コンテンツにスキップ

杉良太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
すぎ りょうたろう
杉 良太郎
杉 良太郎
文化功労者顕彰に際して
公表された肖像写真
本名 山田 勝啓(やまだ かつひろ)
別名義 大地 良[1]
生年月日 (1944-08-14) 1944年8月14日(80歳)
出生地 日本の旗兵庫県神戸市
身長 178 cm
血液型 O型
ジャンル 歌手俳優
活動期間 1965年 -
活動内容 テレビ、映画、舞台
配偶者 八田信子[1](1972 - 1998)
伍代夏子(1999 - )
著名な家族 山田純大(子)
事務所 金剛プロダクション( - 1980年
杉友プロダクション(1981年 - )
公式サイト 杉良太郎オフィシャルサイト
主な作品
水戸黄門』『一心太助』『大江戸捜査網』『遠山の金さん』『新五捕物帳』『大捜査線』『同心暁蘭之介
備考
1980年 紺綬褒章
1984年 紺綬褒章
1996年 紺綬褒章
2008年 緑綬褒章
2009年 紫綬褒章
2016年 文化功労者
法務省特別矯正監(永久委嘱)[2]
厚生労働省特別健康対策監(永久委嘱)
警察庁特別防犯対策監(永久委嘱)
テンプレートを表示

杉 良太郎(すぎ りょうたろう、1944年昭和19年〉8月14日 - )は、兵庫県出身の歌手俳優篤志家。本名:山田 勝啓(やまだ かつひろ)。妻は、伍代夏子。前妻との間に息子山田純大と娘2人。ベトナム里子は2024年8月時点で236人[3]紺綬褒章3回、緑綬褒章紫綬褒章文化功労者、法務省特別矯正監(永久委嘱)[4] 、厚生労働省特別健康対策監(永久委嘱)[5] 、警察庁特別防犯対策監(永久委嘱)[6]

来歴

[編集]

1944年昭和19年)8月14日兵庫県神戸市長田区宮川町生まれ。兵庫県三原郡三原町(現南あわじ市)出身の父と[7]鹿児島県徳之島出身の母に[8]、姉3人のあとの長男として生まれる。神戸市立長田小学校神戸市立西代中学校出身。高浜海員学校(現国立清水海上技術短期大学校)中退。養神館合気道5段。

1965年日本コロムビアから「野郎笠」で歌手デビュー。1966年より日活に所属。1967年NHK文五捕物絵図』に主役で出演。1970年の映画『花の特攻隊 ああ戦友よ』主演。

1970年、7年越しの恋が実り26歳のOL八田信子と婚約し[2][3]、1972年に結婚。その後、長男、長女、次女が生まれた。

1975年にCBSソニー移籍し、シングル「なやみ」が10万枚の売上を記録[9]。1976年「遠山の金さん」に主演し、主題歌「すきま風」シングルレコード[9]が100万枚の売上を記録。

1998年に26年間の婚姻関係にあった八田信子と離婚し、翌1999年に17歳年下の伍代夏子と再婚。2人の間に子はいない。

2005年7月の新歌舞伎座公演を最後に、自らの座長公演を勇退。

2009年6月1日、芸能活動45周年を記念し、初の作詞作曲集を発売。

2011年6月22日、芸能活動全般についてエイベックス・マネジメントと業務協力契約を締結[10]

2013年2月に杉の個人事務所が所有する東京・西麻布のビル2階に「杉良太郎演劇塾」設立[11]。同年10月には『よろず占い処 陰陽屋へようこそ』で、現代劇では『大捜査線』以来33年ぶりとなる民放連続ドラマに出演した[12]

