西園寺 禧子(さいおんじ きし/さちこ)は、第96代天皇・後醍醐天皇の皇后(中宮)、のち皇太后。正式な名乗りは藤原 禧子(ふじわら の きし/さちこ)。女院号は初め持明院統(後の北朝)より礼成門院(れいせいもんいん)と称されるが、のちにそれは廃され、崩御後同日に建武政権(後の南朝)より後京極院(ごきょうごくいん)の院号を追贈された。皇女に伊勢神宮斎宮・光厳上皇妃の懽子内親王(宣政門院)がいる。 確実な生年は不明だが、幼名を「さいこく」と言い、嘉元3年(1305年)ごろには異母姉で亀山院(後醍醐の祖父)の寵姫である昭訓門院瑛子に仕えていたとみられる。正和2年(1313年)秋(7月 - 9月)ごろに皇太子尊治親王(のちの後醍醐天皇)によって密かに連れ出され、翌年正月に情事が露見して既成事実婚で皇太子妃となる。これは基本的に恋愛結婚とみられ、夫婦の熱愛ぶりは複数の資料に現れている。一方、皇太子として、尊治の求婚には政治的理由もあると考えられている。一つ目には代々関東申次(朝廷と鎌倉幕府との折衝役)を務める有力公家である西園寺家の息女との間に世継ぎをもうけることで、甥の邦良親王の系統に対し、自身の皇統存続を強固にすること。二つ目には、関東申次の権力を通じて、幕府との関係強化を図ったことなどが推測されている。『増鏡』によれば、尊治は心情的にも禧子を溺愛し、しかも年ごとに愛情を深めていったという。

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  • 西園寺 禧子(さいおんじ きし/さちこ)は、第96代天皇・後醍醐天皇の皇后(中宮)、のち皇太后。正式な名乗りは藤原 禧子(ふじわら の きし/さちこ)。女院号は初め持明院統(後の北朝)より礼成門院(れいせいもんいん)と称されるが、のちにそれは廃され、崩御後同日に建武政権(後の南朝)より後京極院(ごきょうごくいん)の院号を追贈された。皇女に伊勢神宮斎宮・光厳上皇妃の懽子内親王(宣政門院)がいる。 確実な生年は不明だが、幼名を「さいこく」と言い、嘉元3年(1305年)ごろには異母姉で亀山院(後醍醐の祖父)の寵姫である昭訓門院瑛子に仕えていたとみられる。正和2年(1313年)秋(7月 - 9月)ごろに皇太子尊治親王(のちの後醍醐天皇)によって密かに連れ出され、翌年正月に情事が露見して既成事実婚で皇太子妃となる。これは基本的に恋愛結婚とみられ、夫婦の熱愛ぶりは複数の資料に現れている。一方、皇太子として、尊治の求婚には政治的理由もあると考えられている。一つ目には代々関東申次(朝廷と鎌倉幕府との折衝役)を務める有力公家である西園寺家の息女との間に世継ぎをもうけることで、甥の邦良親王の系統に対し、自身の皇統存続を強固にすること。二つ目には、関東申次の権力を通じて、幕府との関係強化を図ったことなどが推測されている。『増鏡』によれば、尊治は心情的にも禧子を溺愛し、しかも年ごとに愛情を深めていったという。 尊治が後醍醐天皇として即位した翌年の元応元年8月7日(1319年9月21日)に中宮に冊立され、このころ勅撰歌人となる。皇子・皇女に恵まれない夫妻は、嘉暦元年(1326年)ごろからたびたび安産祈祷を行ったが、時には帝である後醍醐自身が禧子のため祈祷を実践した。元徳2年(1330年)には、後醍醐は腹心の僧の文観房弘真に依頼し、禧子に真言宗最高の神聖な灌頂(授位の儀式)であるを自身とお揃いで受けさせた。後醍醐の法服をまとった肖像画『絹本著色後醍醐天皇御像』は、この時の様子を描いたものである。こうして禧子は俗界と聖界の双方で同時に日本の頂点に立ったが、これほどの寵遇と地位を天皇から受けた女性は先例がない。しかし、ついに実子に恵まれず、元弘の乱(1331年 - 1333年)の時に患った病によって、建武の新政開始直後の元弘3年10月12日(1333年11月19日)に崩御した。後醍醐の嘆きは深く、臨済宗高僧の夢窓疎石を宮中に留めて供養を行わせた。 歌人としては『続千載和歌集』等4つの勅撰和歌集に計14首、准勅撰和歌集『新葉和歌集』に1首が入集し、その入集数は歴代皇后の中でも上位に数えられる。また、禧子の美貌を後醍醐はしばしば「月影」(古語で「月の光」)に喩えている。行動的・情熱的な逸話が多く、例えば、宮中の左近の桜の枝を部下に折らせる禁忌を犯して、わざと後醍醐に自分を捕らえさせた歌などが残る。夫婦仲の睦まじさは同時代から題材とされた。例えば、歴史物語『増鏡』(14世紀半ば)の巻第13「秋のみ山」の巻名は、「秋の深山」(西園寺家北山邸、のちの金閣寺)の「秋の宮」(中宮)、つまり禧子を指し、禧子を称賛する永福門院鏱子(禧子の長姉)と後醍醐の和歌から取られている。