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{{存命人物の出典明記|date=2012年8月}}
{{サッカー選手
{{サッカー選手
|名前=城後 寿
| 名前 = 城後 寿
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| 本名 =
| 愛称 = ジョウゴ、キング<ref>{{Cite news|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-5753|title=城後団長 ゴール裏へ新団員を無料招待!!|publisher=アビスパ福岡|date=2016-07-26|accessdate=2019-01-02}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://web.gekisaka.jp/news/detail/?255520-255520-fl|title=キング城後が2か月ぶり先発で2発!山瀬ダメ押し弾!ベテラン躍動の福岡、大前今季21点目の大宮を撃破|publisher=ゲキサカ|date=2018-09-19|accessdate=2019-01-02}}</ref>、ミスターアビスパ<ref>{{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2018/12/27/kiji/20181227s00002180233000c.html|title=“ミスターアビスパ”城後ら主力6選手がJ2福岡と契約更新|publisher=スポーツニッポン|date=2018-12-27|accessdate=2019-01-02}}</ref>
|愛称=福岡のキング、城後"キング"寿
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<!--国内リーグ戦成績のみ-->
<!--国内リーグ戦成績のみ-->
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'''城後 寿'''(じょうご ひさし、[[1986年]][[4月16日]] - )は[[福岡県]][[久留米市]]出身[[アビスパ福岡]]所属の[[サッカー選手]]。ポジションは[[ミッドフィールダー]]、[[フォワード (サッカー)|フォワード]]。
'''城後 寿'''(じょうご ひさし、[[1986年]][[4月16日]] - )は[[福岡県]][[久留米市]]出身[[プロサッカー選手]][[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]・[[アビスパ福岡]]所属。ポジションは[[ミッドフィールダー]]、[[フォワード (サッカー)|フォワード]]。

2005年のプロデビュー以来、アビスパ福岡一筋の[[フランチャイズ・プレイヤー|バンディエラ]]。また、両親も大のアビスパサポーター。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
[[久留米市立南小学校]]出身。地元少年サッカークラブ『南FCトータスJr』でサッカーを始める。[[久留米市立牟田山中学校]]時代は同校の陸上部に所属。陸上部での練習を終えた後、当時所属するサッカークラブの練習に参加していた。中学生の陸上競技(やり投げ)で[[ジュニアオリンピック陸上競技大会|ジュニアオリンピック]]4位の記録を持つ<ref>{{Cite news|url=http://www.sakaiku.jp/column/exercise/2012/003403.html|title=スローインから考える「サッカー以外の競技や遊びをすること」|publisher=サカイク|date=2012-10-18|accessdate=2015-06-26}}</ref>。

=== 国見高校時代 ===
=== 国見高校時代 ===
[[長崎県立国見高等学校|国見高校]]時代の同期に[[渡邉千真]]と[[藤田優人]]が、1学年上に[[平山相太]]、[[中村北斗]]、[[兵藤慎剛]]、[[関憲太郎]]がいる。
[[長崎県立国見高等学校|国見高校]]時代の同期に[[渡邉千真]]と[[藤田優人]]が、1学年上に[[平山相太]]、[[中村北斗]]、[[兵藤慎剛]]、[[関憲太郎]]がいる。2年時には[[第82回全国高等学校サッカー選手権大会|2003年度の全国高校サッカー選手権]]を制覇。3年時には主力として出場しベスト4。2回戦の[[鹿島学園高等学校|鹿島学園]]戦ではハットトリックを達成している<ref>杉本渉 [http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/hs/column/200501/at00003494.html] 風格漂う王者の完勝
2年時には[[第82回全国高等学校サッカー選手権大会|2003年度の全国高校サッカー選手権]]を制覇。3年時には主力として出場しベスト4。2回戦の[[鹿島学園高等学校|鹿島学園]]戦ではハットトリックを達成している<ref>杉本渉 [http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/hs/column/200501/at00003494.html] 風格漂う王者の完勝
<2回戦 国見(長崎)vs鹿島学園(茨城)> スポーツナビ 2005.1.2付記事</ref>。また、[[全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会|インターハイ]]では2連覇(2003、2004年度)を経験した。
<2回戦 国見(長崎)vs鹿島学園(茨城)> スポーツナビ 2005.1.2付記事</ref>。また、[[全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会|インターハイ]]では2連覇(2003、2004年度)を経験した。
卒業後、{{要出典範囲|Jリーグの複数クラブからオファーが届いたが、|date=2018年1月}}地元アビスパ福岡に入団した。


