コンテンツにスキップ

張成沢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
張 成沢
장성택
生年月日 (1946-02-06) 1946年2月6日
出生地 ソビエト連邦の旗 北朝鮮江原道文川郡(または咸鏡北道清津市[1]
没年月日 (2013-12-12) 2013年12月12日(67歳没)[2][3][4]
死没地 朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮平壌直轄市
出身校 金日成総合大学
所属政党 朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党(除名)
称号 金日成勲章金正日勲章(剥奪)
配偶者 金敬姫

在任期間 2010年6月7日 - 2013年12月8日
国防委員長
国防第一委員長
金正日
金正恩

在任期間 2007年10月 - 2013年12月8日
総書記
第一書記
金正日
金正恩
テンプレートを表示
張成沢
各種表記
チョソングル 장성택
漢字 張成沢/張成澤
発音 チャン・ソンテク
日本語読み: ちょう・せいたく
ローマ字 Chang Sŏngt'aek
英語表記: Chang Song-taek
テンプレートを表示

張 成沢(チャン・ソンテク、ちょう・せいたく[5]: 장성택1946年2月6日 - 2013年12月12日)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治家

北朝鮮の初代最高指導者金日成の娘、2代目最高指導者金正日の妹に当たる金敬姫を妻とし、金正日の側近を務めた。朝鮮民主主義人民共和国国防委員会副委員長、朝鮮労働党中央委員会政治局員、朝鮮労働党中央軍事委員会委員、朝鮮労働党中央委員会行政部長などの要職を務め、朝鮮人民軍においては大将軍事称号階級)を保有[6]するなど、党・国家・軍・公安部門に影響力を行使する立場にあり、金正日・金正恩体制における実質的なナンバー2とされ[7]、甥である金正恩の後見人的存在と見られていたなど[7]、北朝鮮の実力者の一人と認められていた[8]

その後、2013年12月に粛清され[9]、朝鮮労働党から除名されて全ての役職称号を失い[10]、同月12日に「国家転覆陰謀行為」により死刑判決を受け、即日処刑されたと国営メディアにより報道されている[2]

来歴

[編集]

金日成体制から金正日体制後期まで

[編集]

江原道川内郡出身。金日成総合大学の卒業生。

1968年から1972年までソビエト連邦モスクワに留学していた。

若い頃は容姿端麗かつ性格も開放的で酒にも強く、大学では性別問わず人気者であった。頭の回転が速く、機敏で気の利く遊び人だった性分を、当時上級生だった金正日に気に入られ、幼少時に事故で死去していた弟の代わりの様に可愛がられる。金敬姫とは大学の同級生であり、張成沢に憧れ惹かれていた金敬姫からのアプローチをきっかけに付き合うようになっていた。生来の遊び癖気質やその出身身分の低さを金敬姫の実父であり、かつ当時、既に国内最高権力者の地位にあった金日成には疎んじられ[11]、一時江原道の元山経済大学に強制転学させられる。実妹の悲しみを払いたい想いや金正日自身の張成沢の将来への期待などから、やがて金正日のとりなしで中央に復帰し、1972年に金敬姫と結婚[12]、学生時代からの金正日の希望通り、彼の側近となった。しかしその後、一時敬姫との夫婦仲が悪くなり、DVなどにも及ぶようになったことを金正日が激怒。1978年から2年間、ガンソン製鉄所で思想化教育を受ける。この際、金正日の妻である成恵琳の助力で立ち直ったことから恩義を感じ、その子の金正男を後継者に推すようになったという[13]

金日成体制下では、平壌市党委員会指導員としてキャリアをスタートさせ、党組織指導部外交部担当、党員登録課長を務めながら実務を学び、1982年に党青少年事業部副部長、1985年に党青少年事業部第一副部長、1988年に党青少年事業副部長、1989年に青年および三大革命小組部長に就任し三大革命赤旗獲得運動を推進するなど、金正日の側近としてキャリアを進めてきた[12]

金日成が死去し金正日体制が発足した後は、1995年に朝鮮労働党中央委員会組織指導部第一副部長(行政担当)に就任し、1997年から2000年まで社会安全部内の秘密警察組織「深化組」を指揮、2万5000人にも及ぶ大規模な粛清を行った(深化組事件)。

2003年10月より以後、消息報道が長期間途絶える。ほどなく2004年2月頃には、「権力欲による分派行為」を疑われて失脚したという情報も飛び交い、同時に張が所掌していた党行政部も解体された[14]。これについては、張と同職の党中央委員会組織指導部第一副部長(組織担当)の李済剛(リ・ジェガン)により失脚させられたとの疑いがある[15]。李済剛は金正日の次男金正哲を後継者に推していたため、長男の金正男を後継者に推していた張成沢にとって政敵だったとされる[16][17]。しかし2006年1月29日朝鮮中央通信の報道などで、張が2005年12月に復権していたことが判明。復権の際、北朝鮮の報道では、党中央委員会組織指導部第一副部長ではなく、単に党中央委員会第一副部長として紹介された。なお、首都建設部第一副部長として復権したとされている。

