「ガーナ」の版間の差分
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'''ガーナ共和国'''(ガーナきょうわこく)、通称'''ガーナ'''は、[[西アフリカ]]に |
'''ガーナ共和国'''(ガーナきょうわこく)、通称'''ガーナ'''は、[[西アフリカ]]にある[[共和制]][[国家]]。[[イギリス連邦]]加盟国。東は[[トーゴ]]、北は[[ブルキナファソ]]、西は[[コートジボワール]]と国境を接し、南は[[大西洋]]に面する。首都は[[アクラ]]。 |
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== 概要 == |
== 概要 == |
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ガーナは[[脱植民地化]]が活発であった最中の1957年、[[サブサハラ|サハラ以南]]の[[アフリカ]]において初めて現地人が中心となって[[ヨーロッパ]]の[[宗主国]]から独立を達成した国家である。 |
ガーナは[[脱植民地化]]が活発であった最中の1957年、[[サブサハラ|サハラ以南]]の[[アフリカ]]において初めて現地人が中心となって[[ヨーロッパ]]の[[宗主国]]から独立を達成した国家である。 |
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[[英領ゴールド・コースト|イギリス領ゴールド・コースト]]と呼ばれていたが、独立に際して国名を「ガーナ」に変更した。 |
[[英領ゴールド・コースト|イギリス領ゴールド・コースト]]と呼ばれていたが、独立に際して国名を「ガーナ」に変更した。 |
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また、初代[[大統領]][[クワメ・エ |
また、初代[[大統領]][[クワメ・エンクルマ]]は、[[パン・アフリカ主義|アフリカ統一運動]]を推進したことで有名。 |
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[[ダイヤモンド]]や[[金]]を産出しており、[[カカオ豆]]の産地としても有名。2010年12月から沖合[[油田]]で原油・ガス生産が始まり、国際的に大きな注目を集めている。 |
[[ダイヤモンド]]や[[金]]を産出しており、[[カカオ豆]]の産地としても有名。2010年12月から沖合[[油田]]で原油・ガス生産が始まり、国際的に大きな注目を集めている。 |
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漢字表記では、'''加納'''。 |
漢字表記では、'''加納'''。 |
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植民地時代は[[英領ゴールド・コースト|イギリス領ゴールド・コースト]](黄金海岸)と呼ばれていたが、独立に際してかつて西アフリカに栄えた[[ガーナ王国|ガーナ帝国]]から新国名を採用した。 |
植民地時代は[[英領ゴールド・コースト|イギリス領ゴールド・コースト]](黄金海岸)と呼ばれていたが、独立に際してかつて西アフリカに栄えた[[ガーナ王国|ガーナ帝国]]から新国名を採用した。 |
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アカン系諸民族は中世以降、中部ギニアの金産地を掌握し、いくつもの王国を建てた(アシャンティ王国、アクワム、デンキイラ、アキムなど)。彼らの祖先は北からやって来た古代ガーナ王国の末裔との伝説を持っているため、アカン系民族が多数を占める旧イギリス領黄金海岸の独立時にガーナ共和国との国名が採用された<ref>{{Cite web |title=アカン系民族特集・12年9月:アフリカ雑貨アザライ |url=https://www.azalai-japon.com/mois/akan-sp.html |website=www.azalai-japon.com |access-date=2024-04-02}}</ref>。 |
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「ガーナ」とは現地語で「戦士王」という意味になる。 |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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===イギリス領ゴールドコーストへ=== |
===イギリス領ゴールドコーストへ=== |
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アフリカ分割が激化した1896年、イギリスは3度アシャンティに侵攻し、国王プレンペー2世を捕らえセーシェルへと流罪にした。この時点でアシャンティはイギリスの保護下に置かれたが、[[1900年]]にホジソン総督がアシャンティの[[レガリア]]である「[[黄金の床几]]」を要求したことで全土に及ぶ大反乱が勃発した<ref>{{Harvnb|高根|2003|pp=45-46}}</ref>([[黄金の床几戦争]])。この戦争でアシャンティは完全に滅亡し、[[イギリス領ゴールド・コースト]]は従来の沿岸部に加えアシャンティや北部などを編入した。[[ファイル:Near Accra 1942-12-12.jpg|サムネイル|[[1942年]][[12月12日]]に撮影されたガーナの首都[[アクラ]]近郊で墜落した爆撃機|左]]英領ゴールド・コーストにおいては、従来の金や木材に加え、[[1879年]]に[[テテ・クワシ]]によって持ち込まれた[[カカオ]]豆の栽培が急速に普及し、[[1911年]]には世界最大の生産国となった<ref>{{Harvnb|高根|2003|p=58}}</ref>。こうした産品の輸出でゴールド・コースト経済は繁栄し、鉄道の敷設や学校の建設などが行われた。 |
アフリカ分割が激化した1896年、イギリスは3度アシャンティに侵攻し、国王プレンペー2世を捕らえセーシェルへと流罪にした。この時点でアシャンティはイギリスの保護下に置かれたが、[[1900年]]にホジソン総督がアシャンティの[[レガリア]]である「[[黄金の床几]]」を要求したことで全土に及ぶ大反乱が勃発した<ref>{{Harvnb|高根|2003|pp=45-46}}</ref>([[黄金の床几戦争]])。この戦争でアシャンティは完全に滅亡し、[[イギリス領ゴールド・コースト]]は従来の沿岸部に加えアシャンティや北部などを編入した。[[ファイル:Near Accra 1942-12-12.jpg|サムネイル|[[1942年]][[12月12日]]に撮影されたガーナの首都[[アクラ]]近郊で墜落した爆撃機|左]]英領ゴールド・コーストにおいては、従来の金や木材に加え、[[1879年]]に[[テテ・クワシ]]によって持ち込まれた[[カカオ]]豆の栽培が急速に普及し、[[1911年]]には世界最大の生産国となった<ref>{{Harvnb|高根|2003|p=58}}</ref>。こうした産品の輸出でゴールド・コースト経済は繁栄し、鉄道の敷設や学校の建設などが行われた。 |
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イギリスは[[第二次世界大戦]]に連合国の1国として勝利したものの、その国力は衰退しており、これを受けて[[民族主義]]の気運が高まった。[[1947年]]には独立を目的とした「[[連合ゴールドコースト会議]]」が設立され、[[クワメ・エ |
イギリスは[[第二次世界大戦]]に連合国の1国として勝利したものの、その国力は衰退しており、これを受けて[[民族主義]]の気運が高まった。[[1947年]]には独立を目的とした「[[連合ゴールドコースト会議]]」が設立され、[[クワメ・エンクルマ]]が[[1949年]]には{{仮リンク|会議人民党|en|Convention People's Party}}を設立した。部族間の争いを越えて独立を標榜する会議人民党は人々の広範な支持を得て、[[1951年]]の選挙では圧倒的過半数を占める第一党となった。 |
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=== 独立以降 === |
=== 独立以降 === |
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[[ファイル:1989 CPA 6101.jpg|180px|thumb|right|独立の父[[クワメ・エ |
[[ファイル:1989 CPA 6101.jpg|180px|thumb|right|独立の父[[クワメ・エンクルマ]]。[[汎アフリカ主義]]構想に基づいて[[アフリカ合衆国]]の建国を目指したが、1966年に失脚した。]] |
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[[1956年]]にはンクルマの下に自治政府が成立し、翌1957年に東隣の[[イギリス領トーゴランド]]と合わせて独立を達成し、ブラック・アフリカ初の独立国となった。独立当初のガーナは[[イギリス国王]]を[[立憲君主]]に頂く[[英連邦王国]]であったが、[[1960年]]に共和制へ移行し、ンクルマが初代大統領となった。ンクルマは[[汎アフリカ主義]]を掲げ、[[冷戦]]下において[[社会主義]]圏([[東側諸国]])や[[ギニア]]との友好関係を強化し、財政強化に努めたが、債務超過など失政を招き[[1966年]]にクーデターで失脚した。政権を掌握した[[国家解放評議会]]はンクルマの政策から脱し、[[1969年]]には選挙を実施した。同選挙で[[コフィ・ブシア]]が首相に選ばれ民政に移管したが、反ンクルマ政策による{{仮リンク|アカン人|en|Akan people}}中心主義的な政策が国内の諸民族の反発を招き、1972年には[[イグナティウス・アチャンポン]]将軍がクーデターを起こし、政権を握った。しかし国情は安定せず、経済停滞から幾度か政変が発生した。 |
[[1956年]]にはエンクルマの下に自治政府が成立し、翌1957年に東隣の[[イギリス領トーゴランド]]と合わせて独立を達成し、ブラック・アフリカ初の独立国となった。独立当初のガーナは[[イギリス国王]]を[[立憲君主]]に頂く[[英連邦王国]]であったが、[[1960年]]に共和制へ移行し、エンクルマが初代大統領となった。エンクルマは[[汎アフリカ主義]]を掲げ、[[冷戦]]下において[[社会主義]]圏([[東側諸国]])や[[ギニア]]との友好関係を強化し、財政強化に努めたが、債務超過など失政を招き[[1966年]]にクーデターで失脚した。政権を掌握した[[国家解放評議会]]はエンクルマの政策から脱し、[[1969年]]には選挙を実施した。同選挙で[[コフィ・ブシア]]が首相に選ばれ民政に移管したが、反エンクルマ政策による{{仮リンク|アカン人|en|Akan people}}中心主義的な政策が国内の諸民族の反発を招き、1972年には[[イグナティウス・アチャンポン]]将軍がクーデターを起こし、政権を握った。しかし国情は安定せず、経済停滞から幾度か政変が発生した。 |
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[[1979年]]に軍事クーデターを起こした[[ジェリー・ローリングス]][[ガーナ空軍|空軍]][[大尉]]が政権を掌握し、民政移管期間を挟んで1981年に完全な軍政を敷いた。ローリングスはガーナ経済再建のために[[国際通貨基金|IMF]]や[[世界銀行]]の[[構造調整]]計画を受け入れ、所得格差の拡大とともにガーナ経済と政治の安定化を達成した。ローリングスは[[複数政党制]]を認めた[[1992年]]の選挙で大統領に選出され、軍政から民政移管した。これを受けて、政治をボイコットしてきた野党も国政に参加を表明し、国情は安定を迎えた。ローリングスは2001年まで大統領を務め、後任には選挙に勝利した[[新愛国党]]の[[ジョン・アジェクム・クフォー]]が大統領に就任した。 |
[[1979年]]に軍事クーデターを起こした[[ジェリー・ローリングス]][[ガーナ空軍|空軍]][[大尉]]が政権を掌握し、民政移管期間を挟んで1981年に完全な軍政を敷いた。ローリングスはガーナ経済再建のために[[国際通貨基金|IMF]]や[[世界銀行]]の[[構造調整]]計画を受け入れ、所得格差の拡大とともにガーナ経済と政治の安定化を達成した。ローリングスは[[複数政党制]]を認めた[[1992年]]の選挙で大統領に選出され、軍政から民政移管した。これを受けて、政治をボイコットしてきた野党も国政に参加を表明し、国情は安定を迎えた。ローリングスは2001年まで大統領を務め、後任には選挙に勝利した[[新愛国党]]の[[ジョン・アジェクム・クフォー]]が大統領に就任した。 |
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=== 近年 === |
=== 近年 === |
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[[ファイル:Western Togoland.svg|サムネイル|西トーゴランド]] |
