非択滅(ひちゃくめつ、梵: apratisaṅkhyānirodha、アプラティサンキヤーニローダ)とは、仏教において、正しい知恵によらない法の止滅のこと。説一切有部の五位七十五法のうち、無為法の一つに数えられる。説一切有部の説では、二心の併起を認めない(五位#概要のうち、節「説一切有部における法、心の性質」を参照)ために考えられる特異な法(ダルマ)。 つまり、ある瞬間に「眼識」(「見ようとする心」のことで、六識のひとつ。「三科」、「意識」も参照)が、ある「色」をとらえたとすると、その「色」と同時に現在に生起してきた他の「色」「声」「香」「味」「触」(この5つを五境という。「五位」も参照)は、その心の対象とならないまま、次の瞬間には過去へ去ってしまう。そうすると、心相続の上に生起してそれらをとらえるべき(上述の五境に対応する、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識の)五識は現在の対象にむかってしかはたらかず(「三科#十八界」「五位」も参照)、現在に生起する因を得ることができない。その場合、それら五識には「非択滅」という一種のダルマとのかかわりが生じたと考える。

Property Value
dbo:abstract
  • 非択滅(ひちゃくめつ、梵: apratisaṅkhyānirodha、アプラティサンキヤーニローダ)とは、仏教において、正しい知恵によらない法の止滅のこと。説一切有部の五位七十五法のうち、無為法の一つに数えられる。説一切有部の説では、二心の併起を認めない(五位#概要のうち、節「説一切有部における法、心の性質」を参照)ために考えられる特異な法(ダルマ)。 つまり、ある瞬間に「眼識」(「見ようとする心」のことで、六識のひとつ。「三科」、「意識」も参照)が、ある「色」をとらえたとすると、その「色」と同時に現在に生起してきた他の「色」「声」「香」「味」「触」(この5つを五境という。「五位」も参照)は、その心の対象とならないまま、次の瞬間には過去へ去ってしまう。そうすると、心相続の上に生起してそれらをとらえるべき(上述の五境に対応する、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識の)五識は現在の対象にむかってしかはたらかず(「三科#十八界」「五位」も参照)、現在に生起する因を得ることができない。その場合、それら五識には「非択滅」という一種のダルマとのかかわりが生じたと考える。 (ja)
  • 非択滅(ひちゃくめつ、梵: apratisaṅkhyānirodha、アプラティサンキヤーニローダ)とは、仏教において、正しい知恵によらない法の止滅のこと。説一切有部の五位七十五法のうち、無為法の一つに数えられる。説一切有部の説では、二心の併起を認めない(五位#概要のうち、節「説一切有部における法、心の性質」を参照)ために考えられる特異な法(ダルマ)。 つまり、ある瞬間に「眼識」(「見ようとする心」のことで、六識のひとつ。「三科」、「意識」も参照)が、ある「色」をとらえたとすると、その「色」と同時に現在に生起してきた他の「色」「声」「香」「味」「触」(この5つを五境という。「五位」も参照)は、その心の対象とならないまま、次の瞬間には過去へ去ってしまう。そうすると、心相続の上に生起してそれらをとらえるべき(上述の五境に対応する、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識の)五識は現在の対象にむかってしかはたらかず(「三科#十八界」「五位」も参照)、現在に生起する因を得ることができない。その場合、それら五識には「非択滅」という一種のダルマとのかかわりが生じたと考える。 (ja)
dbo:wikiPageID
  • 3947627 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 1290 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 89935556 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-en:wikiPageUsesTemplate
dct:subject
rdfs:comment
  • 非択滅(ひちゃくめつ、梵: apratisaṅkhyānirodha、アプラティサンキヤーニローダ)とは、仏教において、正しい知恵によらない法の止滅のこと。説一切有部の五位七十五法のうち、無為法の一つに数えられる。説一切有部の説では、二心の併起を認めない(五位#概要のうち、節「説一切有部における法、心の性質」を参照)ために考えられる特異な法(ダルマ)。 つまり、ある瞬間に「眼識」(「見ようとする心」のことで、六識のひとつ。「三科」、「意識」も参照)が、ある「色」をとらえたとすると、その「色」と同時に現在に生起してきた他の「色」「声」「香」「味」「触」(この5つを五境という。「五位」も参照)は、その心の対象とならないまま、次の瞬間には過去へ去ってしまう。そうすると、心相続の上に生起してそれらをとらえるべき(上述の五境に対応する、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識の)五識は現在の対象にむかってしかはたらかず(「三科#十八界」「五位」も参照)、現在に生起する因を得ることができない。その場合、それら五識には「非択滅」という一種のダルマとのかかわりが生じたと考える。 (ja)
  • 非択滅(ひちゃくめつ、梵: apratisaṅkhyānirodha、アプラティサンキヤーニローダ)とは、仏教において、正しい知恵によらない法の止滅のこと。説一切有部の五位七十五法のうち、無為法の一つに数えられる。説一切有部の説では、二心の併起を認めない(五位#概要のうち、節「説一切有部における法、心の性質」を参照)ために考えられる特異な法(ダルマ)。 つまり、ある瞬間に「眼識」(「見ようとする心」のことで、六識のひとつ。「三科」、「意識」も参照)が、ある「色」をとらえたとすると、その「色」と同時に現在に生起してきた他の「色」「声」「香」「味」「触」(この5つを五境という。「五位」も参照)は、その心の対象とならないまま、次の瞬間には過去へ去ってしまう。そうすると、心相続の上に生起してそれらをとらえるべき(上述の五境に対応する、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識の)五識は現在の対象にむかってしかはたらかず(「三科#十八界」「五位」も参照)、現在に生起する因を得ることができない。その場合、それら五識には「非択滅」という一種のダルマとのかかわりが生じたと考える。 (ja)
rdfs:label
  • 非択滅 (ja)
  • 非択滅 (ja)
prov:wasDerivedFrom
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbo:wikiPageWikiLink of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of