人物

[編集]
  • 幼少時より歌手を志し各地の喉自慢に出場したが評価されなかった。
  • 1965年の「野郎笠」では、不本意な売り方をされた(曰く、嫌な柄の着物を着せられた[13])上に全く売れず、テレビ番組に出演する際はギャラどころか逆に多額の金品を要求されたことを自著で書いている。
  • 芸名である「杉良太郎」は、「野郎笠」作詞の関沢新一が名付けた。「背が高く素直な感じの青年」という第一印象からの木を連想して「杉の木のようにすくすくと育って欲しい」という意味で杉を名字にし、どことなく腕白な雰囲気にも見えたのでそれを活かして最初は「杉良太」としたが、「将来を考えて大人らしい名前にして欲しい」との杉のスタッフ側からの要望があったことで「郎」を付け足した[14]
  • 18歳から20歳の下積み時代は、カレー屋の丁稚奉公で食いつなぎ、3年間まかないのカレーライスしか口にできず、朝6時から夜11時まで無休で、休みは元日だけだった[15][16]
  • 歌手を目指したきっかけは、長い時間拘束される俳優などと違い、一曲歌えばそれで良く、儲かると考えたからだという。しかし『EXILE魂』に出演時、それが甘い考えであり、ヒット曲が出るまで10年もかかる結果となってしまったと述懐した。
  • 杉良太郎が「水戸黄門」で初代佐々木助三郎を演じた理由は、『助さん』という音の響きがよかったからという。
  • 徹子の部屋』に出演した際、若い頃、黒柳徹子を好きだった事を、本人の前で告白した。
  • 第64回NHK紅白歌合戦で、ゲスト審査員を担当し、出場した妻伍代夏子の歌「金木犀」を、舞台目の前で審査する事となった。
  • 1966年に放送された実写版『忍者ハットリくん』でケムマキを演じたのは杉だと言われていたが[17][18][19]、実際にケムマキを演じたのは関西で活動していた子役の傍田勉であり間違いである。
  • 1970年代、多数の作品への出演による多忙でTV放送をオンタイムで視聴できなかったため、高価だったUマチックデッキとテープを当時の給料から無理して購入し、自身の出演作品を録画視聴していた。その中にはNHKには映像が保存されていなかった大河ドラマ「国盗り物語」や朝ドラ「繭子ひとり」もあり、2015年にNHKへ提供された。
  • 俳優の長谷川一夫が、自身の晩年の時に自ら、杉を「二代目長谷川一夫」として指名したことがある。長谷川一夫の名を二代目として誰が継ぐのか注目が集まり、関係者の間では継ぐのは大川橋蔵かと目されていたことがあったが、長谷川が実業家の松尾國三に「二代目は杉良太郎」と語り、杉はそれを松尾から伝え聞かされた。しかしそこで「杉良太郎のままで死なせてください」とその話を断っている。その後1984年に長谷川が亡くなり、葬儀の際でも長男の林成年から自分よりも杉が先に焼香を、と強く勧められたほどである[20]
  • 東日本大震災原発事故を起こした福島第一原子力発電所Jヴィレッジ」に事故後、芸能人で初めて入り、激務に追われる所長や作業員達を慰問した。
  • 2019年に高齢運転者による自動車事故が相次いでいることを受け、高齢運転者に運転免許証の自主返納について考えてもらうきっかけ作りとして、6月7日に鮫洲運転免許試験場運転免許証を自主返納した。返納時点での杉の年齢は74歳で、75歳の誕生日(後期高齢者)を迎える2か月前だった[21]
  • 自身の体力面(長年の酷使によって椎間板ヘルニアを悪化させ「自分が望む座長芝居が出来なくなった」との理由)から、2005年7月の新歌舞伎座での公演を最後に、自らの座長公演を勇退した後は、若い役者が座長を務める公演に脇役で出演しどんどんアドバイスを出していきたいとの考えを表明。2008年10月には大阪新歌舞伎座で山本譲二山川豊主役に迎えた初のプロデュース公演『闇の身代り地蔵』を上演した。また、2009年6月の大阪新歌舞伎座さよなら公演では、息子の山田純大を主役に迎え、初の親子共演を果たす。新歌舞伎座で松平信康切腹を演じた時には千秋楽に本当に腹を切りたくなり、豚の臓物と血もたっぷり入れた袋を腹に巻いて、その上からさらしを巻き、白装束を着て舞台に立ち、本物の短刀を突き刺した[22]。杉は「血が噴き出て、客席がシーンとなり、短刀を右へ斬ったら、腹から豚の腸が一気に噴出し、自分が倒れたところで緞帳が下りたから会場はパニックになった」と述べている[22]
  • 伊東四朗岡田英次青木義朗福本清三赤塚真人うえだ峻本阿弥周子らは、1980年代から1990年代の杉の主演作に出演をしている。『同心暁蘭之介』25話では福本清三のために杉が役を用意し、福本も初めての大きな役だったと自伝『おちおち死んでられまへん-斬られ役ハリウッドへ行く』で述べている。また、親友であった江利チエミもゲストで『同心暁蘭之介』に出演した。
  • 1991年頃から、風景画を中心に油彩画を描き、現代美術展で入賞。百貨店などで絵画展を開催。
  • 2007年5月1日、長女に第1子となる男児が誕生し、おじいちゃんとなるが、本人は会見で「孫には『お兄さん』と呼ばせる」と宣言した。

