「米国の最も大きな強みの1つは非合理な楽観主義であり、日本の最も大きな弱みの1つは非合理な悲観主義である」。先日、私が何気なくSNSに投稿したこの一文に対し、もっと詳しく説明してほしいという声が寄せられました。楽観主義は、たとえ根拠が薄く非合理的であっても、前向きな思考を促し、社会の変革を後押しする力になります。一方で、過度の悲観主義は停滞を生み、発展を妨げかねません。それは、日本のように非常に大きな潜在力を持つ国であっても例外ではないのです。
米国の「非合理な楽観主義」
米国では、「非合理な楽観主義」が幾度となく社会を突き動かし、進歩を生み出してきました。その代表例がシリコンバレーです。「このクレイジーなアイデアが次の大成功につながるかもしれない」といった楽観的な発想のもと、数えきれないほどのスタートアップが次々と誕生しています。成功の確率が低いとわかっていても、起業家たちは挑戦し続け、投資家たちも資金を投じ続けています。ベンチャーキャピタリストのマーク・サスターは、こうした姿勢こそが「アメリカの最大の資産」だと評しています。挑戦そのものが称賛される社会だからこそ、失敗を恐れずリスクを取る文化が根付き、それが画期的なイノベーションを生み出す原動力となっているのです。
歴史を振り返ると、フランクリン・D・ルーズベルト元大統領も、国民の楽観主義を呼び覚ますことで大恐慌の最も深刻な時期を乗り越えました。1933年の大統領就任演説で、「我々が恐れるべき唯一のものは、恐怖そのものである」と宣言したことは有名です。悲観による萎縮や停滞から脱却し、大胆な経済政策(ニューディール政策)のもと結束するよう国民に呼びかけ、経済復興の足がかりを築くことに成功したのです。それから数十年後、ジョン・F・ケネディも、楽観主義を背景に大胆な挑戦を掲げました。「1970年までに人類を月面に送り込む」という、当時は不可能に思えた国家目標です。しかし、国家の誇り、潤沢な予算、そして『不可能を可能にする』という揺るぎない信念が、この壮大な挑戦を後押ししました。そして1969年、アポロ11号の成功によってこの宇宙開発競争に勝利を収め、「大きな夢を描けば、きっと実現できる」という価値観をアメリカ社会にさらに根付かせることになったのです。
日本のかつての楽観主義: 明治維新と戦後の高度経済成長
日本もまた、力強い楽観主義を原動力に発展した歴史があります。その変革の大きさを考えると、日本の楽観主義のほうがむしろ際立っていたと言えるかもしれません。最初の例が、1868年の明治維新です。江戸幕府の封建制度が解体され、新たに発足した明治政府により中央集権化が進められるとともに、西洋の技術が積極的に取り入れられるようになりました。世界の強国と対等に渡り合うことを目指し、急速な近代化を進めたのです。これは、大胆な賭けでしたが、不可能と思われたにもかかわらず、日本はわずか数十年で飛躍的な産業化を遂げました。そして1905年の日露戦争で、日本はロシアに勝利。アジアの国が西欧の大国を打ち破るのは近代史上前例のないことで、世界に大きな衝撃を与えました。日本にとっても、この勝利は明治維新の魂を象徴するものとなりました。「努力すれば日本も西洋列強に肩を並べられる」という、時に非合理的とも言える楽観主義的な信念です。
第二次世界大戦後、日本社会には再び力強い楽観主義が広がりました。主要都市が壊滅状態となり、経済も深刻な打撃を受け、日本にはそのまま絶望に打ちひしがれて沈んでいく可能性もありました。しかし、実際には経済成長にひたすら邁進する道を選んだのです。米国の支援と旺盛な勤労意欲に後押しされ、1968年には世界第2位の経済大国へと躍進しました。この戦後の「経済の奇跡」を支えたのは、社会全体に広がる揺るぎない自信と楽観主義でした。企業は研究開発に積極的に投資し、労働者はより良い生活を期待して長時間働き、多くの人が「明日は今日より良くなる」と信じていました。1980年代には、日本製の電子機器や自動車が、今の中国製品のように世界中の市場にあふれました。そして多くの人が、いずれ日本は米国を追い越すと本気で信じるようになったのです。
「非合理な悲観主義」への転落
しかし、1980年代から続いたバブル経済は、90年代初頭に崩壊。日本は「失われた10年」とも呼ばれる長期低迷に突入しました。実際には、それ以上の長期にわたって経済成長が停滞し、不動産価格は下落し、銀行は不良債権に苦しみました。このバブル崩壊のトラウマは、国民全体の心理に深刻な影響を及ぼしました。社会全体に悲観的な空気が広がり、経済指標だけでは説明しきれないほどの「非合理的」な悲観論が蔓延していったのです。しかし、日本には依然として多くの強みがありました。世界最高水準の技術力や高い貯蓄率、優れたインフラ、文化的結束力、そして真面目で勤勉な国民性です。それにもかかわらず、国民感情も企業の行動も、極端に慎重になっていきました。