=== アビスパ福岡時代 ===
=== アビスパ福岡時代 ===
国見高校卒業後の2005年に[[アビスパ福岡]]に加入。プロ入り2年目の2006年から徐々に出場機会を得るようになった。
国見高校卒業後の2005年に[[アビスパ福岡]]に加入。プロ入り2年目の2006年から徐々に出場機会を得るようになった。

入団時の背番号は26、その後15を付け、2008年シーズンより背番号10を付けている。


[[第89回天皇杯全日本サッカー選手権大会|2009年の天皇杯]]2回戦・[[愛媛FC]]戦で左膝前十字靱帯損傷の大怪我を負い、長期間の欠場を余儀なくされるも、翌年の復帰後からは[[大久保哲哉]]と2トップを組み、再び主力として活躍。9月12日に行われた[[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフユナイテッド千葉]]との直接対決では後半43分に勝ち越しゴールを決め、クラブを昇格圏内の3位に浮上させた。
[[第89回天皇杯全日本サッカー選手権大会|2009年の天皇杯]]2回戦・[[愛媛FC]]戦で左膝前十字靱帯損傷の大怪我を負い、長期間の欠場を余儀なくされるも、翌年の復帰後からは[[大久保哲哉]]と2トップを組み、再び主力として活躍。9月12日に行われた[[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフユナイテッド千葉]]との直接対決では後半43分に勝ち越しゴールを決め、クラブを昇格圏内の3位に浮上させた。


J1に昇格した2011年は、第10節<ref>[[東日本大震災]]の影響を受けた為、シーズン5戦目。</ref>の[[横浜F・マリノス]]戦で2得点を挙げて以降、一時的に調子を崩したが、第20節の[[川崎フロンターレ]]戦で2得点を挙げて逆転勝利に貢献してからは調子を上げていく。最終的にチームは降格するも、[[岡本英也]](8得点)に次ぐチーム2位の7得点を挙げた。
J1に昇格した2011年は、第10節<ref>[[東日本大震災]]の影響を受けた為、シーズン5戦目。</ref> の[[横浜F・マリノス]]戦で2得点を挙げて以降、一時的に調子を崩したが、第20節の[[川崎フロンターレ]]戦で2得点を挙げて逆転勝利に貢献してからは調子を上げていく。最終的にチームは降格するも、[[岡本英也]](8得点)に次ぐチーム2位の7得点を挙げた。


再びJ2降格した2012年は18位と低迷した福岡にあって、41試合に出場しチーム最多の12ゴールを記録。[[サンフレッチェ広島]]を含む複数クラブから獲得オファーを受けるもこれを固辞し残留した。
2011年、福岡は僅か1年でJ2に降格。{{要出典範囲|この時もJ1のクラブからのオファーがありながらも、城後は2012年も福岡でプレーする事を選び、福岡の選手の中で1番に契約更新をした。城後のもとには毎年のように他クラブからオファーがあった。14年オフにも国内の強豪J1からオファーがあったが|date=2018年1月}}、福岡と契約を更新し、15年シーズンからキャプテンに就任した。
アビスパの中心選手としてポスターやメディアに登場する機会が多い。


2015年はキャプテンに就任した。
== エピソード ==
久留米市で生まれ育ち、{{独自研究範囲|1=出身校の[[久留米市立南小学校]]の生徒(同級生・同校生徒)の中では、城後=サッカーが上手くズバ抜けているという認識、将来のプロサッカー選手になだろうと誰もが思っていた。さらに身体能力の高さは小学校の頃から有名で、|date=2018年1月}}。[[久留米市立牟田山中学校]]時代は同校の陸上部に所属。陸上部での練習を終えた後、当時所属するサッカークラブの練習に参加していた。中学生の陸上競技(やり投げ)で[[ジュニアオリンピック陸上競技大会|ジュニアオリンピック]]4位の記録を持つ<ref>{{Cite news | url = http://www.sakaiku.jp/column/exercise/2012/003403.html | title = スローインから考える「サッカー以外の競技や遊びをすること」 | publisher = サカイク | date = 2012-10-18 | accessdate = 2015-06-26 }}</ref>。


2019年2月24日、シーズン開幕戦の[[FC琉球OKINAWA|FC琉球]]戦で通算400試合出場を達成<ref>{{Cite news | url = https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/515280/ | title = J2福岡のキング城後「まだまだ頑張る」 J通算400試合出場達成 | publisher = 西日本スポーツ | date = 2019-06-03 | accessdate = 2020-10-18 }}</ref>。
{{要出典範囲|アビスパ福岡入団後、選手寮へ入寮の当日、持ち物は寝具セットしか持って来ていなかった|date=2018年1月}}。


