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入団時の背番号は26、その後15を付け、2008年シーズンより背番号10を付けている。
入団時の背番号は26、その後15を付け、2008年シーズンより背番号10を付けている。


[[第89回天皇杯全日本サッカー選手権大会|2009年の天皇杯]]2回戦・[[愛媛FC]]戦で左膝前十字靱帯損傷の大怪我を負い、長期間の欠場を余儀なくされるも、翌年の復帰後からは[[大久保哲哉]]と2トップを組み、再び主力として活躍。9月12日に行われた[[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフ千葉]]との直接対決では後半43分に勝ち越しゴールを決め、クラブを昇格圏内の3位に浮上させた。
[[第89回天皇杯全日本サッカー選手権大会|2009年の天皇杯]]2回戦・[[愛媛FC]]戦で左膝前十字靱帯損傷の大怪我を負い、長期間の欠場を余儀なくされるも、翌年の復帰後からは[[大久保哲哉]]と2トップを組み、再び主力として活躍。9月12日に行われた[[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフユナイテッド千葉]]との直接対決では後半43分に勝ち越しゴールを決め、クラブを昇格圏内の3位に浮上させた。


J1に昇格した2011年は、第10節<ref>[[東日本大震災]]の影響を受けた為、シーズン5戦目。</ref>の[[横浜F・マリノス]]戦で2得点を挙げて以降、一時的に調子を崩したが、第20節の[[川崎フロンターレ]]戦で2得点を挙げて逆転勝利に貢献してからは調子を上げていく。最終的にチームは降格するも、[[岡本英也]](8得点)に次ぐチーム2位の7得点を挙げた。
J1に昇格した2011年は、第10節<ref>[[東日本大震災]]の影響を受けた為、シーズン5戦目。</ref>の[[横浜F・マリノス]]戦で2得点を挙げて以降、一時的に調子を崩したが、第20節の[[川崎フロンターレ]]戦で2得点を挙げて逆転勝利に貢献してからは調子を上げていく。最終的にチームは降格するも、[[岡本英也]](8得点)に次ぐチーム2位の7得点を挙げた。


2011年、アビスパは僅か1年でJ2に降格。この時もJ1のクラブからのオファーがありながらも、城後は2012年もアビスパ福岡でプレーする事を選び、福岡の選手の中で1番に契約更新をした。城後のもとには毎年のように他クラブからオファーがあった。14年オフにも国内の強豪J1からオファーがあったが、アビスパ福岡と契約を更新し、15年シーズンからキャプテンに就任した。
2011年、福岡は僅か1年でJ2に降格。{{要出典範囲|この時もJ1のクラブからのオファーがありながらも、城後は2012年も福岡でプレーする事を選び、福岡の選手の中で1番に契約更新をした。城後のもとには毎年のように他クラブからオファーがあった。14年オフにも国内の強豪J1からオファーがあったが|date=2018年1月}}、福岡と契約を更新し、15年シーズンからキャプテンに就任した。
アビスパの中心選手としてポスターやメディアに登場する機会が多い。
アビスパの中心選手としてポスターやメディアに登場する機会が多い。


== エピソード ==
== エピソード ==
久留米市で生まれ育ち、出身校の[[久留米市立南小学校]]の生徒(同級生・同校生徒)の中では、城後=サッカーが上手くズバ抜けているという認識で、将来のプロサッカー選手になるだろうと誰もが思っていた。
久留米市で生まれ育ち、{{独自研究範囲|1=出身校の[[久留米市立南小学校]]の生徒(同級生・同校生徒)の中では、城後=サッカーが上手くズバ抜けているという認識で、将来のプロサッカー選手になるだろうと誰もが思っていた。さらに身体能力の高さは小学校の頃から有名で、|date=2018年1月}}。[[久留米市立牟田山中学校]]時代は同校の陸上部に所属。陸上部での練習を終えた後、当時所属するサッカークラブの練習に参加していた。中学生の陸上競技(やり投げ)で[[ジュニアオリンピック陸上競技大会|ジュニアオリンピック]]4位の記録を持つ<ref>{{Cite news | url = http://www.sakaiku.jp/column/exercise/2012/003403.html | title = スローインから考える「サッカー以外の競技や遊びをすること」 | publisher = サカイク | date = 2012-10-18 | accessdate = 2015-06-26 }}</ref>


