高崎寛之
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名前 | ||||||
愛称 | ヒロ、ヒロくん | |||||
カタカナ | タカサキ ヒロユキ | |||||
ラテン文字 | TAKASAKI Hiroyuki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1986年3月17日(38歳) | |||||
出身地 | 茨城県結城郡八千代町 | |||||
身長 | 188cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2008-2011 | 浦和レッドダイヤモンズ | 22 | (3) | |||
2009 | → 水戸ホーリーホック (loan) | 46 | (19) | |||
2012 | ヴァンフォーレ甲府 | 27 | (5) | |||
2013-2014 | 徳島ヴォルティス | 55 | (9) | |||
2015-2016 | 鹿島アントラーズ | 13 | (0) | |||
2015 | → モンテディオ山形 (loan) | 9 | (0) | |||
2016 | → 松本山雅FC (loan) | 37 | (16) | |||
2017-2019 | 松本山雅FC | 100 | (26) | |||
2020 | FC岐阜 | 32 | (8) | |||
2021 | サイゴンFC | 5 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
|年10=2021.10 |クラブ11= ヴァンフォーレ甲府 高崎 寛之(たかさき ひろゆき、1986年3月17日 - )は、茨城県結城郡八千代町出身のプロサッカー選手。ヴァンフォーレ甲府所属。ポジションはフォワード。2018年より茨城県八千代町観光大使[1]。妻はモデルの辻彩加[2][3]。
来歴
7歳上の兄の影響を受け小学2年生でサッカーを始める[4]。高校時代は全国大会への出場はなく、駒澤大学に進学。巻佑樹と2トップを組んだ。3年次の2007年に関東大学サッカー連盟の関東選抜Aチームに選ばれ、デンソーカップチャレンジでは最優秀選手となった。2007年夏季ユニバーシアードに日本代表として参加。 駒澤大学の同期からは菊地光将(大宮アルディージャ)、塚本泰史(大宮アルディージャ)、八角剛史(ギラヴァンツ北九州)、小林竜樹(ザスパ草津)がJリーグに進んだ。
2008年、浦和レッドダイヤモンズと契約。リーグ2試合に出場した。
2009年、水戸ホーリーホックにレンタル移籍。当初は荒田智之、荒田の負傷離脱後は吉原宏太との2トップでJ2で5位の19得点をあげた。そして12月25日、2010年より浦和レッドダイヤモンズに復帰することが発表された[5]。
2010年、リーグ戦では開幕からベンチにも入れない状態が続いていたが、3月31日に行われたナビスコ杯予選リーグBグループ第1節、対磐田戦で浦和復帰後初となる公式戦先発出場を果たした。それ以降も基本的にFWがエジミウソンの1TOPで固定されていた為、中々出番に恵まれていない状況が続いていたが、9月5日に行われた天皇杯2回戦、対東京国際大学戦で浦和では初となる公式戦ゴールを記録。その後、9月12日に行われたJリーグ第22節、対FC東京戦で今シーズンリーグ戦初出場。10月2日の第25節、対大宮戦では今季リーグ戦初先発出場・J1初ゴールを記録した。
2012年から、ヴァンフォーレ甲府へ完全移籍。ハーフナー・マイクの穴を埋める役割として期待され開幕スタメン出場。
2013年、徳島ヴォルティスへ完全移籍[6]。シーズン前半はスタメン出場もあったが、シーズン後半は主に試合終盤の途中出場が多く、2ゴールに終わる。同年2月4日、モデルの辻彩加と入籍[3][2]。
2014年、J1において自身通年最多かつチーム最多の7得点を挙げ、J1初挑戦で低迷するチームにおいて孤軍奮闘した。その後12月18日、鹿島アントラーズへ完全移籍することが発表された[7]。
2015年3月18日のAFCチャンピオンズリーグ・アウェイでの広州恒大戦では移籍後公式戦初得点を決め、4月7日のホームでの同戦では、試合終了間際に決勝ゴールを決めた。しかし、リーグ戦では結果を残せず、8月4日、鹿島戦での出場はしないことを条件にモンテディオ山形へ期限付き移籍が発表された[8]。
