多田侑史
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多田 侑史(ただ ゆうし/ゆうじ、本名:多田嘉三郎(嘉七とも)[1][2][3]、1915年 - 2013年2月25日)は、茶人、有職故実研究者。関東における裏千家茶道布教に尽力。裏千家東京出張所初代所長。薪能再興の中心人物。
出自
[編集]生家は神戸本山(現在の岡本)[4]大阪の繊維問屋「多田利」を営む。谷崎潤一郎をして神童と言わしめた天才。谷崎潤一郎が阪神間本山に住んだ時の家主の息子。
戦後の混乱期、私財を投じて武智鉄二らと雑誌『観照』を刊行(1946年 - 1952年)、谷崎を始めとする多くの文化人を支援する。のち本業の繊維問屋が左前になると嘉七の名を廃して上京、産経新聞社に入り、のち裏千家15代家元千宗室の執事役を務める。京大教授の多田道太郎は甥(森彰英)。
特に親しい交友関係に三島由紀夫、市川右太衛門、観世栄夫、桜馬道男、坂東三津五郎、池田彌三郎、松田修、小西甚一、森川昭、林屋晴三、三隅治雄などがいる。 頻繁に勉強会を開催し熊倉功夫、筒井紘一等の多くの茶道研究家を育てる。
著書
[編集]- 『数寄―茶の湯の周辺』角川選書、1985年。ISBN 978-4047031630。