『増鏡』巻第16「久米のさら山」では、元弘の乱前半戦に敗北し意気消沈する夫に琵琶を届け、夫婦がともに得意とする和歌を贈り合う姿が描かれた。『徒然草』では皇后ながら有職故実(古代の朝廷儀礼)を気にかけない自由気ままな性格が記録されている。 軍記物語『太平記』(1370年頃完成)では、後醍醐の側室阿野廉子が傾城の悪女と設定された余波を受け、自身の上臈(高級女官)であった廉子に寵を奪われ、後醍醐から嫌悪された不遇の皇后であると描かれた。夫の後醍醐もまた、禧子の安産祈祷を装って幕府調伏の祈祷を行う冷酷な人物であるとされた。しかし、これらの『太平記』の記述は複数の点で他の資料と矛盾している。特に、安産祈祷が幕府調伏の偽装だったとする『太平記』説は、2000年代初頭まで広く信じられていたが、2010年代後半時点で日本史・仏教学・日本文学の各分野の研究者から否定的見解が提出されている。 (ja)
  • 西園寺 禧子(さいおんじ きし/さちこ)は、第96代天皇・後醍醐天皇の皇后(中宮)、のち皇太后。正式な名乗りは藤原 禧子(ふじわら の きし/さちこ)。女院号は初め持明院統(後の北朝)より礼成門院(れいせいもんいん)と称されるが、のちにそれは廃され、崩御後同日に建武政権(後の南朝)より後京極院(ごきょうごくいん)の院号を追贈された。皇女に伊勢神宮斎宮・光厳上皇妃の懽子内親王(宣政門院)がいる。 確実な生年は不明だが、幼名を「さいこく」と言い、嘉元3年(1305年)ごろには異母姉で亀山院(後醍醐の祖父)の寵姫である昭訓門院瑛子に仕えていたとみられる。正和2年(1313年)秋(7月 - 9月)ごろに皇太子尊治親王(のちの後醍醐天皇)によって密かに連れ出され、翌年正月に情事が露見して既成事実婚で皇太子妃となる。これは基本的に恋愛結婚とみられ、夫婦の熱愛ぶりは複数の資料に現れている。一方、皇太子として、尊治の求婚には政治的理由もあると考えられている。一つ目には代々関東申次(朝廷と鎌倉幕府との折衝役)を務める有力公家である西園寺家の息女との間に世継ぎをもうけることで、甥の邦良親王の系統に対し、自身の皇統存続を強固にすること。二つ目には、関東申次の権力を通じて、幕府との関係強化を図ったことなどが推測されている。『増鏡』によれば、尊治は心情的にも禧子を溺愛し、しかも年ごとに愛情を深めていったという。 尊治が後醍醐天皇として即位した翌年の元応元年8月7日(1319年9月21日)に中宮に冊立され、このころ勅撰歌人となる。皇子・皇女に恵まれない夫妻は、嘉暦元年(1326年)ごろからたびたび安産祈祷を行ったが、時には帝である後醍醐自身が禧子のため祈祷を実践した。元徳2年(1330年)には、後醍醐は腹心の僧の文観房弘真に依頼し、禧子に真言宗最高の神聖な灌頂(授位の儀式)であるを自身とお揃いで受けさせた。後醍醐の法服をまとった肖像画『絹本著色後醍醐天皇御像』は、この時の様子を描いたものである。こうして禧子は俗界と聖界の双方で同時に日本の頂点に立ったが、これほどの寵遇と地位を天皇から受けた女性は先例がない。しかし、ついに実子に恵まれず、元弘の乱(1331年 - 1333年)の時に患った病によって、建武の新政開始直後の元弘3年10月12日(1333年11月19日)に崩御した。後醍醐の嘆きは深く、臨済宗高僧の夢窓疎石を宮中に留めて供養を行わせた。 歌人としては『続千載和歌集』等4つの勅撰和歌集に計14首、准勅撰和歌集『新葉和歌集』に1首が入集し、その入集数は歴代皇后の中でも上位に数えられる。また、禧子の美貌を後醍醐はしばしば「月影」(古語で「月の光」)に喩えている。行動的・情熱的な逸話が多く、例えば、宮中の左近の桜の枝を部下に折らせる禁忌を犯して、わざと後醍醐に自分を捕らえさせた歌などが残る。夫婦仲の睦まじさは同時代から題材とされた。例えば、歴史物語『増鏡』(14世紀半ば)の巻第13「秋のみ山」の巻名は、「秋の深山」(西園寺家北山邸、のちの金閣寺)の「秋の宮」(中宮)、つまり禧子を指し、禧子を称賛する永福門院鏱子(禧子の長姉)と後醍醐の和歌から取られている。『増鏡』巻第16「久米のさら山」では、元弘の乱前半戦に敗北し意気消沈する夫に琵琶を届け、夫婦がともに得意とする和歌を贈り合う姿が描かれた。『徒然草』では皇后ながら有職故実(古代の朝廷儀礼)を気にかけない自由気ままな性格が記録されている。 軍記物語『太平記』(1370年頃完成)では、後醍醐の側室阿野廉子が傾城の悪女と設定された余波を受け、自身の上臈(高級女官)であった廉子に寵を奪われ、後醍醐から嫌悪された不遇の皇后であると描かれた。夫の後醍醐もまた、禧子の安産祈祷を装って幕府調伏の祈祷を行う冷酷な人物であるとされた。しかし、これらの『太平記』の記述は複数の点で他の資料と矛盾している。特に、安産祈祷が幕府調伏の偽装だったとする『太平記』説は、2000年代初頭まで広く信じられていたが、2010年代後半時点で日本史・仏教学・日本文学の各分野の研究者から否定的見解が提出されている。 (ja)
