タマン・サリ(Taman Sari、ジャワ語: ꦠꦩꦤ꧀ ꦱꦫꦶ)は、インドネシアのジョクジャカルタ王宮(クラトン)近くにある離宮の跡であり、水の王宮とも称される。この離宮はジョグジャカルタ市の王宮()の南(南西)およそ2キロメートル内に位置する。ジョグジャカルタ侯国と称されたの王室庭園の跡であり、タマン・サリは、インドネシア語で「花園」の意である。 タマン・サリは、18世紀中頃の1758年に(スルタン・ハムンク・ブウォノ1世、在位1755–1792年)により造営が開始された。タマン・サリには、休息場、作業場、瞑想場、防御要塞、それに隠れ場所といった多様な役割があった。花園に囲まれた水浴場に王宮に仕える女性に水浴びをさせ、それをスルタンが塔の3階より眺めて気にいった女性に花束を投げて、王専用の施設の水浴場で沐浴したり、夜をともにしたりしたともいわれる。また、離宮ではあるが、延長5キロメートル、2層からなる地下通路が張り巡らされ有事に使用された。ここにはイスラム導師の礼拝室、祈りを捧げる前に身を清める湧水の泉があり、宗教儀礼的な意味を持っている。

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  • タマン・サリ(Taman Sari、ジャワ語: ꦠꦩꦤ꧀ ꦱꦫꦶ)は、インドネシアのジョクジャカルタ王宮(クラトン)近くにある離宮の跡であり、水の王宮とも称される。この離宮はジョグジャカルタ市の王宮()の南(南西)およそ2キロメートル内に位置する。ジョグジャカルタ侯国と称されたの王室庭園の跡であり、タマン・サリは、インドネシア語で「花園」の意である。 タマン・サリは、18世紀中頃の1758年に(スルタン・ハムンク・ブウォノ1世、在位1755–1792年)により造営が開始された。タマン・サリには、休息場、作業場、瞑想場、防御要塞、それに隠れ場所といった多様な役割があった。花園に囲まれた水浴場に王宮に仕える女性に水浴びをさせ、それをスルタンが塔の3階より眺めて気にいった女性に花束を投げて、王専用の施設の水浴場で沐浴したり、夜をともにしたりしたともいわれる。また、離宮ではあるが、延長5キロメートル、2層からなる地下通路が張り巡らされ有事に使用された。ここにはイスラム導師の礼拝室、祈りを捧げる前に身を清める湧水の泉があり、宗教儀礼的な意味を持っている。 タマン・サリは、明確に分かれる4つの地区より構成され、北に島および建物のある大きな人工湖、中央に水浴場、南に別館と沐浴池の複合体、そして東側には別の人工湖があった。今日、中央の水浴場については良く保存されているものの、そのほかの地区は大部分がカンプン・タマン (Kampung Taman) 集落により占められている。 長い間修復されずに損傷していたが、1970年に修復がなされ、2002年よりポルトガルの財団の援助などによる修復が行われた。2006年5月27日のジャワ島中部地震により被害を受けたが、2017年より、タマン・サリを含むジョグジャカルタの歴史的都市(英: Historical City Centre of Yogyakarta)が、世界遺産の暫定リストに掲載されている。 (ja)
  • タマン・サリ(Taman Sari、ジャワ語: ꦠꦩꦤ꧀ ꦱꦫꦶ)は、インドネシアのジョクジャカルタ王宮(クラトン)近くにある離宮の跡であり、水の王宮とも称される。この離宮はジョグジャカルタ市の王宮()の南(南西)およそ2キロメートル内に位置する。ジョグジャカルタ侯国と称されたの王室庭園の跡であり、タマン・サリは、インドネシア語で「花園」の意である。 タマン・サリは、18世紀中頃の1758年に(スルタン・ハムンク・ブウォノ1世、在位1755–1792年)により造営が開始された。タマン・サリには、休息場、作業場、瞑想場、防御要塞、それに隠れ場所といった多様な役割があった。花園に囲まれた水浴場に王宮に仕える女性に水浴びをさせ、それをスルタンが塔の3階より眺めて気にいった女性に花束を投げて、王専用の施設の水浴場で沐浴したり、夜をともにしたりしたともいわれる。