綿ふき病(わたふきびょう)とは、1957年(昭和32年)、岡山県英田郡美作町(現美作市)に所在する田尻病院において、近隣在住の女性(当時43歳)の皮膚膿瘍切開創から天然綿らしきものが排出されるのが確認され、これを原因不明の奇病、疾患であると捉えた出来事である。 発見者は同病院の創設者で、当時の院長でもあった田尻保(たじりたもつ)医師であり、当医師の名前から田尻病(たじりびょう)とも呼ばれている。いずれも正式な疾患名ではないものの、ブリタニカ国際大百科事典日本語版の1978年(昭和53年)第6巻に『綿ふき病(田尻病)』として掲載されている。 また、昭和30年代当時の医療従事者の間では疾患概念として一般的に認知されていなかったミュンヒハウゼン症候群との関連を、この現象の背景に示唆する考えもあり、類似する原因不明の疾患とされる他の現象を含め、綿ふき病にまつわる一連の出来事を扱うこと自体がアンタッチャブルだと捉える医療関係者も存在する。

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  • 綿ふき病(わたふきびょう)とは、1957年(昭和32年)、岡山県英田郡美作町(現美作市)に所在する田尻病院において、近隣在住の女性(当時43歳)の皮膚膿瘍切開創から天然綿らしきものが排出されるのが確認され、これを原因不明の奇病、疾患であると捉えた出来事である。 発見者は同病院の創設者で、当時の院長でもあった田尻保(たじりたもつ)医師であり、当医師の名前から田尻病(たじりびょう)とも呼ばれている。いずれも正式な疾患名ではないものの、ブリタニカ国際大百科事典日本語版の1978年(昭和53年)第6巻に『綿ふき病(田尻病)』として掲載されている。 高等動物であるヒトから顕花植物である綿(セルロース)が産出、排出されるという奇異な現象は、田尻医師による最初の確認時から10年近くも散発的に続き、その間には主治医である田尻医師以外の医師や大学病院等の医療関係者だけでなく、繊維学や植物学の専門家などにより調査や検証が行われたが、当時の日本国内の病理学者らによる『常識論』によって研究の気勢が削がれ、調査内容や検証の考察が十分に行われないまま「存在する」対「存在しない」という事実確認の対立軸に発展してしまい、第三者の医師や学者らの間で「黙して語らず」という風潮が形成されていき、やがて患者とされた女性から綿の排出が停止したため、今日では「実在」したのか「虚偽」であったのかを断言できない複雑な歴史的経緯がある。 また、昭和30年代当時の医療従事者の間では疾患概念として一般的に認知されていなかったミュンヒハウゼン症候群との関連を、この現象の背景に示唆する考えもあり、類似する原因不明の疾患とされる他の現象を含め、綿ふき病にまつわる一連の出来事を扱うこと自体がアンタッチャブルだと捉える医療関係者も存在する。 (ja)
  • 綿ふき病(わたふきびょう)とは、1957年(昭和32年)、岡山県英田郡美作町(現美作市)に所在する田尻病院において、近隣在住の女性(当時43歳)の皮膚膿瘍切開創から天然綿らしきものが排出されるのが確認され、これを原因不明の奇病、疾患であると捉えた出来事である。 発見者は同病院の創設者で、当時の院長でもあった田尻保(たじりたもつ)医師であり、当医師の名前から田尻病(たじりびょう)とも呼ばれている。いずれも正式な疾患名ではないものの、ブリタニカ国際大百科事典日本語版の1978年(昭和53年)第6巻に『綿ふき病(田尻病)』として掲載されている。 高等動物であるヒトから顕花植物である綿(セルロース)が産出、排出されるという奇異な現象は、田尻医師による最初の確認時から10年近くも散発的に続き、その間には主治医である田尻医師以外の医師や大学病院等の医療関係者だけでなく、繊維学や植物学の専門家などにより調査や検証が行われたが、当時の日本国内の病理学者らによる『常識論』によって研究の気勢が削がれ、調査内容や検証の考察が十分に行われないまま「存在する」対「存在しない」という事実確認の対立軸に発展してしまい、第三者の医師や学者らの間で「黙して語らず」という風潮が形成されていき、やがて患者とされた女性から綿の排出が停止したため、今日では「実在」したのか「虚偽」であったのかを断言できない複雑な歴史的経緯がある。 また、昭和30年代当時の医療従事者の間では疾患概念として一般的に認知されていなかったミュンヒハウゼン症候群との関連を、この現象の背景に示唆する考えもあり、類似する原因不明の疾患とされる他の現象を含め、綿ふき病にまつわる一連の出来事を扱うこと自体がアンタッチャブルだと捉える医療関係者も存在する。 (ja)
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  • ↑印は綿毛の先端部。○印は根本側の端。ほぼ同じ太さの平らな繊維で、長さは5センチほど。特有のねじれを持っており、腔(こう)が認められる。 (ja)
  • 右の↑印付近の内腔には原形質物質が残存し、苛性ソーダで処置するとセルロース陽性反応を示す。 (ja)
  • 皮下膿瘍壁の生検顕微鏡画像。好酸性小胞体をもつ細胞群が見られる。 (ja)
