増田誓志
増田 誓志(ますだ ちかし、1985年6月19日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロサッカー選手。元日本代表。ポジションはミッドフィールダー。主にボランチ(セントラルMF)、トップ下としてプレーする。
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名前 | ||||||
カタカナ | マスダ チカシ | |||||
ラテン文字 | MASUDA Chikashi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1985年6月19日(39歳) | |||||
出身地 | 宮崎県宮崎市 | |||||
身長 | 179cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2001-2003 | 鵬翔高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2004-2012 | 鹿島アントラーズ | 155 | (12) | |||
2010 | → モンテディオ山形 (loan) | 26 | (1) | |||
2013-2016 | 蔚山現代 | 98 | (7) | |||
2014 | → 大宮アルディージャ (loan) | 19 | (1) | |||
2017 | アル・シャールジャSCC | 11 | (1) | |||
2017-2019 | 清水エスパルス | 4 | (1) | |||
2019 | → ソウルイーランドFC (loan) | 12 | (0) | |||
通算 | 325 | (23) | ||||
代表歴2 | ||||||
2012 | 日本 | 1 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2019年12月18日現在。 2. 2012年2月24日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集クラブ
編集鹿島アントラーズ
編集2004年に鹿島アントラーズへ入団。同年5月2日の神戸戦がリーグ戦デビューとなり、同試合でリーグ初得点を挙げた。
2006年にパウロ・アウトゥオリ監督が就任するとボランチで起用される機会が増えたが、フェルナンドの負傷からの復帰や中後雅喜の台頭に伴いレギュラーポジションを確保するには至らなかった。
2007年にオズワルド・オリヴェイラが監督に就任すると鹿島は2009年シーズンまで3年連続のリーグ戦優勝を達成する。しかし増田自身はボランチでは小笠原満男、青木剛、中田浩二、攻撃的MFでは野沢拓也、本山雅志らの牙城を崩せず、厚い選手層に阻まれ出場機会が減少していった。
2010年1月6日、出場機会を求め、田代有三と共にモンテディオ山形へ期限付き移籍。 移籍後は増田の守備能力の問題で出場機会に恵まれなかったものの、シーズン途中にチームのフォーメーションが変更されてからは左セントラルMFでプレーする様になり、前線へ得意のラストパスを供給する司令塔としてレギュラーとなった。
2011年シーズンは鹿島に復帰。チームは本田拓也を補強し激しいポジション争いが予想されたが、シーズン途中からボランチのスタメンレギュラーを確保。
2012年シーズンは鹿島の選手会長就任、メインスポンサーの常陽銀行イメージキャラクターへの抜擢など中心選手としての活躍が期待されていたが、リーグ戦が開幕すると出場機会が大幅に減少し、ベンチ入りすらままならない時期も過ごした。
海外移籍
編集2014年シーズン途中より大宮アルディージャに期限付き移籍で加入した[2]。だが大宮はJ2に降格することになった。12月13日、大宮との契約満了を発表した[3]。
2015年、大宮へのレンタル移籍から蔚山現代へ復帰。
2017年1月、アラビアン・ガルフ・リーグのアル・シャールジャSCCへ完全移籍。
清水エスパルス
編集2017年8月、清水エスパルスへ完全移籍[4]。13日、J1第22節・対柏レイソル戦で後半30分に金子翔太と交代で移籍後初出場する[5]。25日のトレーニング中に受傷し、30日に静岡市内の病院にて検査を行ったところ左ハムストリングス肉離れと診断された[6]。12月2日、J1第34節・対ヴィッセル神戸戦で前半26分に移籍後初得点となるボレー弾を叩き込み、3-1の逆転勝利に貢献。最終節までヴァンフォーレ甲府と残り1つの残留枠を争っていた清水のJ1自力残留にも貢献した[7][8]。
Kリーグ
編集2019年1月、韓国・Kリーグ2のソウルイーランドFCへ期限付き移籍[9]。蔚山現代以来3シーズンぶりに韓国でプレーをすることになる。12月11日、現役を引退する事を発表した[10]。
引退後
編集引退後は山形市で飲食店「韓国酒場 チャン」を経営している。
代表
編集2007年、北京オリンピックに向けた日本代表において予選では主力として活躍したが、翌年の本大会のメンバーには選出されなかった。
2011年7月28日、日本代表候補トレーニングキャンプメンバー(8月1日-3日、札幌)に初選出される。
2012年2月24日、キリンチャレンジカップ・アイスランド戦で代表初出場を果たした。
プレースタイル
編集正確な長短のパスによるチャンスメイクやミドルシュートに加え、フィジカルの強さと上下動を繰り返すスタミナに優れているミッドフィルダー。山形在籍時に鹿島と対戦した際には青木剛が「接触プレーで凄く強い選手がいて、外国の選手かと思ったら誓志だった」[11] と発言しているほか、元日本代表監督のアルベルト・ザッケローニはアイスランドとの親善試合後増田について、チームメートへの献身度の高さゆえにスペースを消してしまう事もあるが、ピッチ全体をカバーができる選手であると発言している[12]。
所属クラブ
編集- ユース経歴
- プロ経歴
- 2004年 - 2012年 鹿島アントラーズ
- 2013年 - 2016年 蔚山現代FC
- 2014年3月 - 同年12月 大宮アルディージャ (期限付き移籍)
- 2017年 - 同年8月 アル・シャールジャSCC
- 2017年8月 - 2019年 清水エスパルス
- 2019年 ソウルイーランドFC (期限付き移籍)
個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | 鹿島 | 26 | J1 | 8 | 2 | 5 | 0 | 2 | 0 | 15 | 2 |
2005 | 19 | 2 | 6 | 1 | 3 | 3 | 28 | 6 | |||
2006 | 23 | 0 | 11 | 2 | 1 | 0 | 35 | 2 | |||
2007 | 14 | 23 | 3 | 6 | 1 | 0 | 0 | 29 | 4 | ||
2008 | 19 | 0 | 2 | 0 | 2 | 1 | 23 | 1 | |||
2009 | 17 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 20 | 0 | |||