また、離宮ではあるが、延長5キロメートル、2層からなる地下通路が張り巡らされ有事に使用された。ここにはイスラム導師の礼拝室、祈りを捧げる前に身を清める湧水の泉があり、宗教儀礼的な意味を持っている。 タマン・サリは、明確に分かれる4つの地区より構成され、北に島および建物のある大きな人工湖、中央に水浴場、南に別館と沐浴池の複合体、そして東側には別の人工湖があった。今日、中央の水浴場については良く保存されているものの、そのほかの地区は大部分がカンプン・タマン (Kampung Taman) 集落により占められている。 長い間修復されずに損傷していたが、1970年に修復がなされ、2002年よりポルトガルの財団の援助などによる修復が行われた。2006年5月27日のジャワ島中部地震により被害を受けたが、2017年より、タマン・サリを含むジョグジャカルタの歴史的都市(英: Historical City Centre of Yogyakarta)が、世界遺産の暫定リストに掲載されている。 (ja)
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  • ジョグジャカルタ、2007年1月 (ja)
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  • ジョグジャカルタ市、ンガスム通り (ja)
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  • タマン・サリ(Taman Sari、ジャワ語: ꦠꦩꦤ꧀ ꦱꦫꦶ)は、インドネシアのジョクジャカルタ王宮(クラトン)近くにある離宮の跡であり、水の王宮とも称される。この離宮はジョグジャカルタ市の王宮()の南(南西)およそ2キロメートル内に位置する。ジョグジャカルタ侯国と称されたの王室庭園の跡であり、タマン・サリは、インドネシア語で「花園」の意である。 タマン・サリは、18世紀中頃の1758年に(スルタン・ハムンク・ブウォノ1世、在位1755–1792年)により造営が開始された。タマン・サリには、休息場、作業場、瞑想場、防御要塞、それに隠れ場所といった多様な役割があった。花園に囲まれた水浴場に王宮に仕える女性に水浴びをさせ、それをスルタンが塔の3階より眺めて気にいった女性に花束を投げて、王専用の施設の水浴場で沐浴したり、夜をともにしたりしたともいわれる。また、離宮ではあるが、延長5キロメートル、2層からなる地下通路が張り巡らされ有事に使用された。ここにはイスラム導師の礼拝室、祈りを捧げる前に身を清める湧水の泉があり、宗教儀礼的な意味を持っている。 (ja)
  • タマン・サリ(Taman Sari、ジャワ語: ꦠꦩꦤ꧀ ꦱꦫꦶ)は、インドネシアのジョクジャカルタ王宮(クラトン)近くにある離宮の跡であり、水の王宮とも称される。この離宮はジョグジャカルタ市の王宮()の南(南西)およそ2キロメートル内に位置する。ジョグジャカルタ侯国と称されたの王室庭園の跡であり、タマン・サリは、インドネシア語で「花園」の意である。 タマン・サリは、18世紀中頃の1758年に(スルタン・ハムンク・ブウォノ1世、在位1755–1792年)により造営が開始された。タマン・サリには、休息場、作業場、瞑想場、防御要塞、それに隠れ場所といった多様な役割があった。花園に囲まれた水浴場に王宮に仕える女性に水浴びをさせ、それをスルタンが塔の3階より眺めて気にいった女性に花束を投げて、王専用の施設の水浴場で沐浴したり、夜をともにしたりしたともいわれる。また、離宮ではあるが、延長5キロメートル、2層からなる地下通路が張り巡らされ有事に使用された。ここにはイスラム導師の礼拝室、祈りを捧げる前に身を清める湧水の泉があり、宗教儀礼的な意味を持っている。 (ja)
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  • タマン・サリ (ja)
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