復帰前後の2005年と2006年9月には、張が乗っていた乗用車に軍用トラックが衝突して張が重傷を負う事故が発生[18]

2007年には、国家安全保衛部人民保安省、中央検察所、中央裁判所などの公安部門を統括する党行政部が復活し、党行政部長に張が就任し、本格的に権力への復帰を果たした。これと同時に党組織指導部の思想検閲・査定の権限が、党行政部に大幅に移管したのではないかと分析されたが、専門家により意見は分かれた[19]。張の失脚後に、李済剛が張が所掌していた業務を一手に引き受け「労働党内の総督」と呼ばれるほどの権勢を揮ったことから、金正日が李済剛を牽制するために張を復帰させたものと分析されている[14]

金正日体制末期から金正恩体制発足期まで

[編集]

金正日が2008年8月脳卒中で倒れ、回復後も左腕に後遺症が残ったこともあり[20]、張の動向が注目された。張は金平一とともに、アメリカ政府から、金正日体制崩壊後のキーパーソンの一人として注目を集めた。

2009年2月15日、金正日の健康が悪化した際、張が三男の金正恩を後継者にするよう働きかけたと報じられた[21]。同年4月9日国防委員会委員に選出。

2010年6月2日、過去に張を失脚させ謀殺しようとしたと疑われている、金正日の後継者をめぐって対立関係にあった、張の最大の政敵だった李済剛が交通事故で死亡し、張が権力闘争で独走態勢に入る[22]。この李済剛の死は、張成沢による謀殺返しであると疑われている[15][23]。その5日後の同月7日、張は国防委員会副委員長に選出され、事実上の北朝鮮ナンバー2の地位を不動のものとした。これについては、金正恩を後継者にするための布石と言う見方と、正恩を後継者にすることを諦め、張自身を北朝鮮の次期最高指導者にするため、という2つの見方があった[24]

同年9月28日、第3回党代表者会議をうけて開催された中央委員会総会で政治局員候補に昇進。同時に金正恩も党中央軍事委員会副委員長に推挙され、これにより金正恩の後継者としての地位がほぼ確定した。

また、同年頃から外貨誘致に関する利権をめぐって、国防委員会副委員長の呉克烈との対立関係が始まったとされている[25][26]

2011年12月17日金正日が死亡し、葬儀委員会の名簿には19位に名を連ねた(妻は14位)[27]。当面の間は若い金正恩を後見人の張が謂わば「摂政[28] としてバックアップする体制が取られるものとみられていた[29]

2012年4月11日の第4回朝鮮労働党代表者会では、朝鮮労働党政治局員候補から政治局員に昇格した。

粛清・処刑

[編集]

韓国国家情報院による「失脚」情報

[編集]

2013年12月3日韓国国家情報院は「張成沢国防委員会副委員長が失脚し、側近2名が公開処刑された」との情報を明らかにした[30]。同月7日に放送された朝鮮中央テレビの金正恩の現地視察映像の全ての場面から、張が編集や加工により消されていたことにより、粛清された可能性がより確実のものとなった[31]

北朝鮮当局による「粛清」の公式発表

[編集]

12月9日に朝鮮中央通信が、8日に開かれた朝鮮労働党政治局拡大会議の決定により、張を全ての役職から解任し、党から除名したと正式に報じた。解任と除名の理由は「分派策動で自分の勢力を拡張し、あえて党に挑戦する危険極まりない反党・反革命的分派事件が発生した」「党の唯一的指導体系を確立する事業を阻害する反党・反革命的分派行為を働き、強盛国家の建設と人民の生活向上を目指す闘いに莫大な弊害を及ぼす反国家的・反人民的犯罪行為を働いた」「資本主義生活様式に染まって不正腐敗行為を強行し、腐敗堕落した生活をした」「思想的に病み、極度に安逸に流れたため麻薬を使い、党の配慮によって他国に病気の治療で行っている期間には外貨を蕩尽し、賭博場まで出入りした」「張成沢とその追随者らが働いた犯罪行為は想像を絶し、党と革命に及ぼした弊害の結果はきわめて大きい」などとしており、私生活に至るまで徹底的に糾弾された[10][32][33]

また、同日午後に放送された朝鮮中央テレビは、張が両脇を抱えられて党政治局拡大会議の議場から連行される様子を撮った写真を映しながら、朝鮮中央通信同様「権力を乱用して、不正・腐敗行為をし、複数の女性(金正恩氏の第一夫人を含む)と不当な関係を持って、高級食堂の裏部屋で、酒遊びや飲み食いをしてきた。他国で病気治療を行っている期間には、外貨を使い果たし、賭博場まで訪ね歩いた」などと、数々の張の「罪状」を挙げて、繰り返し呼び捨てで報道した。北朝鮮が、このような逮捕場面を公開するのは極めて異例で、1970年以降では初めてである[34][35][36][37][38][39][40]。朝鮮中央通信は「張成沢を取り除き、その一党を粛清することによって、党内に新しく芽生える危険極まりない分派(派閥)的行動に決定的な打撃を加えた。」[32] と報じており、粛清の語は西側メディアの呼称ではなく、北朝鮮政府の公式見解となっている。

