分部 光謙(わけべ みつのり)は、明治時代の大名・華族(子爵)。近江国大溝藩第2代知藩事。版籍奉還後、9歳で家督を相続したが、翌年に大溝藩は廃藩を願い出ており、在職約1年で知藩事を免職された。長じて競馬に傾倒し、草創期の日本競馬界で最大の個人馬主となるなど目立つ存在となったが、家産を傾けたことなどが問題となり、1902年に爵位を返上した。その後は旧領地の大溝(現在の滋賀県高島市)に暮らして長命を保ち、1944年に83歳で没した。藩主および知藩事の地位にあった者(大名)としては最後まで生きた人物である。