社会貢献

[編集]
  • デビュー前だった15歳でボランティア活動を始める。
  • 日本の刑務所への受刑者慰問活動により法務省から「名誉矯正監」を拝命。2008年(平成20年)「特別矯正監」を法務大臣より任命される。長年にわたり、刑務官・受刑者に対し、多くの意見交換・講演などを行っている。2019年6月25日、大臣顕彰状が法務大臣から贈られ、特別矯正監も委嘱された [4]。米国の「チャリティー王」であるボブ・ホープは「あなたは日本のチャリティー王だ」と杉を称賛する。いままでに投じた私財は数十億円以上に及ぶ[23]
  • 日本ベトナム社会主義共和国との親善、社会貢献にも2023年時点で36年たずさわっている[24]ハノイ市等に教育施設(日本語学校等)の設置、無償援助に関わりベトナム政府から特別友好大使を委託されている。1997年(平成8年)12月には、ベトナム社会主義共和国国家主席チャン・ドゥック・ルオンより、友誼勲章(外国人に贈る最高位の勲章)を受章し、2019年10月30日には3等級労働勲章を受けた[25]ベトナム人里子は236人である(2024年8月現在)[3]
  • 1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、大型ヘリコプター2機をチャーターし、被災者避難所へ1000人分の巻き寿司や飲料水、医薬品、衣料等2トン分の救援物資を緊急空輸し、自らも作業服を着用し長靴で被災地に赴き被災者の救援活動した。
  • 5月24日、26日、日越外交関係樹立35周年記念行事の一つとして行われた、日本およびベトナムの歌手による「日越友好ハノイ-ホーチミン音楽祭(第1回日越友好音楽祭)」を、日越特別大使兼越日特別友好大使として主導した[26]
  • 2009年平成21年)2月皇太子徳仁親王ベトナム社会主義共和国公式訪問では、現地での案内説明にたずさわる。
  • 平成22年度、内閣府「災害被害を軽減する国民運動サポーター」に就任[27]
  • 2011年平成23年)3月11日に発災した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)を受けて、被災地への支援活動を開始。救援物資を載せた車両12台を手配し[28]、自ら炊き出しを行った[29]。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災で実家が被災し、以降被災地への支援活動を継続的に行なっており、2004年(平成16年)の新潟県中越地震でも精力的な活動を行なっている[30]。また地震で被災し全体の2/3が不通となっている三陸鉄道の復旧支援ヘッドマークのオーナー(名義としては個人事務所の杉友となる)となり、2011年9月28日よりマークをつけた列車の運行が開始されている[31]
  • 10月8日、10月9日、ベトナム・ハノイ市で開催された「第2回日越友好音楽祭」を主導した[32]
  • 2012年(平成24年)4月26日、福島第一原子力発電所事故福島第一原子力発電所現場作業員の拠点となっている、福島県双葉郡のサッカー練習施設「Jヴィレッジ」を、伍代夏子と共に訪れ、激励コンサートを開いた[33]
  • 2012年5月1日、日本財団により、伍代夏子とともに「被災地で活動した芸能人ベストサポート」で表彰された[34]。車両15台でカレー、サラダなど2万食の食事と入れ歯洗浄剤などの物資を届け、宮城県内の避難所を細かく廻り、また、岩手県の三陸鉄道や青森県の津軽鉄道支援、福島県も何度も訪れるなど、様々な支援を続けた[35] 活動が評価された。
  • 2012年11月19日、オーストリア・アルベルト・シュバイツァー協会ドイツ語版ドイツ語: Österreichische Albert Schweitzer-Gesellschaft、略称: ドイツ語: ÖASG英語: Austrian Albert Schweitzer Society)より「アルベルト・シュバイツァー章」受章[36]
  • 2013年平成25年)2月25日、ASEAN特別大使に任命され[37]2014年平成26年)2月10日にアジア各国との文化交流に貢献したとして内閣総理大臣感謝状を安倍晋三から手交された[38]
  • 2013年11月にフィリピンを襲った、台風ヨランダでは、チャリティコンサートを企画し、認定NPO法人アイキャン を通じて、現地に学校を建設した。
  • 2018年11月に国家公安委員会委員長より特別防犯対策監に任命され、特殊詐欺被害防止のためのプロジェクトチーム「SOS47」を著名人らに呼びかけ結成した[39]
  • 「母親は米びつに一握りしか残っていない米をお遍路さんにあげるような人で、子供心にも大丈夫なのかな?と思うこともありましたが『人には親切、慈悲、 情け』、『蒔かぬ種は生えないよ』とまだ子供だった私に母はいつも教えてくれました。」
  • 「父親もいつも人の為に動いているような人でした。父は兵隊帰りで気性は荒かったけれど、お人好しでね。工務店を営んでいた父は知人から頼みこまれれば何度も借金の保証人になってしまい、最後は家も財産も失ってしまうんですけど。」
  • ボランティアは一方通行でいいのです。見返りを求める人は、最初からやらなければいいんです。」
  • 「福祉をやるには確かに時間とお金がかかる。特にお金がないと見栄えのいい福祉はできません。でも、お金がない人は時間を寄付すればいい。お金も時間もない人は福祉に対する理解を示し、実際に活動をしている人に拍手を送るだけで十分。それでもう立派な福祉家なんです。福祉ってそういうもんです。」
  • 「ああ、偽善で売名ですよ。偽善のために今まで数十億を自腹で使ってきたんです。私のことをそういう風におっしゃる方々も、ぜひ自腹で数十億出して名前を売ったらいいですよ。」
  • 芸能界に入って悩んだことはないけれど、ボランティアでは2回も3回も死にたくなったことがある。福祉の現場では、自分の無力さを突きつけられる。もっと力があったら助けられるのに・・って自分を責めたりね。でも今は、過去を忘れていけるようになりました。」

出演

[編集]

テレビドラマ

[編集]

配信ドラマ

[編集]

映画

[編集]

劇場アニメ

[編集]

ドキュメンタリー

[編集]
  • 一生懸命〜杉良太郎という生き様〜(2015年5月31日、BSフジ

バラエティ

[編集]

