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人生は短いんだよ。歩こう、約束のために。

        ■テトゥアン地中海映画祭  /コンペティション部門  グランプリ
        ■ソフィア国際映画祭 /コンペティション部門 審査員特別賞
        ■イスタンブール映画祭 /コンペティション 撮影監督賞  
        ■東京国際映画祭 アジアの未来部門(コンペ部門) - ワールドプレミア 
        ■デッラ レッシニア映画祭 /コンペティション部門 正式上映
        ■ウルジュ マウンテン映画祭 /アジアコンペティション部門 正式上映
        ■テッサロニキ国際映画祭 正式上映
        ■コットバス映画祭 正式上映
        
        ■テトゥアン地中海映画祭  /コンペティション部門  グランプリ
        ■ソフィア国際映画祭 /コンペティション部門 審査員特別賞
        ■イスタンブール映画祭 /コンペティション 撮影監督賞  
        ■東京国際映画祭 アジアの未来部門(コンペ部門) - ワールドプレミア 
        ■デッラ レッシニア映画祭 /コンペティション部門 正式上映
        ■ウルジュ マウンテン映画祭 /アジアコンペティション部門 正式上映
        ■テッサロニキ国際映画祭 正式上映
        ■コットバス映画祭 正式上映

映画『葬送のカーネーション』 映画『葬送のカーネーション』


        監督:ベキル・ビュルビュル 
        脚本:ビュシュラ・ビュルビュル、ベキル・ビュルビュル
        キャスト:シャム・シェリット・ゼイダン, デミル・パルスジャン 
        海外セールス:Alpha Violet  
        配給:ラビットハウス
        協賛:トルコ文化観光省/トルコ国営放送局
        2022 / 製作 トルコ・ベルギー/ トルコ語・アラビア語 / 16:9   / 5.1ch / カラー / 103 分
英ビリング
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2024. 1.12(金)
        ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMA ほか 2024. 1.12(金)
        ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMA ほか
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『葬送のカーネーション』
パンフレットのお詫びと訂正

『葬送のカーネーション』をご覧頂く皆様へ

『葬送のカーネーション』パンフレットに
誤記がございました。
お詫びを申し上げますとともに、
以下の通り訂正させていただきます。

  • <訂正内容>
    祖父役のデミル・パルスジャン紹介ページ
  • 【誤】“「オスマン帝国外伝 ~愛と欲望のハレム~」でジェイコブというキャラクターを”
  • 【正】“「オスマン帝国外伝 ~愛と欲望のハレム~」でアザム師団長というキャラクターを”
2024.1.12 ラビットハウス

Trailer

圧倒的な映像が静かに問いかける、現代トルコ映画の到達点
            リアリズムと虚構(ファンタジー)が交差する、現在社会の新しい寓話 圧倒的な映像が静かに問いかける、現代トルコ映画の到達点
            リアリズムと虚構(ファンタジー)が交差する、現在社会の新しい寓話

Introduction

アッバス・キアロスタミ、アスガル・ファルハーディーなどイランの監督たちは言うに及ばず、目が離せない近年の中東映画。

トルコではユルマズ・ギュネイの後、ヌリ・ビルゲ・ジェイランが現れ、その次世代の才能と言われているのが、このベキル・ビュルビュル監督。小津安二郎を敬愛し、作品のワールドプレミアに東京国際映画祭を選んだ本作は、その後世界中の映画祭を回り、グランプリ、審査員特別賞など数々の賞賛に輝いている。