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  • 永福門院 (ja)
  • 後醍醐天皇 (ja)
  • 中宮 (ja)
  • 御製 (ja)
  • 達智門院 (ja)
  • 今上御製 (ja)
  • 後醍醐天皇御製 (ja)
  • 後醍醐院御製 (ja)
  • 後京極院 (ja)
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  • 『新葉和歌集』雑下・1295(『太平記』流布本巻3「主上笠置を御没落の事」にほぼ同一歌) (ja)
  • 『増鏡』「久米のさら山」(『新葉和歌集』雑下にほぼ同一歌) (ja)
  • 『増鏡』「久米のさら山」 (ja)
  • 『続千載和歌集』恋一・1139 (ja)
  • 『増鏡』「秋のみ山」 (ja)
  • 『新千載和歌集』冬・632 (ja)
  • 『新千載和歌集』夏・194 (ja)
  • 『新千載和歌集』夏・195 (ja)
  • 『新千載和歌集』慶賀 (ja)
  • 『新千載和歌集』春下・116 (ja)
  • 『新千載和歌集』春下・117 (ja)
  • 『新千載和歌集』雑中・1895 (ja)
  • 『新拾遺和歌集』夏・203 (ja)
  • 『新葉和歌集』哀傷・1332 (ja)
  • 『新葉和歌集』雑上・1127 (ja)
  • 『新葉和歌集』雑上・1128 (ja)
  • 『続千載和歌集』恋一・1078 (ja)
  • 『続千載和歌集』恋三・1324 (ja)
  • 『続千載和歌集』恋二・1231 (ja)
  • 『続後拾遺和歌集』恋一・672 (ja)
  • 『続後拾遺和歌集』恋三・844 (ja)
  • 『新葉和歌集』秋下・375(『新拾遺和歌集』秋下・508に同一歌) (ja)
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  • 涙ゆゑ 半ばの月は くもるとも なれて見しよの 影は忘れじ(大意:涙のために、その半ばの月(琵琶)と、半ばの月(満月)のようなあなたが曇って見える。けれども、あなたと逢って共に何度も観た夜の美しい月影(月の光)と、そのときの月影のように永久に美しいあなたの面影のことは、決して忘れはしない。どうかあなたは、いつまでも、月のように長く生きて欲しい) (ja)
  • よし野ゝ行宮にてよませ給うてける御歌中に (ja)
  • 思ひやれ 塵のみつもる 四つの緒に はらひもあへず かかる涙を(大意:思いやってください。塵ばかりが積もる四つの緒(四弦の琵琶)に、払いきることも出来ないほど、絶えず落ちかかる私の涙を。そのむかし隠岐に流された後鳥羽院のため、院の琵琶を塵一つなく手入れしていたら老いの涙がかかってしまった藤原孝道のように、私もあなたの帰りを待っている間に、きっとしわくちゃのおばあちゃんになってしまうでしょう) (ja)
  • かきたてし をたちはてて 君恋ふる 涙の玉の 緒とぞなりける(大意:確かにかつて私は琵琶をかき鳴らしたものだが、その音はもう絶ってしまった。私自身の音楽の楽しみよりも、あなたとの想いの方がずっと大切なのだから。その琵琶の緒(弦)は、あなたを恋しく想って流れるこの涙の玉を、首飾りとして連ねるための緒(紐)として使おう。『源氏物語』の大君は、自分の「玉の緒」(命)は涙の玉のように脆く儚いから緒を通せない、と言って、薫と永き契りを結ぶことを拒んだという。だが、私はたとえこれから刑や戦で死ぬかもしれない脆く短い命であったとしても、あなたがくれた緒を通して、あなたとの契りは――幾たび生まれ変わっても、永遠だ) (ja)
  • 題しらず (ja)
  • 顕恋を (ja)
  • あだにちる 花を思の 種として この世にとめぬ 心なりけり(大意:あの西行法師の歌に言うように、桜の花は観る人がどれだけ愛しく想っても、それを何とも思わず儚く散ってしまう、その心こそ桜が真に神々しい理由なのだろう。しかし一人残された私の心と言えば、儚く散ってしまった桜の花のようなあの人のことが思い悩みの種になって、ああ、この世が本当に物憂い) (ja)
  • 代々をへて すみにし山の 松の風 千とせの声や ゆづりおきけむ(大意:何代も住んできた山の松の風、その松風のような響きの箏の千年の音を、父は達智門院様へ譲りおいていたということです) (ja)