北朝鮮当局による「処刑」の公式発表

[編集]

12月13日、朝鮮中央放送が、前12日に開かれた国家安全保衛部特別軍事法廷で張に死刑判決を下し、即時処刑したことを発表した[41][42][43][44][45][46][47]。朝鮮中央放送は処刑の理由について、「敵らと思想的に同調し、わが共和国の人民主権を転覆する目的で敢行した国家転覆陰謀行為が共和国刑法第60条に当たる犯罪を構成することを確証した」「犬畜生にも劣る人間のゴミ、凶悪な政治的野心家、陰謀家であり、万古の逆賊である張成沢を革命の名の下に人民の名の下に厳しく断罪、糾弾し、刑法第60条により、死刑に処すものと判決を下し、即時執行された」と発表した[2]。朝鮮中央通信は、同様に党大会で「傲慢な態度でいい加減な拍手をした」ことや[48]、その他の罪状を列挙し、デノミネーションの失敗を初め、失政をことごとく張の仕業であるとした。その上で、「あえて金正恩ママ[注釈 1]元帥の唯一的指導を拒否し、元帥の絶対的権威に挑戦し、白頭山の血統と一個人を対置させる者をわが軍隊と人民は絶対に許さず、それが誰であれ、どこに隠れていても一人残らず掃き集めて歴史の峻厳な審判台に立たせ、党と革命、祖国と人民の名で無慈悲に懲罰するであろう」と、徹底した残党狩りを示唆した[3][4]

処刑直前の様子として報道された写真は張の顔や手の甲が腫れ上がって見えることから、処刑直前に拷問が行われたとの見方も出ている。

1月30日、駐イギリス特命全権大使玄鶴峰は、Sky Newsによるインタビューで、張の処刑方法を「銃殺だった」と語った。その上で、「(朝鮮労働)党は張成沢の行状を過去に何度も許したが、今回は受容限度を超えた」と述べた。また、張の家族も処刑されたとする報道については、「我々の敵たちによる政治的プロパガンダ。でっち上げの報道についてはコメントしない」とした上で「彼の家族が罰を受けたか否かは知らない」と答えた[49][50]

粛清の背景

[編集]

張が粛清された背景については各報道機関によって分析が試みられ、多様な説が唱えられている。

権力闘争

[編集]

複数のメディアが、朝鮮人民軍と朝鮮労働党組織指導部が張の粛清を主導した可能性を報じており、軍では金正恩体制発足に伴い張が事実上のナンバー3に昇格させた側近だった崔竜海(チェ・リョンヘ)朝鮮人民軍総政治局長が、党組織指導部では趙延俊(チョ・ヨンジュン)党組織指導部第一副部長、若しくは黄炳瑞(ファン・ビョンソ)同部第一副部長が粛清を主導したとされている[51][52][53][54](以前から張と崔竜海は不仲が噂されていた[55])。

また、処刑直前の11月には、『中央日報』は平壌在住の貿易労働者の発言として、「いまは金正恩より張成沢が政権を取ればはるかに生活が良くなるだろうという噂が広まっている」と報じていた[56]

朝鮮労働党統一戦線部に在籍していた脱北者で北朝鮮情報サイト『NEW FOCUS』代表のチャン・ジンソンと産経新聞も、軍と党組織指導部が張の粛清を主導した可能性を指摘している。チャン・ジンソンによると、張の粛清は、過去に張が、党中央委員会組織指導部第一副部長の李済剛(リ・ジェガン)、国家安全保衛部副部長の柳京(リュ・ギョン)[57]、同部第一副部長の禹東測(ウ・ドンチュク)、朝鮮人民軍総参謀長李英浩(リ・ヨンホ)を粛清し、張が牛耳る党行政部の下に党組織指導部の権限や軍の利権を集めて独り占めにしてきたことに対する、党組織指導部、国家安全保衛部、軍が野合して行った組織的報復であるという[15][58]

軍と張が牛耳る党行政部との利権をめぐる対立が粛清の原因であるという説については、韓国国家情報院による韓国国会情報委員会所属の議員に対する報告においても指摘されている。国家情報院は、処刑の理由は金正恩が張に「度重なる党行政部と軍の間での利権争い」や「(張の)側近の越権行為」を改めるよう指示したにもかかわらず、張がこれを拒否したことが原因であるとしている。なお「国家転覆陰謀行為」については処刑を正当化するために誇張された理由付けであるとしている[59]読売新聞は、党行政部から軍に利権を返そうとしない張と側近に関する報告を受けた金正恩が激怒して、泥酔状態で張成沢一派の処刑を命じたとも報道している[60]