Story

荒涼とした冬景色のトルコ南東部。

年老いたムサは、亡き妻の遺体を故郷の地に埋葬するという約束を守るため、棺とともに旅をしている。

紛争の続く場所へ帰りたくない孫娘のハリメだったが、親を亡くし、仕方なく一緒に歩いている。

亡き妻とともに故郷への帰還を渇望するムサ。旅で出会う様々な人たちから、まるで神の啓示のような“生きる言葉” を授かりながら進んでゆく。

国境、生と死、過去と未来、自己と他者、棺をかつぐ祖父と孫娘の心の融和。

トルコから届いた3人のおとぎ話は、境界線の先に小さな光を灯す。

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Comment

深田晃司
<映画監督>

人間は理不尽に訪れる死を前になすすべもない。
だからこそ、何千年も前からずっとあがき爪痕を残すように、芸術は死を描き続けてきた。

戦争という理不尽に翻弄される少女にとって、死を背負う祖父の切実な歩みもまた理不尽である。しかし、その理不尽の中でもとにかく足を前に進ませなくてはならないその姿は、生きることそのもののようでもある。だからこそ、歩みの先にある「越境」の瞬間と、それを目撃する少女の姿に胸を打たれる。

なぜなら、それはいずれ私たちに必ず訪れる未来の予兆でもあるからだ。

暉峻 創三
<映画評論家>

虚飾なき描写の積み重ねの果てに、突如 夢幻的、魔術的とも見える光景が出現する斬新で寓話的な構成。 説明描写を極力避け、挙動や表情、小道具、そして風景の力で多くを語らせる映画的演出。主人公たちの寡黙さとは対照的に、周縁的存在に大多数の台詞を付与する非一般的な脚本美学……。

先鋭的で強烈な作家性を世界に印象付ける一作が登場した。

James Hadfield
<The Japan Times>

現代の社会情勢を モチーフにしながら、 崇高で純粋な寓話として昇華させた物語

ミスミヨシコ
絵本作家・アニメーション作家

長年どこかにしまって忘れていた絵本を偶然みつけて読んだような喜び。

この映画は眠っていた心を揺さぶり起こす。

岡本多緒
モデル・俳優

ずっと義母のことを考えて観ていました。

私の夫の母はチベット人です。
1948年から始まった、毛沢東率いる中国共産党にチベットが侵攻された時、彼女はまだ少女でした。
両親から言われるがままにチベットから亡命した時は13歳、まさかその後長年戻ることが出来なくなるとは毛頭思わなかったでしょう。
少しの間の我慢だと言い聞かされ、何週間もかけて道なき道を進み、辿り着いたインドでは家族がバラバラになってしまい、父とは途中ではぐれ、その後中国軍に刺殺されたんじゃないかという噂だけが届く…。
現代の日本に生まれた私には想像を絶する体験です。
彼女はその後スイスに難民として受け入れられ、数年後にスイス国籍をもらえた為、簡単ではないもののチベットに渡航することも出来るようになりました。今となっては祖国チベットより何倍も長い年月をスイスで過ごし、彼女の生活は全てスイスにあります。 それでも彼女は息子である私の夫に、将来自身が亡くなった際には遺灰をチベットの美しい湖、ナムツォ湖に散骨してほしいと頼んでいます。

現在難民は、戦争・紛争の理由の他に、気候変動などで住む場所が奪われている人たちも増加の一途を辿っています。戦争を知らない世代が戦争をしたがっている、と囁かれる今日この頃、「生まれた場所に還りたい」という人々の思いが世界中に溢れていることを、私たち日本人も肝に銘じておかなければと思うのです。

渡辺真起子
俳優

世界の情勢が大きく揺れている。

東京で薄らボンヤリ暮らす私は人々のささやかな幸せへの願いが叶わない事に憤っている。
生涯を共にした妻を生まれた場所に埋葬したい。預ける人がいなかった孫を連れて。

私はあの棺に祖父の全てが詰まっていたのだと思う。
その最後の背中を観客は少女と一緒に見届ける事になる。

田中光敏
映画監督

約束を果たす為、棺を背負う祖父。
寄り添う孫娘。
トルコの美しい自然と、出逢いが 私たちに、どう生きるか? を突き付けてくる。

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Staff &Cast

監督:ベキル・ビュルビュル
Bekir Bülbül

トルコ・中央アナトリアの主要都市コンヤ出身。

一作目の短編ドキュメンタリー映画 “BULGUR MILL”が多数の映画祭へ出品され注目を集める。続く長編デビュー作 “MY SHORT WORDS”も30以上の映画祭で上映され、多数の作品賞を受賞。イランの映画祭で国際審査員を務めた経験も。「葬送のカーネーション」は長編2作目。