CM

[編集]
  • オクト(1988年)
ブラジルエスタジオ・ド・マラカナンにてサッカー少年とパスの交換をする、という変わったシチュエーションのCM

パチンコ

[編集]

ディスコグラフィ

[編集]

シングル

[編集]
# 発売日 曲順 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
1 1965年
9月
A面 野郎笠 関沢新一 市川昭介 SAS-584
B面 東海道は西へトントン
2 1966年
1月
A面 男で来い SAS-643
B面 ドドンパ渡り鳥
3 1966年
2月
A面 燃えよ剣 SAS-665
B面 だるま人生
4 1966年
8月
A面 流れ者小唄 SAS-757
B面 男の裏街 市川昭介 河村利夫
5 1966年
12月
A面 灼熱のブルース 雀部祐史 SAS-814
B面 泣き別れ 石本美由起 市川昭介
6 1968年
5月
A面 砂の城 関沢新一 SAS-1101
B面 野ばら咲く丘 吉岡治
7 1969年
3月
A面 男ひとすじ 川内康範 SAS-1244
B面 花のさだめ 川内和子
8 1969年
8月
A面 夜明けはいらない 吉岡治 市川昭介 郷徹也 SAS-1320
B面 風の吹くまま
9 A面
[注釈 1]
霧の川中島 野村俊夫 古賀政男 佐伯亮 SAS-2002
10 1970年
3月
A面 花の特攻隊 川内康範 猪俣公章 SAS-1390
B面 あゝ戦友よ
11 1971年
4月
B面
[注釈 2]
三日月の兜 三浦康照 河村利夫 SAS-1512
12 1971年
5月
A面 江戸の夜明け 川内康範 曽根幸明 SAS-1525
B面 きざな奴
13 1971年
10月
A面 たとえば"愛" 吉岡オサム 小谷充 SAS-1567
B面 歌ってあげよう悲しい君に 阿守俊彦
14 1971年
11月
A面 一心太助 吉岡オサム 市川昭介 佐々永治 SAS-1574
B面 砂の城 関沢新一 市川昭介
15 1973年
5月
A面 三度笠 藤田まさと 遠藤実 只野通泰 P-221
B面 異三郎のバラード 神坂薫 今井茉至 栗田俊夫
16 1974年
5月
A面 さむらい追分 遠藤実 斉藤恒夫 AA-47
B面 燃える男 山下リラ 遠藤実
17 1975年
4月21日
A面 なやみ 久仁京介 SOLB-255
B面 忘れよう 稲葉爽秋
18 1976年
1月21日
A面 つめたい指 黒木望 SOLB-361
B面 かえっておいで 遠藤実 只野通泰
19 1976年
10月1日
A面 すきま風 いではく 遠藤実 京建輔 06SH-69
B面 幸せホテル 遠藤実
20 1977年
10月1日
A面 明日の詩 いではく 遠藤実 斉藤恒夫 06SH-211
B面 江戸の黒豹
21 1978年
6月21日
A面 おまえとおれ 杉良太郎 06SH-353
B面 引き潮 いではく 朴成奎
22 1979年
5月21日
A面 男の人生 藤田まさと 遠藤実 06SH-527
B面 良太郎節 いではく
23 1980年
1月21日
A面 君は人のために死ねるか 杉良太郎 06SH-694
B面 いま愛のために いではく
24 1980年
11月21日
A面 雪の宿 京建輔 07SH-903
B面 愛と泪 斉藤恒夫
25 1981年
3月21日
A面 めぐり逢いふたたび なかにし礼 浜圭介 竜崎孝路 07SH-954
B面 素晴らしき人生
26 1981年
9月21日
A面 飛翔 保富康午 07SH-1049
B面 俺に倖せ似合わない なかにし礼
27 1982年
3月21日
A面 きずな いではく 遠藤実 斉藤恒夫 07SH-1129
B面 春という名の女 もず唱平
28 1982年
8月25日
A面 雨の物語 なかにし礼 浜圭介 馬飼野俊一 07SH-1207
B面 バカなあいつ
29 1982年
11月21日
A面 流離さすらい もず唱平 弦哲也 斉藤恒夫 07SH-1237
B面 人生くれないに
30 1983年
7月21日
A面 なやみ 久仁京介 遠藤実 07SH-1365
B面 ホッとOSAKA 仲畑貴志 中村泰士 宮川泰
31 1984年
4月1日
A面 離別 吉屋潤 竜崎孝路 07SH-1482
B面 愛の時代 彩木潤子 沖田宗丸 京建輔
32 1985年
4月21日
A面 SA-KU-RA 後藤次利 07SH-1632
B面 再会 結城燎 後藤次利 飛沢宏元
33 1985年
12月21日
A面 道標 猪俣公章 石田勝範 07SH-1729
B面 男ざかり 橘由記
34 1986年
9月21日
