |
前王者 デニス・アンドリュース |
WBC世界ライトヘビー級王者 1987年3月7日 - 1987年(返上) |
空位 次タイトル獲得者 ドニー・ラロンド |
空位 前タイトル保持者 シュガー・レイ・レナード |
WBC世界ミドル級王者 1987年10月29日 - 1988年6月6日 |
次王者 アイラン・バークレー |
前王者 N/A |
WBO世界スーパーミドル級王者 1988年11月4日 - 1991年(返上) |
空位 次タイトル獲得者 クリス・ユーバンク |
前王者 ヴァージル・ヒル |
WBA世界ライトヘビー級王者 1991年6月1日 - 1992年3月20日 |
次王者 アイラン・バークレー |