  • 忍び音も けふよりとこそ 待べきに 思ひもあへぬ 郭公かな(大意:ホトトギスは四月のある日から鳴き始めると言う。その風情のある忍び音(四月のホトトギスの鳴き声)を聞こうとして、「きっと今日からだ」と、本当は何日も待ちぼうけになるべきはずだったのが、思いがけず四月初日の今日に聞くことが出来て、幸運なことだ。それは幸先良いとも言えるのだが、あなたに忍び通うのは、「今日よりも他の日だ」と、本当は堂々と付き合えるようになるまでもっと待つべきはずだったのに、思いあまって今日あなたのところへ来てしまった。迷惑だったろうか?) (ja)
  • 聞わびぬ 八月長月 ながき夜の 月の夜さむに 衣うつ声(大意:白居易は言った、八月九月の長い夜、寒々しい月夜に、砧で衣を打つ音を聞くのが心苦しい、と。なぜなら、どこかの家の妻が、戦に行って帰るかもわからない夫を待ちわび、すっかりやつれ果てた姿を思い起こさせるからだ、と。私は白居易よりも心苦しい。なぜならそれは、「どこかの家の妻」などではなく、まさに私の妻なのだから) (ja)
  • うづもるゝ 身をば歎かず なべて世の くもるぞつらき 今朝のはつ雪(大意:今朝、初雪が降る――歌に名高い、吉野の宮の初雪が。あれは寂蓮法師の歌だったか、この身が雪の中にうずもれるように、私という存在もまた歴史の中にうずもれて、跡形もなく忘れ去られるのだろう。それは仕方がない。この曇り模様のように世界の全てが色褪せていく、ただそれこそがつらい) (ja)
  • おほんさまかへさせ給て後、人の琴を引ければよませ給ける(訳:御出家姿になられて後、側仕えの者が箏を弾いていたので、お詠みになった歌) (ja)
  • まよふべき 後のうき身を 思にも つらき契は 此世のみかは(大意:迷うに違いない来世の悲しい身に思いを馳せてみると、あなたとのつらい契りは、この世だけのことではないのでしょうね。あの俊成の恋歌のように、身を焦がして燃え上がるような恋は、たとえ二人が生まれ変わっても、ずっと、続くのですから) (ja)
  • 忍べばと 思ひなすにも なぐさみき いかにせよとて もれしうき名ぞ(大意:そう、忍んでいるから大丈夫だろう、と初めは思い込んでいたのだが、心の中でにやけていたのを周りに隠すことはできなかった。一体私にどうせよ、と自問自答したら余計焦ってしまって、例の騒動だ) (ja)
  • 九重の 雲ゐの春の 桜花 秋の宮人 いかでおるらむ(大意:九重(内裏)の雲井(宮中)で、九重の雲井(大きな雲の立つ大空)に向かって高く咲く春の桜花を、秋の宮人(皇后宮に仕える人)が、どうして折ったのだろうか) (ja)
  • かよふべき 道さへ絶て 夏草の しげき人めを なげく比哉(大意:夏草が生い茂って、あの人のところに通う道が途絶えたところに、繁って煩わしい人目のせいで、あの人のところに通う方法までもが絶えてしまった。嘆くばかりのこのごろだ) (ja)
  • 待なれし 跡はよそなる 山のおくに 身もうづもるゝ 庭の初雪(大意:「年月が経てば、このように憂いだけが多くなる。そのような世を気にもかけずに、荒れ果てた庭に降り積もる初雪よ」と詠んだ紫式部は、何と幸せな人だったのだろう。この私は、自分の庭ではなく、契りを交わしたあの人を待ち慣れた跡から、遠く離れた山奥の庭で、一人悲しく雪に身もうずもれているというのに) (ja)
  • わが袖に 神はゆるさぬ あふひ草 心のほかに かけて見る哉(大意:私の袖にあふひ草(葵草)をなんとなく掛けて見て思うのは――そう、『源氏物語』で、あふひ草を詠んだ和歌に、神にも許されない不義の罪を犯して子ができたことを、悔やむ一首がありましたね。私の場合は逆に、私に何か罪があって、それで、あの人との次の子にあふひ(会う日)を、神様がお許しにならないのだとばかり思っていました。でも、思いもよらず、今度こそ心にかけてあの人との次の子を育てられるのですね) (ja)
  • いつの間に 乱るゝ色の 見えつらん しのぶもぢずり ころもへずして(大意:いつの間にバレてしまったのだろうか?「しのぶもじずり」の衣の乱れ模様の色のように、私の忍び恋の乱れた色恋は。あれからまだそんなに頃も(時間も)経っていないはずなのだが…) (ja)
  • 吹はらふ の嵐 音たてゝ のかづら 今やちるらん(大意:秋、神楽歌を思い出し、人里近くの山に、神聖で永久なる「真拆の葛」が色付くのを見て、深山に降るあられに思いを馳せたのでした。今はもう、冬。嵐は、深山から近くの山に迫って吹き払い、音を立てて轟く。久遠の象徴のはずの真拆の葛も、散ってしまう。今このとき――) (ja)
