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ブルーノ・ラッバディア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ブルーノ・ラッバディア
2016年のラッバディア
名前
ラテン文字 Bruno Labbadia
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1966-02-08) 1966年2月8日(58歳)
出身地 ダルムシュタット
身長 178cm
体重 77kg
選手情報
ポジション FW
ユース
1972-1976 ドイツの旗 シュネッペンハウゼン
1977-1983 ドイツの旗 バイターシュタット
1983-1984 ドイツの旗 ダルムシュタット
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1984-1987 ドイツの旗 ダルムシュタット 105 (44)
1987-1988 ドイツの旗 ハンブルガーSV 41 (11)
1988-1991 ドイツの旗 カイザースラウテルン 67 (20)
1991-1994 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 82 (28)
1994-1995 ドイツの旗 ケルン 41 (15)
1995-1998 ドイツの旗 ヴェルダー・ブレーメン 63 (18)
1998-2001 ドイツの旗 アルミニア・ビーレフェルト 98 (50)
2001-2003 ドイツの旗 カールスルーエ 60 (18)
通算 557 (204)
代表歴
1987 西ドイツの旗 西ドイツ U-21 6 (3)
1992-1995 ドイツの旗 ドイツ 2 (0)
監督歴
2003-2006 ドイツの旗 ダルムシュタット
2007-2008 ドイツの旗 グロイター・フュルト
2008-2009 ドイツの旗 レバークーゼン
2009-2010 ドイツの旗 ハンブルガーSV
2010-2013 ドイツの旗 シュトゥットガルト
2015-2016 ドイツの旗 ハンブルガーSV
2018-2019 ドイツの旗 ヴォルフスブルク
2020-2021 ドイツの旗 ヘルタ・ベルリン
2022-2023 ドイツの旗 シュトゥットガルト
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ブルーノ・ラッバディアBruno Labbadia1966年2月8日 - )は、ドイツ(旧西ドイツ)出身の元サッカー選手。サッカー指導者。元ドイツ代表。ポジションはフォワード

経歴

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現役時代

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クラブ

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1984年SVダルムシュタット98にてキャリアをスタート。ハンブルガーSVを経て1989年にカイザースラウテルンへ移籍すると1990-91シーズンにはブンデスリーガ優勝に貢献した。翌シーズンにバイエルン・ミュンヘンへと移籍し、1993-94シーズンにリーグ優勝。以降も数クラブに移籍し、1998-99シーズンのアルミニア・ビーレフェルト在籍時には2部リーグながら33試合28得点を挙げるなどコンスタントに成績を残した。1部リーグで103得点、2部リーグで101得点。ブンデスリーガの1部・2部両方で100ゴール挙げた唯一の選手である[1]。2002-03シーズンを最後に引退。

代表

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代表レベルでは1987年にU-21西ドイツ代表に選出され、同年8月11日に行われたU-21フランス代表戦でデビューすると、合計6試合に出場し3得点を記録した[2]

ドイツ代表としては1992年12月20日に行われたウルグアイ代表との国際親善試合でデビュー[3]。1995年8月23日に行われたベルギー代表との国際親善試合でも代表に選出され国際Aマッチ2試合出場を記録した[3]

指導者時代

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指導者としては、2007年から2部リーグのSpVggグロイター・フュルトを指揮し、6位。

2008年7月からはレバークーゼンの監督に2年契約で就任するが1年で解任。

2009-10シーズンにハンブルガーSVの監督に就任。2010年4月成績不振のため解任。

2010年12月、シュトゥットガルトの監督に就任した[4]。2013年8月、2013-14シーズン開幕後4連敗を喫したことなど成績不振のため解任された[5]

2015年4月15日、2009-10シーズンに指揮を取ったハンブルガーSVの監督に就任した[6]。2016年9月25日、成績不振の責任を問われ解任された[7]

2018年2月20日、VfLヴォルフスブルクの監督に就任[8]。翌2018-19シーズン限りで退任。

2022年12月5日、シュトゥットガルトの監督に9年振りに復帰したが[9]、成績不振により翌2023年4月初頭に解任[10]

個人成績

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代表での成績

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出典[11]


ドイツ代表国際Aマッチ
出場得点
1992 1 0
1993 0 0
1994 0 0
1995 1 0
合計 2 0

監督成績

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2021年1月25日現在
クラブ 就任 退任 記録
勝率
ダルムシュタット 2003年7月1日 2006年6月30日 102 60 16 26 058.82
グロイター・フュルト 2007年7月1日 2008年5月26日 36 15 10 11 041.67
バイエル・レバークーゼン 2008年5月26日 2009年6月5日 40 19 7 14 047.50
ハンブルガー 2009年6月5日 2010年4月26日 51 22 16 13 043.14
シュトゥットガルト 2010年12月13日 2013年8月26日 119 50 24 45 042.02
ハンブルガー 2015年4月15日 2016年9月25日 49 16 11 22 032.65
ヴォルフスブルク 2018年2月20日 2019年6月30日 50 22 10 18 044.00
ヘルタ・ベルリン 2020年4月9日 2021年1月24日 28 8 6 14 028.57
シュトゥットガルト 2022年12月5日 2023年4月3日 12 2 3 7 016.67
合計 487 214 103 170 043.94

タイトル

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現役時代

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クラブ

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1.FCカイザースラウテルン
バイエルン・ミュンヘン

脚注

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  1. ^ ブルーノ・ラッパディア | ゲキサカ - ゲキサカ
  2. ^ Bruno Labbadia Personenprofil”. DFB - Deutscher Fußball-Bund e.V.. 2017年7月2日閲覧。
  3. ^ a b Bruno Labbadia - International Appearances”. rsssf.com. 2017年7月2日閲覧。
  4. ^ シュツットガルト、ラバディア新監督が就任UEFA.com、2010年12月12日
  5. ^ Trennung von Bruno LabbadiaVfBシュトゥットガルト公式HP、2013年8月26日
  6. ^ "Bruno kann mitreißen!"ハンブルガーSV公式HP、2015年4月15日
  7. ^ ハンブルクがラバディア監督を解任、後任はギスドル氏ブンデスリーガ公式HP、2016年9月26日
  8. ^ ヴォルフスブルク、ブルーノ・ラバディア氏の監督就任を発表Kicker日本語版 2018年2月21日
  9. ^ co.,Ltd, FromOne. “遠藤・伊藤所属のシュトゥットガルト、ラッバディア監督が9年ぶりに復帰”. サッカーキング. 2023年2月2日閲覧。
  10. ^ 遠藤航ら所属のシュトゥットガルト、またも監督交代…ラッバディア監督の後任は元ホッフェンハイムのヘーネス氏”. goal.com (2023年4月4日). 2023年4月6日閲覧。
  11. ^ Labbadia, Bruno”. National-Football-Teams.com. 2017年7月2日閲覧。

外部リンク

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