Message

昨年、東京国際映画祭でワールドプレミア上映をしていただき、監督として、とてもエキサイティングな経験をしました。上映後は、思ってもみなかったお祝いの言葉や評価をいただき、心から感謝しています。

死と旅という題材は、私が常に深く考えてきたテーマであり、小津安二郎監督から受け継いだレガシーでもあります(日本に来てすぐに彼のお墓参りをしました)。

私たちは誰もこの世に属していません。母親の胎内にいるときと同じように、私たちの口、鼻、目は、そのときは何の役にも立たないにもかかわらず、来世への贈り物として与えられる器官です。同様に、私たちはこの世で非現実的な多くの感情や欲望を抱いています。(すべてを手に入れたい、永遠に生きたい、鳥のように空を飛びたいなど)。

このような神秘のサイクルを感じながら、私は「葬送のカーネーション」を作りました。この映画を通じて皆さんとつながることができるのは、さらにエキサイティングなことだと感じています。

―― ベキル・ビュルビュル(監督)

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シャム・セリフ・ゼイダン
Şam Şerif Zeydan

2010年シリア生まれ。戦争のため2017年にトルコに移住。現在はネヴシェヒル・カッパドキア地域に住んでおり、現地の学校で学び続けている。 「葬送のカーネーション」は彼女の初の演技経験。将来は、プロの女優になることを夢見ている。

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デミル・パルスジャン
Demir Parscan

1950年イスタンブール生まれの、広告、映画、テレビシリーズの俳優。実践的な演技を学び、広告や劇場の演劇で活動した。 映画『Tutsak(2018)』、『Bad Boy(2017)』、『Deccal(2016)』に出演。また、2017年に放送されたテレビシリーズ「オスマン帝国外伝 ~愛と欲望のハレム~」でアザム師団長というキャラクターを演じた。

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quote

劇中、ハリメと祖父に出会う人々の言葉

”一生は短いのさ。気づいたら終わってしまうものだけど、ただ穏やかでいることが大切なんだ。
思想家のサイード・ヌルシーは“死は終わりではなく、来世への入り口だ” と言ってるんだ。
亡くなったあなたの両親も来世にいるってことなの。”

―ヒッチハイクで乗せてもらった
トラックの女性運転手の言葉より

“すべての歌と詩を集めたら、そこに苦悩の叫びを見つけられるかもしれない。
星の光が届くのに5000年かかるなら、500年後に忘れられる本を書く 我々人間の行動の意味を考えてみたい。”

―ラジオから流れてくるDJの言葉より

“人生が無意味でも、価値を見出して進み続けるべきなのだろうか。
意味はないが、走り回って何かをしなければならないのが人間なのかもしれない。”

―ラジオから流れてくるDJの言葉より

“リンゴを食べて種を埋めたら、いずれ大きな木になるだろ。
私たちも地面に埋められて来世に行ったら大きな木になるのよ。
今は冬、草木は枯れていても初夏の祝祭の頃には息を吹き返し、
みんなで楽器をかき鳴らし食べたり、踊ったりする。”

―ヒッチハイクで乗せてもらった
トラックの女性運転手の言葉より

地球の歴史上、人生というパーティーはいつか終わり、大きな失敗と偉大な成功だけが残る。
しかし、仮にあなたの子孫が1000年続いたとしても、 誰もあなたに感謝しないし、そもそも認識すらしない。