  • 昔見し 秋のみ山の 月影を 思ひいでてや 思ひやるらん(大意:永福門院様もまたその昔、(伏見天皇の)秋の宮(中宮)でいらっしゃいましたね。中宮時代に秋の深山(北山邸)から御覧になった美しい月の光と、月の光のように美しい禧子のまだ幼い頃を思い出して、そのように思いやっておいでになるのでしょう) (ja)
  • たのめつゝ 待夜むなしき うたゝねを しらでや鳥の 驚すらむ(大意:通ってきてくれると頼りにさせておきながら、来てくれないあの人を、ただ待つ夜はとてもむなしい。うたた寝をしていても、それを知らないのでしょうか、鶏の鳴き声ではっと目が覚めてしまいました。せっかく、小野小町になった気分で、恋しいあの人に夢で逢うことだけを頼みにしていたのに…) (ja)
  • たをらすは 秋の宮人 いかでかは 雲ゐの春の 花をみるべき(大意:手折らせたのは、秋の宮(皇后)である私が、宮中の春の桜のように愛しいあなたに、どうしても逢いたかったからですよ) (ja)
  • 嘉暦四年、御着帯の後祭の日、あさがれゐの御き帳に葵のかゝりたりけるを御覧じてよませ給ける (ja)
  • 又いつと しらぬもかなし 今はとて おき別つる 名残のみかは(大意:あなたとの次の逢瀬がいつになるのか、わからないのが本当に切ないです。またねと言って、起きて離れ離れになった後の寂しさの名残は、沖へ潮が引いた後に残るなごり(水たまり)のよう。これで最後なのでしょうか。いいえ、いつか潮がまた満ちるように、あなたならきっとまた私の心を満たしてくれるはず) (ja)
  • 後西園寺入道前太政大臣申しおきて侍りける琴を、宣政門院いまだ一品の宮と申しける比たてまつらせ給ふべきよし達智門院へ申させ給ふとて (ja)
  • 元弘三年九月十三夜三首歌講ぜられし時月前擣衣といふ事を (ja)
  • 南殿の花御覧せさせ給うける折しも、きさいの宮の御方より殿上さぶらふをのこどもの中に、宮つかさなるして一枝おらせられけるを、御前にめして仰事ありける (ja)
  • なきぬなり 卯月のけふの 時鳥 これやまことの 初音なるらむ(大意:ええ、不運にも、鳴いてしまいました。四月の今日の(ホトトギス)ですから、ただの初音(個人が初めて聞くホトトギスの鳴き声)ではなく、これこそ本当の初音(季節で初めてのホトトギスの鳴き声)なんでしょうね。それにしても、四月の今日この時、これが本当に初めての逢瀬でしたのに、もうホトトギスが鳴き始める早朝が来るなんて、夏の夜というのは、なんて短いのでしょうか。これから夜はもっと短くなってしまいますから、今日で良かったですよ) (ja)
  • おなじくよませ給ふける (ja)
  • だいしらず (ja)
  • 御返し (ja)
  • 忍恋をよませ給ふける (ja)
  • 顕恋をよませ給ふける (ja)
  • こよひしも 雲井の月も 光そふ 秋のみ山を 思ひこそやれ(大意:中秋の名月である今宵は、雲井(雲のたなびく大空)にある満月も、雲井(宮中、ここでは天皇・皇后の行幸啓)の満月のように晴れ晴れしい中宮陛下も、いっそう光輝いていらっしゃいます。秋の深山(北山邸)にいらっしゃる秋の宮(中宮陛下)のことを、とてもめでたいと思いやっております) (ja)
  • 四月一日、郭公の鳴けるをよませ給ふける (ja)
  • 行く末を ゆづりおきける 松の風 つたへむ千世の こゑぞしらるる(大意:行く末を譲りおいていたという、松風の箏を受け継ぎましょう。かの名高い千世の音が聞こえてきます) (ja)
  • 人しれず 心をとめし 松風の 声をきくにも ぬるゝ袖哉(大意:出家姿になったのだから、この世への未練は絶ち切らないといけないはずなのですが、人知れず心を込めてあの人を待つところに、松風のような箏の音を聴き――よく琵琶を奏でていたあの人の声が思い出されて、思わず涙で袖が濡れてしまいました) (ja)
  • 涙ゆゑ 半ばの月は くもるとも なれて見しよの 影は忘れじ(大意:涙のために、その半ばの月(琵琶)と、半ばの月(満月)のようなあなたが曇って見える。けれども、あなたと逢って共に何度も観た夜の美しい月影(月の光)と、そのときの月影のように永久に美しいあなたの面影のことは、決して忘れはしない。どうかあなたは、いつまでも、月のように長く生きて欲しい) (ja)
  • よし野ゝ行宮にてよませ給うてける御歌中に (ja)
