国府八幡宮(こくぶはちまんぐう)とは、令制国の国府(府中)の近くに創建された八幡宮である。「府中八幡宮(ふちゅうはちまんぐう)」と称されたり「国分八幡宮」と表記されることもある。また単に「八幡宮」「八幡神社」と称したり、地名を冠する神社もある。 国府八幡宮には神社によって、国衙の鎮守であると伝えるものと、国分寺の鎮守と伝えるものとがある。一般に国府と国分寺は近くにあることが多く、両者が混同されたものもあると見られている。総国分寺である奈良の東大寺の鎮守社が手向山八幡宮であることから、各地の国府・国分寺でも八幡宮を鎮守としたとも考えられる。これらの国府八幡宮は国府の近くにあることから、後に総社の機能を持つようになったものもある。 「一国一社の八幡宮」「一道一社の八幡宮」「総社八幡宮」と称する八幡宮も、国府八幡宮に由来するものとされるが、例外もある。例として、武蔵国では総社八幡宮として磐井神社が、国府八幡宮として武蔵国府八幡宮が鎮座しており、また国分寺市西元町のが国分寺の鎮守であったとする説もあり、分立している。また、上野国は国府比定地に近いが国府八幡宮とする説があるが、国府比定地から離れた場所に一国一社八幡宮として上野國一社八幡宮が鎮座している。

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  • 国府八幡宮(こくぶはちまんぐう)とは、令制国の国府(府中)の近くに創建された八幡宮である。「府中八幡宮(ふちゅうはちまんぐう)」と称されたり「国分八幡宮」と表記されることもある。また単に「八幡宮」「八幡神社」と称したり、地名を冠する神社もある。 国府八幡宮には神社によって、国衙の鎮守であると伝えるものと、国分寺の鎮守と伝えるものとがある。一般に国府と国分寺は近くにあることが多く、両者が混同されたものもあると見られている。総国分寺である奈良の東大寺の鎮守社が手向山八幡宮であることから、各地の国府・国分寺でも八幡宮を鎮守としたとも考えられる。これらの国府八幡宮は国府の近くにあることから、後に総社の機能を持つようになったものもある。 「一国一社の八幡宮」「一道一社の八幡宮」「総社八幡宮」と称する八幡宮も、国府八幡宮に由来するものとされるが、例外もある。例として、武蔵国では総社八幡宮として磐井神社が、国府八幡宮として武蔵国府八幡宮が鎮座しており、また国分寺市西元町のが国分寺の鎮守であったとする説もあり、分立している。また、上野国は国府比定地に近いが国府八幡宮とする説があるが、国府比定地から離れた場所に一国一社八幡宮として上野國一社八幡宮が鎮座している。 (ja)
  • 国府八幡宮(こくぶはちまんぐう)とは、令制国の国府(府中)の近くに創建された八幡宮である。「府中八幡宮(ふちゅうはちまんぐう)」と称されたり「国分八幡宮」と表記されることもある。また単に「八幡宮」「八幡神社」と称したり、地名を冠する神社もある。 国府八幡宮には神社によって、国衙の鎮守であると伝えるものと、国分寺の鎮守と伝えるものとがある。一般に国府と国分寺は近くにあることが多く、両者が混同されたものもあると見られている。総国分寺である奈良の東大寺の鎮守社が手向山八幡宮であることから、各地の国府・国分寺でも八幡宮を鎮守としたとも考えられる。これらの国府八幡宮は国府の近くにあることから、後に総社の機能を持つようになったものもある。 「一国一社の八幡宮」「一道一社の八幡宮」「総社八幡宮」と称する八幡宮も、国府八幡宮に由来するものとされるが、例外もある。例として、武蔵国では総社八幡宮として磐井神社が、国府八幡宮として武蔵国府八幡宮が鎮座しており、また国分寺市西元町のが国分寺の鎮守であったとする説もあり、分立している。また、上野国は国府比定地に近いが国府八幡宮とする説があるが、国府比定地から離れた場所に一国一社八幡宮として上野國一社八幡宮が鎮座している。 (ja)
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  • 国府八幡宮(こくぶはちまんぐう)とは、令制国の国府(府中)の近くに創建された八幡宮である。「府中八幡宮(ふちゅうはちまんぐう)」と称されたり「国分八幡宮」と表記されることもある。また単に「八幡宮」「八幡神社」と称したり、地名を冠する神社もある。 国府八幡宮には神社によって、国衙の鎮守であると伝えるものと、国分寺の鎮守と伝えるものとがある。一般に国府と国分寺は近くにあることが多く、両者が混同されたものもあると見られている。総国分寺である奈良の東大寺の鎮守社が手向山八幡宮であることから、各地の国府・国分寺でも八幡宮を鎮守としたとも考えられる。これらの国府八幡宮は国府の近くにあることから、後に総社の機能を持つようになったものもある。 「一国一社の八幡宮」「一道一社の八幡宮」「総社八幡宮」と称する八幡宮も、国府八幡宮に由来するものとされるが、例外もある。例として、武蔵国では総社八幡宮として磐井神社が、国府八幡宮として武蔵国府八幡宮が鎮座しており、また国分寺市西元町のが国分寺の鎮守であったとする説もあり、分立している。また、上野国は国府比定地に近いが国府八幡宮とする説があるが、国府比定地から離れた場所に一国一社八幡宮として上野國一社八幡宮が鎮座している。 (ja)
  • 国府八幡宮(こくぶはちまんぐう)とは、令制国の国府(府中)の近くに創建された八幡宮である。「府中八幡宮(ふちゅうはちまんぐう)」と称されたり「国分八幡宮」と表記されることもある。また単に「八幡宮」「八幡神社」と称したり、地名を冠する神社もある。 国府八幡宮には神社によって、国衙の鎮守であると伝えるものと、国分寺の鎮守と伝えるものとがある。一般に国府と国分寺は近くにあることが多く、両者が混同されたものもあると見られている。総国分寺である奈良の東大寺の鎮守社が手向山八幡宮であることから、各地の国府・国分寺でも八幡宮を鎮守としたとも考えられる。これらの国府八幡宮は国府の近くにあることから、後に総社の機能を持つようになったものもある。 「一国一社の八幡宮」「一道一社の八幡宮」「総社八幡宮」と称する八幡宮も、国府八幡宮に由来するものとされるが、例外もある。例として、武蔵国では総社八幡宮として磐井神社が、国府八幡宮として武蔵国府八幡宮が鎮座しており、また国分寺市西元町のが国分寺の鎮守であったとする説もあり、分立している。また、上野国は国府比定地に近いが国府八幡宮とする説があるが、国府比定地から離れた場所に一国一社八幡宮として上野國一社八幡宮が鎮座している。 (ja)
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  • 国府八幡宮 (ja)
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