テッサロニキ帝国(テッサロニキていこく、ギリシア語: Αυτοκρατορία της Θεσσαλονίκης)は、テッサロニキを首都として1224年から1246年まで存在した(皇帝号を名乗っていたのは1244年まで)国家の史学上の名称である。ビザンツ帝国のコムネノス家による亡命政権エピロス専制侯国のテオドロス1世コムネノス・ドゥーカスがテッサロニキで皇帝に即位して成立した。彼はニカイア帝国や第二次ブルガリア帝国と争いつつ、コンスタンティノープル征服、ラテン帝国打倒、そして1204年に滅亡したビザンツ帝国の復活を目指した。

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  • テッサロニキ帝国(テッサロニキていこく、ギリシア語: Αυτοκρατορία της Θεσσαλονίκης)は、テッサロニキを首都として1224年から1246年まで存在した(皇帝号を名乗っていたのは1244年まで)国家の史学上の名称である。ビザンツ帝国のコムネノス家による亡命政権エピロス専制侯国のテオドロス1世コムネノス・ドゥーカスがテッサロニキで皇帝に即位して成立した。彼はニカイア帝国や第二次ブルガリア帝国と争いつつ、コンスタンティノープル征服、ラテン帝国打倒、そして1204年に滅亡したビザンツ帝国の復活を目指した。 しかしテッサロニキ帝国の覇権は長くは続かなかった。1230年、クロコトニッツァの戦いでテオドロス1世はブルガリアに壊滅的敗北を喫し、捕虜となった。弟のマヌエル・コムネノス・ドゥーカスが跡を継いだが、テッサロニキ帝国はもはやブルガリアの属国となり下がり、マケドニアやトラキアを失い、ついにはかつての中核地域だったエピロスも甥のミカエル2世アンゲロス・コムネノスのもとで自立される有様だった。1237年にテオドロス1世が復帰してマヌエルを追い出し、テッサロニキの支配者に長男ヨハネス・コムネノス・ドゥーカスを、その死後には次男デメトリオス・アンゲロス・ドゥーカスを据えた。しかしマヌエルはミカエル2世と組んで抵抗し、テッサリアを支配した。1242年、ヨハネスはニカイア皇帝ヨハネス3世ドゥーカス・ヴァタツェスに屈してその宗主権を認め、帝号を放棄した。その後もヨハネスとデメトリオスのコムネノス朝専制侯が4年間テッサロニキを支配したが、最終的にニカイア帝国に併合された。 (ja)
  • テッサロニキ帝国(テッサロニキていこく、ギリシア語: Αυτοκρατορία της Θεσσαλονίκης)は、テッサロニキを首都として1224年から1246年まで存在した(皇帝号を名乗っていたのは1244年まで)国家の史学上の名称である。ビザンツ帝国のコムネノス家による亡命政権エピロス専制侯国のテオドロス1世コムネノス・ドゥーカスがテッサロニキで皇帝に即位して成立した。彼はニカイア帝国や第二次ブルガリア帝国と争いつつ、コンスタンティノープル征服、ラテン帝国打倒、そして1204年に滅亡したビザンツ帝国の復活を目指した。 しかしテッサロニキ帝国の覇権は長くは続かなかった。1230年、クロコトニッツァの戦いでテオドロス1世はブルガリアに壊滅的敗北を喫し、捕虜となった。弟のマヌエル・コムネノス・ドゥーカスが跡を継いだが、テッサロニキ帝国はもはやブルガリアの属国となり下がり、マケドニアやトラキアを失い、ついにはかつての中核地域だったエピロスも甥のミカエル2世アンゲロス・コムネノスのもとで自立される有様だった。1237年にテオドロス1世が復帰してマヌエルを追い出し、テッサロニキの支配者に長男ヨハネス・コムネノス・ドゥーカスを、その死後には次男デメトリオス・アンゲロス・ドゥーカスを据えた。しかしマヌエルはミカエル2世と組んで抵抗し、テッサリアを支配した。1242年、ヨハネスはニカイア皇帝ヨハネス3世ドゥーカス・ヴァタツェスに屈してその宗主権を認め、帝号を放棄した。その後もヨハネスとデメトリオスのコムネノス朝専制侯が4年間テッサロニキを支配したが、最終的にニカイア帝国に併合された。 (ja)
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