―ラジオから流れてくるDJの言葉より
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Special

原題と海外タイトルに関して +

※ご鑑賞後にお読みいただくとより理解が深まります

原題「Bir Tutam Karanfil」
海外タイトル「Cloves & Carnations」に関して

トルコ語の原題は、「クローブをひとつまみ」です。
クローブ(丁子)のエピソードが劇中に出てきたのはお気づきでしょうか。 トラック運転手のおばさんが、ふたりにキャンディーを与えようとすると、ムサは歯痛があるので遠慮する場面です。その時に丸い缶に入ったクローブを与えます。クローブには殺菌作用があるからです。その後死体が異臭を発してきた時にムサが残っていたクローブを臭い消しのために箱の中に入れます。ハリメは、このクローブと同音異義であるカーネーションの造花をリュックに入れて持ち歩いています。この赤いカーネーションは、彼女にとって祖母や家族との思い出の花なのかもしれません。そして、我々にとっては母の日に贈る花として良く知られています。 またカーネーションは、トルコではイスラム教が偶像崇拝を禁じているために、好んで描かれてきたバラやチューリップと並び、古くから愛されている花でもあります。 このカーネーションはクローブの香りがすると言うことで、トルコ語では同じ単語(同音異義)を使っているのです。

■クローブ または 丁子/チョウジ クローブ(英: Clove)または、チョウジ(丁子、丁字)は、フトモモ科の樹木チョウジノキ(学名:Syzygium aromaticum)の香りのよい花蕾である。原産地はインドネシアのモルッカ群島であり、香辛料として一般的に使われるほか、生薬としても使われる。漢名に従って丁香(ちょうこう)とも呼ばれる。
日本における植物和名はチョウジノキ。非常に強い香気を持っているので、百里香という別名もある。
主に香辛料として知られ、花蕾には精油16 - 20%を含んでいて、薬用にも使われる。精油の成分は、主にオイゲノール約80 - 90%前後を含んでいて、アセチルオイゲノール3%、その他、酢酸、サリチル酸、タンニンなども含んでいる。口内で味覚細胞を刺激して胃液の分泌を高めたり、芳香性健胃、腸内ガスの排出作用のあることが、知られている。

クローブ
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身近な国 トルコ

トルコはアジア大陸とヨーロッパ大陸の一部を含む国で、「アジアとヨーロッパの架け橋」としてしばしば表現されています。トルコのアジア部分、アナトリアは、人類文明の起源とされており、ヒッタイト、フリギア、古代ギリシア、ローマ帝国、オスマン帝国など、18の異なる文明が栄えた歴史的に重要な地域です。

トルコ料理 +

トルコ料理

トルコ料理は、羊肉を串に刺して焼いた「シュシュケバブ(シシカバブ)」や、円柱状に焼かれた薄切り肉の「ドネル・ケバブ」などが代表的ですが、それだけではありません。トルコ周辺で発展した「ピラウ」と呼ばれる炊き込みご飯も注目に値します。これが広く西アジアから中央アジア、そして世界中に広まり、一般的には「ピラフ」として知られています。日本では洋風炊き込みご飯として認識されることが多いですが、実は「アラブ風炊き込みご飯」にルーツを持っています。

また、トルコ発祥のものとして注目すべきは「ヨーグルト」です。ブルガリアのヨーグルトも、トルコの遊牧民が作ったものから派生し、その名前もトルコ語の「ヨーウルト」に由来します。ヨーグルトは日本ではデザートとして広く知られていますが、トルコではサラダやスープに使われることもあり、ギリシャやブルガリアでも多くの料理に取り入れられています。ヨーグルトににんにくのおろし汁を加えたソースは、トルコ料理において重要な役割を果たし、料理の風味を引き立てています。

■トルコ発祥 トルコは多様な文化が交差する場所であり、さまざまな物事の起源を辿ると、実はトルコに行き着くことがあります。 (例:ワイン、チューリップ、さくらんぼ、ミートボール、ドクターフィッシュ、サンタクロース、ターキッシュアンゴラ、羊皮紙、カフェ文化(無形文化遺産に登録)など)
この他、<トルコ石><トルコ アイス><トルコ桔梗>など意外に身近にもトルコ関連があることに気づきます。

