阿久津 浩三(あくつ こうぞう、1960年11月11日 - )は日本の陸上競技選手(長距離走)。栃木県那須町出身。 日立工業専修学校から日立製作所に進む。日立時代は目立った実績を残せなかった。限界を感じていたところに、知り合いの指導者から地元に戻ってくることを勧められ、病院職員として勤務しながらトレーニングを続けた。このトレーニングが功を奏して記録が向上した。 1985年のアジア陸上競技選手権大会(ジャカルタ)では5000mに14分22秒11のタイムで優勝。1987年の日本陸上競技選手権大会10000mに優勝し、同年の世界陸上競技選手権大会(ローマ)の代表となった(本番では20位)。1988年5月の東京国際陸上10000mでは27分46秒16の自己ベストで五輪標準記録を突破、ソウルオリンピックの代表に選ばれた。オリンピック本番では決勝に進出し、出場した日本人では最高の14位(28分09秒70)であった。1994年の福岡国際マラソンでは2時間11分31秒の記録で6位に入賞している。 その後競技の第一線からは退いたが、地元の大田原マラソンの10kmロードなどに参加し、ランナーとしての活動を続けている。

Property Value
dbo:abstract
  • 阿久津 浩三(あくつ こうぞう、1960年11月11日 - )は日本の陸上競技選手(長距離走)。栃木県那須町出身。 日立工業専修学校から日立製作所に進む。日立時代は目立った実績を残せなかった。限界を感じていたところに、知り合いの指導者から地元に戻ってくることを勧められ、病院職員として勤務しながらトレーニングを続けた。このトレーニングが功を奏して記録が向上した。 1985年のアジア陸上競技選手権大会(ジャカルタ)では5000mに14分22秒11のタイムで優勝。1987年の日本陸上競技選手権大会10000mに優勝し、同年の世界陸上競技選手権大会(ローマ)の代表となった(本番では20位)。1988年5月の東京国際陸上10000mでは27分46秒16の自己ベストで五輪標準記録を突破、ソウルオリンピックの代表に選ばれた。オリンピック本番では決勝に進出し、出場した日本人では最高の14位(28分09秒70)であった。1994年の福岡国際マラソンでは2時間11分31秒の記録で6位に入賞している。 その後競技の第一線からは退いたが、地元の大田原マラソンの10kmロードなどに参加し、ランナーとしての活動を続けている。 (ja)
  • 阿久津 浩三(あくつ こうぞう、1960年11月11日 - )は日本の陸上競技選手(長距離走)。栃木県那須町出身。 日立工業専修学校から日立製作所に進む。日立時代は目立った実績を残せなかった。限界を感じていたところに、知り合いの指導者から地元に戻ってくることを勧められ、病院職員として勤務しながらトレーニングを続けた。このトレーニングが功を奏して記録が向上した。 1985年のアジア陸上競技選手権大会(ジャカルタ)では5000mに14分22秒11のタイムで優勝。1987年の日本陸上競技選手権大会10000mに優勝し、同年の世界陸上競技選手権大会(ローマ)の代表となった(本番では20位)。1988年5月の東京国際陸上10000mでは27分46秒16の自己ベストで五輪標準記録を突破、ソウルオリンピックの代表に選ばれた。オリンピック本番では決勝に進出し、出場した日本人では最高の14位(28分09秒70)であった。1994年の福岡国際マラソンでは2時間11分31秒の記録で6位に入賞している。 その後競技の第一線からは退いたが、地元の大田原マラソンの10kmロードなどに参加し、ランナーとしての活動を続けている。 (ja)
dbo:wikiPageExternalLink
dbo:wikiPageID
  • 1564433 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 1519 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 91508739 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-en:title
prop-en:titlestyle
  • background:#BFD7FF; (ja)
  • background:#BFD7FF; (ja)
prop-en:wikiPageUsesTemplate
dct:subject
rdfs:comment
  • 阿久津 浩三(あくつ こうぞう、1960年11月11日 - )は日本の陸上競技選手(長距離走)。栃木県那須町出身。 日立工業専修学校から日立製作所に進む。日立時代は目立った実績を残せなかった。限界を感じていたところに、知り合いの指導者から地元に戻ってくることを勧められ、病院職員として勤務しながらトレーニングを続けた。このトレーニングが功を奏して記録が向上した。 1985年のアジア陸上競技選手権大会(ジャカルタ)では5000mに14分22秒11のタイムで優勝。1987年の日本陸上競技選手権大会10000mに優勝し、同年の世界陸上競技選手権大会(ローマ)の代表となった(本番では20位)。1988年5月の東京国際陸上10000mでは27分46秒16の自己ベストで五輪標準記録を突破、ソウルオリンピックの代表に選ばれた。オリンピック本番では決勝に進出し、出場した日本人では最高の14位(28分09秒70)であった。1994年の福岡国際マラソンでは2時間11分31秒の記録で6位に入賞している。 その後競技の第一線からは退いたが、地元の大田原マラソンの10kmロードなどに参加し、ランナーとしての活動を続けている。 (ja)
  • 阿久津 浩三(あくつ こうぞう、1960年11月11日 - )は日本の陸上競技選手(長距離走)。栃木県那須町出身。 日立工業専修学校から日立製作所に進む。日立時代は目立った実績を残せなかった。限界を感じていたところに、知り合いの指導者から地元に戻ってくることを勧められ、病院職員として勤務しながらトレーニングを続けた。このトレーニングが功を奏して記録が向上した。 1985年のアジア陸上競技選手権大会(ジャカルタ)では5000mに14分22秒11のタイムで優勝。1987年の日本陸上競技選手権大会10000mに優勝し、同年の世界陸上競技選手権大会(ローマ)の代表となった(本番では20位)。1988年5月の東京国際陸上10000mでは27分46秒16の自己ベストで五輪標準記録を突破、ソウルオリンピックの代表に選ばれた。オリンピック本番では決勝に進出し、出場した日本人では最高の14位(28分09秒70)であった。1994年の福岡国際マラソンでは2時間11分31秒の記録で6位に入賞している。 その後競技の第一線からは退いたが、地元の大田原マラソンの10kmロードなどに参加し、ランナーとしての活動を続けている。 (ja)
rdfs:label
  • 阿久津浩三 (ja)
  • 阿久津浩三 (ja)
owl:sameAs
prov:wasDerivedFrom
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbo:wikiPageWikiLink of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of