2010 | 山形 | 8 | 26 | 1 | 5 | 1 | 4 | 2 | 35 | 4 | |
2011 | 鹿島 | 14 | 32 | 5 | 1 | 0 | 3 | 0 | 36 | 5 | |
2012 | 14 | 0 | 8 | 0 | 3 | 1 | 25 | 1 | |||
韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2013 | 蔚山現代 | 26 | Kクラシック | 35 | 4 | - | 1 | 0 | 36 | 4 | |
2014 | 5 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2014 | 大宮 | 38 | J1 | 19 | 1 | 2 | 0 | 2 | 0 | 23 | 1 |
韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2015 | 蔚山現代 | 26 | Kクラシック | 31 | 3 | - | 2 | 0 | 33 | 3 | |
2016 | 32 | 0 | - | 2 | 0 | 34 | 0 | ||||
UAE | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2017 | アル・シャールジャ | 40 | AGL | 11 | 1 | - | 0 | 0 | 11 | 1 | |
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2017 | 清水 | 24 | J1 | 4 | 1 | - | 0 | 0 | 4 | 1 | |
2018 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | |||
韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2019 | ソウルイーランド | 6 | K2 | 12 | 0 | - | 1 | 0 | 13 | 0 | |
通算 | 日本 | J1 | 204 | 15 | 51 | 5 | 23 | 7 | 278 | 27 | |
韓国 | Kクラシック | 98 | 7 | - | 5 | 0 | 103 | 7 | |||
韓国 | K2 | 12 | 0 | - | 1 | 0 | 13 | 0 | |||
UAE | AGL | 11 | 1 | - | 0 | 0 | 11 | 1 | |||
総通算 | 325 | 23 | 51 | 5 | 28 | 7 | 405 | 35 |
その他の公式戦
- 2009年
- スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2008 | 鹿島 | 14 | 4 | 0 |
2009 | 5 | 0 | ||
2011 | 4 | 0 | ||
2014 | 蔚山現代 | 5 | 2 | 0 |
通算 | AFC | 15 | 0 |
- 出場歴
タイトル
編集クラブ
編集- 鹿島アントラーズ
代表歴
編集- U-18日本代表
- 2003年 - 国際ユースサッカー in 新潟(優勝)、AFCユース選手権2004 (予選)
- U-19日本代表
- 2004年 - SBSカップ(準優勝)
- U-20日本代表
- 2005年 - カタール国際ユーストーナメント(準優勝)
- U-21日本代表
- 2006年 - 日中韓3カ国交流戦、アジア競技大会(GL敗退)
- U-22日本代表
- 2007年 - 北京オリンピックアジア二次予選、4カ国トーナメント2007中国・瀋陽(3位)
- 日本代表
- 2011年 - 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
試合数
編集- 国際Aマッチ 1試合 0得点(2012年)
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2012 | 1 | 0 |
通算 | 1 | 0 |
出場
編集No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦国 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 2012年2月24日 | 大阪 | 大阪長居スタジアム | アイスランド | ○3-1 | ザッケローニ | キリンチャレンジカップ2012 |
出演
編集イメージキャラクター
編集- 常陽銀行(2012年)
脚注
編集- ^ “마스다”. K League. 2023年11月4日閲覧。
- ^ “蔚山現代 増田誓志選手 大宮アルディージャ加入(期限付き移籍)のお知らせ”. 大宮アルディージャ (2014年3月26日). 2014年3月26日閲覧。
- ^ 増田誓志選手 期限付き移籍期間満了のお知らせ (2014年12月13日 閲覧)
- ^ 『増田誓志選手(アル・シャルジャSCC/UAE)完全移籍にて加入決定のお知らせ』(プレスリリース)清水エスパルス、2017年8月9日 。2017年8月10日閲覧。
- ^ 清水vs柏の試合結果・データ(明治安田生命J1リーグ:2017年8月13日) J.LEAGUE.jp 2018年10月19日閲覧。
- ^ 増田誓志選手のケガについて 清水エスパルス公式サイト 2017年8月31日付。
- ^ 逆転弾は増田誓志の移籍後初ゴール、悔しいシーズンに「自分の力のなさを痛感した」 ゲキサカ 2017年12月2日付。
- ^ 清水自力でJ1残留決めた!!増田誓志が逆転弾、鄭大世ダメ押し弾で9試合ぶり勝利 ゲキサカ 2017年12月2日付。
- ^ 元日本代表MF増田誓志が韓国2部へ移籍「オファーが届いた時、迷いはなかった」 フットボールチャンネル 2019年1月10日
- ^ 増田 誓志選手 現役引退のお知らせ 清水エスパルス 2019年12月11日
- ^ EL GOLAZO Jリーグプレーヤーズガイド2012[要ページ番号]
- ^ ザッケローニ監督「すべての選手が要求に応えてくれた」(1/2)キリンチャレンジカップ2012 アイスランド戦後会見 スポーツナビ 2012.2.24付記事
関連項目
編集外部リンク
編集- 増田誓志 - National-Football-Teams.com
- 増田誓志 - Soccerway.com
- 増田誓志 - FootballDatabase.eu
- 増田誓志 - WorldFootball.net
- 増田誓志 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 増田誓志 - J.League Data Siteによる選手データ
- 増田誓志 - K League
- 増田誓志 (@chikashi_masuda) - X(旧Twitter)
- 増田誓志 (@chikashi_masuda) - Instagram