== エピソード ==
2013年6月1日のJ2第17節[[ロアッソ熊本]]戦で、GK[[水谷雄一]]が負傷するアクシデントが発生。その時点で交代枠を使い切っており、城後が水谷のユニフォームを着用しGKのポジションに就いた。この時既にFWの[[西田剛]]が退場しており、福岡は2人少ない状況となっていた。後半ロスタイム(100分)に[[ファビオ・ヘンリケ・ペナ|ファビオ]]に同点ゴールを許したが、シュートを2本止める活躍を見せた。
2013年6月1日のJ2第17節[[ロアッソ熊本]]戦で、GK[[水谷雄一]]が負傷するアクシデントが発生。その時点で交代枠を使い切っていた為、城後が水谷のGKユニフォームを着用し、ゴールキーパーとしてプレーを行った<ref>{{Cite news | url = https://web.gekisaka.jp/news/detail/?115466-119655-fl | title = 最後はFW城後がGK務めるも…AT11分に失点し福岡は熊本とドロー | publisher = ゲキサカ | date = 2013-06-01 | accessdate = 2019-01-02 }}</ref>。


[[シシーニョ・ゴンサレス・マルティネス|シシーニョ]]が日本でのプレーを熱望した理由の一つに城後の名前を挙げており、[[FC岐阜]]との対戦では交流する様子も見られた<ref>{{cite news|url=http://web.gekisaka.jp/news/detail/?220143-220143-fl|title=岐阜の元U-21スペイン代表MFが“憧れの選手”とユニフォーム交換、2ショット写真も撮影|publisher=ゲキサカ|date=2017-07-02|accessdate=2017-07-03}}</ref>。
[[シシーニョ・ゴンサレス・マルティネス|シシーニョ]]が日本でのプレーを熱望した理由の一つに城後の名前を挙げており、[[FC岐阜]]との対戦では交流する様子も見られた<ref>{{cite news|url=http://web.gekisaka.jp/news/detail/?220143-220143-fl|title=岐阜の元U-21スペイン代表MFが“憧れの選手”とユニフォーム交換、2ショット写真も撮影|publisher=ゲキサカ|date=2017-07-02|accessdate=2017-07-03}}</ref>。


2016年4月16日の[[名古屋グランパスエイト|名古屋グランパス]]戦では、同日が本人の誕生日という事にちなみ、『キング城後デー』と銘打っての試合開催予定であったが、[[熊本地震 (2016年)|熊本地震]]の影響により延期となった。その後6月2日に振り替えられた代替試合においてイベントを実施した<ref>{{Cite web|和書| url = https://avispaf.jugem.jp/?eid=1263 | title = 城後DAYのご報告! | publisher = アビスパ福岡広報ブログ | date = 2016-06-21 | accessdate = 2019-01-02 }}</ref>。
{{要出典範囲|アビスパのサポーターを大事にしている部分がよく見受けられる。自身がレベスタホーム側でゴールを決めると真っ先にサポーター席で喜びを爆発させる|date=2018年1月}}。

{{誰範囲|長くアビスパに在籍し、背番号10番、エース、キャプテンという福岡の象徴であることから、サポーターからは『キング城後』と称えられている|date=2018年1月}}。
{{要出典範囲|スタメン発表でも[[信川竜太|スタジアムDJ]]から「城後"キング"寿」とコールされ、一番の盛り上がりを見せる。サポーター席の目立つ位置に張られた横断幕にも本人の象徴画の物と『KING・JOGO』と記した物が掲げられている。 |date=2018年1月}}

本人のチャント(応援歌)は[[チェッカーズ]]の『[[ジュリアに傷心]]』。これはチェッカーズが城後と同じ久留米市出身だからという由来がある。


== 所属クラブ ==
== 所属クラブ ==
;ユース経歴
* 南FCトータスJr.
* 南FCトータスJr.
* ヴァレンティアFC
* ヴァレンティアFC
* [[長崎県立国見高等学校]]
* [[長崎県立国見高等学校]]
;プロ経歴
*2005年 - {{Flagicon|JPN}} [[アビスパ福岡]]
*2005年 - {{Flagicon|JPN}} [[アビスパ福岡]]


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|2003||[[長崎県立国見高等学校|国見高]]||4||-||colspan="2"|-||colspan="2"|-||2||1||2||1
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その他の公式戦
その他の公式戦
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* 2017年
* 2017年
** [[J1昇格プレーオフ]] 2試合0得点
** [[J1昇格プレーオフ]] 2試合0得点
'''出場歴'''