そして、日本経済は長期にわたってインフレではなくデフレが常態化しました。消費者は「後から買ったほうが安くなる」と考え、消費を先送りするようになりました。需要が低迷すると、企業も投資を控えるようになりました。その結果、経済の勢いが鈍化し、社会全体が停滞していったのです。さらに、市場が再び暴落するのではないかという不安から、個人も投資を控えるようになり、ひたすら貯蓄に走りました。このデフレマインドは社会に深く根付き、歴代の日銀総裁が繰り返し指摘してきたように、日本経済にとって最も手強い心理的な壁となっていったのです。
企業レベルでは、大企業は大胆な事業拡大や買収を避ける一方で、総額250兆円を超えるほどの膨大な手元資金を貯め込みました。スタートアップにとっては、失敗が忌避される風潮の中でリスク資本を確保することが大きな課題となりました。このようなリスク回避の姿勢は、明治時代や戦後の挑戦的な姿勢とは対照的です。社会全体でも、多くの日本人が自分や国の未来に希望を持てず、挑戦を避ける空気が広がっていきました。特に若い世代の間では、世界的に見ても際立った悲観的傾向があることが様々な調査で示されています。例えば、2018年のピュー研究所の調査によると、「今の子どもたちは親世代より豊かになる」と考える日本人は、わずか15%にとどまりました。
こうした悲観的な考え方が広がることで、日本の発展や成功の可能性が阻まれているのが現状です。日本は今もなお、世界トップクラスの技術力や高水準の研究開発投資、そして優れた教育を受けた労働力を誇っています。しかし、個人や企業、政府が常に最悪の事態を想定し続ける限り、新たなチャンスへの投資が不足し、成長の機会を逃しかねません。
楽観主義の復活の兆し
心強いことに、日本には楽観主義を取り戻しつつある兆しも見えはじめています。例えば、アベノミクスのように、積極的な金融緩和や景気刺激策を通じてデフレ脱却を目指す政策が実施されました。その成果にはばらつきがあったものの、近年インフレ率は上昇し、一部の消費者は長年の慎重姿勢を和らげつつあります。さらに、コーポレートガバナンス改革により、企業は手元資金を収益性向上や成長戦略に活用することが求められるようになっています。
国内のスタートアップ投資も、過去10年間で大幅に増加しています。さらに、政府は評価額が10億ドルを超えるユニコーン企業を100社以上育成するための政策を打ち出しました。ウォーレン・バフェットをはじめ、SequoiaやNEA、Lux Capitalなどの大手VCファンドを含む海外投資家も、日本の比較的低いバリュエーションや将来の成長余地に魅力を感じ、投資への関心を高めています。また、日本の若い世代は、スタートアップを含む多様なキャリアパスに対して以前より積極的になっています。加えて、一部の分野では移民規制が緩和され、様々な視点を持つ多様な人材の流入も進みつつあります。
また、地政学的な懸念が高まる中、日本は半導体などの主要産業のリショアリングを進めると同時に、防衛費をGDPの2%へ引き上げています。これにより、産業プロジェクトや研究開発の活性化が期待されます。こうした動きは、「戦略的発展を通じて国家を強化する」という明治時代の考え方とも通じるものがあるのではないでしょうか。
日本の「第3幕」
日本は近代史の中で2度、大きく生まれ変わりました。ならば、3度目があっても不思議ではありません。日本の「第3幕」です。過去の2度の変革では、社会全体に広がる(時に非合理的とも言える)楽観主義が原動力となり、驚異的な飛躍を遂げました。現在、日本には悲観的な空気が漂っています。これは深刻な問題ですが、決して変えられないものではありません。政府が改革を進め、企業がリスクに恐れず挑戦し、若い世代が再び将来に希望を持てるようになれば、日本は豊富な資金と優れた人的資源を活かし、再び世界を驚かせることができるでしょう。
確かに、日本は大きな逆風にも直面しています。少子高齢化や多額の国債残高、長引くデフレ心理など、確かに課題は多いです。しかし、こうした課題こそが変革を加速させる「起爆剤」になり得るのです。例えば、労働力不足を受け、日本は外国人労働者の受け入れを拡大しはじめました。また、AI時代の到来も労働不足解消の好機と捉え、その活用に向けて積極的に取り組んでいます。さらに、地政学的な緊張の高まりを受け、新たな技術や国際的な協力関係への投資も進めています。このように、世界的な圧力が増している今こそ、過去の大改革を成し遂げたときのような「為せば成る」という楽観的精神が再び呼び覚まされるかもしれません。
国全体の意識や姿勢が重要であることは、歴史が証明しています。米国では、「非合理な楽観主義」が、一見不可能に思えるアイデアを次々と実現させてきました。そして日本もまた、最盛期には同じくらい大胆でした。もし社会や政府、企業が、未来を切り拓く情熱を取り戻せば、日本の可能性は計り知れません。明治維新から戦後の復興まで、日本は何度も再興の道を切り拓いてきました。そして今、日本は新たな章を迎えようとしているのかもしれません。「非合理な悲観主義」を捨て去り、明日を信じる力を再び呼び覚ます、その時がきているのです。
Founding Partner & CEO @ Coral Capital