城後寿
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
愛称 | 福岡のキング、城後"キング"寿[要出典] | |||||
カタカナ | ジョウゴ ヒサシ | |||||
ラテン文字 | JOGO Hisashi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1986年4月16日(38歳) | |||||
出身地 | 福岡県久留米市 | |||||
身長 | 182cm | |||||
体重 | 77kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | アビスパ福岡 | |||||
ポジション | MF / FW | |||||
背番号 | 10 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2005- | アビスパ福岡 | 349 | (68) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年11月3日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
城後 寿(じょうご ひさし、1986年4月16日 - )は福岡県久留米市出身でアビスパ福岡所属のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。
来歴
久留米市立南小学校出身。 地元少年サッカークラブ『南FCトータスJr』でサッカーを始める。 久留米市立牟田山中学校では陸上部にも参加していた。同校サッカー部には入部せず、『ヴァレンティアFC』に所属する。
国見高校時代
国見高校時代の同期に渡邉千真と藤田優人が、1学年上に平山相太、中村北斗、兵藤慎剛、関憲太郎がいる。 2年時には2003年度の全国高校サッカー選手権を制覇。3年時には主力として出場しベスト4。2回戦の鹿島学園戦ではハットトリックを達成している[1]。また、インターハイでは2連覇(2003、2004年度)を経験した。 卒業後、Jリーグの複数クラブからオファーが届いたが、[要出典]地元アビスパ福岡に入団した。
アビスパ福岡時代
国見高校卒業後の2005年にアビスパ福岡に加入。プロ入り2年目の2006年から徐々に出場機会を得るようになった。
入団時の背番号は26、その後15を付け、2008年シーズンより背番号10を付けている。
2009年の天皇杯2回戦・愛媛FC戦で左膝前十字靱帯損傷の大怪我を負い、長期間の欠場を余儀なくされるも、翌年の復帰後からは大久保哲哉と2トップを組み、再び主力として活躍。9月12日に行われたジェフユナイテッド千葉との直接対決では後半43分に勝ち越しゴールを決め、クラブを昇格圏内の3位に浮上させた。
J1に昇格した2011年は、第10節[2]の横浜F・マリノス戦で2得点を挙げて以降、一時的に調子を崩したが、第20節の川崎フロンターレ戦で2得点を挙げて逆転勝利に貢献してからは調子を上げていく。最終的にチームは降格するも、岡本英也(8得点)に次ぐチーム2位の7得点を挙げた。
2011年、福岡は僅か1年でJ2に降格。この時もJ1のクラブからのオファーがありながらも、城後は2012年も福岡でプレーする事を選び、福岡の選手の中で1番に契約更新をした。城後のもとには毎年のように他クラブからオファーがあった。14年オフにも国内の強豪J1からオファーがあったが[要出典]、福岡と契約を更新し、15年シーズンからキャプテンに就任した。 アビスパの中心選手としてポスターやメディアに登場する機会が多い。
アビスパ福岡でプロのキャリアをスタートし、長年において"アビスパ福岡の顔"として称される。サポーターから付いた愛称は『キング』。 サポーターが掲げる横断幕に自身のシルエット画に『KING JOGO』と描かれた物がある他、レベルファイブのスタジアムDJによる選手紹介でも「キング」の一文が加えられていた。
エピソード
久留米市立牟田山中学校時代は同校の陸上部に所属。陸上部での練習を終えた後、当時所属するサッカークラブの練習に参加していた。中学生の陸上競技(やり投げ)でジュニアオリンピック4位の記録を持つ[3]。
アビスパ福岡入団後、選手寮へ入寮の当日、持ち物は寝具セットしか持って来ていなかった[要出典]。
2013年6月1日のJ2第17節ロアッソ熊本戦で、GK水谷雄一が負傷するアクシデントが発生。その時点で交代枠を使い切っており、城後が水谷のユニフォームを着用しGKのポジションに就いた。この時既にFWの西田剛が退場しており、福岡は2人少ない状況となっていた。後半ロスタイム(100分)にファビオに同点ゴールを許したが、シュートを2本止める活躍を見せた。
シシーニョが日本でのプレーを熱望した理由の一つに城後の名前を挙げており、FC岐阜との対戦では交流する様子も見られた[4]。
本人のチャント(応援歌)はチェッカーズの『ジュリアに傷心』。これはチェッカーズが城後と同じ久留米市出身だからという由来がある。
2016年4月16日の名古屋グランパス戦では、同日が本人の誕生日という事にちなんだ『キング城後デー』と銘打っての試合開催だったが、熊本地震の影響で試合は延期となった。
所属クラブ
- ユース経歴
- 南FCトータスJr.