また李策と『週刊ポスト』取材班によると、投資家を装って接触した当局者の話として、張は将軍様(金正日)と同じような贅沢を行い、また100人を超える女性が張と夜をともにさせられた。そこで最高司令官同志(金正恩)は張の行状に不快感を募らせ、2012年12月17日(金正日の命日で追悼大会が開催された)の出来事から張を遠ざけるようになった。身の危険を感じた張は、それまでは自分が受け取っていた党・軍・政府のいっさいの報告資料を、最高司令官同志に直接上げるよう指示したが、一方で最高司令官同志は保衛部に極秘で張の行状を調べるよう命じた。粛清の決め手となったのは、7月末にパーティーの席上で、張の側近である李龍河、張秀吉が「張部長同志、万歳!」「張部長同志の万寿無疆を祝願します!」などと叫んだことだった。本来中国皇帝の長寿を願う言葉で臣下に用いてはならなかった「万歳」の対象は金日成・金正日、そして最高指導者である金正恩以外にあり得ず、この結果張とその一派は「反党反革命分派行為」を行ったと見なされたという[61]

重村智計によると、張は党行政部長として警察組織の一つである内務軍を指揮下に置くなど、ある程度の権限を持つ一方、2004年に権力の核心的役職である党中央委員会組織指導部第一副部長から失脚して以降、同役職への復帰を切望しながらも叶わず、政権ナンバー2と言える程の実力者ではなく、金正恩との敵対意思もなければ独裁の障害という程の権力も無かったという。むしろ、軍予算削減や中国や韓国など周辺国との接近をスパイ行為(売国奴)と見なした軍の圧力によって、金正恩が自派の一員である叔父を粛清する様に強制された結果ではないかと推測している。重村は、今回の「ミニ・クーデター」によって金正恩ら党・政府は軍に主導権を握られる格好となり、呉克烈(オ・グッリョル)国防副委員長と金英哲(キム・ヨンチョル)偵察総局長ら軍部強硬派が正恩を傀儡化する方向に向かうと予測している[55]

一方、『中央日報』は、金正恩自身が、政権ナンバー2の張を独裁の障害となりうると判断して自ら排除した可能性を提起している[62]。かつて張成沢の部下だった脱北者によると張はカリスマ性があるうえ、たびたび食事や酒を振るまうなど部下たちへの気配りもできるなどの人柄から人望があり、結果として政権内で実権を掌握する構図になっていたという。またこの脱北者は、今でも張を慕っていた者は様々な組織に残っており、今後は彼らに対する粛清が続くだろうとの予想を語った[63]。また、同じく『中央日報』のパク・ハンシクジョージア大大学院教授インタビュー記事では、パクは「北はナンバー2を認めない。北で首領はすべての体制と法の上にある神だ。第一人者以上の意味を持つ。最高指導者を神と同じ存在とする首領化の過程で挑戦すればどうなるかという見本が張成沢の事件だ。そのような意味で張成沢事件はナンバー2を引き下ろした粛清ではなく、一般官僚が前に出ようとして除去された処罰の概念と見るべきだ」との見解を示した[64]

汚職

[編集]

汚職の有無については北朝鮮粛清を発表した際に韓国の洪翼杓国会議員が、張の「犯罪行為」の具体例として国外での食堂事業に関する不正などをあげた[65]

処刑後の影響

[編集]

12月17日国際連合人権理事会は張成沢、李龍河、張秀吉らの処刑について、拷問等禁止条約違反の可能性があるとして、北朝鮮に対して60日以内の回答を求めた[66]

2014年1月1日、金正恩第一書記は新年の辞で張を「汚物」と呼び、一連の粛清・処刑について「わが党は昨年、強盛国家の建設をめざす誇りある闘いの時期に、党内に潜んでいた分派の汚物を除去する断固たる措置を取りました。わが党が適中した時期に正確な決心をして反党反革命分派一党を摘発粛清することによって、党と革命隊伍は一層打ち固められ、我々の一心団結は百倍に強化されました。」と述べた[67]

張は、日本モンゴル[68]中華人民共和国などにとって外交上の窓口役となっていた。「既に核保有しているから核実験は必要なく、中国に配慮すべき」[69] として対中関係を重視する人物であり、中国による羅津港[70]清津港[71][72][73] の租借は張が関与したとされ、張の粛清前に中国企業のコンソーシアムが羅津港の第1埠頭から第3埠頭まで全て開発して新たに第4・第5・第6埠頭の3基を建設して50年間租借する合意が北朝鮮とされていたが[74][75]、中国側の陳徳銘とともに北朝鮮側でこの計画を担当[76]していた張の粛清でこれらは取り消しになったとされる。張の処刑された2013年当時、北朝鮮の全貿易の9割近く[77]を占めていた中朝貿易の7割[78]が通る中国・丹東の最大の対北朝鮮貿易業者であり、北朝鮮に核開発関連物資や北朝鮮サイバー軍の拠点を提供するなど、張が所管していた勝利貿易会社の緊密なビジネスパートナーだった中国人実業家の馬暁紅(鴻祥グループ会長)も、張の粛清で巨額の損失[79] を被ったという(その後も北朝鮮との取引を続けるも制裁を強める中国当局に逮捕された)。