  • 創に生じる綿は完熟した綿毛だけでなく、このような500µmにも満たない綿毛も混在している。 (ja)
  • 中央の↑印は根本側端部。 (ja)
  • 岡山県における田尻医院の位置 (ja)
  • 左の↑印は先端尖部。 (ja)
  • 綿毛の顕微鏡画像3枚。 (ja)
  • 肉芽組織の多核巨細胞。手書きの黒矢印(○印で囲んだ内側)には幼若な綿毛のような物質が出現している。 (ja)
  • ↑印は綿毛の先端部。○印は根本側の端。ほぼ同じ太さの平らな繊維で、長さは5センチほど。特有のねじれを持っており、腔(こう)が認められる。 (ja)
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  • N農婦から排出した綿毛と生検の顕微鏡画像 (ja)
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  • Micrograph of granulomatous cell tissue of a cotton excreting disease patient at Tajiri Hospital. Around 1960.jpg (ja)
  • Subcutaneous abscess wall micrograph of a patient with cotton excreting disease at Tajiri Hospital. Around 1960.jpg (ja)
  • A micrograph of fluff discharged from a patient with cotton excreting disease at Tajiri Hospital.jpg (ja)
  • Micrographs of fluff discharged from patients with cotton excreting disease at Tajiri Hospital. Around 1960.jpg (ja)
  • Three micrographs of fluff discharged from patients with cotton excreting disease at Tajiri Hospital. Around 1960.jpg (ja)
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  • Micrographs of fluff discharged from patients with cotton excreting disease at Tajiri Hospital. Around 1960.jpg (ja)
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  • 田尻医院(病院)の位置 (ja)
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  • 綿ふき病(わたふきびょう)とは、1957年(昭和32年)、岡山県英田郡美作町(現美作市)に所在する田尻病院において、近隣在住の女性(当時43歳)の皮膚膿瘍切開創から天然綿らしきものが排出されるのが確認され、これを原因不明の奇病、疾患であると捉えた出来事である。 発見者は同病院の創設者で、当時の院長でもあった田尻保(たじりたもつ)医師であり、当医師の名前から田尻病(たじりびょう)とも呼ばれている。いずれも正式な疾患名ではないものの、ブリタニカ国際大百科事典日本語版の1978年(昭和53年)第6巻に『綿ふき病(田尻病)』として掲載されている。 また、昭和30年代当時の医療従事者の間では疾患概念として一般的に認知されていなかったミュンヒハウゼン症候群との関連を、この現象の背景に示唆する考えもあり、類似する原因不明の疾患とされる他の現象を含め、綿ふき病にまつわる一連の出来事を扱うこと自体がアンタッチャブルだと捉える医療関係者も存在する。 (ja)
  • 綿ふき病(わたふきびょう)とは、1957年(昭和32年)、岡山県英田郡美作町(現美作市)に所在する田尻病院において、近隣在住の女性(当時43歳)の皮膚膿瘍切開創から天然綿らしきものが排出されるのが確認され、これを原因不明の奇病、疾患であると捉えた出来事である。 発見者は同病院の創設者で、当時の院長でもあった田尻保(たじりたもつ)医師であり、当医師の名前から田尻病(たじりびょう)とも呼ばれている。いずれも正式な疾患名ではないものの、ブリタニカ国際大百科事典日本語版の1978年(昭和53年)第6巻に『綿ふき病(田尻病)』として掲載されている。 また、昭和30年代当時の医療従事者の間では疾患概念として一般的に認知されていなかったミュンヒハウゼン症候群との関連を、この現象の背景に示唆する考えもあり、類似する原因不明の疾患とされる他の現象を含め、綿ふき病にまつわる一連の出来事を扱うこと自体がアンタッチャブルだと捉える医療関係者も存在する。 (ja)
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