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政情が安定し、自由選挙により平和的に政権が移譲されるようになったことから、現在は西アフリカにおける数少ない[[議会制民主主義]]国として知られるようになった。[[2009年]]の選挙では[[国民民主会議 (ガーナ)|国民民主会議]]が勝利し、[[ジョン・アッタ・ミルズ]]が大統領に就任した<ref>{{Cite news|title=ガーナ大統領選決選投票、野党ミルズ氏が当選|newspaper=[[AFP通信]]|date=2009-1-3|url=https://www.afpbb.com/articles/-/2554145|accessdate=2021-8-31}}</ref>。2012年7月24日、ミルズは首都アクラの病院で急死。副大統領の[[ジョン・ドラマニ・マハマ]]が大統領に昇格した<ref>{{Cite news|title=ガーナのミルズ大統領が急死、後任に副大統領が昇格|newspaper=AFP通信|date=2012-7-25|last=Adadevoh|first=David|url=https://www.afpbb.com/articles/-/2891428|accessdate=2021-8-31}}</ref>。2016年の選挙では新愛国党が政権を奪回し、[[ナナ・アクフォ=アド]]が大統領の座に就いた<ref>{{Cite news|title=ガーナ大統領選 野党候補の元外相が当選|newspaper=[[産経新聞]]|date=2016-12-10|agency=[[共同通信]]|url=https://www.sankei.com/world/news/161210/wor1612100034-n1.html|accessdate=2021-8-31|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190414063116/https://www.sankei.com/world/news/161210/wor1612100034-n1.html|archivedate=2019-4-14}}</ref>。 |
政情が安定し、自由選挙により平和的に政権が移譲されるようになったことから、現在は西アフリカにおける数少ない[[議会制民主主義]]国として知られるようになった。[[2009年]]の選挙では[[国民民主会議 (ガーナ)|国民民主会議]]が勝利し、[[ジョン・アッタ・ミルズ]]が大統領に就任した<ref>{{Cite news|title=ガーナ大統領選決選投票、野党ミルズ氏が当選|newspaper=[[AFP通信]]|date=2009-1-3|url=https://www.afpbb.com/articles/-/2554145|accessdate=2021-8-31}}</ref>。2012年7月24日、ミルズは首都アクラの病院で急死。副大統領の[[ジョン・ドラマニ・マハマ]]が大統領に昇格した<ref>{{Cite news|title=ガーナのミルズ大統領が急死、後任に副大統領が昇格|newspaper=AFP通信|date=2012-7-25|last=Adadevoh|first=David|url=https://www.afpbb.com/articles/-/2891428|accessdate=2021-8-31}}</ref>。2016年の選挙では新愛国党が政権を奪回し、[[ナナ・アクフォ=アド]]が大統領の座に就いた<ref>{{Cite news|title=ガーナ大統領選 野党候補の元外相が当選|newspaper=[[産経新聞]]|date=2016-12-10|agency=[[共同通信]]|url=https://www.sankei.com/world/news/161210/wor1612100034-n1.html|accessdate=2021-8-31|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190414063116/https://www.sankei.com/world/news/161210/wor1612100034-n1.html|archivedate=2019-4-14}}</ref>。 |
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[[2020年]]9月25日、ガーナ東部の分離独立派が[[西トーゴランド]]の独立を宣言した<ref>{{Cite web |title=Western Togoland declares sovereignty – DW – 09/25/2020 |url=https://www.dw.com/en/ghanas-western-togoland-region-declares-sovereignty/a-55051426 |website=dw.com |access-date=2024-02-15 |language=en}}</ref>。 |
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== 政治 == |
== 政治 == |
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[[立法府]]は[[一院制]]の[[国民議会 (ガーナ)|国民議会]]。定数は230議席で、議員は[[小選挙区制]]に基づき国民の直接選挙によって選出される。議員の任期は4年である。 |
[[立法府]]は[[一院制]]の[[国民議会 (ガーナ)|国民議会]]。定数は230議席で、議員は[[小選挙区制]]に基づき国民の直接選挙によって選出される。議員の任期は4年である。 |
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ガーナは[[1992年]]に現行憲法が施行されて以降、[[複数政党制]]が認められており、実質的には[[二大政党制]]が機能している。1つは[[自由民主主義]]を掲げる[[中道右派]]の[[新愛国党]](NPP)、もう1つは[[社会民主主義]]を掲げる[[中道左派]]の[[国民民主会議 (ガーナ)|国民民主会議]](NDC)である。その他の勢力は二大政党ほどの影響力は持っていないが、比較的有力なものに |
ガーナは[[1992年]]に現行憲法が施行されて以降、[[複数政党制]]が認められており、実質的には[[二大政党制]]が機能している。1つは[[自由民主主義]]を掲げる[[中道右派]]の[[新愛国党]](NPP)、もう1つは[[社会民主主義]]を掲げる[[中道左派]]の[[国民民主会議 (ガーナ)|国民民主会議]](NDC)である。その他の勢力は二大政党ほどの影響力は持っていないが、比較的有力なものに{{ill2|人民国民会議 (ガーナ)|en|People's National Convention (Ghana)|label=人民国民会議}}(PNC)がある。かつて[[クワメ・ンクルマ]]初代大統領のもとで権勢を振るった{{ill2|会議人民党|en|Convention People's Party}}(CPP)は現在も存続しているが、勢力は弱体化している。 |
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=== 司法 === |
=== 司法 === |
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[[西アフリカ諸国経済共同体]]の主導的な立場にある国のひとつである。アフリカの周辺諸国のみならず、旧[[宗主国]]のイギリスをはじめとした[[欧米]]諸国とも友好関係を保っている。 |
[[西アフリカ諸国経済共同体]]の主導的な立場にある国のひとつである。アフリカの周辺諸国のみならず、旧[[宗主国]]のイギリスをはじめとした[[欧米]]諸国とも友好関係を保っている。 |
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[[日本]]との関係では、[[野口英世]]がイギリスの植民地下のガーナで[[黄熱病]]の研究中に死去しているなど、古くから関係があり、英世の故郷である[[福島県]]の[[福島県立医科大学]]が医師を派遣するなど関係も深い。日本の援助で、1979年に[[ガーナ大学]]に野口記念医学研究所が設立された<ref>{{Cite web |
[[日本]]との関係では、[[野口英世]]がイギリスの植民地下のガーナで[[黄熱病]]の研究中に死去しているなど、古くから関係があり、英世の故郷である[[福島県]]の[[福島県立医科大学]]が医師を派遣するなど関係も深い。日本の援助で、1979年に[[ガーナ大学]]に野口記念医学研究所が設立された<ref>{{Cite web|和書|date=2019 |url=https://www.jica.go.jp/topics/2019/20190408_01.html |title=感染症の早期封じ込めを目指す:ガーナの野口記念医学研究所に「先端感染症研究センター」が完成 |publisher=JICA |accessdate=2020-02-01}}</ref>。また[[2006年]]には、[[千葉県]][[浦安市]]などから[[自転車]]などの無償援助を受けている。2009年の国際交流基金による日本語教育機関調査では、ガーナにおける日本語学習者の数は906人であり、サハラ以南では、中央アフリカ、マダガスカル、ケニアに継ぐ第4位である。2021年10月現在の在留日本人数は267人、2020年12月現在の在日ガーナ人数は2,506人である<ref name="外務省 ガーナ基礎データ">{{Cite web|和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ghana/data.html#section6|title=ガーナ共和国 基礎データ|accessdate=2021-08-31|publisher=[[外務省]]|date=2021-03-17}}</ref>。 |
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日本のガーナからの輸入品の大半はカカオであり、2013年にはガーナからの輸入の76.7%を占めていた<ref name=":0">「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p261 二宮書店 平成28年1月10日発行</ref>。大手菓子メーカー[[ロッテ]]の商品「[[ガーナチョコレート]]」により、日本においてはガーナがカカオ豆の産出地であることが知られている。 |
日本のガーナからの輸入品の大半はカカオであり、2013年にはガーナからの輸入の76.7%を占めていた<ref name=":0">「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p261 二宮書店 平成28年1月10日発行</ref>。大手菓子メーカー[[ロッテ]]の商品「[[ガーナチョコレート]]」により、日本においてはガーナがカカオ豆の産出地であることが知られている。 |
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==== 駐日ガーナ大使館 ==== |
==== 駐日ガーナ大使館 ==== |
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{{Main|駐日ガーナ大使館}} |
{{Main|駐日ガーナ大使館}} |
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*住所:東京都港区西麻布 |
*住所:東京都港区西麻布1丁目5-21 |
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*アクセス:[[東京メトロ日比谷線]]/[[都営大江戸線]][[六本木駅]]2番出口 |
*アクセス:[[東京メトロ日比谷線]]/[[都営大江戸線]][[六本木駅]]2番出口 |
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<gallery> |
<gallery> |
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</gallery> |
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== 国家安全保障 == |
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{{main|{{仮リンク|ガーナ軍|en|Ghana Armed Forces}}}} |
{{main|{{仮リンク|ガーナ軍|en|Ghana Armed Forces}}}} |
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ガーナ軍(GAF)は{{仮リンク|ガーナ陸軍|label=地上軍|en|Ghana_Army}}と{{仮リンク|ガーナ海軍|label=海軍|en|Ghana Navy}}、[[ガーナ空軍|空軍]]の3つで構成されている。また、同国では{{仮リンク|ガーナ国境警備隊|label=国境警備隊|en|Border Guard Unit}}が配備されており、警備隊の最高軍事司令官は同国軍と同じく大統領が兼任している。 |