A面 ぬくもり 堀内孝雄 07SH-1817
B面 ロンサム・リーダー 結城燎
35 1988年
11月21日
A面 飲もうぜ 津村泰彦 丸山雅仁 07SH-3140
B面 少年よ、今日に熱くなれ 藤原蔵人
36 1990年
6月21日
01 北からの手紙 なかにし礼 弦哲也 前田俊明 TEDA-10007
02 水草のように 荒木とよひさ 三木たかし 丸山雅仁
37 1991年
6月21日
01 夢の中まで いではく 遠藤実 TEDA-10069
02 俺のいい女
38 1991年
11月21日
01 ぼけたらあかん長生きしなはれ 天牛将富 TEDA-10082
02 近江八幡堀 松井由利夫
39 1992年
7月1日
01 風が吹くまま いではく TEDA-10234
02 花一輪 松井由利夫
40 1993年
3月21日
01 瞼の母 坂口ふみ緒 沢しげと TEDA-10262
02 花と龍 もず唱平 船村徹
41 1993年
12月16日
01 北の女 池田充男 伊藤雪彦 TEDA-10299
02 雪便り 織由之 浜圭介 高田弘
42 1994年
2月23日
01 まんまる音頭 杉良太郎 丸山雅仁 TEDA-10305
02 ぼけたらあかん長生きしなはれ 天牛将富 遠藤実
43 1994年
11月23日
01 旅路 もず唱平 彩木雅夫 桜庭伸幸 TEDA-10323
02 冬牡丹 坂口照幸 弦哲也
44 01 人生釜ヶ崎 岸賢介 杉良太郎 丸山雅仁 TEDA-10324
02 霧の波止場 杉良太郎
45 1995年
12月16日
01 涙の河 岡田冨美子 鄭公山 TEDA-10351
02 天使たちよ 松本昭二 杉良太郎
46 1997年
2月21日
01 心くばり 阿久悠 彩木雅夫 桜庭伸幸 TEDA-10379
02 真夜中の純情
47 1997年
4月21日
01 君は人のために死ねるか 杉良太郎 遠藤実 若草恵 TEDA-10386
02 あなた 杉良太郎
48 1998年
4月22日
01 男よ TEDA-10417
02 人生なかば 夢なかば 坂口照幸 弦哲也
49 1999年
3月25日
01 昭和残照 桜庭伸幸 TEDA-10436
02 おれの道 杉良太郎 安藤実親 丸山雅仁
50 1999年
11月3日
01 吉野に風が 小椋佳 桜庭伸幸 TEDA-10457
02 善し悪しの彼岸かなた
51 2000年
10月25日
01 風暦 坂口照幸 弦哲也 前田俊明 TEDA-10485
02 港のちぎれ雲 山口洋子 竜崎孝路
52 2001年
6月21日
01 いいってことよ いではく 遠藤実 前田俊明 TEDA-10503
02 ほゝえみ
53 2002年
6月21日
01 おもいでの神戸 坂口照幸 弦哲也 TEDA-10536
02 酒場物語
54 2004年
7月22日
01 花の下にて 小椋佳 桜庭伸幸 TECA-11638
02
55 2005年
6月22日
01 終着駅まで たかたかし 藤竜之介 TECA-12009
02 たそがれの街角 田尾将実
56 2006年
9月27日
01 杉良太郎の君こそわが命 川内康範 猪俣公章 TECA-12067
02 恋石火 曽根幸明
57 2008年
5月21日
01 矢立の杉 大地良 竜崎孝路 TECA-12140
02 大好きふるさと
58 2010年
6月23日
01 夫婦詩みょうとうた 南郷達也 TECA-12238
02 お前の背中 竜崎孝路
59 2011年
11月23日
01 バラ色のダンス 杉良太郎 弦哲也 若草恵 TECA-12312
02 忘れられない日々
60 2013年
8月21日
01 神様への手紙 TECA-12411
02 男よ〜ニューバージョン〜 杉良太郎
61 2015年
1月21日
01 俺は問題無ノ介 杉良太郎 弦哲也 竜崎孝路 TECA-12575
02 夫婦抄 坂口照幸 前田俊明
62 2016年
8月24日
01 ひとり旅 杉良太郎 川村栄二 TECA-13701
02 気づいていた二人 田村武也
63 2019年
3月13日
01 愛の一滴 渡辺俊幸 TECA-13907
02 angel
-天使を見つけた-[注釈 3]
阿久悠 竜崎孝路
64 2019年
7月17日
01 ぼけたらあかん長生きしなはれ 天牛将富 遠藤実 丸山雅仁 TECA-13948
02 まんまる音頭 杉良太郎
65 2022年
1月19日
01 世界の中で 杉良太郎 弦哲也 渡辺俊幸 TECA-22007
02 ありがとうの詩
66 2023年
10月18日
01 花のふるさと 西村真吾 TECA-23024
02 夢追い広場 石川桃瑪

