ワレンチナ・マトヴィエンコ
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ワレンチナ・マトヴィエンコ Валентина Матвиенко | |
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2024年7月12日撮影 | |
生年月日 | 1949年4月7日(75歳) |
出生地 |
ソビエト連邦 ウクライナ・ソビエト社会主義共和国 フメリニツキー州シェペティフカ |
出身校 |
レニングラード化学薬科大学 ソ連共産党アカデミー |
前職 |
共産党官僚 外交官 マルタ大使 ギリシャ大使 |
所属政党 |
ソビエト連邦共産党 祖国・全ロシア 統一ロシア |
配偶者 | ウラジミール・ヴァシリエヴィッチ・マトヴィエンコ(1948 - 2018) |
子女 | セルゲイ・マトヴィエンコ |
サイン | |
在任期間 | 2011年9月21日 - |
大統領 |
ドミートリー・メドヴェージェフ ウラジーミル・プーチン |
在任期間 | 2003年10月15日 - 2011年8月22日 |
大統領 |
ウラジーミル・プーチン ドミートリー・メドヴェージェフ |
在任期間 | 2003年3月11日 - 2003年10月5日 |
大統領 | ウラジーミル・プーチン |
在任期間 | 1998年9月24日 - 2003年3月11日 |
大統領 |
ボリス・エリツィン ウラジーミル・プーチン |
ワレンチナ・イワノヴナ・マトヴィエンコ(マトビエンコ、ロシア語: Валенти́на Ива́новна Матвие́нко、ラテン文字表記の例:Valentina Ivanovna Matviyenko、1949年4月7日 - )は、ロシア連邦の政治家。副首相、北西連邦管区大統領全権代表、サンクトペテルブルク市長を歴任した後は連邦院議長を務めており、ロシアで最も著名かつ人気のある女性政治家の1人である。
経歴
[編集]1949年4月7日にウクライナ・ソビエト社会主義共和国のフメリニツキー州シェペティフカに誕生する。1972年にレニングラード化学薬科大学を卒業し、1984年までコムソモール活動に従事する。1985年にソ連共産党アカデミーを卒業し、レニングラード市共産党組織・機関に勤務する。
1989年に人民代議員に当選し、最高会議女性・家族・児童問題委員会議長に選出された。1991年から1998年にかけて外交官となり、マルタ大使・ギリシャ大使などのポストを歴任した。1998年にロシア連邦政府に戻り、社会政策担当の副首相を務めた。
2003年3月にプーチン大統領によって北西連邦管区大統領全権代表に任命される。2003年10月にサンクトペテルブルク市長候補に指名され、選挙を経て当選した。
2011年8月にサンクトペテルブルク市長を辞任し、同年9月に連邦院議長に就任した[1]。2019年9月25日に議長に3選した[2]。
脚注
[編集]- ^ “露のナンバー3に初の女性 上院議長、帝政後最高位”. MSN産経ニュース. (2011年9月21日) 2011年10月14日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “Валентину Матвиенко в третий раз избрали председателем Совета Федерации”. ТАСС. (2019年9月25日) 2019年9月25日閲覧。
外部リンク
[編集]公職 | ||
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先代 アレクサンドル・トルシン (代行) |
連邦院議長 第4代:2011年9月21日 - |
次代 現職 |
先代 ウラジーミル・ヤコブレフ |
サンクトペテルブルク市長 2003年10月15日 - 2011年8月22日 |
次代 ゲオルギー・ポルタフチェンコ |
先代 ヴィクトル・チェルケソフ |
北西連邦管区大統領全権代表 2003年3月11日 - 2003年10月5日 |
次代 イリヤ・クレバノフ |