ガーナ軍(GAF)は{{仮リンク|ガーナ陸軍|label=地上軍|en|Ghana_Army}}と{{仮リンク|ガーナ海軍|label=海軍|en|Ghana Navy}}、[[ガーナ空軍|空軍]]の3つで構成されている。また、同国では{{仮リンク|ガーナ国境警備隊|label=国境警備隊|en|Border Guard Unit}}が配備されており、警備隊の最高軍事司令官は同国軍と同じく大統領が兼任している。 |
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[[ファイル:Ghana Topography.png|thumb|ガーナの標高図]] |
[[ファイル:Ghana Topography.png|thumb|ガーナの標高図]] |
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{{main|{{仮リンク|ガーナの地理|en|Geography of Ghana}}}} |
{{main|{{仮リンク|ガーナの地理|en|Geography of Ghana}}}} |
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[[ギニア湾]]に面しており、[[ヴォルタ川]]流域の低地が国土の大半を占めるため、最高標高点は885メートルに過ぎない。ヴォルタ川水系の面積は国土面積の |
[[ギニア湾]]に面しており、[[ヴォルタ川]]流域の低地が国土の大半を占めるため、最高標高点は885メートルに過ぎない。ヴォルタ川水系の面積は国土面積の77%を占める。特に[[1965年]]にヴォルタ川をせき止めて作った[[アコソンボダム]]が有名。自然湖として[[ボスムトゥイ湖]]が存在している。 |
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気候的には全土が[[熱帯]]に属する。西部州やアシャンティ州をはじめとする南西部は[[熱帯モンスーン気候]](Am)に属し、多量の降雨に恵まれて[[熱帯雨林]]が広がっている。ガーナ経済を支えるカカオはおもにこの地域で栽培される。海岸部でも首都アクラを中心とする東部は降水量が少なく、[[サバナ気候]](Aw)に属する。中部から北部にかけてもサバナ気候に属し、[[サバンナ]]が広がる。北に行くほど降水量は少なくなり、乾燥の度合いが強くなるが、少ない地域でも1,000ミリ前後の降水量はある<ref>{{Harvnb|高根|山田|2011|pp=60-61}}</ref>。 |
気候的には全土が[[熱帯]]に属する。西部州やアシャンティ州をはじめとする南西部は[[熱帯モンスーン気候]](Am)に属し、多量の降雨に恵まれて[[熱帯雨林]]が広がっている。ガーナ経済を支えるカカオはおもにこの地域で栽培される。海岸部でも首都アクラを中心とする東部は降水量が少なく、[[サバナ気候]](Aw)に属する。中部から北部にかけてもサバナ気候に属し、[[サバナ (植生)|サバンナ]]が広がる。北に行くほど降水量は少なくなり、乾燥の度合いが強くなるが、少ない地域でも1,000ミリ前後の降水量はある<ref>{{Harvnb|高根|山田|2011|pp=60-61}}</ref>。 |
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== 地方行政区分 == |
== 地方行政区分 == |
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[[2013年]]のガーナの[[国内総生産|GDP]]は約442億ドルであり<ref>[http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2014/01/weodata/weorept.aspx?pr.x=53&pr.y=6&sy=2013&ey=2013&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&c=652&s=NGDPD%2CNGDPDPC&grp=0&a= IMFによるGDP]</ref>、[[長崎県]]とほぼ同じ経済規模である<ref>{{PDFlink|[https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kenmin/files/contents/pdf/gaiyou1.pdf 内閣府による県民経済計算]}}</ref>。同年の一人当たりのGDPは1,729ドルであり、世界平均の2割程度で世界的に下位に留まっているが、近年は原油の商業生産が始まったことにより経済成長も著しい。 |
[[2013年]]のガーナの[[国内総生産|GDP]]は約442億ドルであり<ref>[http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2014/01/weodata/weorept.aspx?pr.x=53&pr.y=6&sy=2013&ey=2013&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&c=652&s=NGDPD%2CNGDPDPC&grp=0&a= IMFによるGDP]</ref>、[[長崎県]]とほぼ同じ経済規模である<ref>{{PDFlink|[https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kenmin/files/contents/pdf/gaiyou1.pdf 内閣府による県民経済計算]}}</ref>。同年の一人当たりのGDPは1,729ドルであり、世界平均の2割程度で世界的に下位に留まっているが、近年は原油の商業生産が始まったことにより経済成長も著しい。 |
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経済は農業・鉱業 |
経済は農業・鉱業などなどの一次産業に依存し、特にカカオは世界有数の産出量を誇る。独立直後から債務超過に悩んでいたが、[[1983年]]以降、構造調整を実施して経済の再建に取り組んだ結果、[[1980年代]]後半から平均5%のGDP成長率を達成しアフリカにおける[[構造調整]]の優等生として評価されてきた。 |
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2000年代に入ると[[金]]や[[カカオ]]の国際価格の低迷、主要輸入品である[[原油価格]]の高騰などにより経済は低迷。[[2001年]]3月、拡大HIPC(重債務貧困国)イニシアティブ適用による債務救済申請を行う政策転換を行い、経済再建へ向けた努力を行っている。その結果、マクロ経済状況は改善、安定してきている。 |
2000年代に入ると[[金]]や[[カカオ]]の国際価格の低迷、主要輸入品である[[原油価格]]の高騰などにより経済は低迷。[[2001年]]3月、拡大HIPC(重債務貧困国)イニシアティブ適用による債務救済申請を行う政策転換を行い、経済再建へ向けた努力を行っている。その結果、マクロ経済状況は改善、安定してきている。 |
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[[電力]]は[[アコソンボダム]]による大規模な水力発電が行われており、総発電量のうち水力の割合は6割強を占める。この電力はトーゴやベナン、コートジボワールに輸出されており<ref>田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p94、朝倉書店 ISBN 4254166621 </ref>、テマ市ではこの電力による[[アルミニウム]][[精錬]]も行われている。しかし水力発電は[[旱魃]]に弱く、また近年の経済成長と送電網の不備により電力不足がたびたび生じている<ref>{{Cite report|title=ガーナ BOP層実態調査レポート - 電力事情|year=2013|publisher=日本貿易振興機構|url=https://www.jetro.go.jp/ext_images/theme/bop/precedents/pdf/lifestyle_electricity_gh.pdf|format=PDF|accessdate=2022-2-16|language=ja}}</ref>。 |
[[電力]]は[[アコソンボダム]]による大規模な水力発電が行われており、総発電量のうち水力の割合は6割強を占める。この電力はトーゴやベナン、コートジボワールに輸出されており<ref>田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p94、朝倉書店 ISBN 4254166621 </ref>、テマ市ではこの電力による[[アルミニウム]][[精錬]]も行われている。しかし水力発電は[[旱魃]]に弱く、また近年の経済成長と送電網の不備により電力不足がたびたび生じている<ref>{{Cite report|title=ガーナ BOP層実態調査レポート - 電力事情|year=2013|publisher=日本貿易振興機構|url=https://www.jetro.go.jp/ext_images/theme/bop/precedents/pdf/lifestyle_electricity_gh.pdf|format=PDF|accessdate=2022-2-16|language=ja}}</ref>。 |
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近年、金や[[ダイヤモンド]]などの詐欺事件が多発し、対策として高価値鉱物マーケティング公社(PMMC)という公的機関も設立されているが、公的機関の書類自体も偽造されている場合があり注意が必要である<ref>{{Cite web|url=https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcsafetymeasure_096.html|title=ガーナ 安全対策基礎データ 「犯罪発生状況、防犯対策」|accessdate=2021- |
近年、金や[[ダイヤモンド]]などの詐欺事件が多発し、対策として高価値鉱物マーケティング公社(PMMC)という公的機関も設立されているが、公的機関の書類自体も偽造されている場合があり注意が必要である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcsafetymeasure_096.html|title=ガーナ 安全対策基礎データ 「犯罪発生状況、防犯対策」|accessdate=2021-08-31|publisher=外務省|date=2020-01-27|work=海外安全情報}}</ref>。2000年代後半には金の価格が高騰し、関連産業も賑わいを見せるようになったが、次第に中国人が流入した。2013年には3万人とも5万人とも推定される労働者(鉱夫)が違法労働を行うようになり、当局に検挙される事例が増えている<ref>{{Cite news|url=https://newsphere.jp/world-report/20130611-1/|title=ガーナで中国人大量逮捕 身勝手すぎる理由とは?|date=2013-6-11|accessdate=2021-8-31|newspaper=NewSphere}}</ref>。 |
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[[2020年]]、[[フォルクスワーゲン]]がガーナに進出して自動車組み立て工場の建設に着手。年間生産量は5000台を計画しているが、2019年のガーナの新車登録台数は5700台となっており、余剰生産分は周辺国などへの輸出が検討されている<ref>{{Cite web |
[[2020年]]、[[フォルクスワーゲン]]がガーナに進出して自動車組み立て工場の建設に着手。年間生産量は5000台を計画しているが、2019年のガーナの新車登録台数は5700台となっており、余剰生産分は周辺国などへの輸出が検討されている<ref>{{Cite web|和書|date=2020-08-14 |url=https://www.jetro.go.jp/biznews/2020/08/f52b168ba2d6221e.html |title=フォルクスワーゲンがガーナに組み立て工場を設立 |publisher=JETRO |accessdate=2020-12-30}}</ref>。 |
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=== 農林業 === |
=== 農林業 === |