*Jリーグ初出場 - [[2006]][[42]] J1 第6節 [[京都サンガF.C.|京都パープルサンガ]]([[京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場]])
*公式戦初出場 - 2005109天皇杯3回戦 vs[[SP京都FC|佐川印刷SC]]([[長居第2陸上競技場|大阪市長居第2陸上競技場]])
*Jリーグ初得点 - 2006年[[4月29]] J1 10[[鹿島アトラ]]([[茨城県立カシマサッカースタジアム]])
*Jリーグ初出場 - 2006年4月2日 J1第6vs[[京都サガF.C.|京都パプルサンガ]]([[京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場]])
*Jリーグ初得点 - 2006年4月29日 J1第10節 vs[[鹿島アントラーズ]]([[茨城県立カシマサッカースタジアム]])


== 代表歴 ==
== 代表歴 ==
*[[U-20サッカー日本代表|U-20日本代表]](2005年)
*[[U-20サッカー日本代表|U-20日本代表]](2005年)
*U-21日本代表(2006年)
*U-21日本代表(2006年)

== タイトル ==
===クラブ===
'''アビスパ福岡'''

* [[Jリーグカップ]]:1回([[2023年のJリーグカップ|2023年]])


== 脚注 ==
== 脚注 ==
131行目: 136行目:


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
*[[アビスパ福岡の選手一覧]]
* [[福岡県出身人物一覧]]
* [[アビスパ福岡の選手一覧]]
*[[ジュリアに傷心]] - 応援歌の原曲。
* [[フランチャイズ・プレイヤー]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
*{{Sports links}}
*[http://www.avispa.co.jp/club-info/fw10jogo アビスパ福岡|FW10 城後 寿]
*[http://www.avispa.co.jp/club-info/fw10jogo アビスパ福岡|FW10 城後 寿]

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2024年10月13日 (日) 19:03時点における版

城後 寿
名前
愛称 ジョウゴ、キング[1][2]、ミスターアビスパ[3]
カタカナ ジョウゴ ヒサシ
ラテン文字 JOGO Hisashi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1986-04-16) 1986年4月16日(38歳)
出身地 福岡県久留米市
身長 183cm
体重 77kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 アビスパ福岡
ポジション MF / FW
背番号 10
利き足 右足
ユース
1993-1998 南FCトータスジュニア
(久留米市立南小学校)
1999-2001 ヴァレンティアFC
2002-2004 長崎県立国見高等学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005- アビスパ福岡 487 (83)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年12月20日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

城後 寿(じょうご ひさし、1986年4月16日 - )は、福岡県久留米市出身のプロサッカー選手Jリーグアビスパ福岡所属。ポジションはミッドフィールダーフォワード

2005年のプロデビュー以来、アビスパ福岡一筋のバンディエラ。また、両親も大のアビスパサポーター。

来歴

久留米市立南小学校出身。地元少年サッカークラブ『南FCトータスJr』でサッカーを始める。久留米市立牟田山中学校時代は同校の陸上部に所属。陸上部での練習を終えた後、当時所属するサッカークラブの練習に参加していた。中学生の陸上競技(やり投げ)でジュニアオリンピック4位の記録を持つ[4]

国見高校時代

国見高校時代の同期に渡邉千真藤田優人が、1学年上に平山相太中村北斗兵藤慎剛関憲太郎がいる。2年時には2003年度の全国高校サッカー選手権を制覇。3年時には主力として出場しベスト4。2回戦の鹿島学園戦ではハットトリックを達成している[5]。また、インターハイでは2連覇(2003、2004年度)を経験した。

アビスパ福岡時代

国見高校卒業後の2005年にアビスパ福岡に加入。プロ入り2年目の2006年から徐々に出場機会を得るようになった。

2009年の天皇杯2回戦・愛媛FC戦で左膝前十字靱帯損傷の大怪我を負い、長期間の欠場を余儀なくされるも、翌年の復帰後からは大久保哲哉と2トップを組み、再び主力として活躍。9月12日に行われたジェフユナイテッド千葉との直接対決では後半43分に勝ち越しゴールを決め、クラブを昇格圏内の3位に浮上させた。

J1に昇格した2011年は、第10節[6]横浜F・マリノス戦で2得点を挙げて以降、一時的に調子を崩したが、第20節の川崎フロンターレ戦で2得点を挙げて逆転勝利に貢献してからは調子を上げていく。最終的にチームは降格するも、岡本英也(8得点)に次ぐチーム2位の7得点を挙げた。