2016年1月8日、山形からの期限付き移籍期間が満了し、再び鹿島に復帰することが発表された[9]が、3月30日に松本山雅FCへの期限付き移籍が発表された[10]。松本では加入直後からレギュラーに定着し、リーグ戦においてチーム最多となる16得点を挙げた。
同年12月7日、右足関節インピンジメント症候群と診断され、6日に手術を受け、全治2ヵ月であることが発表された[11]。
同年12月30日、松本への完全移籍が発表された[12]。
2017年にはリーグ戦で自己最多タイとなる19得点を挙げた。
2018年12月11日、第1子(長男)の誕生をチームを通じて報告[13]。
2020年1月17日にFC岐阜への完全移籍が発表された[14]。同年12月23日、Vリーグ1・サイゴンFCへの完全移籍が発表された[15][16]。
2021年8月24日、2021年シーズンのVリーグがCOVID-19パンデミックのために中止になったことを受けてサイゴンFCとの契約を解除し、日本に帰国したことをTwitterで報告した[17][18]。9月3日、練習生として古巣のヴァンフォーレ甲府のトレーニングに参加していることが山梨日日新聞によって報じられた[19]。
所属クラブ
- ユース経歴
- 八千代町立中結城小学校・サッカースポーツ少年団
- 八千代町立八千代第一中学校
- 茨城県立古河第三高等学校
- 駒澤大学体育会サッカー部
- プロ経歴
- 2008年 - 2011年 浦和レッドダイヤモンズ
- 2012年 ヴァンフォーレ甲府
- 2013年 - 2014年 徳島ヴォルティス
- 2015年 - 2016年 鹿島アントラーズ
- 2017年 - 2019年 松本山雅FC
- 2020年 FC岐阜
- 2021年 サイゴンFC
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2008 | 浦和 | 26 | J1 | 2 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 |
2009 | 水戸 | 11 | J2 | 46 | 19 | - | 0 | 0 | 46 | 19 | |
2010 | 浦和 | 16 | J1 | 5 | 1 | 3 | 0 | 2 | 1 | 10 | 2 |
2011 | 15 | 2 | 3 | 0 | 3 | 1 | 21 | 3 | |||
2012 | 甲府 | 9 | J2 | 27 | 5 | - | 1 | 0 | 28 | 5 | |
2013 | 徳島 | 13 | 25 | 2 | - | 1 | 0 | 26 | 2 | ||
2014 | J1 | 30 | 7 | 3 | 0 | 0 | 0 | 33 | 7 | ||
2015 | 鹿島 | 15 | 13 | 0 | - | - | 13 | 0 | |||
山形 | 34 | 9 | 0 | - | 2 | 2 | 11 | 2 | |||
2016 | 鹿島 | 15 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||
松本 | 29 | J2 | 37 | 16 | - | 1 | 1 | 38 | 17 | ||
2017 | 9 | 41 | 19 | - | 1 | 0 | 42 | 19 | |||
2018 | 41 | 7 | - | 1 | 0 | 42 | 7 | ||||
2019 | J1 | 18 | 0 | 5 | 1 | 1 | 0 | 24 | 1 | ||
2020 | 岐阜 | J3 | 32 | 8 | - | - | 32 | 8 | |||
通算 | 日本 | J1 | 92 | 10 | 17 | 1 | 8 | 4 | 117 | 15 | |
日本 | J2 | 217 | 68 | - | 5 | 1 | 222 | 69 | |||
日本 | J3 | 32 | 8 | - | - | 32 | 8 | ||||
総通算 | 331 | 86 | 17 | 1 | 13 | 5 | 371 | 92 |
その他公式戦
- 2013年
- J1昇格プレーオフ 2試合0得点
- 2016年
- J1昇格プレーオフ 1試合0得点
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2008 | 浦和 | 26 | 0 | 0 |