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カカオ豆の生産は、ほとんどが貧困にあえぐ零細農家の手により行われており、農地([[焼畑農業]])拡大のための場当たり的な[[森林伐採]]、[[児童労働]]の誘発など環境や社会経済に大きな影響を与えている。[[2019年]]11月、アフリカへの投資フォーラムへ出席したナナ・アクフォ=アド大統領は、コートジボワールとともに豆の価格管理を進めることを発表した。演説の中で「[[チョコレート]]産業は1,000億ドル規模だが、農家が労働と引き換えに手にする額は60億ドルにすぎない」として農家への還元を求めた<ref>「チョコレート産業 甘み少ない農家」『読売新聞』2020年2月28日6面</ref>。 |
カカオ豆の生産は、ほとんどが貧困にあえぐ零細農家の手により行われており、農地([[焼畑農業]])拡大のための場当たり的な[[森林伐採]]、[[児童労働]]の誘発など環境や社会経済に大きな影響を与えている。[[2019年]]11月、アフリカへの投資フォーラムへ出席したナナ・アクフォ=アド大統領は、コートジボワールとともに豆の価格管理を進めることを発表した。演説の中で「[[チョコレート]]産業は1,000億ドル規模だが、農家が労働と引き換えに手にする額は60億ドルにすぎない」として農家への還元を求めた<ref>「チョコレート産業 甘み少ない農家」『読売新聞』2020年2月28日6面</ref>。 |
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一方、カカオの生産は天候に左右されやすく、[[2023年]]から[[2024年]]にかけて発生した[[干ばつ]]では収穫量が極端に減少。カカオの木が枯れる被害も発生した<ref>{{Cite web |url=https://toyokeizai.net/articles/-/746128 |title=産地にいったい何が?「チョコレート危機」の実態 カカオ豆価格は1年で3倍、現地からも不安の声 |publisher=東洋経済オンライン |date=2024-04-07 |accessdate=2024-09-07}}</ref>。 |
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農林産品としてはこのほか、[[カシューナッツ]]や[[木材]]の輸出もある。自給用作物としては、[[キャッサバ]]・[[ヤムイモ]]・[[タロイモ]]の生産が世界10位以内となっている<ref name=":0" />。 |
農林産品としてはこのほか、[[カシューナッツ]]や[[木材]]の輸出もある。自給用作物としては、[[キャッサバ]]・[[ヤムイモ]]・[[タロイモ]]の生産が世界10位以内となっている<ref name=":0" />。 |
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1990年時点の[[森林率]]は42%であるが<ref>日本林業技術協会『森林・林業百科辞典』p777 丸善 2001年 {{全国書誌番号|20184122}}</ref>漸減傾向にある。これは木材生産量の95%が国内向けの燃料用材となっており、大規模な伐採が続いているためである<ref>{{Cite web |
1990年時点の[[森林率]]は42%であるが<ref>日本林業技術協会『森林・林業百科辞典』p777 丸善 2001年 {{全国書誌番号|20184122}}</ref>漸減傾向にある。これは木材生産量の95%が国内向けの燃料用材となっており、大規模な伐採が続いているためである<ref>{{Cite web|和書|url=https://openjicareport.jica.go.jp/pdf/11529203_01.pdf |title=ガーナ国移行帯地域森林保全管理計画調査 |publisher=JICA |date=1999 |accessdate=2021-06-30}}</ref>。 |
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=== 2022年デフォルト === |
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2022年12月19日、ガーナは経済危機に見舞われ、事実上のデフォルト([[デフォルト (金融)|債務不履行]])に陥った<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.reuters.com/article/ghana-economy-debt-idJPKBN2T31IZ|title=ガーナが事実上のデフォルト、大半の対外債務支払いを停止|accessdate=2022-12-20|publisher=ロイター通信}}</ref>。 |
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== 交通 == |
== 交通 == |
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[[ファイル:Railway Station Kumasi 2005.jpg|thumb|[[クマシ]]の鉄道駅]] |
[[ファイル:Railway Station Kumasi 2005.jpg|thumb|[[クマシ]]の鉄道駅]] |
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{{main|{{仮リンク|ガーナの交通|en|Transport in Ghana}}}} |
{{main|{{仮リンク|ガーナの交通|en|Transport in Ghana}}}} |
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{{see also|ガーナの空港の一覧|ガーナの鉄道}} |
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[[コトカ国際空港]]は同国における[[ハブ空港]]であり、国内線のみならずアフリカの近辺国や欧米との航空路線も多く運航されている。[[鉄道]]は1903年の開通後、アクラ、クマシ、セコンディ・タコラディの3都市を互いに結ぶ路線網を維持しているが貨物主体であり、2011年時点で、旅客列車はアクラ近郊の2路線(テマ |
[[コトカ国際空港]]は同国における[[ハブ空港]]であり、国内線のみならずアフリカの近辺国や欧米との航空路線も多く運航されている。[[鉄道]]は1903年の開通後、アクラ、クマシ、セコンディ・タコラディの3都市を互いに結ぶ路線網を維持しているが貨物主体であり、2011年時点で、旅客列車はアクラ近郊の2路線(テマなど)のみの運転となっている<ref>{{Harvnb|高根|山田|2011|p=146}}</ref>。一般の旅客輸送はトロトロ(ワゴンタイプのミニバス)や大型の都市間[[バス (交通機関)|バス]]などが主体となっている<ref>{{Harvnb|高根|山田|2011|p=148}}</ref>。 |
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== 国民 == |
== 国民 == |
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{{main|{{仮リンク|ガーナの人口統計|en|Demographics of Ghana}}|{{仮リンク|ガーナへの移民|en|Immigration to Ghana}}}} |
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=== 民族 === |
=== 民族 === |
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=== 言語 === |
=== 言語 === |
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[[公用語]]は[[英語]]であり、その他に[[アカン語]]、[[ダバニ語]]<!--[[モシ・ダゴンバ語]]-->、[[エウェ語]]、[[ガー語]]などが使われる。 |
[[公用語]]は[[英語]]であり、その他に[[アカン語]]、[[ダバニ語]]<!--[[モシ・ダゴンバ語]]-->、[[エウェ語]]、[[ガー語]]などが使われる。 |
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=== 宗教 === |
=== 宗教 === |
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[[ファイル:Wesley Methodist Cathedral, Kumasi, Ghana.jpg|thumb|[[クマシ]]の[[キリスト教]]大聖堂]] |
[[ファイル:Wesley Methodist Cathedral, Kumasi, Ghana.jpg|thumb|[[クマシ]]の[[キリスト教]]大聖堂]] |
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{{main|ガーナの宗教| |
{{main|{{仮リンク|ガーナの宗教|en|Religion in Ghana}}}} |
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2000年のセンサスによれば、国民の68.8%が[[キリスト教徒]]である。そのうちの24.1%が[[ペンテコステ派]]、18.6%が[[プロテスタント]]、15.1%が[[カトリック教会|カトリック]]、その他の[[キリスト教]]が11.5%である。[[イスラム教|イスラーム]]は国民の15.9%を擁し、伝統宗教が8.5%、その他の宗教が0.7%、[[無宗教]]が6.1%となる<ref name=2009cia/>。 |
2000年のセンサスによれば、国民の68.8%が[[キリスト教徒]]である。そのうちの24.1%が[[ペンテコステ派]]、18.6%が[[プロテスタント]]、15.1%が[[カトリック教会|カトリック]]、その他の[[キリスト教]]が11.5%である。[[イスラム教|イスラーム]]は国民の15.9%を擁し、伝統宗教が8.5%、その他の宗教が0.7%、[[無宗教]]が6.1%となる<ref name=2009cia/>。 |
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2年間の就学前教育と6年間の[[初等教育]]が[[義務教育]]であり、初等教育の後に3年間の[[前期中等教育]]と4年間の[[後期中等教育]]を経て[[高等教育]]への道が開ける。初等教育から学校教育における[[教授言語]]は英語であり、ガーナの公立学校では小学校1年生から英語で授業が行われる。2000年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は57.9%(男性:66.4%、女性:49.8%)である<ref name=2009cia>[https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/gh.html CIA World Factbook]2009年11月26日閲覧。</ref>。2005年にはGDPの5.4%が教育費に支出された<ref name=2009cia/>。 |
2年間の就学前教育と6年間の[[初等教育]]が[[義務教育]]であり、初等教育の後に3年間の[[前期中等教育]]と4年間の[[後期中等教育]]を経て[[高等教育]]への道が開ける。初等教育から学校教育における[[教授言語]]は英語であり、ガーナの公立学校では小学校1年生から英語で授業が行われる。2000年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は57.9%(男性:66.4%、女性:49.8%)である<ref name=2009cia>[https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/gh.html CIA World Factbook]2009年11月26日閲覧。</ref>。2005年にはGDPの5.4%が教育費に支出された<ref name=2009cia/>。 |
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おもな[[高等教育]]機関としては[[ガーナ大学]](1948)、{{仮リンク|クマシ工科大学|label=クマシ大学|en|Kumasi Technical University}}、 |
おもな[[高等教育]]機関としては[[ガーナ大学]](1948)、{{仮リンク|クマシ工科大学|label=クマシ大学|en|Kumasi Technical University}}、[[クワメ・エンクルマ科学技術大学]]、{{仮リンク|ケープ・コースト大学|en|University of Cape Coast}}などの名が挙げられる。 |
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{{See also|{{仮リンク|ガーナの大学一覧|en|List of universities in Ghana}}}} |
{{See also|{{仮リンク|ガーナの大学一覧|en|List of universities in Ghana}}}} |
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== 治安 == |