2015年3月5日、国連人権理事会に提出されたJUA(共同緊急アピール)によると、北朝鮮は人権理事会の問い合わせに返事をしなかった。JUAは、国連人権決議25/13違反として遺憾の意を表明した。また、(北朝鮮側の)反証が無い限り、最初の報告に根拠があると結論づけた。従って、北朝鮮は張成沢、李龍河、張秀吉らの処刑について、拷問等禁止条約違反を犯したと結論づけた[80]。アメリカ政府系のラジオ・フリー・アジアによると、報告書 (JUA) はマルズキ・ダルスマン、フアン・メンデス、クリストファー・ハインツの3人による共同作成で「北朝鮮政府が、2013年に行った張成沢の処刑は明らかに国際人権法に違反した行為」と結論づけたと報じた[81][82]

2016年5月、朝鮮史のテーマパークである平壌民俗公園が解体されていると報じられた[83][84]

生存説

[編集]

2014年5月6日、米プロバスケットボールNBAの元スター選手、デニス・ロッドマンは米誌・DuJourの取材に応えた際、処刑されたと伝えられている北朝鮮のナンバー2だった張成沢が処刑されなかったと発言した。

ロッドマンは「私が今年の1月に北朝鮮を訪問した際、メディアはすでに金正恩が張成沢を処刑したと伝えていたが、私は確かに彼の姿を確認している」と発言[85]

2018年4月12日、大統領直属の政策企画委員会と有力シンクタンク・世宗研究所の共催による「世宗国家戦略フォーラム」で、同研究所の統一戦略研究室長の鄭成長(チョン・ソンジャン)は、張成沢元国防副委員長について「本当は生きている」と発言した。同氏によれば、「北朝鮮は張成沢を『処刑した』と発表したが、複数の消息筋は、処刑を目撃した高位幹部はおらず、実際には自宅に軟禁された状態で生存していると主張している」のだという[86][87]

家族

[編集]

出典

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 北朝鮮では既に逝去した者も含めて最高指導者を常に太字で表示するように定められている。

