キンティンスヒル鉄道事故(キンティンスヒルてつどうじこ、英語: Quintinshill rail disaster)は、イギリス・スコットランド・のグレトナ・グリーン近郊にあるキンティンスヒル(クィンティンズヒル)信号場で1915年5月22日に発生した列車の多重衝突事故である。200人以上が死亡し、イギリスの鉄道史上最悪の事故となった。 キンティンスヒル信号場は、グラスゴーとカーライルを結ぶ(現在はウェスト・コースト本線の一部)にあり、本線の両側に2本の待避線を備えていた。事故当時、待避線は2本とも貨物列車が入線しており、旅客の普通列車が南行(上り)の本線上に待機していた。最初の事故では、発リヴァプール行きの南行(上り)の兵員輸送列車が、停車中の普通列車に衝突した。その1分後、最初の事故の残骸に、ロンドン・ユーストン駅発グラスゴー行きの北行(下り)急行寝台列車が衝突した。兵員輸送列車に使われていた古い木造客車に備えられていたピンチガスを利用した照明装置から漏れたガスに引火し、事故に巻き込まれた5本の列車すべてがすぐに炎上した。

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  • キンティンスヒル鉄道事故(キンティンスヒルてつどうじこ、英語: Quintinshill rail disaster)は、イギリス・スコットランド・のグレトナ・グリーン近郊にあるキンティンスヒル(クィンティンズヒル)信号場で1915年5月22日に発生した列車の多重衝突事故である。200人以上が死亡し、イギリスの鉄道史上最悪の事故となった。 キンティンスヒル信号場は、グラスゴーとカーライルを結ぶ(現在はウェスト・コースト本線の一部)にあり、本線の両側に2本の待避線を備えていた。事故当時、待避線は2本とも貨物列車が入線しており、旅客の普通列車が南行(上り)の本線上に待機していた。最初の事故では、発リヴァプール行きの南行(上り)の兵員輸送列車が、停車中の普通列車に衝突した。その1分後、最初の事故の残骸に、ロンドン・ユーストン駅発グラスゴー行きの北行(下り)急行寝台列車が衝突した。兵員輸送列車に使われていた古い木造客車に備えられていたピンチガスを利用した照明装置から漏れたガスに引火し、事故に巻き込まれた5本の列車すべてがすぐに炎上した。 兵員輸送列車に乗車していた兵士たちは、およそ半分が生き残った。死亡したのは主に、ガリポリの戦いへと向かう途中であったのロイヤル・スコッツ連隊第1/7大隊()の兵士たちであった。火災で完全に焼けてしまって回収できなかった遺体もあり、また部隊の兵員一覧表も火災で焼けてしまったため、正確な死者数は確定されなかった。公式の死者数は227人で、うち215人が兵士、9人が旅客、3人が鉄道員であったが、のちに陸軍は兵士の死者数を1人減らしている。227人に含まれていないのは、子供だと思われる4人の死者であるが、心当たりがあると名乗り出るものがなく、身元は確認されなかった。兵士たちはエディンバラので一緒に集団埋葬され、ここで毎年追悼礼拝が行われる。 公式事故調査は、1915年6月17日に完了して商務庁に対して提出され、2人の信号扱い手の規定違反が衝突の原因であるとした。2本とも待避線が埋まっているときに、遅れて走っていた北行(下り)の急行寝台列車が追い抜きできるようにするため、北行(下り)の普通列車を退行させて、南行(上り)の本線に移していた。しかしこの普通列車の存在を忘れてしまい、南行(上り)の兵員輸送列車の通過を許可してしまった。この結果、2人の信号扱い手はイングランドにおいて故殺罪(過失致死罪)で起訴され、続いてスコットランドでの裁判において過失致死罪で有罪となった。イングランドとスコットランドの刑法の考え方は異なるが、どちらでもおおむね同じ罪である。1916年にスコットランドの刑務所から釈放され、再びカレドニアン鉄道に雇用されたが、信号扱い以外の職場に配置された。 (ja)