== 治安 == |
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同国の治安情勢は、西アフリカ諸国において比較的良い部類とされているが、[[日本外務省]]における2017年時点での危険情報によればガーナ全域が危険レベル1との注意が発令されており、2020年2月時点から隣国[[ブルキナファソ]]の治安悪化に伴い、ブルキナファソとの国境地域と[[トーゴ]]、[[コートジボワール]]との一部の国境地域に対する危険度がレベル2に引き上げられている。加えて、首都アクラを中心に[[外国人]]を狙った犯行が発生している問題点がある<ref>{{Cite web|url=https://www.anzen.mofa.go.jp/info/ |
同国の治安情勢は、西アフリカ諸国において比較的良い部類とされているが、[[日本外務省]]における2017年時点での危険情報によればガーナ全域が危険レベル1との注意が発令されており、2020年2月時点から隣国[[ブルキナファソ]]の治安悪化に伴い、ブルキナファソとの国境地域と[[トーゴ]]、[[コートジボワール]]との一部の国境地域に対する危険度がレベル2に引き上げられている。そして、2024年10月、アッパー・イースト州などで部族間の対立が激化していることが確認されており、夜間外出禁止令が発出していることから、アッパー・イースト州をレベル2に引き上げ、不要不急の渡航をやめるよう勧告した。加えて、首都アクラを中心に[[外国人]]を狙った犯行が発生している問題点がある<ref>{{Cite web |title=外務省 海外安全ホームページ |url=https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pchazardspecificinfo_2024T090.html#ad-image-0 |website=外務省 海外安全ホームページ |access-date=2024-10-02 |language=ja |last=外務省}}</ref>。 |
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また、ガーナでは治安の良くない地域がピンポイントに存在しており、北部州の[[ビンビラ]]や[[クパティンガ]]、[[ブンプルク]]ならびにヴォルタ州の[[アラヴァンヨ]]や[[ウコンヤ]]は[[首長]]が没したことによって次代首長の座を巡って争いが勃発していたり、[[部族]]と同国政府の衝突が起きていることをはじめ、当該エリアから夜間外出禁止令も出されている事情により治安が安定しておらず、他のアフリカ諸国地域同様に今後の変化が大きいものとなる可能性があることを留意する必要がある。 |
また、ガーナでは治安の良くない地域がピンポイントに存在しており、北部州の[[ビンビラ]]や[[クパティンガ]]、[[ブンプルク]]ならびにヴォルタ州の[[アラヴァンヨ]]や[[ウコンヤ]]は[[首長]]が没したことによって次代首長の座を巡って争いが勃発していたり、[[部族]]と同国政府の衝突が起きていることをはじめ、当該エリアから夜間外出禁止令も出されている事情により治安が安定しておらず、他のアフリカ諸国地域同様に今後の変化が大きいものとなる可能性があることを留意する必要がある。 |
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=== 人権 === |
=== 人権 === |
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{{節スタブ}} |
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{{main|{{仮リンク|ガーナのメディア|en|Mass media in Ghana}}}} |
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{{See also|{{仮リンク|ガーナ |
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== 文化 == |
== 文化 == |
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=== 文学 === |
=== 文学 === |
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[[小説家]]を数多く輩出している。代表的な人物には{{仮リンク|クオブナ・オトバ・クゴアーノ|fr|Quobna Ottobah Cugoano}}、{{仮リンク|アイシャ・ハルーナ・アッタ|fr|Ayesha Harruna Attah}}、{{仮リンク|ナナ・オフォリアッタ・アイム|fr|Nana Oforiatta Ayim}}らが存在する。 |
[[小説家]]を数多く輩出している。代表的な人物には{{仮リンク|クオブナ・オトバ・クゴアーノ|fr|Quobna Ottobah Cugoano}}、{{仮リンク|アイシャ・ハルーナ・アッタ|fr|Ayesha Harruna Attah}}、{{仮リンク|ナナ・オフォリアッタ・アイム|fr|Nana Oforiatta Ayim}}らが存在する。 |
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{{See also|アフリカ文学}} |
{{See also|アフリカ文学}} |
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[[ファイル:Dashiki and kufi.jpg|thumb|220px|ガーナの鼓手]] |
[[ファイル:Dashiki and kufi.jpg|thumb|220px|ガーナの鼓手]] |
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{{main|{{仮リンク|ガーナの音楽|en|Music of Ghana}}}} |
{{main|{{仮リンク|ガーナの音楽|en|Music of Ghana}}}} |
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[[1920年代]]に[[リベリア]]や[[シエラ・レオネ]]で生まれた{{仮リンク|パームワイン・ミュージック|en|Palm-wine music}}を発展する形で[[ハイライフ]]が生まれた。ハイライフは最初期に成立したアフリカの[[ポピュラー音楽]]であり、近隣の[[ナイジェリア]]や[[シエラ・レオネ]]など英語圏に拡大したほか、[[ベルギー領コンゴ]]にも波及して{{仮リンク|フランコ・ルアンボ|label=フランコ|en|Franco Luambo}}や |
[[1920年代]]に[[リベリア]]や[[シエラ・レオネ]]で生まれた{{仮リンク|パームワイン・ミュージック|en|Palm-wine music}}を発展する形で[[ハイライフ]]が生まれた。ハイライフは最初期に成立したアフリカの[[ポピュラー音楽]]であり、近隣の[[ナイジェリア]]や[[シエラ・レオネ]]など英語圏に拡大したほか、[[ベルギー領コンゴ]]にも波及して{{仮リンク|フランコ・ルアンボ|label=フランコ|en|Franco Luambo}}や[[パパ・ウェンバ]]らに影響を与え、{{仮リンク|キューバ音楽|en|Music of Cuba}}とともに[[スークース|リンガラ・ポップス]](ルンバ・ロック)成立に大きな影響を与えた。 |
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[[1990年代]]にはハイライフ、[[アフロ=レゲエ]]、[[ダンスホールレゲエ|ダンスホール]]、[[ヒップ・ホップ]]などの影響を受けた若者によって新たなジャンルが創造された。この新たなハイブリッド音楽は'''{{仮リンク|ヒップライフ|en|Hiplife}}'''と呼ばれている。R&B/ソウルの歌手{{仮リンク|リアン・ベンソン|label=ライアン・ベンソン|en|Rhian Benson}}やハイライフ歌手の{{仮リンク|コージョ・アントウィ|en|Kojo Antwi}}、[[ラッパー]]の{{仮リンク|ティンチー・ストライダー|en|Tinchy Stryder}}などのガーナのミュージシャンは国際的な成功を収めている。 |
[[1990年代]]にはハイライフ、[[アフロ=レゲエ]]、[[ダンスホールレゲエ|ダンスホール]]、[[ヒップ・ホップ]]などの影響を受けた若者によって新たなジャンルが創造された。この新たなハイブリッド音楽は'''{{仮リンク|ヒップライフ|en|Hiplife}}'''と呼ばれている。R&B/ソウルの歌手{{仮リンク|リアン・ベンソン|label=ライアン・ベンソン|en|Rhian Benson}}やハイライフ歌手の{{仮リンク|コージョ・アントウィ|en|Kojo Antwi}}、[[ラッパー]]の{{仮リンク|ティンチー・ストライダー|en|Tinchy Stryder}}などのガーナのミュージシャンは国際的な成功を収めている。 |
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=== 祝祭日 === |
=== 祝祭日 === |
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{{main|{{仮リンク|ガーナの祝日|en|Public holidays in Ghana}}}} |
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{| class="wikitable" style="margin:auto;" |
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|[[ヒジュラ暦]]第10月 ||{{仮リンク|シャウワール|en|Shawwal}} || ||1日から[[イド・アル=フィトル]]となる。別名で『[[断食]]の[[祭典]]』とも呼ばれる。 |
|[[ヒジュラ暦]]第10月 ||{{仮リンク|シャウワール|en|Shawwal}} || ||1日から[[イド・アル=フィトル]]となる。別名で『[[断食]]の[[祭典]]』とも呼ばれる。 |
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|ヒジュラ暦第12月 || |
|ヒジュラ暦第12月 ||[[ズー・アル=ヒッジャ]] || ||10日から[[イード・アル=アドハー]]([[犠牲祭]])となる。別名で『[[犠牲]]の饗宴』とも呼ばれる。 |
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== スポーツ == |
== スポーツ == |
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{{Main|{{仮リンク|ガーナのスポーツ|en|Sports in Ghana}}}} |
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[[File:Asamoah_Gyan_(2014).jpg|thumb|right|200px|[[アサモア・ギャン]]]] |
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=== サッカー === |
=== サッカー === |
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{{Main|{{仮リンク|ガーナのサッカー|en|Football in Ghana}}}} |
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ガーナ国内では[[サッカー]]が圧倒的に1番人気の[[スポーツ]]であり、国民的な |
ガーナ国内では[[サッカー]]が圧倒的に1番人気の[[スポーツ]]であり、国民的なアイデンティティである。[[ガーナサッカー協会]](GFA)によって構成される[[サッカーガーナ代表]]は「'''ブラック・スターズ''' (The Black Stars)」の愛称で国中から絶大な支持を集めており、[[アフリカネイションズカップ]]では[[アフリカネイションズカップ1963|1963年大会]]、[[アフリカネイションズカップ1965|1965年大会]]、[[アフリカネイションズカップ1978|1978年大会]]、[[アフリカネイションズカップ1982|1982年大会]]と4度の優勝を飾っている。さらに[[1992年]]の[[1992年バルセロナオリンピックのサッカー競技|バルセロナ五輪]]では、銅メダルを獲得している。 |
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[[FIFAワールドカップ]]には |
