吉原 重俊(よしはら しげとし、1845年5月15日(弘化2年4月10日) - 1887年(明治20年)12月19日)は、日本の武士(薩摩藩士)、官僚、実業家。日本銀行初代総裁。薩摩藩藩校造士館に学んだ攘夷派の志士であったが、薩摩藩第二次米国留学生としてアメリカ合衆国イェール大学初の日本人留学生として政治・法律学を学ぶ。岩倉使節団にワシントンで現地参加し、帰朝後は外務省書記官となり、大蔵省に転じて大蔵卿松方正義の下で活躍した。横浜税関長、長を務め初代の日銀総裁となった。