  • キンティンスヒル鉄道事故(キンティンスヒルてつどうじこ、英語: Quintinshill rail disaster)は、イギリス・スコットランド・のグレトナ・グリーン近郊にあるキンティンスヒル(クィンティンズヒル)信号場で1915年5月22日に発生した列車の多重衝突事故である。200人以上が死亡し、イギリスの鉄道史上最悪の事故となった。 キンティンスヒル信号場は、グラスゴーとカーライルを結ぶ(現在はウェスト・コースト本線の一部)にあり、本線の両側に2本の待避線を備えていた。事故当時、待避線は2本とも貨物列車が入線しており、旅客の普通列車が南行(上り)の本線上に待機していた。最初の事故では、発リヴァプール行きの南行(上り)の兵員輸送列車が、停車中の普通列車に衝突した。その1分後、最初の事故の残骸に、ロンドン・ユーストン駅発グラスゴー行きの北行(下り)急行寝台列車が衝突した。兵員輸送列車に使われていた古い木造客車に備えられていたピンチガスを利用した照明装置から漏れたガスに引火し、事故に巻き込まれた5本の列車すべてがすぐに炎上した。 兵員輸送列車に乗車していた兵士たちは、およそ半分が生き残った。死亡したのは主に、ガリポリの戦いへと向かう途中であったのロイヤル・スコッツ連隊第1/7大隊()の兵士たちであった。火災で完全に焼けてしまって回収できなかった遺体もあり、また部隊の兵員一覧表も火災で焼けてしまったため、正確な死者数は確定されなかった。公式の死者数は227人で、うち215人が兵士、9人が旅客、3人が鉄道員であったが、のちに陸軍は兵士の死者数を1人減らしている。227人に含まれていないのは、子供だと思われる4人の死者であるが、心当たりがあると名乗り出るものがなく、身元は確認されなかった。兵士たちはエディンバラので一緒に集団埋葬され、ここで毎年追悼礼拝が行われる。 公式事故調査は、1915年6月17日に完了して商務庁に対して提出され、2人の信号扱い手の規定違反が衝突の原因であるとした。2本とも待避線が埋まっているときに、遅れて走っていた北行(下り)の急行寝台列車が追い抜きできるようにするため、北行(下り)の普通列車を退行させて、南行(上り)の本線に移していた。しかしこの普通列車の存在を忘れてしまい、南行(上り)の兵員輸送列車の通過を許可してしまった。この結果、2人の信号扱い手はイングランドにおいて故殺罪(過失致死罪)で起訴され、続いてスコットランドでの裁判において過失致死罪で有罪となった。イングランドとスコットランドの刑法の考え方は異なるが、どちらでもおおむね同じ罪である。1916年にスコットランドの刑務所から釈放され、再びカレドニアン鉄道に雇用されたが、信号扱い以外の職場に配置された。 (ja)
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  • 衝突後に炎上する客車 (ja)
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  • キンティンスヒル鉄道事故(キンティンスヒルてつどうじこ、英語: Quintinshill rail disaster)は、イギリス・スコットランド・のグレトナ・グリーン近郊にあるキンティンスヒル(クィンティンズヒル)信号場で1915年5月22日に発生した列車の多重衝突事故である。200人以上が死亡し、イギリスの鉄道史上最悪の事故となった。 キンティンスヒル信号場は、グラスゴーとカーライルを結ぶ(現在はウェスト・コースト本線の一部)にあり、本線の両側に2本の待避線を備えていた。事故当時、待避線は2本とも貨物列車が入線しており、旅客の普通列車が南行(上り)の本線上に待機していた。最初の事故では、発リヴァプール行きの南行(上り)の兵員輸送列車が、停車中の普通列車に衝突した。その1分後、最初の事故の残骸に、ロンドン・ユーストン駅発グラスゴー行きの北行(下り)急行寝台列車が衝突した。兵員輸送列車に使われていた古い木造客車に備えられていたピンチガスを利用した照明装置から漏れたガスに引火し、事故に巻き込まれた5本の列車すべてがすぐに炎上した。 (ja)
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