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さらに身体能力の高さは小学校の頃から有名で、[[久留米市立牟田山中学校]]時代は同校の陸上部に所属。陸上部での練習を終えた後、当時所属するサッカークラブの練習に参加していた。中学生の陸上競技(やり投げ)で[[ジュニアオリンピック陸上競技大会|ジュニアオリンピック]]4位の記録を持つ<ref>{{Cite news | url = http://www.sakaiku.jp/column/exercise/2012/003403.html | title = スローインから考える「サッカー以外の競技や遊びをすること」 | publisher = サカイク | date = 2012-10-18 | accessdate = 2015-06-26 }}</ref>。

アビスパ福岡入団後、選手寮へ入寮の当日、持ち物は寝具セットしか持って来ていなかった。


2013年6月1日のJ2第17節[[ロアッソ熊本]]戦で、GK[[水谷雄一]]が負傷するアクシデントが発生。その時点で交代枠を使い切っており、城後が水谷のユニフォームを着用しGKのポジションに就いた。この時既にFWの[[西田剛]]が退場しており、福岡は2人少ない状況となっていた。後半ロスタイム(100分)に[[ファビオ・ヘンリケ・ペナ|ファビオ]]に同点ゴールを許したが、シュートを2本止める活躍を見せた。
2013年6月1日のJ2第17節[[ロアッソ熊本]]戦で、GK[[水谷雄一]]が負傷するアクシデントが発生。その時点で交代枠を使い切っており、城後が水谷のユニフォームを着用しGKのポジションに就いた。この時既にFWの[[西田剛]]が退場しており、福岡は2人少ない状況となっていた。後半ロスタイム(100分)に[[ファビオ・ヘンリケ・ペナ|ファビオ]]に同点ゴールを許したが、シュートを2本止める活躍を見せた。
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[[シシーニョ・ゴンサレス・マルティネス|シシーニョ]]が日本でのプレーを熱望した理由の一つに城後の名前を挙げており、[[FC岐阜]]との対戦では交流する様子も見られた<ref>{{cite news|url=http://web.gekisaka.jp/news/detail/?220143-220143-fl|title=岐阜の元U-21スペイン代表MFが“憧れの選手”とユニフォーム交換、2ショット写真も撮影|publisher=ゲキサカ|date=2017-07-02|accessdate=2017-07-03}}</ref>。


アビスパのサポーターを大事にしている部分がよく見受けられる。自身がレベスタホーム側でゴールを決めると真っ先にサポーター席で喜びを爆発させる。
{{要出典範囲|アビスパのサポーターを大事にしている部分がよく見受けられる。自身がレベスタホーム側でゴールを決めると真っ先にサポーター席で喜びを爆発させる|date=2018年1月}}


長くアビスパに在籍し、背番号10番、エース、キャプテンという福岡の象徴であることから、サポーターからは『キング城後』と称えられている。
長くアビスパに在籍し、背番号10番、エース、キャプテンという福岡の象徴であることから、サポーターからは『キング城後』と称えられている。

2018年1月19日 (金) 06:57時点における版

城後 寿
名前
愛称 福岡のキング、城後"キング"寿
カタカナ ジョウゴ ヒサシ
ラテン文字 JOGO Hisashi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1986-04-16) 1986年4月16日(38歳)
出身地 福岡県久留米市
身長 183cm
体重 77kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 アビスパ福岡
ポジション MF / FW
背番号 10
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005- アビスパ福岡 349 (68)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年11月3日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

城後 寿(じょうご ひさし、1986年4月16日 - )は福岡県久留米市出身でアビスパ福岡所属のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダーフォワード

来歴

国見高校時代

国見高校時代の同期に渡邉千真藤田優人が、1学年上に平山相太中村北斗兵藤慎剛関憲太郎がいる。 2年時には2003年度の全国高校サッカー選手権を制覇。3年時には主力として出場しベスト4。2回戦の鹿島学園戦ではハットトリックを達成している[1]。また、インターハイでは2連覇(2003、2004年度)を経験した。 卒業後、Jリーグの複数クラブからオファーが届いたが、地元アビスパ福岡に入団した。

アビスパ福岡時代

国見高校卒業後の2005年にアビスパ福岡に加入。プロ入り2年目の2006年から徐々に出場機会を得るようになった。

入団時の背番号は26、その後15を付け、2008年シーズンより背番号10を付けている。

2009年の天皇杯2回戦・愛媛FC戦で左膝前十字靱帯損傷の大怪我を負い、長期間の欠場を余儀なくされるも、翌年の復帰後からは大久保哲哉と2トップを組み、再び主力として活躍。9月12日に行われたジェフユナイテッド千葉との直接対決では後半43分に勝ち越しゴールを決め、クラブを昇格圏内の3位に浮上させた。