2015 | 鹿島 | 15 | 6 | 2 |
通算 | AFC | 6 | 2 |
- 出場歴
- Jリーグ初出場 - 2008年4月29日 J1第9節 対コンサドーレ札幌戦(埼玉スタジアム2002)
- Jリーグ初得点 - 2009年4月4日 J2第6節 対ザスパ草津戦(正田醤油スタジアム)
- Jリーグ初ハットトリック - 2009年8月30日 J2第30節 対ファジアーノ岡山戦(笠松運動公園)
代表歴
タイトル
クラブ
- ヴァンフォーレ甲府
- J2リーグ:1回(2012年)
- 松本山雅FC
- J2リーグ:1回(2018年)
個人
- デンソーカップ・最優秀選手(2007年)
脚注
- ^ “八千代町”. www.facebook.com. 2020年12月27日閲覧。
- ^ a b “FW高崎寛之がモデル辻彩加と結婚「徳島で明るい家庭を築きたい」”. www.sponichi.co.jp. 2020年12月27日閲覧。
- ^ a b “モデル辻彩加とJ2徳島・高崎寛之選手が結婚 |最新ニュース|eltha(エルザ)”. eltha. 2020年12月27日閲覧。
- ^ “OFF THE PITCH|URAWA RED DIAMONDS OFFICIAL WEBSITE サッカーはじめて物語/高崎寛之”. 2020年12月27日閲覧。
- ^ 高崎寛之、期限付き移籍より復帰
- ^ “高崎 寛之選手 完全移籍にて加入決定のお知らせ”. 徳島ヴォルティス (2013年1月11日). 2013年1月11日閲覧。
- ^ 高崎寛之選手が完全移籍で加入 鹿島アントラーズオフィシャルサイト (2014年12月18日閲覧)
- ^ 高崎選手がモンテディオ山形に期限付き移籍 鹿島アントラーズオフィシャルサイト (2015年8月4日閲覧)
- ^ 高崎選手の復帰について 鹿島アントラーズオフィシャルサイト (2016年1月8日 閲覧)
- ^ 高崎選手が松本山雅FCに期限付き移籍 鹿島アントラーズオフィシャルサイト (2016年3月30日閲覧)
- ^ “J2松本 FW高崎寛之が手術 全治2カ月 今季チーム最多16得点”. スポニチアネックス. (2016年12月7日) 2016年12月7日閲覧。
- ^ 高崎選手が松本山雅FCに完全移籍鹿島アントラーズオフィシャルサイト(2016年12月30日閲覧)
- ^ “高崎寛之選手に第1子誕生のお知らせ”. 松本山雅FC (2018年12月19日). 2020年12月27日閲覧。
- ^ “高崎寛之選手 FC岐阜へ完全移籍のお知らせ”. 松本山雅FC (2020年1月17日). 2020年12月27日閲覧。
- ^ “ベトナム1部サイゴンFC、FC岐阜からFW高崎寛之を完全移籍で獲得[スポーツ]”. VIETJOベトナムニュース. 2020年12月27日閲覧。
- ^ “高崎寛之選手、サイゴンFC(ベトナム)へ完全移籍のお知らせ”. FC岐阜. 2020年12月27日閲覧。
- ^ 高崎寛之ヒロチャンネル [@hiro9channel] (2021年8月24日). "Saigon fcとの契約を解除し現在、日本で自主隔離中です。". X(旧Twitter)より2021年9月3日閲覧。
- ^ “元松本山雅FW高崎寛之がベトナム1部と契約解除…新型コロナ感染拡大でリーグ戦中止”. Football-Tribe (2021年8月24日). 2021年9月3日閲覧。
- ^ “高崎 VF甲府の練習参加(有料記事)”. 山梨日日新聞 (2021年9月3日). 2021年9月3日閲覧。
関連項目
- 浦和レッドダイヤモンズの選手一覧
- 水戸ホーリーホックの選手一覧
- ヴァンフォーレ甲府の選手一覧
- 徳島ヴォルティスの選手一覧
- 鹿島アントラーズの選手一覧
- モンテディオ山形の選手一覧
- 松本山雅FCの選手一覧
- FC岐阜の選手一覧
外部リンク
- 高崎寛之 - J. League Data Siteによる選手データ
- 高崎寛之 (@hiro19860317) - X(旧Twitter)
- 高崎寛之 (@hiro0317) - Instagram
- 高崎寛之ヒロチャンネル (@hiro9channel) - X(旧Twitter)
- 高崎寛之オフィシャルブログ「高崎寛之のサッカー人生 臥薪嘗胆
- 高崎寛之 - transfermarkt