テルノーピリ
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テルノーピリ Тернопіль | |||||
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テルノーピリ市内にあるウクライナ・カトリックの大聖堂。 | |||||
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位置 | |||||
テルノーピリの位置 | |||||
座標 : 北緯49度34分 東経25度36分 / 北緯49.567度 東経25.600度 | |||||
歴史 | |||||
史料 | 1540年 | ||||
行政 | |||||
国 | ウクライナ | ||||
行政区画 | テルノーピリ州 | ||||
ラヨン | Ternopilsky Raion | ||||
市 | テルノーピリ | ||||
地理 | |||||
面積 | |||||
市域 | 86 km2 | ||||
標高 | 320 m | ||||
人口 | |||||
人口 | (2022年現在) | ||||
市域 | 225,004人 | ||||
その他 | |||||
等時帯 | 東ヨーロッパ時間 (UTC+2) | ||||
夏時間 | 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3) | ||||
郵便番号 | 46000-46499 | ||||
市外局番 | +380 352 | ||||
ナンバープレート | BO, НО | ||||
公式ウェブサイト : http://www.city.gov.te.ua/ |
テルノーピリ(ウクライナ語: Тернопіль [terˈnɔp⁽ʲ⁾ilʲ] ( 音声ファイル))はウクライナの西部、テルノーピリ州の中央に位置する都市で、同州の州庁所在地である。1540年にセレト川の河岸に建設された。テルノーピリは西ウクライナの主要道路と鉄道の交差点である。
1944年までのテルノーピリの市名は「タルノーポリ」(ロシア語: Тарнополь)であった。
歴史
[編集]テルノーピリは初めて史料に出現するのは、1540年の頃である。その年、ポーランド王国のジグムント1世は、クラクフの城代ならびにポーランド王国大ヘトマンであったヤン・タルノフスキにこの地方を領地として授け、町を創るように命じた。町は「タルノフスキ家の街」を意味するタルノーポリと名づけられた。
- 1548年、ポーランド国王はタルノーポリの都市法を認め、市民に15年以降の租税が免除して毎日に市を開くことを許した。
- 17世紀半ば、フメリニツキーの乱の折に、都市はウクライナ・コサックの軍の手に堕ちた。
- 1772年、タルノーポリはポーランド・リトアニア分割によってオーストリア帝国の領となった。
- 1918年末、都市は西ウクライナ人民共和国の首都、さらに1919年、短命のガリツィア社会主義共和国の首都となった。ウクライナ人はこの町をウクライナ風の発音で「テルノーピリ」と呼んだ。
- 1922年、タルノーポリはポーランド共和国の17郡を含むタルノーポリ県の県庁所在地となった。
- 1939年、ポーランド侵攻によってポーランドがナチス・ドイツとソ連に分割占領される。12月4日、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国に編入された。
- 1944年、この州の正式名称がウクライナ風の「テルノーピリ」に変更された。
- 1952年、ポーランド人民共和国が成立したが、この地がポーランドに復帰することはなかった。
- ウクライナの独立により、同国のテルノーピリ州の州庁所在地となった。