木村 蒹葭堂(きむら けんかどう、元文元年11月28日(1736年12月29日) - 享和2年1月25日(1802年2月27日))は、江戸時代中期の日本の文人・文人画家・本草学者・・コレクター。 大坂北堀江瓶橋北詰の造り酒屋と(しもたや、家賃と酒株の貸付)を兼ねる商家の長子として生まれる。名は孔龔(孔恭)、幼名は太吉郎(多吉郎)、字を世粛、号は蒹葭堂の他に、巽斎(遜斎)、通称は坪井屋(壺井屋)吉右衛門。 蒹葭とは葦のことであり、「蒹葭堂」とはもともとは彼の書斎のことである。庭に井戸を掘ったときに葦が出て来たことを愛でてそのように名付けたもので、後にこの書斎の名をもって彼を呼ぶようになった。