竹本 綱太夫(たけもと つなたゆう、Takemoto Tsunatayu)は、義太夫節の太夫。江戸中期より九代を数える。定紋は三代目竹本綱太夫より抱き柏に隅立て四つ目。 「綱太夫の代々は「浄瑠璃大系図」にも記されているように「綱太夫内」として斯道に重きをなして来ましたのは、その芸統に混乱がなく、名人を輩出したからでありましょう。初代綱太夫は二代目政太夫という名人の門から出まして、二代目は初代式太夫の弟子が継いだことになっておりますが、これまた初代政太夫(後の二代目竹本義太夫、竹本播磨少掾)の流れをくまれた方であります。その後三代、四代、五代、とつづきまして、六代目になって山城掾の門下に移りましたが、山城掾は三代目と同門であり、師匠の没後、四代目の預かりとなっておりますから、芸統はずっとつづいていることになります。そして七代目も山城掾の弟子、私どもの祖父師匠に当る三代目津太夫(後の七代目綱太夫)が継がれました。このように純粋な系譜も珍しいのではないでしょうか。」―八代目竹本綱太夫『でんでん虫』

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  • 竹本 綱太夫(たけもと つなたゆう、Takemoto Tsunatayu)は、義太夫節の太夫。江戸中期より九代を数える。定紋は三代目竹本綱太夫より抱き柏に隅立て四つ目。 「綱太夫の代々は「浄瑠璃大系図」にも記されているように「綱太夫内」として斯道に重きをなして来ましたのは、その芸統に混乱がなく、名人を輩出したからでありましょう。初代綱太夫は二代目政太夫という名人の門から出まして、二代目は初代式太夫の弟子が継いだことになっておりますが、これまた初代政太夫(後の二代目竹本義太夫、竹本播磨少掾)の流れをくまれた方であります。その後三代、四代、五代、とつづきまして、六代目になって山城掾の門下に移りましたが、山城掾は三代目と同門であり、師匠の没後、四代目の預かりとなっておりますから、芸統はずっとつづいていることになります。そして七代目も山城掾の弟子、私どもの祖父師匠に当る三代目津太夫(後の七代目綱太夫)が継がれました。このように純粋な系譜も珍しいのではないでしょうか。」―八代目竹本綱太夫『でんでん虫』 (ja)
  • 竹本 綱太夫(たけもと つなたゆう、Takemoto Tsunatayu)は、義太夫節の太夫。江戸中期より九代を数える。定紋は三代目竹本綱太夫より抱き柏に隅立て四つ目。 「綱太夫の代々は「浄瑠璃大系図」にも記されているように「綱太夫内」として斯道に重きをなして来ましたのは、その芸統に混乱がなく、名人を輩出したからでありましょう。初代綱太夫は二代目政太夫という名人の門から出まして、二代目は初代式太夫の弟子が継いだことになっておりますが、これまた初代政太夫(後の二代目竹本義太夫、竹本播磨少掾)の流れをくまれた方であります。その後三代、四代、五代、とつづきまして、六代目になって山城掾の門下に移りましたが、山城掾は三代目と同門であり、師匠の没後、四代目の預かりとなっておりますから、芸統はずっとつづいていることになります。そして七代目も山城掾の弟子、私どもの祖父師匠に当る三代目津太夫(後の七代目綱太夫)が継がれました。このように純粋な系譜も珍しいのではないでしょうか。」―八代目竹本綱太夫『でんでん虫』 (ja)
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  • 竹本 綱太夫(たけもと つなたゆう、Takemoto Tsunatayu)は、義太夫節の太夫。江戸中期より九代を数える。定紋は三代目竹本綱太夫より抱き柏に隅立て四つ目。 「綱太夫の代々は「浄瑠璃大系図」にも記されているように「綱太夫内」として斯道に重きをなして来ましたのは、その芸統に混乱がなく、名人を輩出したからでありましょう。初代綱太夫は二代目政太夫という名人の門から出まして、二代目は初代式太夫の弟子が継いだことになっておりますが、これまた初代政太夫(後の二代目竹本義太夫、竹本播磨少掾)の流れをくまれた方であります。その後三代、四代、五代、とつづきまして、六代目になって山城掾の門下に移りましたが、山城掾は三代目と同門であり、師匠の没後、四代目の預かりとなっておりますから、芸統はずっとつづいていることになります。そして七代目も山城掾の弟子、私どもの祖父師匠に当る三代目津太夫(後の七代目綱太夫)が継がれました。このように純粋な系譜も珍しいのではないでしょうか。」―八代目竹本綱太夫『でんでん虫』 (ja)
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