  • 思ひやれ 塵のみつもる 四つの緒に はらひもあへず かかる涙を(大意:思いやってください。塵ばかりが積もる四つの緒(四弦の琵琶)に、払いきることも出来ないほど、絶えず落ちかかる私の涙を。そのむかし隠岐に流された後鳥羽院のため、院の琵琶を塵一つなく手入れしていたら老いの涙がかかってしまった藤原孝道のように、私もあなたの帰りを待っている間に、きっとしわくちゃのおばあちゃんになってしまうでしょう) (ja)
  • かきたてし をたちはてて 君恋ふる 涙の玉の 緒とぞなりける(大意:確かにかつて私は琵琶をかき鳴らしたものだが、その音はもう絶ってしまった。私自身の音楽の楽しみよりも、あなたとの想いの方がずっと大切なのだから。その琵琶の緒(弦)は、あなたを恋しく想って流れるこの涙の玉を、首飾りとして連ねるための緒(紐)として使おう。『源氏物語』の大君は、自分の「玉の緒」(命)は涙の玉のように脆く儚いから緒を通せない、と言って、薫と永き契りを結ぶことを拒んだという。だが、私はたとえこれから刑や戦で死ぬかもしれない脆く短い命であったとしても、あなたがくれた緒を通して、あなたとの契りは――幾たび生まれ変わっても、永遠だ) (ja)
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  • 顕恋を (ja)
  • あだにちる 花を思の 種として この世にとめぬ 心なりけり(大意:あの西行法師の歌に言うように、桜の花は観る人がどれだけ愛しく想っても、それを何とも思わず儚く散ってしまう、その心こそ桜が真に神々しい理由なのだろう。しかし一人残された私の心と言えば、儚く散ってしまった桜の花のようなあの人のことが思い悩みの種になって、ああ、この世が本当に物憂い) (ja)
  • 代々をへて すみにし山の 松の風 千とせの声や ゆづりおきけむ(大意:何代も住んできた山の松の風、その松風のような響きの箏の千年の音を、父は達智門院様へ譲りおいていたということです) (ja)
  • 忍び音も けふよりとこそ 待べきに 思ひもあへぬ 郭公かな(大意:ホトトギスは四月のある日から鳴き始めると言う。その風情のある忍び音(四月のホトトギスの鳴き声)を聞こうとして、「きっと今日からだ」と、本当は何日も待ちぼうけになるべきはずだったのが、思いがけず四月初日の今日に聞くことが出来て、幸運なことだ。それは幸先良いとも言えるのだが、あなたに忍び通うのは、「今日よりも他の日だ」と、本当は堂々と付き合えるようになるまでもっと待つべきはずだったのに、思いあまって今日あなたのところへ来てしまった。迷惑だったろうか?) (ja)
  • 聞わびぬ 八月長月 ながき夜の 月の夜さむに 衣うつ声(大意:白居易は言った、八月九月の長い夜、寒々しい月夜に、砧で衣を打つ音を聞くのが心苦しい、と。なぜなら、どこかの家の妻が、戦に行って帰るかもわからない夫を待ちわび、すっかりやつれ果てた姿を思い起こさせるからだ、と。私は白居易よりも心苦しい。なぜならそれは、「どこかの家の妻」などではなく、まさに私の妻なのだから) (ja)
  • うづもるゝ 身をば歎かず なべて世の くもるぞつらき 今朝のはつ雪(大意:今朝、初雪が降る――歌に名高い、吉野の宮の初雪が。あれは寂蓮法師の歌だったか、この身が雪の中にうずもれるように、私という存在もまた歴史の中にうずもれて、跡形もなく忘れ去られるのだろう。それは仕方がない。この曇り模様のように世界の全てが色褪せていく、ただそれこそがつらい) (ja)
  • おほんさまかへさせ給て後、人の琴を引ければよませ給ける(訳:御出家姿になられて後、側仕えの者が箏を弾いていたので、お詠みになった歌) (ja)
  • まよふべき 後のうき身を 思にも つらき契は 此世のみかは(大意:迷うに違いない来世の悲しい身に思いを馳せてみると、あなたとのつらい契りは、この世だけのことではないのでしょうね。あの俊成の恋歌のように、身を焦がして燃え上がるような恋は、たとえ二人が生まれ変わっても、ずっと、続くのですから) (ja)
  • 忍べばと 思ひなすにも なぐさみき いかにせよとて もれしうき名ぞ(大意:そう、忍んでいるから大丈夫だろう、と初めは思い込んでいたのだが、心の中でにやけていたのを周りに隠すことはできなかった。一体私にどうせよ、と自問自答したら余計焦ってしまって、例の騒動だ) (ja)
  • 九重の 雲ゐの春の 桜花 秋の宮人 いかでおるらむ(大意:九重(内裏)の雲井(宮中)で、九重の雲井(大きな雲の立つ大空)に向かって高く咲く春の桜花を、秋の宮人(皇后宮に仕える人)が、どうして折ったのだろうか) (ja)
  • かよふべき 道さへ絶て 夏草の しげき人めを なげく比哉(大意:夏草が生い茂って、あの人のところに通う道が途絶えたところに、繁って煩わしい人目のせいで、あの人のところに通う方法までもが絶えてしまった。嘆くばかりのこのごろだ) (ja)