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エルトゥールル号遭難事件 +

エルトゥールル号遭難事件

エルトゥールル号遭難事件は、映画 「海難1890」(田中光敏監督)によって、広く知られていますが、以下、概略を記します。

1890年(明治23年)9月16日夜半にオスマン帝国(現在のトルコの一部)の軍艦エルトゥールル号 (Ertuğrul Fırkateyni) が、現在の和歌山県東牟婁郡串本町にある紀伊大島の樫野埼東方の海岸で遭難し、500名以上の犠牲者を出した事件。日本の海難史上初の大規模な外国船の海難事故とされています。   

■エルトゥールル号 日本とオスマン帝国との間では1887年より皇室儀礼関係が始まり、アブデュルハミト2世は明治天皇に勲章を奉呈するためにエルトゥールル号を日本へ派遣することを決めます。
エルトゥールル号1889年7月14日にイスタンブールを出港し、数々の困難に遭いながらも1890年6月7日にようやく横浜港に入港します。司令官オスマン・パシャを特使とする一行は、同年6月13日に皇帝親書を明治天皇に奉呈し、オスマン帝国最初の親善訪日使節団として歓迎を受けました。
しかし、エルトゥールル号は艦齢26年の老朽艦だったうえ、乗員の経験不足などもあり、艦の消耗や乗員の消耗、資金不足に伴う物資不足が限界に達していました。
1890年9月15日になってようやく横浜を出港、その消耗ぶりをみた日本側は台風の時期をやり過ごすように勧告しますが、オスマン帝国側は様々な事情で帰路につきます。そして遭難事件はその帰途に起こりました。
1890年9月16日21時ごろ、台風による強風にあおられ、紀伊大島の樫野埼に連なる岩礁に激突し、座礁した機関部への浸水による水蒸気爆発が発生した結果、22時半ごろに沈没。これにより司令官オスマン・パシャをはじめとする600名以上が海へ投げ出されます。 和歌山県の樫野地区、島の反対側にある大島地区では、村民を大動員して生存者の探索と負傷者の救済を行います。当時、台風によって出漁できないまま食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、米、卵やサツマイモ、それに非常用の鶏すら供出するなど、生存者たちの救護に努めた結果、656名中、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が救出され、生還に成功。その一方、司令官を含む587名は死亡または行方不明という大惨事となります。
その後、大日本帝国海軍は小型軍艦「比叡」と「金剛」を出して、イスタンブールまで送り届けました。

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イラン・イラク戦争中における
トルコ航空機によるテヘラン邦人救出事件 +

イラン・イラク戦争中における
トルコ航空機によるテヘラン邦人救出事件

1985年3月、イラクは、突然、「イラン上空の航空機は、民間機を含め、無差別に攻撃する」と宣言。このとき、既にイランの首都 テヘランは住宅街を含め、イラクの空爆を受けている状況で、200名以上の日本人が取り残されていました。

これに際し、隣国トルコのオザル首相は、重要なパートナーであり自ら親友と呼ぶ森永堯氏(当時、伊藤忠商事イスタンブール支店長)に懇請されると即座に英断を下し、テヘランの日本人を救出するためにトルコ航空機の派遣を決定。このことは、エルトゥールル事件と結びつけられて、「トルコは海の恩を、空で返した」と言われることにもなります。

機長のオルハン・スヨルジユ氏は元空軍パイロットで、自らフライトを志願。215名の日本人はこれに分乗し、全員トルコに救出され日本へ帰国できました。トルコは陸路で脱出できる自国民よりも、日本人の救出を優先したのです。この救援機に搭乗できなかったトルコ人約500名は、自動車でイランを脱出しているのですが、トルコの国民とメディアは、この対応を好意的に受け入れています。 この逸話は2002日韓で開催された FIFAワールドカップでのサッカートルコ代表チームの活躍(結果3位)を機に、テレビ番組や雑誌で取り上げられました。

2004年にはこれを紹介した児童書が小学生高学年向けの読書感想文コンクール課題図書になります。

2007年10月28日、エルトゥールル号回顧展にあわせて東京都三鷹市の中近東文化センターでこの逸話に関するシンポジウムが開催され、当時の関係者が出席し事件当時の駐イラン大使であった野村豊氏もその時の経緯を語っています。

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