[[FIFAワールドカップ]]には[[2006 FIFAワールドカップ|2006年ドイツ大会]]で初出場しグループリーグを突破したが、決勝トーナメントで[[2002 FIFAワールドカップ|前回大会王者]]の[[サッカーブラジル代表|ブラジル代表]]と当たりベスト16で敗退した。続く[[2010 FIFAワールドカップ|2010年南アフリカ大会]]にも出場し、アフリカ勢では[[1990年]]の[[サッカーカメルーン代表|カメルーン代表]]、[[2002年]]の[[サッカーセネガル代表|セネガル代表]]以来となるベスト8に進出した。[[2014 FIFAワールドカップ|2014年ブラジル大会]]では、まさかのグループリーグ最下位での敗退となった。[[2022 FIFAワールドカップ|2022年カタール大会]]にも2大会ぶりに出場を果たした<ref>[https://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20220330/1635412.html ハリル率いるモロッコ、カメルーン、チュニジアがW杯へ 出場5カ国決定/アフリカ最終予選]サッカーキング 2022年3月30日</ref>。 |
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[[1956年]]に |
国内リーグとしては[[1956年]]に[[ガーナ・プレミアリーグ]]が創設されており、[[アサンテ・コトコSC]]と[[アクラ・ハーツ・オブ・オーク]]の二強によってリーグは圧倒的に支配されている。また、[[リーグ戦]]以外にも{{仮リンク|ガーナFAカップ|en|Ghanaian FA Cup}}や{{仮リンク|ガーナ・スーパーカップ|en|Ghana Super Cup}}なども存在する。 |
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=== ボクシング === |
=== ボクシング === |
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ガーナではサッカーの次に[[ボクシング]]も盛んであり、元[[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[ウェルター級]]王者の[[アイク・クォーティ]]や、元[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界[[ウェルター級]]王者の[[ジョシュア・クロッティ]]など、単なる一王者ではなく世界水準でも評価の高い好選手を輩出している。さらに[[アズマー・ネルソン]]は、ガーナのみならず「アフリカボクシング界」全体の象徴になるまでの評価を得た選手である。 |
ガーナではサッカーの次に[[ボクシング]]も盛んであり、元[[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[ウェルター級]]王者の[[アイク・クォーティ]]や、元[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界[[ウェルター級]]王者の[[ジョシュア・クロッティ]]など、単なる一王者ではなく世界水準でも評価の高い好選手を輩出している。さらに[[アズマー・ネルソン]]は、ガーナのみならず「アフリカボクシング界」全体の象徴になるまでの評価を得た選手である。 |
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=== オリンピック === |
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== 著名な出身者 == |
== 著名な出身者 == |
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2024年10月2日 (水) 07:46時点における版
- ガーナ共和国
- Republic of Ghana
-
(国旗) (国章) - 国の標語:Freedom and Justice
(英語: 自由と正義) - 国歌:God Bless Our Homeland Ghana
神よ、祖国ガーナを賛美したもう -
公用語 英語 首都 アクラ 最大の都市 アクラ 独立
- 日付イギリスから
1957年3月6日通貨 セディ(GHS (GH¢)) 時間帯 UTC(0) (DST:なし) ISO 3166-1 GH / GHA ccTLD .gh 国際電話番号 233
ガーナ共和国(ガーナきょうわこく)、通称ガーナは、西アフリカにある共和制国家。イギリス連邦加盟国。東はトーゴ、北はブルキナファソ、西はコートジボワールと国境を接し、南は大西洋に面する。首都はアクラ。
概要
ガーナは脱植民地化が活発であった最中の1957年、サハラ以南のアフリカにおいて初めて現地人が中心となってヨーロッパの宗主国から独立を達成した国家である。
イギリス領ゴールド・コーストと呼ばれていたが、独立に際して国名を「ガーナ」に変更した。
また、初代大統領クワメ・エンクルマは、アフリカ統一運動を推進したことで有名。
ダイヤモンドや金を産出しており、カカオ豆の産地としても有名。2010年12月から沖合油田で原油・ガス生産が始まり、国際的に大きな注目を集めている。
国名
正式名称は英語で、Republic of Ghana(リパブリク・オブ・ガーナ)。通称、Ghana [ˈɡɑːnə] ( 音声ファイル) ガーナ)。
日本語の表記は、ガーナ共和国。
漢字表記では、加納。
植民地時代はイギリス領ゴールド・コースト(黄金海岸)と呼ばれていたが、独立に際してかつて西アフリカに栄えたガーナ帝国から新国名を採用した。
アカン系諸民族は中世以降、中部ギニアの金産地を掌握し、いくつもの王国を建てた(アシャンティ王国、アクワム、デンキイラ、アキムなど)。彼らの祖先は北からやって来た古代ガーナ王国の末裔との伝説を持っているため、アカン系民族が多数を占める旧イギリス領黄金海岸の独立時にガーナ共和国との国名が採用された[3]。
「ガーナ」とは現地語で「戦士王」という意味になる。
歴史
紀元前後
この地域が注目されるのは、紀元前2000年紀のキンタンポ文化の出現からである。新石器時代後期に位置づけられるこの文化の人々は、森林とサバンナの境界地帯に住み、交易を行いつつも狩猟と採集によって暮らしていた。2世紀ごろからハニ遺跡で製鉄が行われたことがわかっている。
13世紀以前
現在のモーリタニアとマリを部分的にカバーする内陸国としてガーナ王国が8世紀 - 13世紀に存在した。サヘル地域にいたアカン族が現在のガーナを含むギニア湾以西の海岸付近にやってきたのは11世紀ごろである。
13 - 16世紀
13世紀から16世紀は、ベゴーをはじめいくつかの町がサハラ交易の一端を担ったとも思われるが、ボノ・マンソに見られるように地域的なものにとどまった町もあったと思われる。また、西方からアカン人、モシ人、エウェ人、ゲン人(英: Mina-Gen people、グベ人 - 英: Gebe people)が移住し、先住民と対立しその後圧迫していった。
15世紀にはポルトガル人が到来し、エルミナなどに城塞を築き、奴隷貿易の拠点とした。その後、金が産出することがわかると「黄金海岸」と呼ばれるようになった。その後、ドイツ人やデンマーク人、イギリス人、オランダ人が来航し、金と奴隷の貿易を奴隷制が廃止される19世紀まで続けた。大西洋三角貿易により多くの人々がアメリカ大陸に連行され、1776年に独立したアメリカ合衆国においては、労働力として使われることとなった。
アシャンティ王国
17世紀には奴隷貿易で力を蓄え、ヨーロッパ人から購入した銃火器で周辺の民族に対して優位に立ったアシャンティ人のオセイ・トゥトゥがアシャンティ王国を建設し、大いに繁栄した。王国は18世紀から19世紀初頭にかけて全盛期を迎え、海岸部のファンテや北部のダゴンバなどを支配下に収めて現在のガーナの版図の大部分を勢力下とした。しかし、19世紀初頭にイギリスをはじめとする各国が奴隷貿易を禁止すると、アシャンティの主力輸出品は金となった。
イギリス植民地
19世紀初頭には、この地域の海岸部にはケープコーストを拠点とするイギリスとエルミナを拠点とするオランダ、そしてデンマークの3か国が勢力を持っていた。このうち有力なのはイギリスであったが、奴隷貿易の禁止と海岸部のファンテ人の支配権をめぐってアシャンティとの関係が悪化し、1824年には第一次イギリス・アシャンティ戦争が勃発した。この戦争によってイギリスは沿岸部の支配権を確立し、1850年にはデンマークの砦を買収してさらに支配を固めたが[4]、このころから再びアシャンティとの関係が悪化した。アシャンティはオランダ人と協力することでイギリスと対抗していたが、1872年にオランダがエルミナをはじめとするこの地方のすべての拠点をイギリスに売却し撤退したため交易ルートが途絶し、経済的に打撃をこうむった。このため同年第二次イギリス・アシャンティ戦争が勃発したが、イギリスは勝利を重ね、1874年にはアシャンティの首都クマシに入城して講和が締結された。この戦いのあと、イギリスは沿岸部の開発を進め、一方アシャンティは権威の失墜により勢力は大幅に縮小した[5]。
イギリス領ゴールドコーストへ
アフリカ分割が激化した1896年、イギリスは3度アシャンティに侵攻し、国王プレンペー2世を捕らえセーシェルへと流罪にした。この時点でアシャンティはイギリスの保護下に置かれたが、1900年にホジソン総督がアシャンティのレガリアである「黄金の床几」を要求したことで全土に及ぶ大反乱が勃発した[6](黄金の床几戦争)。この戦争でアシャンティは完全に滅亡し、イギリス領ゴールド・コーストは従来の沿岸部に加えアシャンティや北部などを編入した。
英領ゴールド・コーストにおいては、従来の金や木材に加え、1879年にテテ・クワシによって持ち込まれたカカオ豆の栽培が急速に普及し、1911年には世界最大の生産国となった[7]。こうした産品の輸出でゴールド・コースト経済は繁栄し、鉄道の敷設や学校の建設などが行われた。
イギリスは第二次世界大戦に連合国の1国として勝利したものの、その国力は衰退しており、これを受けて民族主義の気運が高まった。1947年には独立を目的とした「連合ゴールドコースト会議」が設立され、クワメ・エンクルマが1949年には会議人民党を設立した。部族間の争いを越えて独立を標榜する会議人民党は人々の広範な支持を得て、1951年の選挙では圧倒的過半数を占める第一党となった。
独立以降
1956年にはエンクルマの下に自治政府が成立し、翌1957年に東隣のイギリス領トーゴランドと合わせて独立を達成し、ブラック・アフリカ初の独立国となった。独立当初のガーナはイギリス国王を立憲君主に頂く英連邦王国であったが、1960年に共和制へ移行し、エンクルマが初代大統領となった。エンクルマは汎アフリカ主義を掲げ、冷戦下において社会主義圏(東側諸国)やギニアとの友好関係を強化し、財政強化に努めたが、債務超過など失政を招き1966年にクーデターで失脚した。政権を掌握した国家解放評議会はエンクルマの政策から脱し、1969年には選挙を実施した。同選挙でコフィ・ブシアが首相に選ばれ民政に移管したが、反エンクルマ政策によるアカン人中心主義的な政策が国内の諸民族の反発を招き、1972年にはイグナティウス・アチャンポン将軍がクーデターを起こし、政権を握った。しかし国情は安定せず、経済停滞から幾度か政変が発生した。
1979年に軍事クーデターを起こしたジェリー・ローリングス空軍大尉が政権を掌握し、民政移管期間を挟んで1981年に完全な軍政を敷いた。ローリングスはガーナ経済再建のためにIMFや世界銀行の構造調整計画を受け入れ、所得格差の拡大とともにガーナ経済と政治の安定化を達成した。ローリングスは複数政党制を認めた1992年の選挙で大統領に選出され、軍政から民政移管した。これを受けて、政治をボイコットしてきた野党も国政に参加を表明し、国情は安定を迎えた。ローリングスは2001年まで大統領を務め、後任には選挙に勝利した新愛国党のジョン・アジェクム・クフォーが大統領に就任した。
近年
政情が安定し、自由選挙により平和的に政権が移譲されるようになったことから、現在は西アフリカにおける数少ない議会制民主主義国として知られるようになった。2009年の選挙では国民民主会議が勝利し、ジョン・アッタ・ミルズが大統領に就任した[8]。2012年7月24日、ミルズは首都アクラの病院で急死。副大統領のジョン・ドラマニ・マハマが大統領に昇格した[9]。2016年の選挙では新愛国党が政権を奪回し、ナナ・アクフォ=アドが大統領の座に就いた[10]。
2020年9月25日、ガーナ東部の分離独立派が西トーゴランドの独立を宣言した[11]。
政治
ガーナは国家体制として共和制、大統領制をとる立憲国家である。現行憲法は1992年4月28日に制定されたもの。
行政
国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出される。任期は4年。3選は禁止。内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは大統領により任命されるが、国民議会の承認が必要である。首相職はかつて存在したが、現行憲法下では存在しない。
立法
立法府は一院制の国民議会。定数は230議席で、議員は小選挙区制に基づき国民の直接選挙によって選出される。議員の任期は4年である。
ガーナは1992年に現行憲法が施行されて以降、複数政党制が認められており、実質的には二大政党制が機能している。1つは自由民主主義を掲げる中道右派の新愛国党(NPP)、もう1つは社会民主主義を掲げる中道左派の国民民主会議(NDC)である。その他の勢力は二大政党ほどの影響力は持っていないが、比較的有力なものに人民国民会議(PNC)がある。かつてクワメ・ンクルマ初代大統領のもとで権勢を振るった会議人民党(CPP)は現在も存続しているが、勢力は弱体化している。