J1に昇格した2011年は、第10節[2]横浜F・マリノス戦で2得点を挙げて以降、一時的に調子を崩したが、第20節の川崎フロンターレ戦で2得点を挙げて逆転勝利に貢献してからは調子を上げていく。最終的にチームは降格するも、岡本英也(8得点)に次ぐチーム2位の7得点を挙げた。

2011年、福岡は僅か1年でJ2に降格。この時もJ1のクラブからのオファーがありながらも、城後は2012年も福岡でプレーする事を選び、福岡の選手の中で1番に契約更新をした。城後のもとには毎年のように他クラブからオファーがあった。14年オフにも国内の強豪J1からオファーがあったが[要出典]、福岡と契約を更新し、15年シーズンからキャプテンに就任した。 アビスパの中心選手としてポスターやメディアに登場する機会が多い。

エピソード

久留米市で生まれ育ち、出身校の久留米市立南小学校の生徒(同級生・同校生徒)の中では、城後=サッカーが上手くズバ抜けているという認識で、将来のプロサッカー選手になるだろうと誰もが思っていた。さらに身体能力の高さは小学校の頃から有名で、[独自研究?]久留米市立牟田山中学校時代は同校の陸上部に所属。陸上部での練習を終えた後、当時所属するサッカークラブの練習に参加していた。中学生の陸上競技(やり投げ)でジュニアオリンピック4位の記録を持つ[3]

アビスパ福岡入団後、選手寮へ入寮の当日、持ち物は寝具セットしか持って来ていなかった[要出典]

2013年6月1日のJ2第17節ロアッソ熊本戦で、GK水谷雄一が負傷するアクシデントが発生。その時点で交代枠を使い切っており、城後が水谷のユニフォームを着用しGKのポジションに就いた。この時既にFWの西田剛が退場しており、福岡は2人少ない状況となっていた。後半ロスタイム(100分)にファビオに同点ゴールを許したが、シュートを2本止める活躍を見せた。

シシーニョが日本でのプレーを熱望した理由の一つに城後の名前を挙げており、FC岐阜との対戦では交流する様子も見られた[4]

アビスパのサポーターを大事にしている部分がよく見受けられる。自身がレベスタホーム側でゴールを決めると真っ先にサポーター席で喜びを爆発させる[要出典]

長くアビスパに在籍し、背番号10番、エース、キャプテンという福岡の象徴であることから、サポーターからは『キング城後』と称えられている。 スタメン発表でもスタジアムDJから「城後"キング"寿」とコールされ、一番の盛り上がりを見せる。 サポーター席の目立つ位置に張られた横断幕にも本人の象徴画の物と『KING・JOGO』と記した物が掲げられている。

本人のチャント(応援歌)はチェッカーズの『ジュリアに傷心』。これはチェッカーズが城後と同じ久留米市出身だからという由来がある。

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2003 国見高 4 - - - 2 1 2 1
2005 福岡 26 J2 0 0 - 2 0 2 0
2006 J1 25 4 4 0 2 0 31 4
2007 15 J2 16 2 - 2 0 18 2
2008 10 27 2 - 1 0 28 2
2009 38 5 - 1 0 39 5
2010 21 8 - 3 1 24 9
2011 J1 31 7 2 0 0 0 33 7
2012 J2 41 12 - 2 2 43 14
2013 35 5 - 0 0 35 5
2014 40 9 - 0 0 40 9
2015 42 8 - 1 0 43 8
2016 J1 33 6 8 2 1 0 42 8
2017 J2 26 2 - 2 1 28 3
通算 日本 J1 89 17 14 2 3 0 106 19
日本 J2 286 53 - 14 4 300 57
日本 - - 2 1 2 1
総通算 375 70 14 2 18 5 408 77

その他の公式戦

代表歴

脚注

出典
  1. ^ 杉本渉 [1] 風格漂う王者の完勝 <2回戦 国見(長崎)vs鹿島学園(茨城)> スポーツナビ 2005.1.2付記事
  2. ^ 東日本大震災の影響を受けた為、シーズン5戦目。
  3. ^ “スローインから考える「サッカー以外の競技や遊びをすること」”. サカイク. (2012年10月18日). http://www.sakaiku.jp/column/exercise/2012/003403.html 2015年6月26日閲覧。 
  4. ^ “岐阜の元U-21スペイン代表MFが“憧れの選手”とユニフォーム交換、2ショット写真も撮影”. ゲキサカ. (2017年7月2日). http://web.gekisaka.jp/news/detail/?220143-220143-fl 2017年7月3日閲覧。 

関連項目

外部リンク