デュエット・シングル

[編集]
発売日 デュエット 曲順 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
1981年
1月21日
ジュディ・オング A面 恋は夢のなか なかにし礼 浜圭介 前田憲男 07SH-908
B面 清水よいとこ
1996年
3月21日
村田友里 01 いくつになっても男と女 金子裕則 桜庭伸幸 TEDA-10356
02 元・恋人同志

アルバム

[編集]
  • 若き特攻隊員の挽歌(コロムビア 1970年5月[9]
  • 戦火の母に捧げる歌(コロムビア 1970年9月[9]
  • なやみ - 杉良太郎(CBS・ソニー 1975年10月21日[9] 25AH-718)
  • 着流し艶歌(CBS・ソニー 1975年12月5日[9]
  • すきま風 - 杉良太郎(CBS・ソニー 1977年6月1日[9]
  • ザ・ベストヒット全曲集(CBS・ソニー 1977年11月1日[9] 25AH-319)
  • あゆみ - 杉良太郎名場面集(CBS・ソニー 1977年11月21日[9]
  • ファーストリサイタル(CBS・ソニー 1978年6月1日[9]
  • ザ・ベストヒット全曲集II(CBS・ソニー 1978年11月1日[9]
  • ライブインフェスティバルホール 夢のステージ(CBS・ソニー 1979年7月1日[9]
  • ザ・ベストヒット全曲集III(CBS・ソニー 1979年11月1日[9]

タイアップ曲

[編集]
楽曲 タイアップ
1966年 燃えよ剣 東京12チャンネル系ドラマ「燃えよ剣」主題歌
1970年 花の特攻隊 映画「花の特攻隊 あゝ戦友よ」主題歌
あゝ戦友よ
1971年 江戸の夜明け 東京12チャンネル系ドラマ「大江戸捜査網」主題歌
一心太助 フジテレビ系ドラマ「一心太助」主題歌
1973年 三度笠 東京12チャンネル系ドラマ「旅人異三郎」主題歌
異三郎のバラード 東京12チャンネル系ドラマ「旅人異三郎」挿入歌
1974年 燃える男 NET系ドラマ「右門捕物帖」主題歌
1976年 すきま風 テレビ朝日系ドラマ「遠山の金さん」主題歌
1977年 江戸の黒豹 日本テレビ系ドラマ「新五捕物帳」OPテーマ
明日の詩 日本テレビ系ドラマ「新五捕物帳」EDテーマ
1980年 君は人のために死ねるか フジテレビ系ドラマ「大捜査線」前期EDテーマ
いま愛のために フジテレビ系ドラマ「大捜査線」後期EDテーマ
1981年 飛翔 フジテレビ系ドラマ「同心暁蘭之介」主題歌
1982年 流離さすらい 日本テレビ系ドラマ「右門捕物帖」主題歌
人生くれないに 日本テレビ系ドラマ「右門捕物帖」挿入歌
1986年 ぬくもり TBS系ドラマ「氷紋」主題歌
1988年 少年よ、今日に熱くなれ 株式会社オクト・CMソング
1992年 風が吹くまま テレビ東京系ドラマ「喧嘩屋右近」主題歌
2000年 吉野に風が テレビ東京系ドラマ「次郎長三国志」主題歌
2014年 俺は問題無ノ介 dTVオリジナルドラマ「医師 問題無ノ介」主題歌

楽曲提供

[編集]
  • w-inds.
    • 「Message」(作詞・作曲)
  • 伍代夏子
    • 「京都二年坂」(作曲)
    • 「恋しぐれ」(作詞・作曲)
  • みずき舞
    • 「やどり木」(作曲)
    • 「蛍川」(作詞・作曲)

著書

[編集]
  • 人生すきま風のごとく : 愛に生き、愛に傷ついて講談社、1984年11月1日。ISBN 4062015722
  • 「これこそわが人生」 読売新聞社 1991年 ISBN 4643910771
  • 「いいってことよ」 廣済堂出版 2001年 ISBN 4331507815
  • 「媚びない力」 NHK出版新書 2014年 ISBN 4140884436

写真集

[編集]