出典

[編集]
  1. ^ 장성택(남성)”. 大韓民国統一部. 2023年2月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月8日閲覧。
  2. ^ a b c 張成沢氏を処刑 「敵に同調、国家転覆陰謀」と朝鮮中央放送 死刑判決、即日執行 Archived 2013年12月13日, at the Wayback Machine. 産経新聞 2013年12月13日閲覧
  3. ^ a b 千万の軍民のこみ上げる憤怒の爆発、希代の反逆者を断固と処断 張成沢に対する朝鮮国家安全保衛部の特別軍事裁判 Archived 2017年3月4日, at the Wayback Machine.」 - 朝鮮中央通信 チュチェ102年(2013年)12月13日 12月13日閲覧。
  4. ^ a b 判決などの記事は朝鮮総聯サイトでも読める。Korea File 2014 No.1 (通巻76号) 2014/2/24 朝鮮半島の現状を打破する金正恩イニシアティブ - 在日本朝鮮人総聯合会 所収「● 張成沢被告への国家安全保衛部特別軍事裁判判決文(12.12)」参照。
  5. ^ 「張成沢」”. 百科事典マイペディア. 2022年7月2日閲覧。
  6. ^ 「正恩氏後見 張成沢氏は「大将」軍服姿放映 軍での影響力増大」『読売新聞』2011年12月26日東京朝刊1面。
  7. ^ a b 名村隆寛「北、張氏解任を発表 『反党・反革命的行為』」『産経新聞』2013年12月9日大阪版夕刊1面。
  8. ^ 密告で北朝鮮の張成沢氏粛清の報道 「でたらめ」と中国外務省”. 産経ニュース (2018年2月14日). 2021年5月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月14日閲覧。
  9. ^ NHKスペシャル 北朝鮮 権力とカネの謎 - NHK放送史
  10. ^ a b 北朝鮮 チャン・ソンテク氏の解任発表 NHKニュース 2013年12月9日 Archived 2013年12月13日, at the Wayback Machine.
  11. ^ ミヤネ屋 2013年12月16日放送より
  12. ^ a b 一時は金正日総書記の後継者候補、結局は甥に…(1) 中央日報 2013年12月8日
  13. ^ “장성택과 포스트 김정일 (3)”. 中央日報. (2009年4月13日). オリジナルの2018年1月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180108063656/http://news.joins.com/article/3568963 2018年1月8日閲覧。 
  14. ^ a b 金総書記の義弟が党行政部に昇進、実勢に完全復帰”. 聨合ニュース (2007年11月21日). 2018年1月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月3日閲覧。
  15. ^ a b c 拷問、犬刑、密告、政治収容所 恐怖支配強まる金正恩の北朝鮮2 産経ニュース 2013年12月23日
  16. ^ “発覚した「太っちょグマ」こと金正男暗殺計画 高英姫は「事故」で重体 後継者めぐる暗闘の行方は…”. 産経ニュース. (2016年2月23日). https://www.sankei.com/article/20160223-DUDONEIXCNPQ7AOS3QOSGBSHCQ/ 2018年1月8日閲覧。 
  17. ^ “金正哲後継者、急浮上説・・・信憑性は?”. デイリーNK. (2007年11月26日). http://dailynk.jp/archives/1487 2018年1月8日閲覧。 
  18. ^ 北朝鮮の交通事故偽装テロ 東亜日報 2010年5月10日
  19. ^ 張成沢, 査定作業を指揮”…ナンバー2が復活?”. デイリーNK (2008年3月18日). 2013年12月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月3日閲覧。
  20. ^ “脳卒中後「余命数年の分析」 外国訪問で健康誇示も”. 産経新聞. (2011年12月19日). オリジナルの2011年12月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111220023927/http://sankei.jp.msn.com/world/news/111219/kor11121919140043-n1.htm 2011年12月27日閲覧。 
  21. ^ “金総書記義弟が決定的影響=後継体制で「摂政」に-聯合ニュース”. 時事通信聯合ニュース). (2009年2月15日). http://jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2009021500121 2009年3月16日閲覧。 [リンク切れ]
  22. ^ 北、李済剛の死亡で張成沢の独走時代 デイリーNK 2010年6月3日
  23. ^ 北朝鮮の要職幹部が相次ぎ死亡、権力闘争説も 聨合ニュース 2011年1月24日
  24. ^ “3代世襲の断念?それとも牽制? 張成沢氏台頭に憶測”. 東亜日報. (2010年6月9日). http://japan.donga.com/srv/service.php3?bicode=050000&biid=2010060986838 2010年6月9日閲覧。 
  25. ^ 左・成沢vs右・克烈…北朝鮮は‘第2人者’パワーゲーム中(1) 中央日報 2010年7月5日
  26. ^ 張成沢―呉克烈の外貨稼ぎ競争…誰が権力を掴むのだろうか デイリーNK 2010年10月6日
  27. ^ “延坪島砲撃主導の金格植、葬儀委員名簿から抜ける”. 中央日報. (2011年12月26日). https://japanese.joins.com/JArticle/146683 2011年12月27日閲覧。 
  28. ^ “キム・ジョンウンの背後、張成沢の摂政の可能性に注目する必要”. デイリーNK. (2010年9月27日). http://dailynk.jp/archives/10641 2017年5月24日閲覧。 
  29. ^ “「後見体制」が強力後押し=金正恩政権、基盤強固か-北朝鮮”. 時事通信. (2011年12月21日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201112/2011122100885 2011年12月27日閲覧。 [リンク切れ]
  30. ^ 北朝鮮、正恩氏の叔父・張成沢氏が失脚か 韓国報道 日本経済新聞 2013年12月3日閲覧
  31. ^ 북 장성택 기록영화에서 삭제 실각설 무게 - KBS NEWS(韓国放送公社(韓国語)(KBSニュース9、2013年12月7日)
  32. ^ a b 朝鮮労働党中央委員会政治局拡大会議に関する報道 Archived 2017年3月4日, at the Wayback Machine.」 - 朝鮮中央通信 チュチェ102年(2013年12月8日 12月11日閲覧。