  • 待なれし 跡はよそなる 山のおくに 身もうづもるゝ 庭の初雪(大意:「年月が経てば、このように憂いだけが多くなる。そのような世を気にもかけずに、荒れ果てた庭に降り積もる初雪よ」と詠んだ紫式部は、何と幸せな人だったのだろう。この私は、自分の庭ではなく、契りを交わしたあの人を待ち慣れた跡から、遠く離れた山奥の庭で、一人悲しく雪に身もうずもれているというのに) (ja)
  • わが袖に 神はゆるさぬ あふひ草 心のほかに かけて見る哉(大意:私の袖にあふひ草(葵草)をなんとなく掛けて見て思うのは――そう、『源氏物語』で、あふひ草を詠んだ和歌に、神にも許されない不義の罪を犯して子ができたことを、悔やむ一首がありましたね。私の場合は逆に、私に何か罪があって、それで、あの人との次の子にあふひ(会う日)を、神様がお許しにならないのだとばかり思っていました。でも、思いもよらず、今度こそ心にかけてあの人との次の子を育てられるのですね) (ja)
  • いつの間に 乱るゝ色の 見えつらん しのぶもぢずり ころもへずして(大意:いつの間にバレてしまったのだろうか?「しのぶもじずり」の衣の乱れ模様の色のように、私の忍び恋の乱れた色恋は。あれからまだそんなに頃も(時間も)経っていないはずなのだが…) (ja)
  • 吹はらふ の嵐 音たてゝ のかづら 今やちるらん(大意:秋、神楽歌を思い出し、人里近くの山に、神聖で永久なる「真拆の葛」が色付くのを見て、深山に降るあられに思いを馳せたのでした。今はもう、冬。嵐は、深山から近くの山に迫って吹き払い、音を立てて轟く。久遠の象徴のはずの真拆の葛も、散ってしまう。今このとき――) (ja)
  • 昔見し 秋のみ山の 月影を 思ひいでてや 思ひやるらん(大意:永福門院様もまたその昔、(伏見天皇の)秋の宮(中宮)でいらっしゃいましたね。中宮時代に秋の深山(北山邸)から御覧になった美しい月の光と、月の光のように美しい禧子のまだ幼い頃を思い出して、そのように思いやっておいでになるのでしょう) (ja)
  • たのめつゝ 待夜むなしき うたゝねを しらでや鳥の 驚すらむ(大意:通ってきてくれると頼りにさせておきながら、来てくれないあの人を、ただ待つ夜はとてもむなしい。うたた寝をしていても、それを知らないのでしょうか、鶏の鳴き声ではっと目が覚めてしまいました。せっかく、小野小町になった気分で、恋しいあの人に夢で逢うことだけを頼みにしていたのに…) (ja)
  • たをらすは 秋の宮人 いかでかは 雲ゐの春の 花をみるべき(大意:手折らせたのは、秋の宮(皇后)である私が、宮中の春の桜のように愛しいあなたに、どうしても逢いたかったからですよ) (ja)
  • 嘉暦四年、御着帯の後祭の日、あさがれゐの御き帳に葵のかゝりたりけるを御覧じてよませ給ける (ja)
  • 又いつと しらぬもかなし 今はとて おき別つる 名残のみかは(大意:あなたとの次の逢瀬がいつになるのか、わからないのが本当に切ないです。またねと言って、起きて離れ離れになった後の寂しさの名残は、沖へ潮が引いた後に残るなごり(水たまり)のよう。これで最後なのでしょうか。いいえ、いつか潮がまた満ちるように、あなたならきっとまた私の心を満たしてくれるはず) (ja)
  • 後西園寺入道前太政大臣申しおきて侍りける琴を、宣政門院いまだ一品の宮と申しける比たてまつらせ給ふべきよし達智門院へ申させ給ふとて (ja)
  • 元弘三年九月十三夜三首歌講ぜられし時月前擣衣といふ事を (ja)
  • 南殿の花御覧せさせ給うける折しも、きさいの宮の御方より殿上さぶらふをのこどもの中に、宮つかさなるして一枝おらせられけるを、御前にめして仰事ありける (ja)
  • なきぬなり 卯月のけふの 時鳥 これやまことの 初音なるらむ(大意:ええ、不運にも、鳴いてしまいました。四月の今日の(ホトトギス)ですから、ただの初音(個人が初めて聞くホトトギスの鳴き声)ではなく、これこそ本当の初音(季節で初めてのホトトギスの鳴き声)なんでしょうね。それにしても、四月の今日この時、これが本当に初めての逢瀬でしたのに、もうホトトギスが鳴き始める早朝が来るなんて、夏の夜というのは、なんて短いのでしょうか。これから夜はもっと短くなってしまいますから、今日で良かったですよ) (ja)
  • おなじくよませ給ふける (ja)
  • だいしらず (ja)
  • 御返し (ja)
  • 忍恋をよませ給ふける (ja)
  • 顕恋をよませ給ふける (ja)