受賞・栄典・名誉職

[編集]
  • 1980年 - 紺綬褒章
  • 1981年 - 日本赤十字社銀色有功章
  • 1984年 - 紺綬褒章(2回目)
  • 1988年 - ハワイ州ホノルル市名誉市長、ブラジル統合社会教育会文化・教育功労章、サンパウロ市名誉市民権章
  • 1989年 - 外務大臣表彰。シンガポール日本文化協会名誉会長、ジャスト・セイ・ノー・ジャパン(麻薬追放協会) 会長に就任
  • 1990年 - ユネスコ特使に任命(任期:1996年10月6日まで)、国際識字年特使に任命(任期:1990年末)
  • 1991年 - 郵政大臣表彰、財団法人日本顕彰会特別表彰。日本・ベトナム文化交流協会会長に就任
  • 1992年 - モンゴル国教育功労者栄誉勲章、ベトナム人民褒賞。財団法人日本・ベトナム文化交流協会理事長に就任
  • 1993年 - 第16回那覇市社会福祉大会特別功労賞、第36回沖縄県社会福祉大会表彰
  • 1994年 - 大蔵大臣表彰
  • 1995年 - 日本赤十字社金色有功章
  • 1996年 - 文化庁長官表彰、自治大臣感謝状、紺綬褒章(3回目)。法務省名誉矯正監に就任
  • 1997年 - 社団法人日本ユネスコ協会連盟感謝状、ベトナム友誼勲章
  • 1998年 - 郵政大臣表彰(2回目)、文部大臣表彰
  • 2004年 - 法務大臣感謝状
  • 2005年 - 外務大臣より「日本ベトナム親善大使 」委嘱
  • 2007年 - ベトナム社会主義共和国より「ベトナム日本友好大使」任命
  • 2008年 - 緑綬褒章。外務大臣より「日本ベトナム特別大使」委嘱、法務省矯正局長より「特別矯正監」を委嘱
  • 2009年 - 紫綬褒章[45]、文部科学大臣表彰
  • 2012年 - 日本レコード協会特別功労者、復興大臣感謝状、アルベルト・シュバイツァー章。厚生労働省肝炎対策国民運動特別参与
  • 2013年 - ベトナム国家安全保障貢献記念章
  • 2014年 - 内閣総理大臣感謝状、法務大臣特別表彰。外務大臣より「日越特別大使」、ベトナム社会主義共和国より「越日特別大使」を委嘱(後にいずれも辞職)、ハノイ市名誉市民
  • 2016年 - 文化功労者
  • 2019年 - ベトナム3等労働勲章
  • 現職 - 法務省特別矯正監(永久委嘱)、厚生労働省特別健康対策監(永久委嘱)[5]、警察庁特別防犯対策監(永久委嘱)[6]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ B面は、都はるみの「善光寺参り」。
  2. ^ B面は、島倉千代子の「壇の浦子守唄」。
  3. ^ デュエット:伍代夏子

