中野 能成(なかの よしなり、生没年未詳(建長4年(1252年) - 同6年(1254年)の間に死亡)は、鎌倉時代前期の信濃国の武将。通称は右馬允、五郎。鎌倉幕府御家人。二代将軍源頼家の近習。本姓は藤原氏。父はであるが娘婿あるいは養子という説もある。