アレクサンダー・フェルディナント・フォン・プロイセン
アレクサンダー・フェルディナント Alexander Ferdinand | |
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ホーエンツォレルン家 | |
アレクサンダー・フェルディナント(左)と父親のアウグスト・ヴィルヘルム王子 | |
全名 |
Alexander Ferdinand Albrecht Achilles Wilhelm Joseph Viktor Karl Feodor アレクサンダー・フェルディナント・アルブレヒト・アヒレス・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・ヴィクトル・カール・フョードル |
称号 | プロイセン王子 |
出生 |
1912年12月26日 ドイツ帝国、ベルリン |
死去 |
1985年6月12日(72歳没) 西ドイツ、ヴィースバーデン |
配偶者 | アルムガルト・ヴァイガント |
子女 | シュテファン・アレクサンダー |
父親 | アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・プロイセン |
母親 | アレクサンドラ・ヴィクトリア |
アレクサンダー・フェルディナント・フォン・プロイセン(Alexander Ferdinand Prinz von Preußen, 1912年12月26日 - 1985年6月12日)は、プロイセン王国の王族で、ドイツ国の軍人。全名はアレクサンダー・フェルディナント・アルブレヒト・アヒレス・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・ヴィクトル・カール・フョードル(Alexander Ferdinand Albrecht Achilles Wilhelm Joseph Viktor Karl Feodor Prinz von Preußen)。
略歴
[編集]ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の四男アウグスト・ヴィルヘルム王子と、その妻でシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公フリードリヒ・フェルディナントの娘であるアレクサンドラ・ヴィクトリアの間の一人息子として生まれた[1] 。両親は従兄妹同士の間柄だったが、夫婦仲がうまくいかず、1920年に離婚した。アレクサンダーは父親のアウグスト・ヴィルヘルム王子に引き取られた。
アレクサンダーは父アウグスト・ヴィルヘルムが早くから国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP、ナチ党)に入党して要職にあったため、自らもナチ党に入り、突撃隊(SA)の一員となった。しかし祖父ヴィルヘルム2世ら他のホーエンツォレルン家の人々はナチ党と距離を置いていたため、父子と旧プロイセン王家との間には深い亀裂が生じた[2]。
1933年、突撃隊を辞して正規のドイツ軍に入隊した[3]。突撃隊を離れた際には、政権を獲得したヒトラーが、アレクサンダーを自分の後継者として育てるために軍隊に入れた、とする憶測も流れた[3]。1939年11月、ヴィースバーデン駐屯のドイツ空軍通信隊所属の大尉に昇進している[4][5]。1944年7月のヒトラー暗殺計画以後、ヒトラーは旧王族・貴族に不信を抱いて彼らを軍隊から除隊させたが、アレクサンダーはホーエンツォレルン家内で唯一軍務を続けることを許された[6]。
1938年12月19日にドレスデンにおいて、ドイツ空軍幹部の娘であるアルムガルト・ヴァイガント(Armgard Weygand, 1912年 - 2001年)と結婚した。この結婚はプロイセン王家の家内法では貴賤結婚と見なされ、アレクサンダーはプロイセン王家の家督相続権を剥奪されている。
脚注
[編集]- ^ Lundy, Darryl. “The Peerage: Alexander Ferdinand Prinz von Preußen”. 2010年12月31日閲覧。
- ^ MacDonogh, Giles (2000). The Last Kaiser: The Life of Wilhelm II. New York: St. Martin's Press. p. 449
- ^ a b Prince Chosen by Hitler as Reich Regent, (2 January 1934), pp. Tonawanda Evening News
- ^ “Family of Ex-Kaiser Sends Many to Front”, The New York Times, (26 November 1939)
- ^ Associated Press (26 November 1939), “Kaiser's Kin Serve Hitler In Nazi Army”, The Washington Post (Berlin)
- ^ Petropoulos, Jonathan (2006). Royals and the Reich: The Princes von Hessen in Nazi Germany. New York: Oxford University Press. p. 243