出典

[編集]
  1. ^ 伍代夏子の公式サイト│ディスコグラフィー〈京都二年坂│シングル〉
  2. ^ 「特別矯正監」委嘱状交付式及び法務大臣顕彰状贈呈式を執り行いました。(令和元年6月25日)”. 法務省 (2019年6月25日). 2024年4月20日閲覧。
  3. ^ a b 杉良太郎がベトナムの健康の架け橋になる 世界遺産ホイアン旧市街で観光名所・日本橋の修復記念式典に出席”. サンスポ (2024年8月7日). 2024年9月4日閲覧。
  4. ^ 杉良太郎「法務省・特別矯正監」を永久委嘱”. 日刊スポーツ (2019年6月25日). 2024年10月2日閲覧。
  5. ^ a b 杉良太郎氏への特別健康対策監の委嘱状交付”. 厚生労働省 (2024年8月26日). 2024年9月4日閲覧。
  6. ^ a b プロジェクトチーム決起集会2020 杉 良太郎「警察庁 特別防犯対策監」を永久委嘱!特別防犯支援官にAKB48も加わり、特殊詐欺撲滅のため呼びかけ強化!”. 警察庁・SOS47特殊詐欺対策ページ (2020年12月17日). 2024年9月4日閲覧。
  7. ^ 杉良太郎さん“吟味”「南あわじ良太郎西瓜」5個を認定 兵庫
  8. ^ 有限会社ライトハウス - ライトハウス便り>徳之島の紹介!
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m 『杉良太郎 芸能生活15周年記念 愛蔵版 果てしなき旅路』CBS・ソニー出版、昭和55年7月15日発行。(ノンブルなし)
  10. ^ 「杉良太郎」所属個人事務所と業務協力契約を締結” (PDF). エイベックス・マネジメント株式会社 (2011年6月22日). 2014年7月10日閲覧。
  11. ^ 杉良太郎の「密室演技指導」22歳清純派女優が決意の告白」『週刊ポスト』2014年5月23日号、小学館、2014年5月13日、2014年5月27日閲覧 
  12. ^ 杉良太郎、33年ぶり民放連ドラ出演「人生経験生かせる役」スポーツ報知
  13. ^ 時代劇専門チャンネル『瓦版』第311回
  14. ^ 週刊テレビ番組(東京ポスト)1983年5月13日号「芸名由来記」56頁
  15. ^ 2011年3月11日放送の「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングに初出演した際のトークなど
  16. ^ 「こころの玉手箱 杉良太郎①朝昼晩と食べたカレー」日本経済新聞2015年5月25日夕刊
  17. ^ 1983年発売の写真誌『スクランブルPHOTO』の記事
  18. ^ 本橋信宏『裏本時代』飛鳥新社、1996年、p.234
  19. ^ 講談社編『メーキング・オブ・東映ヒーロー ラディカルヒーローの世界2』講談社X文庫、1987年、p.92。東映の許諾を得ている同書でもケムマキは杉良太郎とされている。
  20. ^ 杉良太郎のままで死なせてください」本人が初めて明かした「二代目・長谷川一夫」指名の真実”. 文春オンライン. 文藝春秋 (2024年1月28日). 2024年2月1日閲覧。
  21. ^ “74歳・杉良太郎、運転免許証自主返納「反応が以前と違うなと感じ…」 高齢運転者へ防犯呼びかけ”. ORICON NEWS. (2019年6月7日). https://www.oricon.co.jp/news/2137118/full/ 2019年6月7日閲覧。 
  22. ^ a b 春日太一「杉良太郎 舞台切腹シーンで豚の臓物と血を使い劇場が大混乱」『週刊ポスト』2014年5月2日号、小学館、2014年4月26日、2014年5月27日閲覧 
  23. ^ 杉良太郎はなぜ152人を里子にしたのか? 生涯をかけた信念を語る|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
  24. ^ 杉良太郎、幅広い交流行うベトナムでの友好ダンス祭に感無量「平和と繁栄の鐘を鳴らすことができた」”. スポーツ報知 (2023年12月3日). 2024年9月4日閲覧。
  25. ^ 杉良太郎にベトナムから3等級労働勲章…30年間の支援評価、外国人では異例”. 報知新聞 (2019年10月31日). 2021年11月20日閲覧。
  26. ^ 日越友好ハノイ-ホーチミン音楽祭の開催在ホーチミン日本国総領事館サイト)、杉良太郎・日・ベトナム特別大使のベトナム訪問について(外務省プレスリリース)
  27. ^ 災害被害を軽減する国民運動サポーター 杉良太郎”. 内閣府 防災情報のページ. 2014年5月24日閲覧。
  28. ^ “【東日本大震災】杉良太郎、車両12台で救援キャラバン! +(1/2ページ)”. msn産経. (2011年4月3日). オリジナルの2014年4月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110404122150/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110401/ent11040107300001-n1.htm 2014年5月24日閲覧。 
  29. ^ “杉良太郎・伍代夏子さん夫妻、石巻で炊き出し”. YOMIURI ONLINE. (2011年4月3日). オリジナルの2012年12月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121204164440/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110403-OYT1T00216.htm 2014年5月24日閲覧。 
  30. ^ Active Human list 5 : 防災情報のページ -”. 内閣府. 2019年4月12日閲覧。
  31. ^ “三陸鉄道でヘッドマーク運行開始 復興支援の8社決定”. 47NEWS. (2011年9月28日). オリジナルの2011年9月30日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110930131431/http://www.47news.jp/CN/201109/CN2011092801000720.html 2014年5月24日閲覧。 
  32. ^ “杉良太郎が日越友好音楽祭開催 AKB、EXILE、倖田らがベトナムとの架け橋に”. ORICON NEWS. (2011年8月10日). https://www.oricon.co.jp/news/2000655/full/ 2023年2月20日閲覧。 
  33. ^ “杉サマ&伍代、原発作業員に感謝…涙の激励コンサート「お会いしたかった」”. デイリースポーツ. (2012年4月27日). オリジナルの2012年4月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120427123412/http://daily.co.jp/gossip/article/2012/04/27/0005006404.shtml 2014年5月24日閲覧。 
  34. ^ 日本財団会長 笹川陽平ブログ>被災地で活動した芸能人ベストサポート
  35. ^ 日本財団>被災地で活動した芸能人ベストサポート>表彰者一覧
  36. ^ 杉良太郎 孤児援助を評価「シュバイツァー章」受章”. Sponichi Annex (2012年11月20日). 2023年2月20日閲覧。
  37. ^ 杉良太郎氏に対する日・ASEAN特別大使としての委嘱状交付”. 外務省 (2013年2月25日). 2014年2月11日閲覧。
  38. ^ “首相、杉良太郎さんに感謝状 ASEANとの交流評価”. 朝日新聞DIGITAL. (2014年2月10日). オリジナルの2014年2月11日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20140211124840/http://www.asahi.com/articles/ASG2B6H8LG2BUTFK12H.html 2014年5月24日閲覧。 
  39. ^ プロジェクトメンバー紹介 | SOS47の活動 | 警察庁・SOS47特殊詐欺対策ページ”. 警視庁・SOS47 特殊詐欺対策ページ. 2022年11月26日閲覧。
  40. ^ 番組エピソード 描き方も題材もさまざま!【時代劇特集】-NHKアーカイブス
  41. ^ “杉良太郎、『水戸黄門』助さん役以来、44年ぶりTBS連ドラ出演”. オリコン. (2015年9月6日). https://www.oricon.co.jp/news/2058745/full/ 2015年9月6日閲覧。 
  42. ^ “杉良太郎、14年ぶりに主演!時代劇ドラマで人情深い町医者に”. シネマトゥデイ. (2014年12月5日). https://www.cinematoday.jp/news/N0068773 2014年12月4日閲覧。 
  43. ^ 杉良太郎がアニメ声優に初挑戦した「親鸞 人生の目的」公開、櫻井孝宏・中博史も参加”. 映画ナタリー. ナターシャ (2024年9月4日). 2024年9月4日閲覧。
  44. ^ 親鸞 人生の目的 2025年2月 全国ロードショー 原作:『人生の目的』高森顕徹著(1万年堂出版) 『歎異抄をひらく』高森顕徹著(1万年堂出版)
  45. ^ 春の褒章 紫綬褒章にWBC日本代表チーム”. 日テレNEWS24 (2009年4月28日). 2009年11月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月23日閲覧。

外部リンク

[編集]