司法
司法府の最高機関は最高裁判所であり、その下に高等裁判所、巡回裁判所、地方裁判所が置かれている。
国際関係
西アフリカ諸国経済共同体の主導的な立場にある国のひとつである。アフリカの周辺諸国のみならず、旧宗主国のイギリスをはじめとした欧米諸国とも友好関係を保っている。
日本との関係では、野口英世がイギリスの植民地下のガーナで黄熱病の研究中に死去しているなど、古くから関係があり、英世の故郷である福島県の福島県立医科大学が医師を派遣するなど関係も深い。日本の援助で、1979年にガーナ大学に野口記念医学研究所が設立された[12]。また2006年には、千葉県浦安市などから自転車などの無償援助を受けている。2009年の国際交流基金による日本語教育機関調査では、ガーナにおける日本語学習者の数は906人であり、サハラ以南では、中央アフリカ、マダガスカル、ケニアに継ぐ第4位である。2021年10月現在の在留日本人数は267人、2020年12月現在の在日ガーナ人数は2,506人である[13]。
日本のガーナからの輸入品の大半はカカオであり、2013年にはガーナからの輸入の76.7%を占めていた[14]。大手菓子メーカーロッテの商品「ガーナチョコレート」により、日本においてはガーナがカカオ豆の産出地であることが知られている。
日本との関係
駐日ガーナ大使館
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ガーナ大使館全景
-
ガーナ大使館開館時間
-
ガーナ大使館正面玄関
国家安全保障
ガーナ軍(GAF)は地上軍と海軍、空軍の3つで構成されている。また、同国では国境警備隊が配備されており、警備隊の最高軍事司令官は同国軍と同じく大統領が兼任している。
地理
ギニア湾に面しており、ヴォルタ川流域の低地が国土の大半を占めるため、最高標高点は885メートルに過ぎない。ヴォルタ川水系の面積は国土面積の77%を占める。特に1965年にヴォルタ川をせき止めて作ったアコソンボダムが有名。自然湖としてボスムトゥイ湖が存在している。
気候的には全土が熱帯に属する。西部州やアシャンティ州をはじめとする南西部は熱帯モンスーン気候(Am)に属し、多量の降雨に恵まれて熱帯雨林が広がっている。ガーナ経済を支えるカカオはおもにこの地域で栽培される。海岸部でも首都アクラを中心とする東部は降水量が少なく、サバナ気候(Aw)に属する。中部から北部にかけてもサバナ気候に属し、サバンナが広がる。北に行くほど降水量は少なくなり、乾燥の度合いが強くなるが、少ない地域でも1,000ミリ前後の降水量はある[15]。
地方行政区分
ガーナは2018年以降16州(region)から構成されている。
- アハフォ州(Ahafo)
- アシャンティ州(Ashanti)
- ボノ州(Bono)
- ボノ・イースト州(東ボノ州、Bono East)
- セントラル州(中央州、Central)
- イースタン州(東部州、Eastern)
- グレーター・アクラ州(大アクラ州、Greater Accra)
- ノース・イースト州(北東州、North East)
- ノーザン州(北部州、Northern)
- オティ州(Oti)
- サバンナ州(Savannah)
- アッパー・イースト州(上東州、Upper East)
- アッパー・ウエスト州(上西州、Upper West)
- ヴォルタ州(Volta)
- ウェスタン州(西部州、Western)
- ウェスタン・ノース州(北西部州、Western North)
主要都市
最大都市は南部海岸にある首都のアクラである。第二都市であるクマシは旧アシャンティ王国の首都であり、英領となったあともカカオなどこの地域の物産の集散地として栄えた。南部海岸にあるセコンディ・タコラディも植民地時代からの都市であり、深水港を持つ。北部の中心都市はタマレである。
経済
2013年のガーナのGDPは約442億ドルであり[16]、長崎県とほぼ同じ経済規模である[17]。同年の一人当たりのGDPは1,729ドルであり、世界平均の2割程度で世界的に下位に留まっているが、近年は原油の商業生産が始まったことにより経済成長も著しい。
経済は農業・鉱業などなどの一次産業に依存し、特にカカオは世界有数の産出量を誇る。独立直後から債務超過に悩んでいたが、1983年以降、構造調整を実施して経済の再建に取り組んだ結果、1980年代後半から平均5%のGDP成長率を達成しアフリカにおける構造調整の優等生として評価されてきた。
2000年代に入ると金やカカオの国際価格の低迷、主要輸入品である原油価格の高騰などにより経済は低迷。2001年3月、拡大HIPC(重債務貧困国)イニシアティブ適用による債務救済申請を行う政策転換を行い、経済再建へ向けた努力を行っている。その結果、マクロ経済状況は改善、安定してきている。
鉱工業
ガーナ最大の輸出品は金であり、2013年度には総輸出額の42.6%を占めた[14]。金は古くからこの地域の特産品であり、アシャンティ王国の隆盛を支えた。植民地時代の黄金海岸(ゴールド・コースト)の名もこれに由来している。かつては原油の純輸入国であったが、2007年6月から沖合で油田がいくつか発見され[18]、2010年以降ガーナは原油の輸出国へと転じた。2013年には原油輸出は総輸出額の23.8%を占め、ガーナ第2の輸出品となっている[14]。
電力はアコソンボダムによる大規模な水力発電が行われており、総発電量のうち水力の割合は6割強を占める。この電力はトーゴやベナン、コートジボワールに輸出されており[19]、テマ市ではこの電力によるアルミニウム精錬も行われている。しかし水力発電は旱魃に弱く、また近年の経済成長と送電網の不備により電力不足がたびたび生じている[20]。
近年、金やダイヤモンドなどの詐欺事件が多発し、対策として高価値鉱物マーケティング公社(PMMC)という公的機関も設立されているが、公的機関の書類自体も偽造されている場合があり注意が必要である[21]。2000年代後半には金の価格が高騰し、関連産業も賑わいを見せるようになったが、次第に中国人が流入した。2013年には3万人とも5万人とも推定される労働者(鉱夫)が違法労働を行うようになり、当局に検挙される事例が増えている[22]。
2020年、フォルクスワーゲンがガーナに進出して自動車組み立て工場の建設に着手。年間生産量は5000台を計画しているが、2019年のガーナの新車登録台数は5700台となっており、余剰生産分は周辺国などへの輸出が検討されている[23]。
農林業
カカオ豆は、1879年にテテ・クワシによって導入されたのち栽培が順調に拡大し、1911年にはガーナは世界最大の生産国となった。その後も植民地期を通じてカカオはガーナ最大の産業であり続け、1960年代中盤までその地位は揺らがなかった。しかし独立後のカカオ政策の混乱と価格低落によって生産量は急減し、コートジボワールに生産量1位の座を明け渡すこととなった。その後生産量は回復し、2013年度には生産世界第2位、ガーナ総輸出額の10.9%を占めた[14]。
カカオ豆の生産は、ほとんどが貧困にあえぐ零細農家の手により行われており、農地(焼畑農業)拡大のための場当たり的な森林伐採、児童労働の誘発など環境や社会経済に大きな影響を与えている。2019年11月、アフリカへの投資フォーラムへ出席したナナ・アクフォ=アド大統領は、コートジボワールとともに豆の価格管理を進めることを発表した。演説の中で「チョコレート産業は1,000億ドル規模だが、農家が労働と引き換えに手にする額は60億ドルにすぎない」として農家への還元を求めた[24]。
一方、カカオの生産は天候に左右されやすく、2023年から2024年にかけて発生した干ばつでは収穫量が極端に減少。カカオの木が枯れる被害も発生した[25]。
農林産品としてはこのほか、カシューナッツや木材の輸出もある。自給用作物としては、キャッサバ・ヤムイモ・タロイモの生産が世界10位以内となっている[14]。
1990年時点の森林率は42%であるが[26]漸減傾向にある。これは木材生産量の95%が国内向けの燃料用材となっており、大規模な伐採が続いているためである[27]。
2022年デフォルト
2022年12月19日、ガーナは経済危機に見舞われ、事実上のデフォルト(債務不履行)に陥った[28]。
交通
コトカ国際空港は同国におけるハブ空港であり、国内線のみならずアフリカの近辺国や欧米との航空路線も多く運航されている。鉄道は1903年の開通後、アクラ、クマシ、セコンディ・タコラディの3都市を互いに結ぶ路線網を維持しているが貨物主体であり、2011年時点で、旅客列車はアクラ近郊の2路線(テマなど)のみの運転となっている[29]。一般の旅客輸送はトロトロ(ワゴンタイプのミニバス)や大型の都市間バスなどが主体となっている[30]。
国民
民族
2000年のセンサスによれば、アカン人(ファンティ人、en:Akyem、アシャンティ人、en:Kwahu、en:Akuapem people、en:Nzema people、Bono、en:Akwamu、en:Ahanta people、その他)が45.3%、モシ・ダゴンバ人が15.2%、エウェ人が11.7%、ガー人が4%、グルマ人が3.6%、グルシ人が2.6%、マンデ・ブサンガ人が1%、その他の民族が1.4%、ヨーロッパ人やアラブ人などその他が7.8%となっている[31]。
言語
公用語は英語であり、その他にアカン語、ダバニ語、エウェ語、ガー語などが使われる。
政府公認言語として、トウィ語アクアペム方言(Akuapem Twi)、トウィ語アサンテ方言(Asante Twi)、エウェ語(Ewe)、ダガリ語(Dagaare)、ダバニ語(Dagbani)、アダングメ語(ダンメ語)(Dangme)、ガ語(Ga)、ゴンジャ語(Gonja)、カセム語(Kasem)、ファンティ語(Mfantse)、ンゼマ語(Nzema)がある。
婚姻
女性は婚姻時に改姓すること(夫婦同姓)もしないこと(夫婦別姓)も可能である[32]。
宗教
2000年のセンサスによれば、国民の68.8%がキリスト教徒である。そのうちの24.1%がペンテコステ派、18.6%がプロテスタント、15.1%がカトリック、その他のキリスト教が11.5%である。イスラームは国民の15.9%を擁し、伝統宗教が8.5%、その他の宗教が0.7%、無宗教が6.1%となる[31]。
教育
2年間の就学前教育と6年間の初等教育が義務教育であり、初等教育の後に3年間の前期中等教育と4年間の後期中等教育を経て高等教育への道が開ける。初等教育から学校教育における教授言語は英語であり、ガーナの公立学校では小学校1年生から英語で授業が行われる。2000年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は57.9%(男性:66.4%、女性:49.8%)である[31]。2005年にはGDPの5.4%が教育費に支出された[31]。
おもな高等教育機関としてはガーナ大学(1948)、クマシ大学、クワメ・エンクルマ科学技術大学、ケープ・コースト大学などの名が挙げられる。
保健
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医療
ガーナはユニバーサルヘルスケアが実現され、政府所管の国民健康保険(NHIS)にて実現されている[33]。医療はさまざまなものが提供され、1,200万人が国民健康保険に加入している[34]。都市部は病院、診療所、薬局とも十分に整備され、国内には200以上の病院が存在し医療観光の受入国になっている[35]。
2013年の平均寿命は、男性66歳、女性67歳[36]、乳児死亡率は1,000出生あたり39である[37]。2010年では、人口10万あたり医師は15人、看護師93人[38]であり、GDPの5.2%が保健支出であった[39]。ガーナ市民はプライマリヘルスケアにアクセスする権利がある[40]。ガーナの医療制度はアフリカ諸国においてもっとも成功したものであるとビル&メリンダ・ゲイツ財団は評している[40]。2012年では、15 - 49歳成人のHIV罹患率は1.40%であった[41]。
治安
同国の治安情勢は、西アフリカ諸国において比較的良い部類とされているが、日本外務省における2017年時点での危険情報によればガーナ全域が危険レベル1との注意が発令されており、2020年2月時点から隣国ブルキナファソの治安悪化に伴い、ブルキナファソとの国境地域とトーゴ、コートジボワールとの一部の国境地域に対する危険度がレベル2に引き上げられている。そして、2024年10月、アッパー・イースト州などで部族間の対立が激化していることが確認されており、夜間外出禁止令が発出していることから、アッパー・イースト州をレベル2に引き上げ、不要不急の渡航をやめるよう勧告した。加えて、首都アクラを中心に外国人を狙った犯行が発生している問題点がある[42]。
また、ガーナでは治安の良くない地域がピンポイントに存在しており、北部州のビンビラやクパティンガ、ブンプルクならびにヴォルタ州のアラヴァンヨやウコンヤは首長が没したことによって次代首長の座を巡って争いが勃発していたり、部族と同国政府の衝突が起きていることをはじめ、当該エリアから夜間外出禁止令も出されている事情により治安が安定しておらず、他のアフリカ諸国地域同様に今後の変化が大きいものとなる可能性があることを留意する必要がある。
