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エリアス・フィゲロア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エリアス・フィゲロア
名前
本名 エリアス・リカルド・フィゲロア・ブランデル
Elías Ricardo Figueroa Brander
愛称 Don Elías, Mariscal
ラテン文字 Elías Figueroa
基本情報
国籍  チリ
生年月日 (1946-10-25) 1946年10月25日(78歳)
出身地 バルパライソ
身長 186cm
体重 81kg
選手情報
ポジション DF (CB)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1964-1966 チリの旗 サンティアゴ・ワンダラーズ 54 (0)
1964 チリの旗 ウニオン・ラ・カレラ (loan) 30 (0)
1967-1972 ウルグアイの旗 ペニャロール 214 (6)
1972-1976 ブラジルの旗 インテルナシオナル 336 (26)
1977-1980 チリの旗 パレスティーノ 118 (6)
1981 アメリカ合衆国の旗 フォートローダーデール・S 22 (0)
1981-1982 チリの旗 コロコロ 17 (0)
代表歴
1966-1982 チリの旗 チリ 47 (2)
監督歴
1994-1996 チリの旗 パレスティーノ
1996 ブラジルの旗 インテルナシオナル
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エリアス・リカルド・フィゲロア・ブランデル(Elías Ricardo Figueroa Brander、1946年10月25日 - )は、チリバルパライソ州バルパライソ出身の元サッカー選手。元チリ代表。史上屈指のセンターバックとされ、国際サッカー歴史統計連盟による最優秀サッカー選手では、南米出身のDFで最上位となる37位にランクされている。

経歴

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CDサンティアゴ・ワンダラーズから16歳でデビューし、すぐに頭角をあらわす。1967年には前年南米王者に輝いたCAペニャロールへと移籍。1967年、1968年とリーグ連覇し、フィゲロアも2年連続でリーグ最優秀選手に選ばれた。

1972年に移籍したブラジルのSCインテルナシオナルでは、 1975年1976年ブラジル全国選手権で優勝を果たし、リオグランデ・ド・スル州選手権では1971年から6連覇した。1972年から6年連続で南米最優秀DFに、1975年と1976年にはリーグ最優秀選手に選ばれ[1]1974年から3年連続で南米年間最優秀選手賞に輝いた。

1977年には母国のクラブであるCDパレスティーノへ移籍。移籍初年度にカップ戦を制し、1978年にはクラブにとっておよそ20年ぶりであるリーグ優勝を果たした。1年間北米サッカーリーグでプレーした後再びチリへと戻り、CSDコロコロと契約。そこでもリーグ優勝し、1982年に引退。

チリ代表としても長きに渡ってディフェンスリーダーとしてプレイし、1966年1974年1982年と一回おきで計3回のワールドカップに出場するという珍しい記録も持っている。南米選手権においては1967年に3位、1979年には準優勝を果たしている。

代表歴

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タイトル

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クラブ

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CAペニャロール
SCインテルナシオナル
CDパレスティーノ
CSDコロコロ

受賞歴

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国際サッカー歴史統計連盟
  • 20世紀最優秀サッカー選手 37位[8]
  • 20世紀南米最優秀サッカー選手 8位[9]
  • 20世紀最優秀チリ人サッカー選手 1位[10]

脚注

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外部リンク

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