山田 三川(やまだ さんせん、文化元年2月20日(1804年3月31日) - 文久2年8月15日(1862年9月8日))は、江戸時代後期から幕末の儒学者。後に松前藩士、転じて安中藩士となった。 「三川」は字の一つで、他に「致遠」「四有」も名乗った。名は「飛」、諱は「載飛」「載鳴」、通称は「三郎」。