牛久保六騎(うしくぼろっき)は、戦国時代の東三河地方の牛久保城主牧野氏に参集していた寄騎衆の6氏をあらわす用語。「牛窪記」(江戸時代中期成立の軍記物)の記述中に現れる 「牛窪記」は、その構成メンバー6氏の姓氏を具体的には明示していないが、同文献中に登場する東三河の司頭とされる牧野・岩瀬・野瀬・真木・山本・稲垣・牧 の各氏が該当すると推測されている。彼らは天文年間には東三河に進出してきた戦国大名の今川氏(駿河方)に属していたが、今川義元の死後は寄親の牧野氏に先んじて徳川氏と和睦、牛久保牧野氏の徳川方帰属の仲立ちをしたとされる。