  33. ^ 北朝鮮、「犯罪行為」のため張成沢氏を解任=KCNA Reuters Japan 2013年12月9日閲覧
  34. ^ KBSニュース12(韓国語)(2013年12月9日)
  35. ^ KBSニュース5(韓国語)(2013年12月9日)
  36. ^ KBSニュース7(韓国語)(2013年12月9日)
  37. ^ KBSニュース9(韓国語)(2013年12月9日)
  38. ^ MBCニュースデスク(韓国語)(2013年12月9日)
  39. ^ SBS8ニュース(韓国語)(2013年12月9日)
  40. ^ 張成沢氏解任 北朝鮮メディア、張氏が連行される際の写真公開 FNNニュース 2013年12月9日 Archived 2013年12月11日, at the Wayback Machine.
  41. ^ 북, 장성택 사형 집행 - KBS NEWS(韓国放送公社(韓国語)(2013年12月13日9:30)
  42. ^ KBSニュース12(韓国語)(2013年12月13日)
  43. ^ KBSニュース5(韓国語)(2013年12月13日)
  44. ^ KBSニュース7(韓国語)(2013年12月13日)
  45. ^ KBSニュース9(韓国語)(2013年12月13日)
  46. ^ MBCニュースデスク(韓国語)(2013年12月13日)
  47. ^ SBS8ニュース(韓国語)(2013年12月13日)
  48. ^ 「(2010年9月28日の)歴史的な朝鮮労働党第3回代表者会議ですべての党員と人民軍将兵、人民の総意によって金正恩ママ〕元帥を朝鮮労働党中央軍事委員会の副委員長に高く推挙したという決定が宣布されて場内が熱狂的な歓呼で沸き返る時、やむを得ず席から立ち上がっていい加減に拍手し、ごう慢不遜に行動してわが軍隊と人民のこみ上げる憤怒をかき立てた。」という。
  49. ^ “North Korea: Kim Jong-Un Official Speaks”. Sky News. (2014年1月30日). http://news.sky.com/story/1203361/north-korea-kim-jong-un-official-speaks 2014年1月31日閲覧。 
  50. ^ “張成沢氏は「銃殺」 北朝鮮駐英大使 2014.1.30 21:03”. 共同通信/産經新聞. (2014年1月30日). https://web.archive.org/web/20140130145624/http://sankei.jp.msn.com/world/news/140130/kor14013021050003-n1.htm 2014年1月31日閲覧。 
  51. ^ 張成沢氏の失脚・処刑 軍実力者の崔竜海氏らが主導か 聨合ニュース 2013年12月13日
  52. ^ 金正恩側近「内部標的作って統治を」…張成沢粛清の建議説(1) 中央日報 2013年12月12日
  53. ^ 北序列2位失脚:張成沢氏と権力闘争、崔竜海氏とは 2013年12月4日
  54. ^ 張成沢死刑を主導した黄炳瑞氏、今年は随行回数トップ 朝鮮日報 2014年4月28日
  55. ^ a b 北朝鮮・張成沢氏失脚の真相 早稲田大学・重村教授に聞く THE PAGE 2013年12月10日
  56. ^ “「張成沢が執権すればいまよりいいはず」…密かに話す北朝鮮住民(1)”. 中央日報. (2013年11月17日). https://japanese.joins.com/JArticle/178375 2014年2月3日閲覧。 
  57. ^ もしくは柳敬、北朝鮮による日本人拉致問題において北朝鮮側の交渉窓口となった「ミスターX」のこと。
  58. ^ 張氏処刑を主導 党組織指導部 強力な権限1 産経ニュース 2013年12月28日
  59. ^ 韓国機関「粛清 チャン氏が指示拒否したため」 NHKニュース 2013年12月23日 Archived 2013年12月24日, at the Wayback Machine.
  60. ^ 正恩氏に幹部あぜん「コメでなく肉食べれば…」 YOMIURI ONLINE 2013年12月22日[リンク切れ]
  61. ^ 張成沢氏の粛清引き金 宴会で取り巻きが「万歳!」の痛恨ミス 2014.01.16 07:00 - 小学館NEWSポストセブン
  62. ^ 金正恩、張成沢勢力粛清で権力固め(1) 中央日報 2013年12月4日
  63. ^ “チャン氏元部下の脱北者が語る”. NHK. (2013年12月14日). オリジナルの2013年12月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131214072424/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131214/k10013828051000.html 2013年12月14日閲覧。 
  64. ^ “「北、金正恩を首領として神格化を進行中」”. 中央日報. (2014年2月11日). https://japanese.joins.com/JArticle/181643 2014年2月17日閲覧。 
  65. ^ 張成沢氏失脚「海外食堂事業の不正が原因」=韓国議員 2013/12/11 20:04 - 聯合ニュース 12月11日閲覧
  66. ^ Mandates of the Special Rapporteur on the situation of human rights in the Democratic People's Republic of Korea; the Special Rapporteur on extrajudicial, summary or arbitrary executions; and the Special Rapporteur on torture and other cruel, inhuman or egrading treatment or punishment - 国際連合人権理事会 (英語)
  67. ^ “新年の辞 金正恩”. ネナラ. (2014年1月1日). http://naenara.com.kp/ja/news/news_view.php?22+2068 2014年1月2日閲覧。 
  68. ^ “モンゴル前大統領講演 北朝鮮、響かぬ「自由」 聴衆200人、困惑の表情”. 毎日新聞. (2018年2月19日). https://mainichi.jp/articles/20180219/ddm/003/030/095000c 2018年3月10日閲覧。 
  69. ^ “後見人、張成沢処刑の真相 正恩「地球上から痕跡なくせ」 最期に「わずかな時間でいい。妻に会わせて…」”. 産経新聞. (2016年4月26日). https://www.sankei.com/article/20160426-QSNVONFVWJLU3PKT2E4IORU3JI/3/ 2017年10月18日閲覧。 
