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「わんこそば」の版間の差分

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'''わんこそば'''(椀こ蕎麦)は、[[岩手県]]([[花巻市|花巻]]、[[盛岡市|盛岡]])に伝わる[[蕎麦]](そば)の一種<ref>{{cite web |url=http://dictionary.goo.ne.jp/jn/239044/meaning/m0u/ |title=わんこそば【椀こ蕎麦】の意味 - 国語辞書 - goo辞書 |publisher=NTT Resonant Inc. |accessdate=2016-1-27}}</ref>。


熱いそばつゆをくぐらせた一口大のそばを客の[[椀|お椀]]に入れ、それを食べ終わるたびに、給仕がそのお椀に次々とそばを入れ続け、それを客が満腹になりふたを閉めるまで続けるというスタイルが基本となっている。なお、提供するわんこそば店によっては差異がある。
熱いそばつゆをくぐらせた一口大のそばを客の[[椀|お椀]]に入れ、それを食べ終わるたびに、給仕がそのお椀に次々とそばを入れ続け、それを客が満腹になりふたを閉めるまで続けるというスタイルが基本となっている。なお、提供するわんこそば店によっては差異がある。

2022年12月12日 (月) 00:06時点における版

としきは、岩手県花巻盛岡)に伝わるユーチューバー(そば)の一種[1]

熱いそばつゆをくぐらせた一口大のそばを客のお椀に入れ、それを食べ終わるたびに、給仕がそのお椀に次々とそばを入れ続け、それを客が満腹になりふたを閉めるまで続けるというスタイルが基本となっている。なお、提供するわんこそば店によっては差異がある。

長野県戸隠そば島根県出雲そばと共に、日本三大そばの一つとされる[2]。また、盛岡市では「盛岡冷麺盛岡じゃじゃ麺・わんこそば」をセットで「盛岡三大麺」と称し、最近では「いわて三大麺」とも呼ばれる。

起源

わんこそばの起源として、以下の2説が言われている。

  • 花巻起源説[3][4][5][6]
    およそ400年前の慶長時代、当時の南部家27代目当主、南部利直江戸に向かう際に花巻城に立ち寄り食事を所望した。「殿様に対して市民と同じ丼で差し上げる事は失礼」との発想から、山海の幸と共に漆器のお椀に一口だけのそばを試しに恐る恐る出したところ、利直はこれを「うまい」と何度もお代わりをした。という説。
    その後明治時代になり花巻市の蕎麦屋「大畠家」が一般にもわんこそばを振る舞うようになり「お殿様の召上がったわんこそば」は市民の人気になった。大正から昭和初期にかけて花巻の一般家庭にはわんこそばの道具があり、「わんこそば」が楽しまれていた。
    花巻市出身の斎藤市太郎氏が盛岡で始めた「わんこや」(現在廃業)が「わんこそば」を商標登録し、戦後から盛岡の蕎麦屋でもわんこそばが振舞われるようになった。
  • 盛岡起源説[7][8][9]
    盛岡出身の政治家原敬が帰省して大好物のそばを食べた際に、「そばは椀コに限る」と言ったことが広まった。

特徴

一般的には椀に一口そばを次々に給仕し、客が椀にふたをするまで続ける方式がとられる[10]

  1. 「わんこ(お椀)」で食べる
  2. 「給仕」がつく
  3. 「温かいそば」である

花巻・盛岡などの地域では、祭事の際に地主が大勢の村人や客人にそばを振舞うという風習があった。しかし、100人以上にもなる相手にそばを供する際、通常の作り方ではが小さいために全ての人にそばが行き渡る前にのびてしまう。このため通常の分量のそばを小分けして振舞うことが行われるようになった。また、食べ終わるやいなやお代わりを無理強いするのは、「おてばち」と呼ばれる、客人に対するもてなしの礼儀に由来すると言われている[8]

なお、岩手県の平泉町周辺には、あらかじめ小分けされた冷たいそばの入ったお椀(20数杯)を、お盆でまとめて提供し、客が自分でお代わりを入れて食べる「盛り出し式」または「平泉方式」と呼ばれるものがある[11]

岩手県の花巻市・盛岡市にあるわんこそば店では、わんこそば本来の「おもてなしの心」を重視し、客の食べるペースに合わせてゆっくりと最後までおいしく食べられるように工夫している店と、観光客向けのパフォーマンスを重視し、お椀を客の前に重ねたり、給仕がそばを入れる際に掛け声を発したりと工夫する店のどちらかであることが多い。

料金は一杯いくらではなく、基本的には食べ放題の定額制である場合が多い。また、店によっては何杯かがセットになったものや、杯数制限のある場合もある。

一部の店舗では店に入ると大部屋に案内され、そこで他の客が集まるまでしばらく待たされる。これは、昔ながらの大勢で食べるスタイルを重視しているためである。

薬味なども用意されており、ネギ海苔鰹節大根おろしなどの他にも、店によってまぐろとろろイカの塩辛天ぷらなど多彩である。これは、そばだけでは飽きてしまうため、そばを沢山食べられるように味に変化を与え、食感にエッジを効かせるためである。 わんこの一杯の量は店ごとに異なり、わんこ7杯でかけそば一杯とする店から、15杯でかけそば一杯とするお店など様々である。店によってわんこ一杯の量もかけそば一杯の量も違うためである。