  • こよひしも 雲井の月も 光そふ 秋のみ山を 思ひこそやれ(大意:中秋の名月である今宵は、雲井(雲のたなびく大空)にある満月も、雲井(宮中、ここでは天皇・皇后の行幸啓)の満月のように晴れ晴れしい中宮陛下も、いっそう光輝いていらっしゃいます。秋の深山(北山邸)にいらっしゃる秋の宮(中宮陛下)のことを、とてもめでたいと思いやっております) (ja)
  • 四月一日、郭公の鳴けるをよませ給ふける (ja)
  • 行く末を ゆづりおきける 松の風 つたへむ千世の こゑぞしらるる(大意:行く末を譲りおいていたという、松風の箏を受け継ぎましょう。かの名高い千世の音が聞こえてきます) (ja)
  • 人しれず 心をとめし 松風の 声をきくにも ぬるゝ袖哉(大意:出家姿になったのだから、この世への未練は絶ち切らないといけないはずなのですが、人知れず心を込めてあの人を待つところに、松風のような箏の音を聴き――よく琵琶を奏でていたあの人の声が思い出されて、思わず涙で袖が濡れてしまいました) (ja)
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  • 皇女(夭折?)、懽子内親王(宣政門院) (ja)
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  • 西園寺禧子と後醍醐天皇。『太平記絵巻』(17世紀ごろ)第2巻「中宮御嘆事」より。埼玉県立歴史と民俗の博物館所蔵。 (ja)
  • 西園寺禧子と後醍醐天皇。『太平記絵巻』(17世紀ごろ)第2巻「中宮御嘆事」より。埼玉県立歴史と民俗の博物館所蔵。 (ja)
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  • 西園寺 禧子(さいおんじ きし/さちこ)は、第96代天皇・後醍醐天皇の皇后(中宮)、のち皇太后。正式な名乗りは藤原 禧子(ふじわら の きし/さちこ)。女院号は初め持明院統(後の北朝)より礼成門院(れいせいもんいん)と称されるが、のちにそれは廃され、崩御後同日に建武政権(後の南朝)より後京極院(ごきょうごくいん)の院号を追贈された。皇女に伊勢神宮斎宮・光厳上皇妃の懽子内親王(宣政門院)がいる。 確実な生年は不明だが、幼名を「さいこく」と言い、嘉元3年(1305年)ごろには異母姉で亀山院(後醍醐の祖父)の寵姫である昭訓門院瑛子に仕えていたとみられる。正和2年(1313年)秋(7月 - 9月)ごろに皇太子尊治親王(のちの後醍醐天皇)によって密かに連れ出され、翌年正月に情事が露見して既成事実婚で皇太子妃となる。これは基本的に恋愛結婚とみられ、夫婦の熱愛ぶりは複数の資料に現れている。一方、皇太子として、尊治の求婚には政治的理由もあると考えられている。一つ目には代々関東申次(朝廷と鎌倉幕府との折衝役)を務める有力公家である西園寺家の息女との間に世継ぎをもうけることで、甥の邦良親王の系統に対し、自身の皇統存続を強固にすること。二つ目には、関東申次の権力を通じて、幕府との関係強化を図ったことなどが推測されている。『増鏡』によれば、尊治は心情的にも禧子を溺愛し、しかも年ごとに愛情を深めていったという。 (ja)
  • 西園寺 禧子(さいおんじ きし/さちこ)は、第96代天皇・後醍醐天皇の皇后(中宮)、のち皇太后。正式な名乗りは藤原 禧子(ふじわら の きし/さちこ)。女院号は初め持明院統(後の北朝)より礼成門院(れいせいもんいん)と称されるが、のちにそれは廃され、崩御後同日に建武政権(後の南朝)より後京極院(ごきょうごくいん)の院号を追贈された。皇女に伊勢神宮斎宮・光厳上皇妃の懽子内親王(宣政門院)がいる。 確実な生年は不明だが、幼名を「さいこく」と言い、嘉元3年(1305年)ごろには異母姉で亀山院(後醍醐の祖父)の寵姫である昭訓門院瑛子に仕えていたとみられる。正和2年(1313年)秋(7月 - 9月)ごろに皇太子尊治親王(のちの後醍醐天皇)によって密かに連れ出され、翌年正月に情事が露見して既成事実婚で皇太子妃となる。これは基本的に恋愛結婚とみられ、夫婦の熱愛ぶりは複数の資料に現れている。一方、皇太子として、尊治の求婚には政治的理由もあると考えられている。一つ目には代々関東申次(朝廷と鎌倉幕府との折衝役)を務める有力公家である西園寺家の息女との間に世継ぎをもうけることで、甥の邦良親王の系統に対し、自身の皇統存続を強固にすること。二つ目には、関東申次の権力を通じて、幕府との関係強化を図ったことなどが推測されている。『増鏡』によれば、尊治は心情的にも禧子を溺愛し、しかも年ごとに愛情を深めていったという。 (ja)
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