更に、観光客を狙った巧妙な詐欺事件も発生しているとの報告があり、悪質なガイドに気を付けるよう注意が発されている点から現時点で治安の心配がないと言い切るのは難しい面が見える。
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人権
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マスコミ
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文化
食文化
ガーナの食事は主食にシチューを付け合わせるのが基本であるが、主食の種類は数多い。ヤムイモ、キャッサバ、プランテンバナナ、モロコシ、トウモロコシ、トウジンビエなどが主食として食されるほか、都市化の進展に伴い米の消費も伸びている。食べ方としてはイモ類やバナナはそのまま、キャッサバや穀物は一度製粉してから練粥にして食べる。また、イモ類やバナナを杵と臼でついて餅状にしたフフも広く食べられている[43][44]。
文学
小説家を数多く輩出している。代表的な人物にはクオブナ・オトバ・クゴアーノ、アイシャ・ハルーナ・アッタ、ナナ・オフォリアッタ・アイムらが存在する。
音楽
1920年代にリベリアやシエラ・レオネで生まれたパームワイン・ミュージックを発展する形でハイライフが生まれた。ハイライフは最初期に成立したアフリカのポピュラー音楽であり、近隣のナイジェリアやシエラ・レオネなど英語圏に拡大したほか、ベルギー領コンゴにも波及してフランコやパパ・ウェンバらに影響を与え、キューバ音楽とともにリンガラ・ポップス(ルンバ・ロック)成立に大きな影響を与えた。
1990年代にはハイライフ、アフロ=レゲエ、ダンスホール、ヒップ・ホップなどの影響を受けた若者によって新たなジャンルが創造された。この新たなハイブリッド音楽はヒップライフと呼ばれている。R&B/ソウルの歌手ライアン・ベンソンやハイライフ歌手のコージョ・アントウィ、ラッパーのティンチー・ストライダーなどのガーナのミュージシャンは国際的な成功を収めている。
映画
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世界遺産
ガーナ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が2件存在する。
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ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群 - (1979年、文化遺産)
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アシャンティの伝統的建築物群 - (1980年、文化遺産)
祝祭日
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
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1月1日 | 元日 | ||
1月7日 | 憲法記念日 | 新たに確定された祝日の一つで2019年から開始。1992年の憲法公表と1993年の第四共和政制定に基づいて制定された。 | |
3月6日 | 独立記念日 | 1957年に独立したことを記念して制定された。 | |
3月から5月、年により移動 | 復活祭 | 前日に聖金曜日を祝い、終了後にはイースターマンデーを祝う。 | |
5月1日 | メーデー | ||
8月4日 | 創設者の日 | 同国の独立運動に貢献したThe Big Sixを称えて制定された。 | |
9月21日 | クワメ・エンクルマ記念日 | 同国の初代首相(1957年-1960年)および初代大統領(1960年-1966年)であるエンクルマの誕生日を記念したものである。 | |
12月第1金曜日 | 農民の日 | 同国の食品農業省によって導入されたもので、勤勉な農民と漁師を称える為の祝日として制定された。 | |
12月25日 | クリスマス | ||
12月26日 | ボクシングデー | ||
ヒジュラ暦第10月 | シャウワール | 1日からイド・アル=フィトルとなる。別名で『断食の祭典』とも呼ばれる。 | |
ヒジュラ暦第12月 | ズー・アル=ヒッジャ | 10日からイード・アル=アドハー(犠牲祭)となる。別名で『犠牲の饗宴』とも呼ばれる。 |
スポーツ
サッカー
ガーナ国内ではサッカーが圧倒的に1番人気のスポーツであり、国民的なアイデンティティである。ガーナサッカー協会(GFA)によって構成されるサッカーガーナ代表は「ブラック・スターズ (The Black Stars)」の愛称で国中から絶大な支持を集めており、アフリカネイションズカップでは1963年大会、1965年大会、1978年大会、1982年大会と4度の優勝を飾っている。さらに1992年のバルセロナ五輪では、銅メダルを獲得している。
FIFAワールドカップには2006年ドイツ大会で初出場しグループリーグを突破したが、決勝トーナメントで前回大会王者のブラジル代表と当たりベスト16で敗退した。続く2010年南アフリカ大会にも出場し、アフリカ勢では1990年のカメルーン代表、2002年のセネガル代表以来となるベスト8に進出した。2014年ブラジル大会では、まさかのグループリーグ最下位での敗退となった。2022年カタール大会にも2大会ぶりに出場を果たした[45]。
国内リーグとしては1956年にガーナ・プレミアリーグが創設されており、アサンテ・コトコSCとアクラ・ハーツ・オブ・オークの二強によってリーグは圧倒的に支配されている。また、リーグ戦以外にもガーナFAカップやガーナ・スーパーカップなども存在する。
ボクシング
ガーナではサッカーの次にボクシングも盛んであり、元WBA世界ウェルター級王者のアイク・クォーティや、元IBF世界ウェルター級王者のジョシュア・クロッティなど、単なる一王者ではなく世界水準でも評価の高い好選手を輩出している。さらにアズマー・ネルソンは、ガーナのみならず「アフリカボクシング界」全体の象徴になるまでの評価を得た選手である。
著名な出身者
- ヤァ・アサンテワァ - 王母
- コフィー・アナン - 国際連合事務総長
- ニャホ・ニャホ=タマクロー - ガーナサッカー協会会長
- マイケル・エッシェン - サッカー選手
- サリー・ムンタリ - サッカー選手
- アサモア・ギャン - サッカー選手
- ケヴィン=プリンス・ボアテング - サッカー選手
- クワドォー・アサモア - サッカー選手
- クリスティアン・アツ - サッカー選手
- トーマス・パーテイ - サッカー選手
- アイク・クォーティ - プロボクサー
- ジョシュア・クロッティ - プロボクサー
脚注
- ^ a b “UNdata”. 国連. 2022年8月20日閲覧。
- ^ a b c d e IMF Data and Statistics 2021年10月18日閲覧([1])
- ^ “アカン系民族特集・12年9月:アフリカ雑貨アザライ”. www.azalai-japon.com. 2024年4月2日閲覧。
- ^ 高根 2003, p. 33
- ^ 高根 2003, pp. 42–43
- ^ 高根 2003, pp. 45–46
- ^ 高根 2003, p. 58
- ^ “ガーナ大統領選決選投票、野党ミルズ氏が当選”. AFP通信. (2009年1月3日) 2021年8月31日閲覧。
- ^ Adadevoh, David (2012年7月25日). “ガーナのミルズ大統領が急死、後任に副大統領が昇格”. AFP通信 2021年8月31日閲覧。
- ^ “ガーナ大統領選 野党候補の元外相が当選”. 産経新聞. 共同通信. (2016年12月10日). オリジナルの2019年4月14日時点におけるアーカイブ。 2021年8月31日閲覧。
- ^ “Western Togoland declares sovereignty – DW – 09/25/2020” (英語). dw.com. 2024年2月15日閲覧。
- ^ “感染症の早期封じ込めを目指す:ガーナの野口記念医学研究所に「先端感染症研究センター」が完成”. JICA (2019年). 2020年2月1日閲覧。
- ^ “ガーナ共和国 基礎データ”. 外務省 (2021年3月17日). 2021年8月31日閲覧。
- ^ a b c d e 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p261 二宮書店 平成28年1月10日発行
- ^ 高根 & 山田 2011, pp. 60–61
- ^ IMFによるGDP
- ^ 内閣府による県民経済計算 (PDF)
- ^ 高根 & 山田 2011, p. 85
- ^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p94、朝倉書店 ISBN 4254166621
- ^ 『ガーナ BOP層実態調査レポート - 電力事情』(PDF)(レポート)日本貿易振興機構、2013年 。2022年2月16日閲覧。
- ^ “ガーナ 安全対策基礎データ 「犯罪発生状況、防犯対策」”. 海外安全情報. 外務省 (2020年1月27日). 2021年8月31日閲覧。
- ^ “ガーナで中国人大量逮捕 身勝手すぎる理由とは?”. NewSphere. (2013年6月11日) 2021年8月31日閲覧。
- ^ “フォルクスワーゲンがガーナに組み立て工場を設立”. JETRO (2020年8月14日). 2020年12月30日閲覧。
- ^ 「チョコレート産業 甘み少ない農家」『読売新聞』2020年2月28日6面
- ^ “産地にいったい何が?「チョコレート危機」の実態 カカオ豆価格は1年で3倍、現地からも不安の声”. 東洋経済オンライン (2024年4月7日). 2024年9月7日閲覧。
- ^ 日本林業技術協会『森林・林業百科辞典』p777 丸善 2001年 全国書誌番号:20184122
- ^ “ガーナ国移行帯地域森林保全管理計画調査”. JICA (1999年). 2021年6月30日閲覧。
- ^ “ガーナが事実上のデフォルト、大半の対外債務支払いを停止”. ロイター通信. 2022年12月20日閲覧。
- ^ 高根 & 山田 2011, p. 146
- ^ 高根 & 山田 2011, p. 148
- ^ a b c d CIA World Factbook2009年11月26日閲覧。
- ^ Relationship: Ghanaian women rejecting men with ‘scary’ names, 2 Oct 2015, GhanaWeb.
- ^ “National Health Insurance Scheme (NHIS)”. nhis.gov.gh. 2014年5月10日閲覧。
- ^ “Ghana: National Health Insurance Scheme (NHIS)”. jointlearningnetwork.org. 2014年5月10日閲覧。
- ^ “Medical tourism is emerging market for Ghana”. eturbonews.com (5 August 2009). 2014年5月10日閲覧。
- ^ Field Listing :: Life expectancy at birth. Retrieved 24 June 2013.
- ^ Field Listing :: Infant mortality rate.cia.gov. Retrieved 24 June 2013.
- ^ “Afro.who.int”. Afro.who.int. 2014年5月10日閲覧。
- ^ Field Listing :: Health expenditures. Retrieved 24 June 2013.
- ^ a b “These are the countries where I'm the least known" – Bill Gates visits Ghana”. thejournal.ie. 2014年5月10日閲覧。
- ^ “Library publications”. 2015年2月5日閲覧。
- ^ 外務省. “外務省 海外安全ホームページ”. 外務省 海外安全ホームページ. 2024年10月2日閲覧。
- ^ 高根 & 山田 2011, pp. 151–152
- ^ 高根 2003, pp. 162–168
- ^ ハリル率いるモロッコ、カメルーン、チュニジアがW杯へ 出場5カ国決定/アフリカ最終予選サッカーキング 2022年3月30日
参考文献
- 高根, 務『ガーナ : 混乱と希望の国』日本貿易振興機構アジア経済研究所〈アジアを見る眼 104〉、2003年11月。ISBN 4258051047。 NCID BA64253338。
- 高根, 務、山田, 肖子『ガーナを知るための47章』(初版)明石書店〈エリア・スタディーズ 92〉、2011年8月。ISBN 9784750334394。 NCID BB0643554X。
関連項目
外部リンク
- 政府
- 日本政府
- 観光
- その他
- "Ghana". The World Factbook (英語). Central Intelligence Agency.
- ガーナ - Curlie
- ガーナに関連する地理データ - オープンストリートマップ
- ガーナのウィキメディア地図
- 地図 - Google マップ
- 『ガーナ』 - コトバンク