- ヴァレンティアFC
- 長崎県立国見高等学校
- プロ経歴
- 2005年 - アビスパ福岡
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | 国見高 | 4 | - | - | - | 2 | 1 | 2 | 1 | ||
2005 | 福岡 | 26 | J2 | 0 | 0 | - | 2 | 0 | 2 | 0 | |
2006 | J1 | 25 | 4 | 4 | 0 | 2 | 0 | 31 | 4 | ||
2007 | 15 | J2 | 16 | 2 | - | 2 | 0 | 18 | 2 | ||
2008 | 10 | 27 | 2 | - | 1 | 0 | 28 | 2 | |||
2009 | 38 | 5 | - | 1 | 0 | 39 | 5 | ||||
2010 | 21 | 8 | - | 3 | 1 | 24 | 9 | ||||
2011 | J1 | 31 | 7 | 2 | 0 | 0 | 0 | 33 | 7 | ||
2012 | J2 | 41 | 12 | - | 2 | 2 | 43 | 14 | |||
2013 | 35 | 5 | - | 0 | 0 | 35 | 5 | ||||
2014 | 40 | 9 | - | 0 | 0 | 40 | 9 | ||||
2015 | 42 | 8 | - | 1 | 0 | 43 | 8 | ||||
2016 | J1 | 33 | 6 | 8 | 2 | 1 | 0 | 42 | 8 | ||
2017 | J2 | 26 | 2 | - | 2 | 1 | 28 | 3 | |||
通算 | 日本 | J1 | 89 | 17 | 14 | 2 | 3 | 0 | 106 | 19 | |
日本 | J2 | 286 | 53 | - | 14 | 4 | 300 | 57 | |||
日本 | 他 | - | - | 2 | 1 | 2 | 1 | ||||
総通算 | 375 | 70 | 14 | 2 | 18 | 5 | 408 | 77 |
その他の公式戦
- 2006年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
- 2015年
- J1昇格プレーオフ 2試合0得点
- 2017年
- J1昇格プレーオフ 2試合0得点
- Jリーグ初出場 - 2006年4月2日 J1 第6節 対京都パープルサンガ戦(京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場)
- Jリーグ初得点 - 2006年4月29日 J1 第10節 対鹿島アントラーズ戦(茨城県立カシマサッカースタジアム)
代表歴
- U-20日本代表(2005年)
- U-21日本代表(2006年)
脚注
- 出典
- ^ 杉本渉 [1] 風格漂う王者の完勝 <2回戦 国見(長崎)vs鹿島学園(茨城)> スポーツナビ 2005.1.2付記事
- ^ 東日本大震災の影響を受けた為、シーズン5戦目。
- ^ “スローインから考える「サッカー以外の競技や遊びをすること」”. サカイク. (2012年10月18日) 2015年6月26日閲覧。
- ^ “岐阜の元U-21スペイン代表MFが“憧れの選手”とユニフォーム交換、2ショット写真も撮影”. ゲキサカ. (2017年7月2日) 2017年7月3日閲覧。
関連項目
- アビスパ福岡の選手一覧
- ジュリアに傷心 - 応援歌の原曲。