  70. ^ “中国人業者装い北の外貨稼ぎ部隊は野放し状態 「制裁?全く影響ない」”. 産経ニュース. (2016年3月16日). https://www.sankei.com/article/20160316-CO23UASDS5IMVFUANRQPDZPFH4/4/ 2017年12月6日閲覧。 
  71. ^ “中国の東海出口戦略第2弾、北朝鮮の清津港運営権も確保”. 中央日報. (2012年9月11日). https://japanese.joins.com/JArticle/159267 2017年12月6日閲覧。 
  72. ^ “中国が北朝鮮の清津港を狙う理由”. デイリーNK. (2012年9月12日). http://dailynk.jp/archives/16614 2017年12月6日閲覧。 
  73. ^ “北朝鮮、羅津港に続き清津港も中国に開放”. 東亜日報. (2012年9月11日). http://japanese.donga.com/List/3/all/27/418868/1 2017年12月6日閲覧。 
  74. ^ “中国が北朝鮮の羅津・先鋒特区を事実上接収”. 中央日報. (2012年8月13日). https://japanese.joins.com/JArticle/157430 2017年12月6日閲覧。 
  75. ^ “北朝鮮、羅津港で新埠頭3基の建設に着手=中国と共同開発、写真解析で判明―韓国メディア”. 中央日報. (2013年7月23日). https://www.recordchina.co.jp/b74639-s0-c70-d0000.html 2017年12月6日閲覧。 
  76. ^ “北朝鮮の張成沢氏、50人同行で中国訪問”. 中央日報. (2012年8月14日). https://japanese.joins.com/JArticle/157496 2017年12月6日閲覧。 
  77. ^ “北朝鮮の貿易規模が過去最大 制裁は影響なし”. 聯合ニュース. (2014年5月22日). http://japanese.yonhapnews.co.kr/northkorea/2014/05/21/0300000000AJP20140521002900882.HTML 2017年12月1日閲覧。 
  78. ^ “中国、消えた北朝鮮労働者 制裁強化で銀行取引を制限”. 日本経済新聞. (2017年10月17日). https://www.nikkei.com/article/DGXKZO22304050W7A011C1EA2000/ 2017年10月18日閲覧。 
  79. ^ “「鴻祥グループ、張成沢処刑後さらに成長…北朝鮮の太い綱」(1)”. 中央日報. (2016年9月26日). https://japanese.joins.com/JArticle/221085 2017年10月18日閲覧。 
  80. ^ Report of the Special Rapporteur on torture and other cruel, inhuman or degrading treatment or punishment, - 国際連合人権理事会 フアン・E・メンデス "Democratic People's Republic of Korea"の項目参照 (英語)
  81. ^ 張成沢の処刑は国際法に明らかに違反・・・国連人権理事会が結論 2015年03月30日 - デイリーNKジャパン
  82. ^ 報告書では、メンデス単独の名義になっている。
  83. ^ “金正恩氏が平壌民俗公園解体を指示 張成沢氏の痕跡消す?”. 聯合ニュース. (2016年6月14日). http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2013122142028 2016年7月9日閲覧。 
  84. ^ “「張成沢の痕跡を消せ」 正恩氏、テーマパーク解体を指示”. 東京新聞. (2016年6月14日). http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201606/CK2016061502000128.html 2016年7月9日閲覧。 
  85. ^ “処刑された「北朝鮮ナンバー2」は生きている!?デニス・ロッドマン「私の後ろに彼がいた」―仏メディア”. Record China. (2023年7月24日). https://www.recordchina.co.jp/b87690-s0-c10-d0038.html 2014年5月14日閲覧。 
  86. ^ “金正恩氏に処刑された叔父「実は生きてる」との仰天情報”. Yahoo!ニュース. (2023年7月24日). https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/6440217d5f298ea456a5e8f0974da7e104913311 2018年4月14日閲覧。 
  87. ^ “北 張成沢氏「実は生きてる」?”. biglobe.news. (2023年7月24日). https://news.biglobe.ne.jp/topics/international/0414/94843.html 2018年4月14日閲覧。 
  88. ^ “金総書記健康異常説で注目集まる北朝鮮中核人物らは”. WoW!Korea(聯合ニュース). (2008年9月12日). http://www.wowkorea.jp/news/Korea/2008/0912/10048402.html 2009年3月16日閲覧。 
  89. ^ “金総書記夫人、金玉氏の父親が代議員に当選”. 中央日報. (2009年3月11日). https://japanese.joins.com/JArticle/112468 2009年3月16日閲覧。 
  90. ^ “北朝鮮人民武力省の張ソンギル氏死亡、張成沢氏の兄”. WoW!Korea(聯合ニュース). (2006年7月12日). http://www.wowkorea.jp/news/Korea/2006/0712/10011345.html 2009年3月16日閲覧。 
  91. ^ 張成沢氏、処刑直前に離婚か 「正恩氏が指示」との情報 朝日新聞デジタル 2013年12月16日閲覧
  92. ^ “自殺した張成沢の一人娘が生きていたとすれば…”. 中央日報. (2013年12月17日). https://japanese.joins.com/JArticle/179535?servcode=500&sectcode=500 2021年11月27日閲覧。 

関連項目

[編集]
  • 羅先特別市 - 外国への租借が張の「売国」行為とされ、死刑判決の罪状の一つに挙げられた。
  • 金英柱 - 張と同じように後継者の叔父だったが、70年代に失脚。
  • 朴憲永李承燁8月宗派事件 - 過去の粛清で処刑された人物、あるいは事件。張成沢は彼らと並ぶ罪人とされた。
  • 朴南基 - 張は朴を「そそのかした」として、死刑判決の罪状の一つに挙げられた。
  • 朴奉珠
  • 崔竜海
  • 族誅
  • 張海星 - 2016年にノンフィクション『悲運の男、張成沢(비운의 남자 장성택)』を上梓した。

外部リンク

[編集]