再びJ2降格した2012年は18位と低迷した福岡にあって、41試合に出場しチーム最多の12ゴールを記録。サンフレッチェ広島を含む複数クラブから獲得オファーを受けるもこれを固辞し残留した。

2015年はキャプテンに就任した。

2019年2月24日、シーズン開幕戦のFC琉球戦で通算400試合出場を達成[7]

エピソード

2013年6月1日のJ2第17節ロアッソ熊本戦で、GK水谷雄一が負傷するアクシデントが発生。その時点で交代枠を使い切っていた為、城後が水谷のGKユニフォームを着用し、ゴールキーパーとしてプレーを行った[8]

シシーニョが日本でのプレーを熱望した理由の一つに城後の名前を挙げており、FC岐阜との対戦では交流する様子も見られた[9]

2016年4月16日の名古屋グランパス戦では、同日が本人の誕生日という事にちなみ、『キング城後デー』と銘打っての試合開催予定であったが、熊本地震の影響により延期となった。その後6月2日に振り替えられた代替試合においてイベントを実施した[10]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2003 国見高 4 - - - 2 1 2 1
2005 福岡 26 J2 0 0 - 2 0 2 0
2006 J1 25 4 4 0 2 0 31 4
2007 15 J2 16 2 - 2 0 18 2
2008 10 27 2 - 1 0 28 2
2009 38 5 - 1 0 39 5
2010 21 8 - 3 1 24 9
2011 J1 31 7 2 0 0 0 33 7
2012 J2 41 12 - 2 2 43 14
2013 35 5 - 0 0 35 5
2014 40 9 - 0 0 40 9
2015 42 8 - 1 0 43 8
2016 J1 33 6 8 2 1 0 42 8
2017 J2 26 2 - 2 1 28 3
2018 24 6 - 2 1 26 7
2019 36 6 - 1 0 37 6
2020 25 1 - - 25 1
2021 J1 12 0 5 3 1 0 18 3
2022 6 0 6 1 4 1 16 2
2023 9 0 5 1 3 0 17 1
通算 日本 J1 116 17 30 7 11 1 157 25
日本 J2 371 66 - 17 5 388 71
日本 - - 2 1 2 1
総通算 487 83 30 7 29 7 547 97

その他の公式戦

出場歴

代表歴

タイトル

クラブ

アビスパ福岡

脚注

出典
  1. ^ “城後団長 ゴール裏へ新団員を無料招待!!”. アビスパ福岡. (2016年7月26日). https://www.avispa.co.jp/news/post-5753 2019年1月2日閲覧。 
  2. ^ “キング城後が2か月ぶり先発で2発!山瀬ダメ押し弾!ベテラン躍動の福岡、大前今季21点目の大宮を撃破”. ゲキサカ. (2018年9月19日). https://web.gekisaka.jp/news/detail/?255520-255520-fl 2019年1月2日閲覧。 
  3. ^ ““ミスターアビスパ”城後ら主力6選手がJ2福岡と契約更新”. スポーツニッポン. (2018年12月27日). https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2018/12/27/kiji/20181227s00002180233000c.html 2019年1月2日閲覧。 
  4. ^ “スローインから考える「サッカー以外の競技や遊びをすること」”. サカイク. (2012年10月18日). http://www.sakaiku.jp/column/exercise/2012/003403.html 2015年6月26日閲覧。 
  5. ^ 杉本渉 [1] 風格漂う王者の完勝 <2回戦 国見(長崎)vs鹿島学園(茨城)> スポーツナビ 2005.1.2付記事
  6. ^ 東日本大震災の影響を受けた為、シーズン5戦目。
  7. ^ “J2福岡のキング城後「まだまだ頑張る」 J通算400試合出場達成”. 西日本スポーツ. (2019年6月3日). https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/515280/ 2020年10月18日閲覧。 
  8. ^ “最後はFW城後がGK務めるも…AT11分に失点し福岡は熊本とドロー”. ゲキサカ. (2013年6月1日). https://web.gekisaka.jp/news/detail/?115466-119655-fl 2019年1月2日閲覧。 
  9. ^ “岐阜の元U-21スペイン代表MFが“憧れの選手”とユニフォーム交換、2ショット写真も撮影”. ゲキサカ. (2017年7月2日). http://web.gekisaka.jp/news/detail/?220143-220143-fl 2017年7月3日閲覧。 
  10. ^ 城後DAYのご報告!”. アビスパ福岡広報ブログ (2016年6月21日). 2019年1月2日閲覧。

関連項目

外部リンク