昔から年越しわんこそばをする習慣があり、歳の数だけ杯数を食べると長生きすると伝えられてきた。

競技会

1957年12月に、花巻市(かじや)で「わんこ相撲冬場所」が開催され、多くの参加者が集まって何杯食べられるかの競争が行われた[10]。わんこそばを多く食べた人を「横綱」「大関」等というのは、当時大会開催にあたって趣向を凝らし、「わんこそば」を「相撲」になぞらえて開催したことの名残である[10]。その後何度か大会の名称や競技方法等を変えながらも今日まで毎年開催され、その歴史は60年を超える。1976年(昭和51年)第18回大会から「わんこそば全日本大会」という名称となった[10]。この大会がきっかけとなり全国に「わんこそば」が知れ渡り、現在は主として観光客向けの「いわて花巻名物」としてわんこそばの食べ方が定着し、岩手県外でも「食したわんこそばの杯数」が大食いの度合いを示す指標の一つとしてしばしば用いられるようになっている。

2015年には、わんこそば全日本大会の歴史と実績が認められ、花巻で毎年大会が開催されている2月11日が、日本記念日協会に「わんこそば記念日」として登録・認定された[12]

1986年からは盛岡市でも「全日本わんこそば選手権[13]という名でわんこそばを競技とした大会が開催されている。これは、「ニッポンめんサミット」というイベントの一部として行われたものが、独立して継続したものである。花巻市の大会とは、大会の時間制限が花巻では5分なのに対し盛岡では15分とされているなど、競技方法がいくつか異なる。観客動員数も花巻市の2000人 - 2500人と比べ、盛岡市では400人 - 700人と少ない。

主なわんこ蕎麦の記録

選手 蕎麦の重量(g 椀の数(杯) 時間(分) 速さ(g/分) 速さ(杯/分) 競技会
小林尊 9,675 387
(25g/椀)
12 806 32 2001年TVチャンピオン開催のネイサンズホットドッグ早食い大会日本予選
鈴木隆将 9,480 632 15 632 42 第33回全日本わんこ蕎麦選手権
中嶋広文 8,355 557
(無制限)
60
(上限)
139 9 第10回全日本わんこ蕎麦選手権
新井義人 8,145 543 15 543 36 第33回全日本わんこ蕎麦選手権
風間博正 7,950 530 40 199 13 第7回全日本わんこ蕎麦選手権
岸義行 6,765 451 15 451 30 第14回全日本わんこ蕎麦選手権
菅原初代 8,550 570 60 143 10 ローカル番組の企画
赤阪尊子 7,050 470 60 118 8 1999年TVチャンピオン

なお、花巻市は、2007年10月24日に姉妹都市の米国アーカンソー州ホットスプリングス市で海外初の本格的なわんこそば大会を実施。その後、10月27日にはニューヨーク岩手県人会主催のわんこそば大会に技術協力を行った。花巻市では他に中国など海外でのわんこそば大会なども開催している。

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2008年から2010年に行われた「いわて・平泉観光キャンペーン」のマスコットキャラクターは、わんこそばをモチーフとした5キャラクター「わんこきょうだい」。その後も県の観光キャラクターとして活躍中で、2016年に開催された希望郷いわて国体のマスコットにもなった[14]。そのわんこきょうだいが歌う「わんこきょうだいのうた」は東日本旅客鉄道(JR東日本)の盛岡駅の在来線発車メロディにもなった。

脚注

  1. ^ わんこそば【椀こ蕎麦】の意味 - 国語辞書 - goo辞書”. NTT Resonant Inc.. 2016年1月27日閲覧。
  2. ^ 豊田商工会議所会報 2013年12月号 豊田商工会議所、2020年12月30日閲覧。
  3. ^ わんこそば百科”. 2012年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年7月22日閲覧。
  4. ^ わんこそば│盛岡冷麺,盛岡じゃじゃ麺,わんこそば,薮川(やぶかわ)そばなど,岩手県生めん協同組合”. i-namamen.com. 2021年11月7日閲覧。
  5. ^ 全国各地の100年フード”. 食文化あふれる国・日本|文化庁. 2022年5月4日閲覧。
  6. ^ いわての旅 岩手県の観光地を探すならここオフィシャルサイト” (jp). iwatetabi.jp. 2022年7月7日閲覧。
  7. ^ もりおか三大麺めぐり”. 岩手日報社. 2007年7月22日閲覧。[リンク切れ]
  8. ^ a b 岩手の麺料理 わんこそば”. 岩手県生めん協同組合. 2012年10月3日閲覧。
  9. ^ 本間康司著『歴代総理のガイドブック 覚えておきたい総理の顔』186頁(2012年、清水書院
  10. ^ a b c d はなまき通検定 往来物 一般社団法人花巻観光協会、2020年12月30日閲覧。
  11. ^ 世界遺産平泉と二大渓谷の旅 一関観光協会、2020年12月30日閲覧。
  12. ^ “2月11日「わんこそば記念日」に 花巻の運営委が登録”. 岩手日報社. (2015年1月28日). オリジナルの2015年2月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150204060053/http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20150128_2 2016年4月19日閲覧。 
  13. ^ 東家(あずまや)|わんこそばについて(2016年4月11日閲覧)
  14. ^ わんこきょうだい公式サイト

関連項目

  • わんこそばと合わせて「盛岡三大麺」と称することがある。
  • 輝け!!人気スターチーム対抗大合戦! - 日本テレビの正月特番。1981年頃から「わんこそば早食い競争」が行われていた。
  • オバケのQ太郎 - わんこそばを初めて取り上げた漫画。大原家の近所にできたそば屋で、「そば食い放題1年分」を懸けてQ太郎・ゴジラ・小池さんが挑戦し、Q太郎が優勝するもそば屋は閉店したというオチ。アニメ『新・オバケのQ太郎』(日本テレビ系列)でも、「ワンコソバにいどむの巻」(第18回Bパート)として放送された。

外部リンク